東大陸編20『リンド王国の戦後』
『皇国の皇太子殿下と我がリンドの第一王女殿下が婚姻する事は可能でしょうか?』
全権大使は、数刻、言葉を失った。
まさか、ここで皇太子との婚姻にまで持って行こうとするとは!
「不可能と、申さざるを得ません……」
そう答えるのが精一杯だった。
「では、皇族に連なる御方か、皇国貴族の方とは?」
「華族――皇国貴族――との婚姻であれば、不可能ではないかもしれませんが……宮内省に問い合わせてみましょう」
会談は侯爵の土俵になっている。
侯爵は、この機会をリンド王国の国際的な地位の維持に使おうとしている。
異世界の王家のために、皇国の皇族や華族をダシに使われてはたまらない。
だが、これは千載一遇の機会かもしれないとも、全権大使は思った。
皇族か、有力華族との婚姻が成れば、リンド王国と強力なコネが出来る。
リンド王国は列強国で、東大陸で最も製鉄が盛んな地。
勿論、食糧生産も平均以上の規模で行われている。
その国との関係は、今後東大陸で活動するにあたっても重要になろう。
そうでなくても、経済力等で“列強国”であったのだ。
王家の蓄財は、数億リルスになる。
国家の富を合計すれば、数十億リルスになるだろう。
皇国も“ハゲタカ”としてリンド王国を見なければならない。
そして他の列強国に、リンド王国を渡してはならない。
リンド王国の富は、皇国のみが有効利用せねばならない……。
「もし宜しければ、私の方から内密に王家や家臣の方々に働きかける事も出来ます」
「こちらは本国に確認せねばなりませんので、少々お待ちいただけますか?」
「具体的にどれ程?」
「宮内省と連絡し、陛下へ上奏せねばなりませんので、少なくとも数日はかかります」
まあ、1週間はかかるでしょうと念を押す。
「……たった数日で、海を越えて手紙の遣り取りができるのですか?」
「詳しい事は申せませんが、我が国では可能です」
「そうですか……では閣下、良い返事をお待ちしております」
「はい。お互いの国にとって、より良き未来が待っていると、信じています」
『リンド国王急死』
その第一報が届いたのは、全権大使とポゼイユ侯爵の会談の数日後であった。
死因については不明であったが、一部では毒殺という情報も飛び交っていた。
ポゼイユ侯爵は、“国王暗殺”に一枚噛んでいたのではないかと全権大使は考えた。
でなければ、このタイミングで次代国王の婚姻についての話など出て来ないだろう。
証拠が無いので、憶測の域を出ない事であったが。
セグーニュでは、第一王女が女王として即位するためにベルグへの帰り支度を始めたところであった。
戴冠式に必要な王冠等の宝物はベルグの宮殿にあるし、式を執り行うユラの神官もベルグに居るのだ。
何にせよ、リンド王国の状況が大きく変わった事は事実。
全権大使は本国と連絡を取り、天皇と宮内省に“婚姻”の件の許可を取ると、早速ベルグの第一王女宛に親書を出した。
第一王女と歳の近い、皇国のとある宮家の男子との婚姻である。
この宮家は天皇とも近く、“家族”とは言えないが“他人”ではなくなる。
婚約が成立すれば、皇国皇室がリンド王家の親戚になるのだ。
ベルグの王宮では、大臣達が第一王女と共に緊急会議を開いていた。
「皇国は、これが狙いだったのか」
「リア公国の件、完全に利用されましたな」
「ですが、何と言おうと、現在の我が国には強力な庇護者が必要です」
大臣達が頭を抱える中で、王女は毅然と言い放った。
「殿下……ですが、それを皇国に頼るというのは……」
「そうです。そもそも我が国がこのような境遇に陥ったのは――」
「皇国のせいだとでも?」
王女の発言に、大臣達は皆一様に驚く。
「皇国軍こそ、我が国土を侵略し、我が軍を壊滅させた張本人です!」
「では、この王宮をも大砲の射程に収めている皇国軍を擁する皇国の提案を、蹴りますか?」
「…………」
そう、皇国軍は、相変わらずベルグ市外に居座っている。
「出自も不明な、異世界の王との婚姻など、リンド王家の御先祖方に顔向けが出来ません」
「皇国は、新興国かもしれませんが強国です。それは、我が軍を簡単に蹴散らして見せた事でも解るでしょう」
「殿下、強国であれば何でも良いという訳ではありません」
「そうです。リンド王国の王女たるもの、正統なる王や貴族との婚姻こそが――」
王族や貴族は、同じく王族や貴族と結婚する。
特に王族となれば、上級貴族以上の家柄が求められる。当たり前の事だ。
「歴史もあるそうですね。建国から2600年の歴史が。歴史ある貴族の家もあるようですよ?」
「2600年前というのは“大破壊”以前ではありませんか。そんな大昔から続く王家など、存在し得ません」
「異世界には、大破壊は無かったのでしょう」
「という事は、皇国は悪魔の力を宿している可能性があります。尚更婚姻など――」
大破壊以前の人類は、“魔力”即ち悪魔の力を宿していたとされる。
その悪魔の力故に、神の怒りを買い、大文明が滅んだのだ。
もし、皇国が“魔力”を持っていたら、大破壊の再来だ。
実際、皇国軍の力は魔法を使っているとしか考えられないものだ。
「私は、父王の暴走の責任を取る立場です。そもそも、先に仕掛けたのは父です。リアがユラの保護国であるという現状は確かに悔しい事ですが、それを安易に武力で解決しようとした父は、大きな間違いを犯したのです。私は、王の長女という立場にありながら、その暴走を止められませんでした。命を投げ出すつもりはありませんが、異界の王くらい、この身を捧げても構いません」
「で、殿下……」
王女は、先王の寵愛など全く受けずに育っていた。
同じ王宮に住んではいるものの、顔を合わせる事は無かった。
公式の行事などで一緒に列席する事はあっても、会話は殆ど無い。
手紙の遣り取りも無かった。
妾腹の王女など、王の眼中に無かったのだ。
王女がしたためた“開戦に反対する手紙”も、先王に届く事はなかった。
『小娘に何が判る!』と言って手紙を破り捨てた事を、侍従長は忘れていない。
「殿下、殿下の御覚悟は十分解りました。ですが今一度、お考え直し頂けませんか?」
「皇国軍は、このベルグの物品を略奪するでなく、正貨を払っていますね。乱暴狼藉も無い。そのような軍は信頼に値するものだと考えますが?」
「しかし、それだけでは……」
「略奪をせずにも軍を養えるという事は、国が豊かな証拠です。皇国の金貨を見ましたが、非常に繊細な意匠で、芸術も理解しているようです」
王女が見たのは、皇国の20円金貨である。市内では、1リルス金貨と同等のものとして通用していた。
国王の肖像画等が刻印される事の多い高額貨幣だが、皇国貨幣は傍から見れば簡素な、しかしよく描き込まれた植物が刻印されていた。そして、皇国文字で“二十圓”と書かれている。
「目下の大問題には、数に勝る我が王国軍を瞬く間に打ち倒した精強なる皇国軍による庇護と、たった1週間で飛竜基地を造営してしまう、皇国の技術力が是非とも必要です。昨日の敵は今日の友と申します。もう、戦は終わらせましょう。今後、皇国に唾を吐くような者がいれば、私が許しません」
「解りました。殿下の御心のままに……」
「殿下の御決心に、我々も気持ちが固まりました」
王女の強い意志に根負けした大臣達は、皇国とユラ神国への降伏を行うべく、早速作業を始めた。
といっても、実は事前から先王に内緒で準備していた草案があるのだが。
「戴冠式後すぐにリアへ出発し、降伏調印を行います。準備をよしなに」
夏が近づき、皇国ではそろそろ梅雨が明けて来る頃。
リア公国の首都ヴュカースにて、リンド王国の降伏調印式が行われた。
内容はリンド王国の皇国とユラ神国への降伏確認、リア公国の独立とユラ神国の保護にある事の追認、両戦勝国への賠償金の支払い等である。
同時に、皇国とリンド王国の国交が結ばれ“通商条約”と“軍事同盟”が締結された。
それから1週間。
皇国の某宮家の男子と、リンド王国女王の婚約が成され、同日一般に発表された。
これで宮家の君は“リンド王配殿下”となり、皇国の天皇家とリンド王家が親戚関係になるのだ。
これには東大陸諸国のみならず、西大陸諸国も驚きをもって迎えた。
どこの馬の骨とも解らぬ異界の王家との婚姻である。
リンド王国の先王はうつけという話は事実として広まっていたが、現女王も何を考えているのかというのが社交界での専らの話題だ。
この世界では、王族、貴族同士の血縁関係は、皇国が考えるより重い。
王や貴族は、“血”の正統性でもって国や地域を統治するのであるから、リンド王家に“異国の王家”として認められた形になる皇国の皇室は、間接的にではあるが、この世界に“正統なる王家”として認められた事になる。
皇国はこの世界で“ただの強国”ではなく、“正統な強国”としての第一歩を踏み出したのだ。
逆に、皇国国内においてもこの異世界の異国――元の世界の異国・アメリカや中国等よりも精神的にさらに遠い――に対し、“同じ人間”であるという認識が生まれるきっかけになる。
そして、女王と主要大臣、ポゼイユ侯爵しか知らぬ事だが、皇国はリンド王国を防衛し、先進科学技術を提供する見返りとして、リンド王国の食糧他の戦略資源を優先的に安価で購入出来るという密約が存在した。
皇国がリンド王国に対して復興事業の為に“円”の融資を行うという事も。
リンド王国は皇国から円を借りて、その円で皇国の物品や技術を買う。
例えば、リンド王国では東大陸で初の鉄道路線の建設計画が進められている。
これも融資を受けた円でもって、皇国製の線路や車両を購入する訳だ。
このリンド鉄道は皇国も使用する。
このように、皇国とリンド王国は急速に緊密な関係を築き始めていた。




