東大陸編33『最前線の夜』
リエール傭兵隊の隊長キスカ=リエールは、上衣にはウェストコートにフロックとスカーフ、下衣にはキュロットにブーツという、正規軍の戦闘服に準じた服を着用して馬に跨っている。
緋色を基調として要所を白色や群青色に染めている上衣は、遠目からでも非常に目立つ。
同行する皇国軍将兵の多くは、狙撃されやしないかとひやひやしていた。
師団の捜索連隊の本隊から先発した分遣隊のさらに分割した姿だから、装備が残り滓のようなもの。
随伴する乗車歩兵も居るが、数が足りない部分を異界の傭兵隊に任せているのだから心許ないのは隠せない。
農民や山賊の騒乱といった火器を使わない敵を相手にするなら、革製の胴鎧と手甲に脚甲という軽量な白兵戦用の防具を着けるが、
明らかに大量の火器を相手にする事が解り切っているので防具は無し。
武器はピストル2丁と旗印を兼ねた騎槍に諸刃の直剣と短剣。
騎槍を除けば指揮官の装備として標準的なものである。
愛用のピストルの撃鉄を上げて引き金を引くと、当たり金が火花を散らして良い音を奏でる。
ピストルの空撃ちは、動作の確認を兼ねた験担ぎ。キスカにとっては出陣の儀式のようなものだ。
しかし、ポゼイユを遅れて発ったリエール傭兵隊は、初日の夜に幸先の悪い事態に遭遇してしまった。
「隊長、あの光ですが……」
「軍の野営の灯りに見えるな」
キスカが望遠鏡で覗く先には、焚火の明かりとその周囲で動く人影が見える。
距離にすれば1マシル弱というところだろう。後から到着する人影と合流して夜営の準備をしているようだ。
「斥候を出して確認させよう。偵察班を編成せよ」
「はっ!」
偵察班が身を屈めながら密かに接近し、詳細を確認するとキスカへ報告に戻る。
「敵はザラ公国の軽騎兵でしたが、敵陣に特段の防備は見られません。通常の歩哨が少々」
「騎兵以外の部隊は?」
「見当たりません。騎兵が単独で野営中」
「向こうもこちらには気づいている筈。朝になってからで十分だと考えているか、夜襲に誘う罠か」
劣勢な側が攻撃する時は夜襲なりといった奇襲をしたくなるものだ。
しかし、視界が悪い夜間というのは優勢な側を分断出来る反面、当然だが劣勢側も分断される。
銃兵が一斉射撃し、硝煙で余計に視界が悪くなったところを騎兵に逆襲されたら元も子もない。
胸甲騎兵や戦竜兵ではないとはいえ、ピストルとサーベルを持って戦う軽騎兵との接近戦は不利だ。
方陣を組んだ戦列歩兵ならば簡単に突き崩されないだろうが、リエール傭兵隊は軽歩兵である。
戦術機動が柔軟な反面、重厚さに欠ける。騎兵がその気になって突っ込んで来れば脆い部隊だ。
だから、決して優勢ではないリエール傭兵隊の側から夜襲を仕掛けるのは、本来得策ではない。
だが、ポゼイユからは目と鼻の先の場所に展開する騎兵を放置するというのも選択肢として不味いだろう。
ザラ公国軍の本隊から前進して偵察と警戒の任務を負っているのであろう軽騎兵は50騎余。
やってやれない事は無いが、勝ちに行くつもりなら微妙な数字だ。
「リエール隊長。仕掛けるというなら、掩護しますが」
「皇国軍は強気ですね。仕掛けて欲しいのですか?」
「先制される事を考えるなら、先制した方が良いだろうというだけです。戦場の主導権を握るには先制攻撃が最も効果的という一般論として」
こちらが皇国軍であると思われているなら、敵側は自分達こそ劣勢と判断するだろう。
ただ、皇国軍は飛竜からの攻撃を警戒してリエール隊より少し離れた場所に人員と装備を隠蔽して布陣しており、目立つ連隊旗も翻っていないから、遠目に見ればリエール隊しか目に入らないだろう。
これは極少数で動いているから出来る芸当。現状で部隊が小さい事の利点である。
接近して観察すれば流石に判明するだろうが、その時は斥候を討ち取るだけだ。
目に入った敵部隊をいちいち相手にするのが任務ではないが、飛竜陣地を中心とした北方諸国同盟軍の本隊の情勢を確認する任務にとって、相手側の目や耳は塞いでおきたい。
となると、相手も一晩ゆっくり寝て元気な状態でぶつかるというのは嫌だった。
こちらを侮って撤収しないのなら、向こうから先制攻撃を仕掛けてくる可能性はある。
奇襲というより強襲になるだろうが、騎兵の速度で仕掛けられたら傭兵隊にとっても危険だ。
皇国軍の装備に小銃と手榴弾、小銃擲弾はあるが機関銃は車載機銃以外には軽機関銃が1丁のみ、小銃手も少ないので濃密な弾幕は期待出来ない。
戦車も機関銃も砲兵の掩護も無い状況で戦うというのは、皇国陸軍の“本来の戦術”には無い。
着剣した小銃だけでもかなり戦えるだろうが、弾薬を節約したいという現実もあった。
大陸の集積主地から先の問題は解決していないのだから。
「後手に回ると危険だというのは一理ありますが、もう少し待ってみたい」
「その心は?」
「先着して休息していたのは我々です。相手が食事の用意をしてから出て行っても良いかと」
「夕食を奪うつもりで?」
「奪えれば奪いますが……まあ、お食事中の方がこちらもやり易い。酒を飲んで食事すれば寝る時間です。眠くなって来たところを……」
敵陣を眺めながら、キスカは攻めの手順を考えているようだった。
軍隊なら歩哨は立てるが、主力が大勢眠っていればそれだけ対応が遅れる。
実際に眠らなくても、満腹になれば休みたくなるのが動物としての本能だ。
心身を鍛えた軍人だって、食後すぐの頭や体の働きは緩慢になる。
まずは、こちらも寝入ったように振る舞わねばならない。
こちらが眠れば、敵も安心して眠れる。
あるいは相手の方から攻めて来るかも知れないが、本当に寝入った訳でなければ眠った相手を叩き起こすつもりの敵に逆襲も可能だろう。
リエール隊の夜営陣地は種火を残して焚火の勢いも落ち、数刻を支配する不思議な静寂。
敵味方の陣地は平和そのもので、まるで遠方からハイキングに来た旅行客の集団のように穏やか。
暫くの時を待っていると、夜霧が濃くなってきた。
霧間に見える敵陣の灯火も陽炎のようにおぼろげになる。
キスカは、部下達に昼間からせっせと集めさせていた拳大の石と、投石紐に擲弾を準備させた。
「この場に山科殿は居ませんが、我らの戦い御覧あれ」
投石紐を使い、投石の要領で擲弾を遠方に投げ込むのである。
通常の投擲とは別の技術が必要だが、銃の射程より遠方に擲弾を放てるのが強みだった。
ただし全てを火薬を使った擲弾では賄えないので、全弾の8割はただの石である。
150人が投石紐を準備し、特に技量に長けた30人が擲弾を、120人が石を放つ。
残りはやや後方に待機して弩や銃を準備し、敵が突入してきた時の掩護に回る。
最後方に皇国軍の小隊が布陣し、突破されそうな場所を狙撃するという手筈である。
キスカ達が大勢で忍び寄って来るのに気付いた敵陣が俄かに慌しくなる。
「ワイングラス片手に踊ってもねぇ、今更遅いわぁ」
敵の慌てぶりは罠でも何でも無さそうで、夜襲は無いという確信に似た思い込みか、夜襲を受けても返り討ちに出来るという自信があったのだろう。
キスカの武勇はそれなりに有名なのに、方々で見くびられている結果がこれだ。
まず“キスカの武勲は敵失によるもので、実力ではない”という半分真実の噂が広まる。
すると平民から成る傭兵隊が強い筈がないと信じたい貴族の将校や傭兵隊長は“リエール隊は弱い”と信じる。
弱い相手に過剰な警戒をするのは臆病者のする事で笑いの種だから、リエール隊に対して警戒しない。
すると“敵失による武勲”が増えるという循環である。
リエール傭兵隊の旗が翻る所、間抜けな将校の屍が築かれる訳だが、大抵は“自分はそんな間抜けな采配はしない”と思っている者の屍なのだ。




