東大陸編24『準備不足の戦争』
リンド王国の国務卿と駐在の皇国大使に、北方諸国同盟からの宣戦布告が為された。
『リンド王国と皇国による軍事的恫喝に対する予防措置』だそうだ。
北方諸国の秩序と安寧を保つための、必要な戦争。
これが行われなければ、自分もリンド王国と同じく、皇国の経済植民地となってしまう。
そういう危機感が、皇国を後ろ盾とするリンド王国への宣戦布告に繋がったのだが、他にも、この“対リンド遠征”を行わねばならない副次的な馬鹿らしい理由がある。
元々、このマルロー王国の“リンド王国遠征軍”になったのは、間違いなく“リンド王国救援軍”であろう。
対皇国戦での予想を遥かに上回る損害とリンド王国の劣勢に、北方諸国が急遽編成した“救援軍”なのだ。
しかし、皇国軍を横から殴るために拳を上げたは良いが、準備をしている間にリンド王国が降伏して戦争は終わり、力を込めて振り上げた拳の持って行き場が無くなってしまった。
各地の連隊を集め、強制徴募に近い形で大量の兵を動員しておいて、今更解散も出来ない。
かなりの劣勢を最初から覚悟してまで皇国と戦う道を選んだのは、そういう理由も多分にあった。
皇国にとって、リンド王国の経済的、軍事的復興の面倒を見てやらねばならない大切な時期に、リンド王国を再び戦場とする事になるのは迷惑千万な話だったが、マルロー王国を中心とする北方諸国にとっても、『リンド王国の崩壊』というのは本来あり得ない事態で、青天の霹靂。
正に迷惑この上ない話だったのだ。
北方諸国同盟は、実質的にマルロー王国を盟主とする同盟であるから、その盟主が“一抜けた”を宣言する事は盟主の地位を捨てる事と同義だ。
周辺国にリンド王国の事で協力を募っておいて、今更それを無かった事には出来ない。
単に金銭的な問題だけなら話は簡単だが、マルロー王国には“列強国の威信”というものがある。
お互いが嫌々ながら、戦わざるを得ないという奇妙な戦争。
自覚のあるなしに関わらず、『皇国』という存在が否応無しに世界を動かし始めている好例である。
食糧が欲しくて動き回った末の“ちょっとした武力介入”の筈が、いつの間にか“世界の武力衝突の中心地”なのだ。
“こんな筈ではなかった”と思っても、しかし時代の流れを止める事は誰にも出来ない。
『東大陸の覇権』、場合によっては『全世界の覇権』という、歴史を揺るがす重大問題なのだから……。
宣戦布告の1週間前。
リンド王宮では、女王と兵武卿、将軍達に混じって、軍事顧問として皇国陸軍リンド王国軍団長である白田中将が御前軍議に臨席していた。
兵武卿や王国軍主計参謀は、王国軍兵士は絶対数が激減したため、食糧や武器弾薬の数は足りるが、組織としてはとても動ける状態に無いと念を押す。
皇国軍が完膚なきまでに叩かなければ、こんな苦労をする事は無かったのに。という事だ。
皇国軍にも言い分はある。死ぬ一歩手前まで抵抗を続けて、早期に降伏しなかったお前達が悪いんだと。
しかし、今はそんないがみ合いをしている場合ではない。
お互いに思うところは堪えて、リンド女王の下に一致団結せねばならない。
何故ならば、マルロー王国軍が動き出したからだ。
リンド王国と国境を接するセラーニャ侯国に軍を進め、飛竜陣地を構築し、そこに多数の飛竜を移動させているという事が、皇国陸軍の司令部偵察機や海軍の飛行艇による航空偵察で判明した。
北のフュリス公国の動向が危険であるので、リンド王国軍も皇国軍も部隊を簡単には動かせない状況にあったが、ベルグを拠点に本格稼働を始めた皇国陸軍偵察部隊の鷹の目は誤魔化せなかった。
飛竜陣地自体は永久築城ではないから、簡素なものなら2日や3日で構築出来る。
それなりの規模のものになれば1週間から10日以上かかるが、数ヶ月以上をかけて念入りに建設される基地とは違うのだ。
だから、何十箇所もある飛竜陣地を個別に爆撃するのでは、相手に大きな打撃は与えられない。
前線における一時的な制空権を得るためなら意味もあるが、その効果も長続きするものではない。
そして、飛竜同士の空中戦もそう激しいものではないから、国家間の戦争においても飛竜部隊が大きな数的損失を被るという事は、今までの常識ではあり得なかった。
しかし、常識を覆す機械兵器を投入する皇国軍にしてみれば、マルロー王国内の飛竜基地も安穏とはしていられない。
ベルグの飛行場からマルロー王国の領土には、残念ながら陸軍の爆撃機は届かないのだが、リンド王国北東部に前進飛行場を造れば、マルロー王国西部の飛竜基地の幾つかは爆撃圏内に入る。
また、一応の可能性として極北洋(東大陸北方のシテーン湾から北極大陸南岸にかけて存在する不凍海域)に浮かぶセソー大公国領のノイリート島を制圧して航空基地とすれば、陸海軍の陸上機や海軍の飛行艇を運用する事で、マルロー王国の本丸である王都ワイヤンを含めた大陸北東部の広範な地域が爆撃可能になる。
大内洋から極北洋へ、海は繋がっているから、海軍の空母部隊が出向く事も、物理的には可能だ。
勿論、それには多数の支援艦艇が必要で、かなり困難な方法ではあったが。
何れにしろ、リンド王国だけでなく、西大陸のライランス王国にも見舞った長距離大規模爆撃の再現だ。
皇国に、大内洋に面していないマルロー王国に軍を駐留させて統治する気はさらさら無いので、皇国軍としては相手の意志を挫くだけで良い。
そのために、飛竜すら対抗不能な大規模爆撃は効果的だろう。
例えそれが、満州に展開していた部隊の1割にも満たない規模で、“現代戦”においては無視しえる程の微々たる爆弾投下量だとしても……。
願わくば、マルロー国王が前リンド国王のような頑固者でない事を祈るばかりだ。
ユラ神国やリンド王国からの情報によれば、現マルロー国王であるレイオン14世は野心もあり、能力的にも中々優れた諸国にも侮れない王だという。
これはリンド人の逆恨みの感情もあるのだろうが、ある意味、前リンド国王を唆してリア公国やユラ神国を攻めさせた張本人が、レイオン王だと言うくらいだ。
皇国軍は、航空機を動かすために必要な物資の中で、ガソリンを最優先で輸送していた。
ガソリンが無ければ、戦闘機も爆撃機も偵察機も動かないのだから、血液のようなもの。
何よりガソリンは現地調達出来ないから、全てを本国からの輸送に頼らねばならない。
逆に爆弾は、その分の割を食っていた。
爆弾とて現地調達の出来るものではなく、全てを本国から持って来なくてはならないのは同じ。
しかし、毎月のように1000tとか、そんな量の爆弾を使われたらたまったものではない。
転移前の満州国のように、当地のインフラが一通り揃っている場所ならば軍需物資優先も良いが、この世界に皇国の必要とするインフラは殆ど無いのだ。
まず、受け入れ先であるベルグ基地がまだ発展途上だから、爆弾を置きたくても置く場所が無い。
置き場所が限られるなら、まず燃料と予備部品が優先で、次に機銃弾。爆弾は最後だ。
鉄道が無いから、陸路で大量の物資を迅速に運ぶ手段が無い。
今までも、これから先も、運河の無い場所では全ての陸運は自動車と馬車で行わねばならないのだ。
これが相当の負担で、皇国軍が常に燃料と弾薬払底の危機と隣り合わせだった原因である。
幸い、メッソール港からはシャトレ運河という広い運河がベルグに繋がっているので、リンド王国降伏後はそこを利用して物資を運んでいるが、そもそも港が鬼門だった。
ユラ神国やリンド王国の港にある輸送船から軍需物資をさっさと降ろして、空いた船に現地で購入した食糧等を載せて持ち帰る。
というのが皇国の想定だったのだが、数千トンの荷物を降ろしきるのにひたすら時間がかかるので、沖にはまだ降ろし始めてもいない荷役待ちの皇国船が常時数隻居るくらい。
皇国の輸送船だと、大き過ぎてシャトレ運河は使えないから、結局はメッソール港にて現地で雇ったり借り上げた小型船(皇国の基準であって、現地では中型船である)に荷を積み替えてベルグまで輸送せねばならない。
海軍や海兵隊の有する大型の上陸用舟艇を使えれば荷を運んだままベルグに直行も可能だろうが、ベルグからメッソールまでの帰りの燃料を手当てしてやらねばならず、そんな準備は無い。
西大陸でも見られる光景だが、端的に言えば、輸送路が渋滞しているのだ。
そんな状況だから、港に居る船に積まれている爆弾がいつ前線に届くのかは判明しない。
そこで皇国軍の技術部門の人々は考えた。
今、リンド王国軍が保有する飛竜用炸裂爆弾の一部を購入する。
信管や安全装置に少し手を加えて、それを航空爆弾として使おうというのだ。
威力は低いし効果も薄いだろうが、“本物の爆弾”が無いのならば、他に落とせるものを落とすのも手だろう。
煉瓦や石ころ、何かの破片、あるいは人間や家畜の屎尿等も候補に挙がったが、それは最後の手段で、取りあえずは現地製の炸裂弾という事になった。
敵地に家畜の糞尿をばら撒きに行くのに、貴重なガソリンを使う等、天皇の臣下である皇国軍として超えてはならない一線を超えてしまう気がしたのも事実であるし、動物の屎尿は貴重な肥料や燃料でもある。
幸か不幸か、リンド王国空軍は大量の飛竜を喪失して実質的に壊滅したため、爆弾の在庫が余っている。
かなりの量を皇国軍が買い取っても、当面問題は起きないだろう。
爆弾の売却資金を軍の再建に充てれば、リンド王国軍は一息つけるかも知れない。
ただ、発想はあっても実現に問題はあった。
規格が合わないのと、安全性が担保出来ないからである。
威力は低いとはいえ、爆撃機の爆弾倉で暴発でもすれば誘爆して大変な事になる。
ただ、雷管のような敏感な信管を持っていない分、“何もしていないのに突然暴発”という事態は発生し難いだろうという事で、“十分注意して扱えば問題無し”とされた。
規格が合わないというのは、二つの意味がある。
この世界はメートル法でもヤード・ポンド法でもないから、その意味で合いようが無い。
もう一つは、この世界の工業水準が低いので、同じ規格で作られた筈のものでも個体差が大きい事。
皇国の基準であれば1.0mmの誤差も許されない物であっても、この世界の基準なら1cm程度の誤差なら問題とされないのだ。
度量衡は世界共通の筈なのだが、ユラ神国の1シクルとリンド王国の1シクルは微妙に違うし、リンド王国内の1シクルも、地域によって微妙に違う。
皇国が調査した範囲だけでも、1シクルの長さについて10%程度の誤差があった。
標準的な1シクルを精確に20mmと仮定すると、18mm~22mmの範囲が同じ扱いという事である。
歩兵の友たる小銃ですら、ネジ等の修理部品が合わないのは当たり前にある事で、何の間違いか、小銃に入らない大きさの弾丸が供給される事もあるくらいだ。
兵士は、そこの所を自分で工夫して使う能力も求められる。
そんな世界の武器や兵器は、皇国水準の“規格品”としては扱えない。
大量の爆弾を購入して、それを皆でやすりで大きさを調整するなど、馬鹿らし過ぎるだろう。
あくまで、この方法は応急的なものであって、爆弾の品質調整に手間をかけてはいられないのだ。
取りあえずは、量や数を少なめに搭載して爆弾倉に余裕を持たせ、恐らく出番の来ない機銃手が、爆撃手の指示の下に“手動”で操作する。という、荒っぽい方法で行う事になる。
爆撃時には、同じ長さの導火線を纏めて、投下直前に火を点けるという、原始的過ぎる方法で行くしか無かった。
それ以上に手間隙をかけて爆弾に改造を施すのは、本来の意図を外れる。
水平爆撃で投下高度と対地速度が判れば、導火線という時限信管でも何とかなる。
その導火線の長さに合う高度と速度、タイミングで落とせば良いのだ。
かなり正確な着火と投弾が要求されるが、敵の飛竜や対空砲の届かない高度からであれば、ある程度は落ち着いて作業も出来るだろう。
通常は高度100m程度から投下する事を想定されている爆弾を、高度1500m以上から落として上手く行くのかという問題は実戦で確かめるという話になった。
形状から来る空気抵抗の影響も、理論上の計算式で求める以上の事は出来ない。
泥縄過ぎる……誰もがそう思ったが、やってみる価値も相応にあった。
この方法がそれなりに上手く行けば、今後も小規模紛争程度には現地製爆弾を使う道も開ける。
言わばこれは、1円でも1銭でも安く戦争するための検証実験なのだ。
東京の総理大臣公邸では、皇国の首相が難問を付き付けられていた。
東大陸軍司令官である高橋陸軍大将から、リンド王国を防衛する為の東大陸軍の正式な運用の許可を求められていたのだ。
陸軍参謀本部や陸海軍の統合参謀本部も、現地情勢を鑑みて軍を動かす事は必要だし可能との意見だ。
国防大臣や大蔵大臣、外務大臣などは、閣僚の一人としては「いい加減にしてくれ」と言いたいだろうが、何せ相手がある事であるし、今やリンド王国が皇国にとって東大陸の生命線であるのも事実だ。
そうでなくても事実上の保護国を見捨てたら、諸外国との外交は振り出しに戻る。
最近漸く、大陸南方のヴィユム王国からユラ神国を経由して、現地の米を東大陸で活動する皇国人向けに輸入する目途が付いたが、明るい話題と言えば本当にそれくらいしか無い。
だが、これもリンド王国情勢如何によっては無かったことになるかもしれない。
しかし、西大陸のライランス王国からの幾ばくかの賠償金(今年度分)だけでは、とても今まで行っていた対ライランス王国の戦争と、対リンド王国の戦争と、今度のリンド王国の防衛戦争にかかる諸経費を賄えない。
ライランス王国とリンド王国からの賠償金が今すぐ全額払われる。
というなら話は別だが、それは白昼夢、あるいは妄想という。
だが、相手がやる気なら受けて立つより他無い。皇国の選択肢は、それしかないのだ。
「何も、我々はリンド人と憎みあい恨みあって、戦を始めたわけではありません。リンド王国は昨日までの敵であっても、今は手を取り合う強固な同盟国であります。現に、リンド女王陛下は我が国の皇族を夫として迎え入れて下さり、互いの愛情は確かなものです。斯様な国が苦境に陥っている時、助けもせずに居る事が、天皇陛下の臣民たる者の行いでしょうか?」
皇国議会において首相が毅然と放った言葉に、貴族院も衆議院も、満場の拍手で軍事行動の“可”を決定した。




