東大陸編39『北部戦線の最重要拠点』
東大陸北方、極北洋のシテーン湾に面するセソー大公国。
セソー大公家は、正式な王家ではないが、王家に准ずる毛並みの良さを誇る。
何せ、リンド王国の王子と、マルロー王国の王女の婚姻によって築かれ、発展した国だ。
言わばリンド王国とマルロー王国の共同の分家であり、“王家ではない王族”である。
『公爵』ならぬ『大公爵』であるのも、理由無き事ではない。
継承順位は低くとも、両王国の国王となり得る血筋。
仮にリンド王国やマルロー王国の王家の血筋が途絶えても、セソー大公国が“予備”を確保している限り、正統な王家は続くのだ。
東大陸の北西をリンド王国、北東をマルロー王国で、北部中央をセソー大公国が治める事で、この地域も大分平和になった。
人口も優に300万を超え“准列強国”と見做される北の大国である。
人口だけで見れば、大内洋のオレス王国やリロ王国に匹敵する。
経済力でも、十分に周辺諸国の中心的存在である。
リンド王国とマルロー王国の間にあった広大な“辺境地域”を“文明開化”した国が、他ならぬセソー大公国なのだ。
セソー大公国領、ノイリート島。
シテーン湾内の大陸から北へ90km程に位置する皇国の佐渡ほどの大きさの島だが、この高緯度にあっても一年を通じて凍結しないために重要な軍港が建設され、合わせて要塞化された島は軍艦島とも呼ばれる。
ノイリート島の飛竜基地には常時20騎以上の飛竜が駐留しており、最大級の航空爆弾である10バルツ爆弾以上の12バルツ爆弾といった
特殊兵器も極少数だが配備されている程、軍備が整っている。
対空砲、対艦砲、野戦砲共に最新鋭の砲が配備され、この島を攻略するには列強国でも陸海空合わせて数万の大軍が必要になるだろうと言われている。
今、その強大な守備力を誇る要塞を必要とする敵はリンド王国、そしてその背後にある皇国だ。
セソー大公国は大陸北方方面の二大国であるマルロー王国、リンド王国の間の緩衝地帯のような地勢であり、両王国に対して一定の政治的距離を保って来たが、皇国進駐という事態に旗色を鮮明にし、マルロー王国側としてリンド王国を牽制しだした。
前リンド国王の采配が不味かったという分を差し引いても、少なくとも数的には東大陸で最も強大だったリンド王国軍すら半年も経たずに消滅させてしまった皇国軍を擁する皇国の勢力と、マルロー王国は直接国境を接したくない。
特にリンド王国、マルロー王国とセソー大公国が面するシテーン湾が皇国の勢力下に入るのは面白くないのだ。
大内洋から極北洋が、全て皇国の海になってしまう。
セソー大公国としても、先行き不透明な段階でリンド王国のように簡単に皇国勢力に下るという選択肢は無い。
異界から現れた未知の勢力を相手に、あっという間に膝を屈したリンド王国を前に、両国とも過剰防衛というか恐怖心が先行していた。
皇国は狡猾で貪欲だから、いずれ自分達も……という恐怖心だ。
要塞に設置されている大型対艦砲の射程は、実用的な命中率が見込める距離であれば1000m。
限界まで装薬を使って、とにかく砲弾が飛ぶ距離であれば3倍以上の3500~4000mといった所だ。
逆に、海側からは臼砲艦のような特殊艦を使わない限り、高所の要塞に有効な打撃を与える事は難しい。
戦列艦の舷側砲では、仰角や射程距離の問題で要塞の主要部分に砲弾を飛ばすことすら難しいからである。
臼砲艦や揚陸艦が近づこうとしても、要塞砲や防衛艦隊に阻まれて要塞自体に攻撃を加える事は至難である。
シテーン湾に面するリンド王国の港町セルシーは、軍港としての機能は限定的であるものの、フリゲート3隻を主力にコルベットやスループ等の小型艦艇が十数隻、母港として投錨している。
この艦隊は近海の哨戒や海賊対策、海難救助を主任務とする物で、ノイリート島を攻略するなど考えられていない。
軍事上の要請でノイリート島の攻略が必要となれば、大内洋に展開している主力艦隊を持ってくる手筈だったのだ。
であるから、それだけでは陸兵を詰め込んだ所で1000人程の揚陸が限度だろう。
その他の民間船や漁船を徴発しても、倍の2000人を運べれば上出来。
さらに、近隣に有力な飛竜基地や飛竜陣地は存在しないから、ノイリート要塞は何も恐れる必要はない……筈だった。
しかし事態は急展開。
セルシー港に展開した皇国海軍の水上機と飛行艇が、ノイリート島の航空偵察を始めたのだ。
迎撃に飛び立った飛竜は、追い付く事は愚かその高度に達することすら出来ない。
遂に、恐れていた事が現実になったか……。ノイリート伯爵は今後を考える。
ノイリート伯爵は島の行政長官であると共に、要塞司令官でもある純然たる武家貴族だ。
皇国軍に偵察されるという事は、陸兵による攻略軍を送ってくる前触れである公算が高い。
今の所は、上から眺められているだけで物的損害は無いが、もしあれが爆弾を抱えて来たら?
特に大型の方(飛行艇)の巨大さは地上から眺めても解るほどだから、さぞ大量の爆弾を搭載可能なのだろう。
それに物的損害は無くても、上空から見下ろされて何も抵抗出来ないというのは、実質的に軍事的な損失だ。
ノイリート島の軍事的な価値は、北方諸国の上流階級であれば誰でも知っているから、リンド王国を手にした皇国軍が狙ってくる事は十分に考えられる。
むしろ、皇国軍が何の興味も示さなかったら逆に不自然だ。
噂に聞く大規模空襲と砲撃を受ければ、容易に陸兵の上陸を許し、ノイリート島は皇国軍の手に落ちるだろう。
ノイリート軍港には、セソー大公国海軍の有力な戦列艦11隻のうち4隻が停泊している。
マルロー王国海軍とセソー大公国海軍が共同し、全力を以てセルシーを攻めれば、セルシーを守備するリンド王国軍を討ち破る事は可能だろう。
リンド王国軍は、戦力の主力を南向きに配備してきたから、最北のこの地域は陸軍も海軍も空軍も、それ程有力な部隊が存在しない。
マルロー王国軍が大挙上陸すれば、守備軍の少ないセルシーは1週間も粘れまい。
しかし、セルシー攻撃が失敗して、艦隊が壊滅したら?
ノイリート島だけでなく、セソー大公国本土も危ないだろう。
セソー大公国軍は、最大限に動員しても10万の兵が精々。うち陸軍は7万程度。
それだけでは、恐らく皇国陸軍の圧倒的な戦力を押し止められない。
セソー大公国海軍の戦列艦は、総旗艦たる108門艦デリセリア号以下、90門艦が2隻、74門艦が8隻。
飛竜母艦は1隻しか保有しないが、2層48門の重フリゲートを1隻と、24門から36門のフリゲートを25隻、等級外も多く保有しており、極北洋の制海権はセソー大公国にあると言って過言ではない。
しかし、伝え聞く所に拠る皇国軍艦の射程距離は、要塞砲の倍以上。
炸裂弾を使っているため、破壊力も単純な焼玉弾の比ではない。
その炸裂弾も、リンド王国製の炸裂弾の比ではない破壊力。
そして海は繋がっているから、そのような軍艦が大内洋から極北洋へ来ないとも限らない。
今は、攻略軍の準備としてシテーン湾の調査をしている段階なのだろう。
調査が終わり、攻略軍の編成が成れば、ノイリート島は皇国の海空戦力で要塞の防衛力をズタズタにされた後、陸兵が悠々と上陸して来るのだ。
セルシー(エイルーン回廊)攻略を事実上フュリス公国のみに任せる形として黙認しているのは、皇国からの反撃を分散する“リスクシェアリング”の意味からである。
マルロー王国の盾として、皇国軍の火力を一手に引き受ける役回りは御免被る。
そういう前提で大陸北方諸国同盟は動いていたのだが……。
今日も、皇国軍の大型飛行機がノイリート島上空にやって来た。
また“定期便”か……。
迎撃用飛竜と対空砲の準備はさせても、実際に飛ばす事はしない。
どうせやっても無駄だから、それで毎回飛竜を消耗させる事もないだろう。
だが、今日は様子が違った。
飛行機から、何かがばら撒かれたのだ。
一つは2バルツ爆弾。もう一つは紙吹雪。
特に大量の紙吹雪は島全体に降り注いだ。
束ねられた2バルツ爆弾は地表よりも上空で炸裂するように着火して投下された。
今回は警告であり、次は本格攻撃だという内容の紙吹雪と共に。
ノイリート要塞や飛竜基地にも落ちて来た紙吹雪はつまり“伝単”だ。
部下に手渡されたビラを読んだノイリート伯爵は、血相を変えた。
ビラの内容は、皇国に対するノイリート島の無血開城。
平たく言えば降伏を促す文書で、実質的な“降伏勧告”だ。
まだ直接、矛を交えていない段階で、降伏して島を明け渡せとは……。
シテーン湾に展開するリンド王国軍の海空戦力と、マルロー王国側の北方諸国同盟軍の海空戦力を比較すれば、リンド側が圧倒的に不利なのは誰でも解る。
だが、リンド側に存在する皇国軍という因子によって、この戦力比は容易に覆るだろう。
何せ皇国軍のある所、制空権は完全に皇国軍のものだ。
たった1機の偵察機すら、飛竜では阻止出来ない訳だから、逆に言えば皇国軍はたった1機の偵察機を展開するだけで、敵軍に相当な不利を強いる事が可能なのだ。
降伏をする場合、1週間以内に要塞司令部に“白旗”を揚げ、全将兵の武装解除を恙無くと書かれてある。
1週間経っても白旗が掲げられない、武装解除が為されない場合、ノイリート島に戦禍が及ぶとも。
期限付きの降伏勧告……。
海軍や空軍の偵察によると、確かにセルシー周辺では皇国軍やリンド王国軍の動きが活発なようだ。
あまり近づくと“皇国軍の設置した沿岸砲(76.2mm高射砲の転用。5門設置)”で攻撃されるので、遠目から望遠鏡で観察するしか無いが、皇国製と思しき超大型船が停泊しているのは確認された。
あれ程の超大型船なら、1隻で1個旅団5000人を運べると言われても信じられるくらいだ。
猛爆撃の隙に、陸兵を満載して攻めて来られたら、要塞はどうなるだろう?




