東大陸編16『君の消えた王都』
ベルグへと進出した皇国軍は、しかしリンド王国に白旗を上げさせることは出来なかった。
国王は逃亡し、皇国軍はベルグの町で食糧や一部の日用品を調達する事には成功したものの、それ以上の成果が無い。
リンド王国陸空軍は降伏し、もはや皇国軍に対抗しうる存在ではなくなったが、リンド国王と海軍が降伏しなければ戦争は終わった事にならない。
『リンド国王は、何を考えているのか?』
皇国は焦った。
元はリア公国を巡る限定的な戦争のはずが、陸軍が全滅しても降伏を拒むとは。
面子の問題だろうか? 叩き過ぎたのが問題なのだろうか?
皇国軍は、先任の師団長が護衛を引き連れノールベルグ王宮へと入城する。
衛兵と一悶着あるかと思っていた師団長だったが、意外な事に門を警備する衛兵は、門を開け放って皇国軍の将軍を素通りさせた。
「これはこれは、皇国軍の将軍閣下……」
「皇国陸軍少将、栗田一郎男爵です。貴殿は?」
「私は陛下の元侍従のジオ=リノークと申します。国王陛下をお探しで?」
「ええ、そのとおりです」
「ならば一足遅かったですな。陛下は夏の離宮に向かわれました」
「夏の離宮? まだ春ですが」
「私も詳しい事情は知りませんが、何でも皇国軍の砲撃で眠れず、昼寝すら出来ないからだとか……」
皇国軍は、市壁外から王都ベルグの北の森を砲撃し続けていた。
北の森は、東京で例えるなら、皇居に対する浜離宮のようなものだろうか。
王室専用の狩猟場であるため、基本的に無人である。
幾ら砲撃しても一般市民に被害が出ないだろうから、ここを砲撃する事になった。
王宮から遠からず近からずの場所を、休む事無く砲撃する事で十分な心理的圧力を加えて降伏させようとしたのが裏目に出た形だ。
「では、リンド国王陛下は、端的に言えば王都から逃げ出したのですか」
「さようです……」
「ではもう、この王宮には大臣達も居ないのですか」
「はい。侍従長を始め、国務卿も兵武卿も内務卿も、主だった大臣達は陛下と共に」
「そうですか。貴重な情報をありがとうございます。ですが、我等も手ぶらで帰る訳にはまいりません。王宮内に、国王陛下を匿っていないか捜索させて頂きたいのですが」
「それはどうぞ、ご自由に。私も同行させて頂きます。王宮内の案内も出来ましょう」
栗田師団長は、部下と共に一通り王宮内部を捜索し、国王や大臣、家臣団が居ない事を確認すると、そそくさと王宮を出て司令部へと帰還した。
「リア公国は既に我が軍とユラ軍の制空権下にあり、陸軍も進駐している。そしてリンド陸空軍は全滅だ。海軍がまだ潜んでいるが、これも我が海軍の方で対処可能で、反撃しつつある。今やリンド王国の戦略目標は達成不可能だ。リンド国王は、それが解らないのか? それが王の器か?」
ユラの皇国軍司令部では、将校や参謀達が呆れかえっていた。
圧倒的な武威を誇り、250年以上続いた徳川幕府すら最後は潔く“負け”を認めたのだ。
それに引き換えリンド王と来たら……。
皇国軍は、やろうと思えばいつでもベルグを火の海に出来る。
特にレジスタンス活動をしてくるでもない一般国民を巻き込むのは心理的抵抗があるし、何より後始末が大変だからやらないだけだ。
皇国は、別にリンド王国に含むものなど無い。
むしろ東大陸で随一の国土と人口を誇るこの国と国交が結べれば更なる展望に繋がる。
だから一刻も早く、リンドの地を荒廃させないうちに戦争を終わらせたかった。
セグーニュにて発せられた“勅命”は、国内に大きな波紋を広げた。
『15歳以上40歳未満の男子は、全て最寄の連隊に出頭し、徴兵検査を受ける事』
今まででも、使えそうな人材は多くが兵士になっていたのだ。
この上、徴兵を強化したところで何になるのだろうか?
だが、国王の“王国軍100万人計画”は実行に移されようとしていた。
各地の連隊では強制徴募隊が編成され、その時に備える。
リア公国は、現国王の祖父王の代に奪われた土地。
それを取り返すためであれば、平民の血が幾ら流れても良いのだろうか。
いや、単に敗戦という現実を受け入れるのが怖いだけかも知れない。
戦争を長引かせるだけ長引かせて国内が荒廃するよりも、虜囚になる(かも知れない)のが怖いのだ。
「陛下、どうかお考え直し下さい」
「くどい! ここは余の国、そして軍隊は余の軍隊だ!」
もう何度目になるかわからない、王への嘆願。
だが、王は頑なな態度を崩さず、降伏を認めようとしない。家臣や大臣達の頭の痛くなる日々は終わりが見えない。
皇国は、ユラからベルグを経由してセグーニュへ、全権大使の名の下にリンド国王へ数度目の親書を送った。
親書の内容を要約するとこうだ。
『我々皇国は、これ以上の戦争を望んでいません。陛下の軍隊が皇国の商船を襲うので、仕方なく戦っているのです。陛下が矛をお納めになるならば、皇国も矛を収める用意があります。皇国が陛下に望むのは、皇国の通商の一切を直接的にも間接的にも妨害しない事です。陛下が矛を収められ、皇国との和平を望むなら、皇国は王国との間に国交と自由な通商を開く用意もあります』
だが、リンド国王はこれが気に入らない。
「ええい、馬鹿にしおって! マルロー王国とアナーフ王国へ送った使者はどうなっておる!」
「両国とも、資金の援助と、少数の義勇兵の派遣が可能と申しております」
「資金の援助とは、具体的には?」
「両国合わせて凡そ、金2000万ワールです」
「それだけあれば、軍の再建も出来よう。平民どもなど、1ワールで10人雇えるだろうからな」
1ワール金貨は、ほぼ1リルス金貨と等しい価値を持つ(1ワール=20/21リルス)。
1ワール≒1リルスとは、中規模の都市の借家住まいの平民家族が1ヶ月生活に困らない程度の価値だ。
物価が違うので比較が難しいが、金自体の価値を基準にすれば、皇国円に換算して16円~17円程度だろう。
つまり、16円で兵士を10人雇おうという訳だ。1人あたり1円60銭である。勿論、これは年俸である。
ちなみに、皇国陸軍二等兵の年俸は192円、一等兵の年俸は240円である。特別手当は別途ある。
幾ら物価が違うとはいえ、皇国兵の1/120の年俸というのは安すぎであろう。
リンド国王が、兵卒の価値をその程度としか考えていない証拠である。
足りない分は戦場で戦功を立てるか、敵軍から略奪せよという事だ。
リンド王国の方で軍費として2500万ワールを足せば、合計4500万ワールになる。
拉致同然に連れてきた100万人を10万ワールで雇い、1500万ワールで2000騎の飛竜を、1000万ワールで3000騎の戦竜を、残りの1990万ワールで、軍馬や小銃、大砲を整える。
リンド国王の頭の中では、完璧な軍隊が再編成されていた。
「陛下。この資金は是非、戦後の復興事業にお使い下さい」
「戦後? まだ戦争は終わっておらぬではないか」
「陛下……我が国は敗戦国同然です。どうか現実を――」
侍従長の願いも、国王には届かなかった。
「皇国軍は遠征で疲れきっておるだろう。次こそは余の軍は皇国を撃ち破り、リアを治めるだろう」
「…………」
国王の心には、逆転勝利しか見えていない。
まだ存在すらしない“再編された軍”を見ているのだ。
「陸空軍はそれで良いとして、海軍はどうなっておるか?」
「海軍は、皇国船を襲撃出来なくなりつつあります」
「何故だ?」
「皇国軍が、船舶の航路を護衛する軍艦を増やすようになりました。彼我の戦力差は圧倒的です。殆どが返り討ちに遭っています。通報艦、連絡艦も行動が封じられつつあります」
「余の戦列艦を以てしてもか?」
「砲の性能、船の性能、何れも皇国軍艦に軍配が上がります。ですから陛下、もうこの戦は――」
国王は、不満げな表情で侍従長を睨みつけた。
「決戦だ! 100隻の軍艦でもって、皇国海軍を叩き潰すのだ!」
国王の決意は揺らぐ事がなかった。
命辛々帰国し、戦況を報告する海軍の連絡艦へ、“決戦”が通達されたのはそれからすぐの事である。
現在、リンド王国の“王都”ベルグは、皇国軍によって制圧されていた。
制圧といっても、陣地や部隊は市壁の外に構え、砲兵の圧力で威圧しているに過ぎなかったが、北の森への威嚇射撃が余程身に沁みたのか、ベルグ市民に皇国軍に対して反抗しようとする者は居なかった。
ただ、町の治安が若干悪化しつつある。混乱に乗じた窃盗や強盗などが、微増しているのだ。
ベルグの商人は、皇国が欲しがるパンや肉などを笑顔で提供したが、その分、都市内での物価は上昇している。
貧困層には辛い状況だ。
ベルグからさらに北や東へ逃亡する市民も、少数ながら居た。




