東大陸編31『北方諸国同盟の一夜城』
北方諸国同盟軍、南部戦線。
戦争が始まり、南部戦線の軍がリンド国境に迫ろうとしていた時には2~3日に1度くらいの頻度で皇国軍の空からの偵察なり爆撃があったが、今は週に1度という感じで明らかに活動が鈍っている。
ポゼイユ方面の偵察部隊からの情報でも、特に砦を建築したりして防備を固めている様子も無い。
ただ漫然と、この場を確保して待機しているというのは気の緩む毎日で士気も下がる。
皇国軍のポゼイユ駐留部隊は多く見積もっても未だ1000人程度であり、動かないと不味いのではないかという不安と合わさって、これくらいなら押し切れるのではないかという楽観論からの意見が増えて来た。
“皇国軍による空襲頻度が減ったからといって、安易に進んで良いものか”という消極的意見も根強くあったが、厭きると思考が鈍感になって判断が狂うようにもなる。
「ベルグからの情報を見れば、皇国軍の主力全部隊が到着するまで楽観的に見積もっても1週間。現実には4~5日のうちに駆け付けるでしょう。それまでにポゼイユを陥落させるのは流石に無理というものです」
ポゼイユに行って戦って皇国軍とリンド王国軍を蹴散らして部隊の再編成など行って次の戦闘準備を整えるまでを4~5日で済ませないと成り立たないが、それは無理な話だ。
どちらにせよ、後から来る南部戦線主力軍に道を譲る為、自分たちはさらに南に拠点を移さねばならない。
さしあたってこの付近の確保という任務の一つは遂行したのだから、死に急ぐこともあるまい……。
「しかし小さな勝利でも、いや大きな勝利を望むのが無理なら尚更、どんな小さなものでも、可能性だけでも勝利を示せねば兵達の士気が保てません」
ここで停止するというのは、相手の注意を向けさせた上での物理的損害を考えれば悪くない作戦だったが、末端の将兵の心理的負担を考えると評価し難い側面があった。
将軍もそれは分かっていたが、徒な前進が失敗して早期に崩壊してしまうよりは良いと考えていたのだ。
北部戦線が押し上がる前に南部戦線が崩壊したらドミノ倒しのように全て崩れる。
ポゼイユも重要だが、北部戦線のスコルマード攻撃はそれとは別に重要である。
「伝令! 北部戦線のアレキス殿下からです」
天幕に入ってきた将校が差し出したのは、マルロー王太子アレキスからの命令書。
3日後にポゼイユに対して総攻撃を行えという指示だった。
皇国軍に打撃を与えるのではなく、ポゼイユに打撃を与えよという内容。
皇国軍が準備を整えてザラ公国方面に進軍を始めてからでは遅いから、先にポゼイユとその近隣を攻撃する事で皇国軍を足止めせよというものだ。
軍事的な衝撃で皇国軍を拘束するのには限界があるが、ポゼイユが大事になれば相当な長期間足止めできるから、そうせよという命令である。
睨み合いを続ける事での足止めという方針が事実上却下されたのだ。
しかし、ポゼイユに打撃を与えるには守備する皇国軍に幾らかの打撃を与えるか、自軍の損害を幾らか無視して強襲するしかない。
リンド王国軍の損害から考えても、皇国軍と戦った場合の損害は計り知れない。
とすると、妨害してくる皇国軍は無視して数に任せてポゼイユに殺到するしかない。
攻撃せよという命令に沸き立つ隊長や下士官も居たが、当の師団長は難しい表情で次の手を考える事になった。
手紙にはザラ公国軍の増援もあると書かれているが……。
「別働隊を皇国軍の正面に向かわせて陽動し、その隙に我が本隊がポゼイユ攻略を行う事とする。作戦準備を急がせよ」
皇国軍を慌てさせ注意を向けさせるには本格的な都市攻撃しかない。
ポゼイユは幾らかの堀や市壁もあるが、全体的には城塞都市と呼べるような防御力は無いので、市内に軍を進める難易度という点で他の都市より制し易いだろう。
一旦大軍が市内に雪崩込めば、同士討ちを警戒して膠着状態に持ち込める。
少なくとも野戦での決戦を求めるより戦術目標達成の可能性がある。
大威力の武器を多数持っている(大威力の武器しか持っていない)皇国軍は、都市への被害を抑える為に自らの武器を封印せねばなるまい。
あくまで可能性があるというだけで、どれだけの確実性があるかは未知数だが。
本来なら10倍以上の兵員を擁する同盟軍が恐れる必要は無いが、小規模とは言え存在する皇国軍が厄介極まりない。
ポゼイユ攻略という段階になればベルグからの航空部隊も増発されるだろう。
現時点で小康状態だからといってそれが続くとは考えられない。
「やれる事をやるだけだ……。飛竜陣地をお披露目しろ!」
カーサドラルで停止中の北方諸国同盟軍が動いた。
その報せに皇国軍のベルグ本部は期待半分、不安半分であった。
大仰な宣戦布告をしてきた割に、慎重を通り越して臆病にも見える軍団が動いたのだから、何かの準備が整って満を持してという事だろうか。
しかし、とすると何を目的に軍を動かすのだろうか。
動きからすると軍を引き上げる訳では無さそうで、前進あるいは転進である。
「一直線に来るならポゼイユですが、左折して南に向かうか右折して北に向かう可能性もあります」
「それぞれの確率はどの程度と読む?」
「我々が入手している情報だけでは、何とも読めません。参謀部ではポゼイユ直行の公算が高いと考えていますが、セソー大公国方面からの主力と合流する可能性は否定できません」
「そうなったら、北部戦線が東と南から包囲される形になるか」
「はい。ですが参謀部がその公算低しと判断する理由は、今から向かっても冬の始まりまでに間に合わず、援軍としては機能せず単なる孤立した遊兵になる公算が高いからです」
妥当な見解であったが、面白味というか意外性が無かった。
「そも、ポゼイユとスコルマードではどちらを取られた方がリンド王国にとって痛いのか」
「それは、我が国で例えれば商業の大阪と工業の北九州のどちらの失陥が痛いかというような話かと」
「どちらも相応に痛い訳だな」
北の大都市スコルマードは広大な岩塩鉱脈がある工業都市だから、重要度を比較するのに金融と学問の都市であるポゼイユと同じ土俵では比べられない。
皇国がスコルマードを有望視するのはリンド王国の工業化に不可欠な資源を産出するからだ。
食塩の需要は人口に比例するが、工業塩の需要は人口と関係ない。
工業化が進むほど人口に比して工業塩の需要は増えるから、有望な塩の生産地はリンド王国にとって“国家の資産”である。
神賜島での岩塩鉱開発が軌道に乗るまでは、既に開発されている大陸の岩塩を適正価格で購入したいという欲も勿論あった。
賠償金の現金部分を減額する代わりに、その分を現物で払わせる事も真剣に検討されているのだ。
リンド王国にとってどうだか知らないが、皇国にとってスコルマードは“失陥が許されざる都市”だった。
「閣下。ザラ公国軍が前進しているようです。完全に戦闘隊列で行軍中です」
「敵は全力投球か……」
「はい。マルロー王国以外で、それなりの規模で兵を出せる国は全部出しています」
こうなると、ポゼイユの北から南東にかけて大きな包囲網を作れる。
仮に薄く広く展開した鶴翼から一斉に雪崩込まれたら、兵力密度が足りずに突破される恐れがある。
というより敵が皇国軍の粉砕を目的とせず、ポゼイユへの入城を目的とするならそうなるだろう。
大砲や攻城塔が無くとも、梯子があれば市壁は突破出来る。
「結局は敵情を観察しつつ慎重にならざるを得んか。砲兵はポゼイユの西に置くとして、歩兵と戦車だな……。敵に飛竜が居ないのがまだ救いか」
この世界に転移して以降、今まで攻める一方だった皇国軍が本格的な守勢に回るのは初めて。
主導権が取れないのがもどかしかった。
しかし数時間後、司令部にはさらに嫌な報せが届いた。
「閣下。敵軍の続報ですが、司令部偵察機による写真を解析した所、飛竜陣地が確認されました」
「飛竜陣地……3日前は無かったな?」
「はい。ですが今はあるようです」
提出された写真には長さ150m、幅30m程の更地と、併設された竜舎と思しき建物が映っており、飛竜騎士と飛竜らしき影も5騎認められた。
3日前の同じ場所は木立が茂った藪だったが、これではまるで“一夜城”ではないか。
航空燃料や整備部品を温存する理由から偵察機の飛行密度が減っていた虚を突かれた形だ。
「飛竜の航続距離からすると、ポゼイユにも来れる訳だ」
「しかし片道しか飛べない筈です」
「竜は飛行機とは違う。少しの広場があれば離着陸出来る。ポゼイユの近くに着陸して一晩休むという手も使えない訳では無い」
長距離の不休飛行はかなりの体力を消耗し、無理をさせれば体温も危険な程に上昇するので、通常は飛竜基地や飛竜陣地のような保養設備の整った場所を拠点に運用されるが、そのような場所でなければ絶対に運用が出来ない訳では無い。
寝床と水と食糧さえあるなら、1日や2日くらい竜舎でなくとも何とかなる。
大昔には敵の兵士や住民を竜の胃袋に入れる目的で攫っていた事もあるようだから“食糧は現地調達”というのも不可能ではない。
飛竜は自分の主人である騎士や普段から良く目にする仲間の騎士や厩務員を食う事は絶対にしないが、面識がないなら友軍の兵士を食う事にも躊躇いは無い。
主人である騎士が止める事をしなければ、腹が減ったら目についた動物を食うのが飛竜である。
ただ、現代の文明国であればそんな野蛮な戦争方法は選択しないという話をユラ神国やリンド王国、あるいは西大陸の文明諸国からも聞いていた。
短い期間であったが実際にそういう戦法を取られた事も無い。
「この写真、リンド王国軍に調査協力を仰ぎますか?」
「どうしたものかな。こんなものを今まで発見できなかったとなればとんだ間抜けだ」
「しかし情報共有はある程度必要でしょう。隠しておいて突然空襲に遭った時の方が問題が大きくなります」
「分かった……飛竜軍の参謀にも助言を求めよう。ポゼイユ方面の師団にも警告を発しておけ」
皇国軍の司令部に招致されたリンド王国軍の参謀は、写真を見て眉を顰めた。
「閣下。写真を拝見しましたが、この規模の竜舎と助走路からすると20~30騎の運用は堅いです。現状はそこまでの数の竜は居ないようですが、細心の注意が必要でしょう……我が軍ならばそうします」
「この規模の飛竜陣地を3日で造営可能ですか?」
「全く無理とは申しませんが、優秀な飛竜陣地設営連隊でも相当な突貫作業になります」
皇国軍に比べて土木技術が劣っても、航空兵力を3日で展開可能に出来る。
これが厄介なのだ。部隊展開に要する労力が違う。
隣の芝は青いというが、この身軽さはまさに“青い芝”だった。
空中戦になれば一方的に堵殺可能だし、地上からの対空射撃も元世界の戦闘機や爆撃機に対するよりは有効である。
が、上から覗かれる可能性がある事は、それだけで地上部隊にとってリスクだ。
ベルグの司令部は、先行してポゼイユに駐屯している捜索連隊に偵察任務を命じた。




