東大陸編32『双方の騎兵隊』
軍団及び師団司令部からの命令を受けてリエール傭兵隊の宿舎に訪れると、山科は殆ど待つ事も無く隊長の執務室となっている部屋に通された。
「リエール隊長、宜しいか?」
「何用でしょうか、少佐殿」
山科は同じ軍の上官と部下としての顔で話を進める。
「貴隊はポゼイユ市から東、ザラ公国方面の地理にも詳しかったな?」
「私自身はそれ程でも無いですが、詳しい者も居ます」
「よし、では我々の偵察隊に同行を命ずる」
「地理に詳しい者のみでしょうか、隊としての行動でしょうか?」
「隊として完結した戦闘行動を取れるようにしてくれ。任務は敵の陣容確認。地図に拠ればこの辺りを進軍中だ」
山科は決して詳細とは言えない地図を広げ、指差した。
「これは、カーサドラルから2~3マシルといったところですね。真っ直ぐこちらに向かってくるなら、道すがら鉢合わせという事も」
あまりぐずぐずしていると、ポゼイユ市が大砲の射程に入ってしまうかも知れない。
皇国軍は当初、ポゼイユの北東から東4~10マシル程度の所を前線に考えていたようだが、そこに陣取るべき主力軍は連絡部隊を中心にちらほら来ているだけ。
待っていられなくなったか。
「偵察と同時に可能ならば一翼を迎撃し、ある程度の追撃も行う。リエール隊の編成内容は任せるが、可能な限りの人員装備で、作戦期間は2~3週間になる。数日内に部隊を動かせるか?」
リエール傭兵隊は既に方々で物資を買い溜めて、後は微調整のみという段階まで準備が整っていた。
今すぐ出発という無茶を言われても対応出来るように、主戦場が予想されるカーサドラル方面の町には先行して物資を買い付ける協力者も手配済み。
「それならば出撃準備に2日下さい。明後日の朝までには整えましょう」
「結構だ。では連絡要員を寄越すから、明後日の午前8時、朝食後に出発してくれ」
「我々は皇国軍と合同で動くのではないのですか?」
「私は先発して陣地を張っておくので、今日中に出発する」
「なら、1時間程お待ち下さい。心当たりのある道案内を1人、お預けします」
「そうか、助かる」
夕刻。山科を含む中隊主力要員は2両の装軌装甲車と2両の装輪装甲車、4両の輸送トラックに乗り込む。
トラックのうち1両は37mm対戦車速射砲を牽引し、予備弾薬と各種物資の輸送用に宛がわれた。
少ない車両で1人でも多く運ぶ為、装甲車に跨乗する人員も居た。
リエール傭兵隊から派遣された案内役の少年アズルは副官の曹長と共に乗馬で先行する。
「北の方も忙しいようだから、ここで派遣軍全体の足は引っ張れないぞ」
決して数は多くないが、しかし“騎兵科の精鋭”である部隊が出陣した。
「どうだね、シャイアノ君?」
傭兵隊の副官として、キスカの事務作業の補佐を任されているシャイアノは、キスカより10歳近く若い男だ。
医師と言えば腕一つで身を立てる開業医が常識の世界で、複数の医師を雇って働かせる、皇国で言う総合病院のような“医院”を経営していた父の三男に生まれたシャイアノは、経理や衛生管理の腕を見込まれてキスカにスカウトされた。
また医師の弟子になって修行を積んだわけではないが、簡単な外科手術くらいは出来る。
幼い頃より、複数の医師から様々な医学的治験を聞かされていたため、本人の執刀技量よりも戦場で傷病者の選別能力を期待されてキスカが雇った。
助かりそうな者を助け、手の施しようのない者は楽にさせてやるという“命の選別”係である。
机上でも戦場でも、大抵の場面で隊長であるキスカより忙しい。
「清書した目録です」
渡された紙には兵員、食糧、被服、武器弾薬、その他必要物資の目録と予算、隊員への給金が纏められていた。
「これで1000リルスに収めてくれたか。流石だな」
「ポゼイユ侯爵閣下の署名と捺印が入った契約書です。あれの威力です」
信用の無い自称傭兵団などでは、商品代金の未払いという事が起こり得るが、ポゼイユ侯爵がパトロンであるなら、債務不履行という事にはまずならない。
故に“ツケ払い”や“先物の購入”が非常にスムーズに行った。
現金ではなく約束手形での大口取引も、ことポゼイユ領内では他の地域に比べて比較的活発に行われていたので、そういう点で“現金でないと取引に応じない”という商人が少ないのも利点だった。
リエール傭兵隊の人員には貴族が居ない為、貴族将校が抱える“実用に適さない”輜重隊を編成せずに済む。
貴族であれば使用人が付くし、妻帯者であれば奥方のドレスなども運ばねばならない。
これら随員が戦闘においては全く無意味な人員である事は論を待たないが、その無意味な人員の為に何十台もの馬車を占有する愚を犯さずに済む。
戦力に比して、正規軍以上に身軽なのだ。
ギルド所属の傭兵隊だと、必ずしもこうはいかない。
貴族や騎士崩れが傭兵隊長をやっている場合が多いので、正規軍以上に無駄が多かったりする。
最終的に決定されたリエール傭兵隊の編成は戦闘要員220人、後方要員200人。
隊長用と副隊長用に乗用軍馬が2頭と予備が5頭。
1ヶ月分の食糧と弾薬。荷馬車が23台。
さらに傭兵隊の員数には含まれない“商人と女”が100人近く居る。
全くもって贅沢である。
後方部隊の比率は皇国軍の先遣隊より充実している。
“商人と女”に関しては、皇国軍将兵も一定の範囲で利用する事を同意していた。
今まで、中々上手く行かなかった“女の調達”が非常にスムーズに運んだ事で、皇国軍の士気も高い。
執務室から主要な隊員の集まる広間に行くと、皆の視線がキスカに集まる。
「姐御!」
「姐御は止めろと言っているだろう。隊長と呼べ」
「へいへい……で、いよいよ出陣ですか?」
「そう。皇国軍との合同任務だよ」
「ほう……で、今回は誰が居残るんです?」
「居残りは無し。ガチで軍隊と戦うし、前金だけでも大量に受け取ったからね。出し惜しみはしないのが我々の流儀だろ?」
ポゼイユ侯爵から賜った10リルス刻印金貨を見せるキスカの景気の良い話に、傭兵隊員から歓声が上がった。
副隊長のトゥルクと副官のシャイアノの間で何度か話し合った結果、そう決まったのだ。
「では諸君、お務めに参ろうか!」
北方諸国同盟軍の南部戦線は大きく二手に分かれて進んでいた。
レステルトートからポゼイユを一直線に目指す部隊では、遅れて到着したザラ公国軍が前衛に入り、後衛にマルロー王国軍の1個連隊。
残りの主力軍は北と南に分かれてから迂回してポゼイユを目指していた。
皇国軍の航空偵察活動が再び活発になったので、囮として街道を進む別働隊に定数以上の隊旗を持たせたりして実数より多く見せたりしてはいるが、偽装がばれるのも時間の問題だろう。
森林があって空からの視界が遮られる場所もあるが、全ての道程でそうではない。
ポゼイユの市壁に登れば、ほぼ一面視界を遮るものは無い。
身長の目線からなら姿を隠せる丘があっても、航空戦力からは隠れられないのは飛竜による効果と同じだ。
開けた地形での部隊の隠蔽は無理である。
偽装にも限度があり、存在しないものを存在するように見せかける事は比較的可能でも、存在するものを存在しないように見せかけるのは難しい。
ザラ公国軍を預かる将軍は、階級上はマルロー王国軍の連隊長より上であったが、力関係は逆だった。
この場のマルロー王国軍連隊長を介して、マルロー王国軍の将軍の指揮下にあるという立場なのだ。
部隊運用の専門家として連隊長に助言するという立場での意見具申は認められるが、決定権は連隊長にある。
その為に連隊長は臨時に准将という扱いになっているが……。
「准将殿、少し急ぎ過ぎでは? 我々だけ先行しても主力がポゼイユに辿り着けねば水の泡。行軍速度を落とした方が宜しいかと」
「それはそうだが。歩みを止めれば皇国軍を釣り出せない」
「日に15マシルも進めば十分です。20マシルでは早過ぎます」
「ここの農村をキャンプにしたいのだがね」
“准将”は地図を見せ、ポゼイユから5マシルの所にある農村を指差した。
確かに都市攻撃だから、今までの戦争常識からすればそれ程変な考えでもないのだが、リンド王国軍を壊滅状態にした皇国軍が相手なのだ。
その農村だとポゼイユに展開する砲兵の射程に入ってしまう公算大。
こちらが早々に全滅して転進されては囮任務は失敗なのだ。
「キャンプはもう少しポゼイユから距離を取って下さい。整然と退却出来る環境でないと、釣り出しに成功しても即壊滅です。我々を無視して転進すれば背後から追撃されるという状況にせねば」
この辺りの加減が難しい。
「もう一度偵察隊を出そうと思う。皇国軍がまだポゼイユに留まっているのか、移動しているのか」
「それですと騎兵の消耗が……」
随伴する軽騎兵隊はそれ程多くなく、予備の騎馬もそうだった。
戦竜隊は居ないので胸甲騎兵が唯一の騎兵打撃力になるが、これを偵察には使い潰せない。
後方に居る飛竜隊は偵察結果を帰り際に投げ落としてくれるが、それによれば“ポゼイユの東30マシルまでは敵影なし”というもので、甚だ不足だった。
それで毎日騎兵小隊を繰り出しては恐る恐る進んでいる状況で、その頻度も増えており、軽騎兵隊の負担が大きくなっていた。
いざ戦闘になれば、軽騎兵隊は側面掩護などにも使うから、この段階で消耗させたくない。
「奇襲されでもしたら、そちらの方が厄介ではないか?」
「……解りました。では騎兵隊を出しましょう」
しぶしぶではあるが、今のザラ公国軍はそうするしかなかった。




