東大陸編35『リンド王国北部情勢』
王都ベルグが北方諸国同盟からの理不尽な通告を受けていた時より少し前。
シャーナが新女王として即位し皇国貴族(皇族)との婚姻が成った直後の頃、北域にて別の事件が起きていた。
リンド王国の王都ベルグより遥か北、フュリス公国との国境付近にサミュート村はある。
この地域の領主であるミナ伯爵の元に、サミュート村長からの手紙が届いたのは3日前。
手紙の内容はリンド王国を離反すべきという、国や王家への反逆を求めるものだった。
ミナ伯爵は、伯爵といっても辺境伯。准侯爵とも言える。
しかし、その所領は決して豊かとは言えない。むしろ貧しい。
交易の拠点になる都市や町とも離れた場所にあり、民衆は農林業が中心の自給自足に近い生活をしていて、国境警備のためでなければこんな辺境地域の統治など誰もやりたがらないだろうという場所だ。
だから、中央に税を納める能力など無いのは誰もが知っている。
中央に対する税を特別に免除する代わりに、国境付近の治安を任されているのだ。
しかし、前王は言った。
『ミナ伯爵の所領はこれだけ広いのに、何故余に税が入って来ぬのか?』
同じくらいの面積の他の地域と比べて、税収が無い事に不満を漏らしたのだ。
ミナ伯爵は王家への税を横領して私腹を肥やしているのではないかと言うのだ。
ミナ伯爵領がリンド王国全土に占める面積は約1%程だが、人口は0.1%にも満たない。
王都の人口密度と比べれば700倍以上、王国全体の人口密度の平均と比べても10倍以上の過疎地域。
本来なら、もっと大勢の領主で分割統治してもおかしくないくらいの広さなのだ。
そこで面積だけを比べられても……という思いは、ミナ伯爵だけに限らず、比べられた方の“豊かな”所領の貴族も同じだった。
ミナ伯爵としては青天の霹靂だが、税を納めねば投獄される。
しかし、金になるような産業は無いから、無い袖は振れない。
泣く泣く選ばれた王家への“献上品”は、村の若い娘達だった。
性的な産業を抜きにしても、娘達とて村の貴重な“労働力”だし、村の次世代を産み育てる人材でもあるから、簡単に手放して良い訳ではない。
かといって、男性の傭兵や肉体労働者は間に合っているから金にならない。
何とか認めてもらえる“商品”としては、少女達しか無かったのだ。
あの横暴な王は倒れたが、今の女王も素性が知れない。
民衆の、王家への不満や不信感が簡単に消えて無くなる事は無い。
そして、村人達は噂をしている。
皇国という残虐無比な異界の王と契りを結んだ女王は、前王以上の悪女に違いない。
リンド南部は、皇国の恣に蹂躙された。このままでは、北方のここらも危ない。
ミナ伯爵としては、代々この地域の安定を王家から信任されているわけで、簡単に王家に反旗を翻すなど出来よう筈も無い。先祖に申し訳が立たない。
かといって、所領の民の不満や不安も解らないではない。
伯爵自身、殆ど面識の無い新女王に不安が無いと言えば嘘になる。
不満が爆発して、暴動や反乱騒ぎにでもなれば一大事。
内々で処理し、王都や隣国からの横槍は避けねばならない。
村長が伯爵の屋敷に出頭しないため、伯爵はサミュート村へ自ら出向き、話を付けるべく馬車を走らせていた。
伯爵の馬車には、伯爵と秘書官、使用人が2人。
もう1台の大型馬車には、警護兵が8人。合計12人。
それと、馬用の糧秣や水を積んだ荷馬車が1台。
馬車の御者や雑用の下級使用人を含めても22人。
お忍びに近い仕事だから、大人数で大移動とは行かないのだ。
サミュート村では、伯爵からの事前の連絡に村長が出迎えたが、村人達は家の扉や窓を閉じて挨拶にも来ない。
村長の自宅兼村役場の入り口では、槍を持った衛兵当番の村人が伯爵達を睨みつける始末だ。
公務室で伯爵が上座に着席すると、村長との“議事”が始まる。
「村長。陛下の忠臣であるべき領民が離反を求める。これは国家への重大な反逆罪だ。手紙の内容を本気で言っているのならば、私は貴方を捕えて処断せねばならない。陛下の代理人たる領主として、手紙の内容に関する謝罪と撤回を強く求める」
「首を斬られるべきは、女王を僭称する妾腹の娘。そしてその娘の忠犬を止めぬ貴方です」
伯爵が村長を睨むと、村長も伯爵を睨み返す。
「……何が不満だ?」
「リンド王国、リンド王家の何もかもです」
「確かに先王の横暴と、それに抗し切れなかった私の非力さは認める。だが、だからと言って――」
「伯爵。貴方は我々の味方なのですか、愚王の味方なのですか!」
突然、村長が怒鳴りながら席を立ち、腰に差していた短剣に手をかけた。
「何のつもりだ! 私は当然、領民達の味方だが、同時に女王陛下の臣だ! 誰の敵でも無い!」
「我々の味方だと言うのなら、今すぐ女王を自称する女狐に尻尾を振るのを止めるのが筋です! 今や我等の敵は、リンド王家しか有り得ない!」
村長は、今にも伯爵の首筋か胸に短剣を突き立てそうな剣幕で迫る。
気迫に負けぬよう、伯爵も立ち上がって“議論”に応じる。
「私を殺したければ殺すが良い。だが、それでは問題の解決は遠のくだけだ。もしも、数日経っても私がこの村から自分の屋敷に戻らなかった場合、国家の緊急事態として陛下の軍が来る手筈になっている。村は焼き討ちされ、民達は反逆の罪で皆殺しになるぞ」
身の危険を感じた伯爵は、最悪の事態を想定して準備した手の内の一部を明かした。
だが、村長はそうなれば徹底抗戦あるのみだと、むしろ望む所だと言いたげだ。
議論は完全に平行線。というより話が通じない。
これは説得が長引くな、と思い始めていた伯爵は冷静さを取り戻すために再び座る。
「女王陛下の、皇国人との婚姻が認められないのか?」
「当然です。異界の蛮族との婚姻など、正気の沙汰ではありません。横暴な婚姻によって、リンド王家の威厳は事実上滅びました。今の女王は、ミナ伯爵の主君でもなんでも無いのです!」
10年程前、当時のケリューネ伯爵に言われた言葉を思い出す。
『領民を守れない領主に、領主たる資格がありますか?』
所領が経済的に豊かなケリューネ伯爵だから言えるので、このミナ領には当て嵌まらない……。などと即座に否定出来るような軽い言葉ではない。
その時は自分が問いを突きつけられたが、今はその自分の領民から女王に対して
『国民を守れない国王に、国王たる資格があるのか?』
という問いを突きつけているのだ。
これが、自分が領主として領民を守れなかった報いなのだとすれば、何という因果応報だろうか。
「フュリス公爵閣下に協力し、リンド王国の圧政を脱する事こそ、この地域の逼塞を破る唯一の道です」
「そんな事をすれば……!」
「皇国に下った女王は世界にとっての危険分子です。この地域がフュリス公国の下に一体となれば、シテーン湾に面するマルロー王国やセソー大公国の助力が得られ、エイルーン回廊は海への道を確約します。そうなれば、我が地域の自主独立と自存自衛に何の障害もありません。“遠くの王宮”より“近くの大公宮”です。迷っている暇はありません!」
無知蒙昧にして残虐無比な異界の国に滅ぼされたリンドに未来は無い。
しかしリンド王国の支配を脱すれば、もしかしたら未来がある。
答えは、明らかだった。




