東大陸編14『王都を背に』
皇国軍主力部隊は、リンド領内の都市ゲーゼで一旦進軍を停止していた。リンド王国軍の撤退にどうしても追いつけないからである。
ここで補給を待ち、再びベルグへと進軍する。敵にも時間を与えてしまうが、それは仕方がない。
とにかく、ここまで来てしまったらリンド王国軍の野戦軍を壊滅させ、王都ベルグに直接乗り込み王宮(国王)を人質に取るまでユラには帰れない。
皇国軍にとって、半分以上、リア公国の事はどうでも良くなっていた。“負けたまま帰れない”という雰囲気が、皇国軍を包んでいた。
ベルグまではあと10日の距離で、士気は高い。
本国や東大陸派遣軍司令部の尽力で補給の当てが出来たのは大きいだろう。
ここ数日は、ユラの九七式重爆や、本国から駆けつけた数十機の九七式飛行艇による物資の空中投下が行われ、これで燃料と弾薬、水と食糧、飼葉の不足はほぼ解消された。
物資の空中投下は、以降も行われる予定である。ベルグまでの道程は大きく近づいた。
本国からは『これ以上は勘弁してくれ。それより何より戦勝を』という催促もあったが。
「敵は打って出て来ないか」
「はい、完全に引き篭もっています」
偵察機による偵察の結果、リンド王国軍の動向はほぼ判明しているが、それによればリンド王国軍は王都ベルグの南約100kmの位置で、さらに北上を目指しているという公算が大きい。
「準備が出来次第、こちらも敵を追うぞ。今度こそ敵を討ち取らねば帰れんからな」
東大陸の列強や大国は勿論、中小国もこの戦争の行方を密かに見守っている。
軍事強国であるリンド王国を下せば、皇国は東大陸諸国に大きな衝撃を与える事が出来るだろう。
『皇国側に付く事が自国にとって有利になる』と、諸国に思わせるためにも、この戦争は勝利、それも圧倒的な勝利で終わらせる必要がある。
しかし、ユラ神国の飛行場からでは、九七式重爆撃機しかリンド王国に到達出来ないのは不安材料の一つだ。
九七式戦闘機と九九式襲撃機では、増槽を装備してもベルグ上空までは届かない。
砲兵や歩兵の火力が勝っていなければ、とても強気の攻勢には出られないだろう。
「あとは、敵がどう出てくるかだ」
今、出来る限りの準備は終えた。次の決戦では、必ず勝てる。皇国軍将兵はそう信じて、勝利を夢見ながら、野営陣地を後にした。
リンド王国の王都ベルグの南方約50kmの地点に、リンド王国軍は布陣していた。
背水の陣であるが、この位置であれば王都近郊の飛竜基地の飛竜部隊全部が投入可能なのだ。
リンド王国軍にとっても、大きな賭けである。
勝利すれば、そのまま逆襲してリア公国に皇国軍を追い返し、“王領リア”を復権出来るだろう。
しかし、敗北すれば後が無い。王都まで2日の距離なのだから、敗北は即王都の危機だ。
こうでもしなければ、圧倒的な火力の皇国軍に勝つ見込みが無いとも言える。
だが、天はリンド王国に微笑まなかった。
皇国軍を迎え撃つその日の天候は、何と大雨。
これでは銃や大砲が使えない! リンド王国軍の総司令官は、天を呪った。
この季節に大雨というのは、勿論可能性としてゼロではないが何十年に一度の天候なのだ。小雨程度であれば、何とか銃や大砲も使えるが、大雨では……。
しかし、よくよく考えてみれば敵も使えないことには変わりない。白兵戦という事になれば、むしろ皇国軍の圧倒的な火力が封殺出来て好都合ではないか?
これは恵みの雨だ。総司令官は、そう判断した。全軍に、飛竜による襲撃後の一斉突撃の命令を発する。
皇国軍陣地では、せっせと砲兵陣地や機関銃陣地の構築が行われていた。
「敵飛竜隊発見! 数は……百以上!」
「対空射撃開始!」
皇国軍師団高射砲兵連隊は、持てる火力を存分に使って飛竜を駆逐する。
纏まって飛んでいる飛竜に対して、高射砲は威力十分だったし、40mm機関砲や20mm機関砲も、一発でも命中すれば飛竜はほぼ即死だ。
だが、如何せん飛竜の数が多い。撃ち損じもある。半数近くの飛竜を撃墜したものの、残りの半数に襲撃を受けてしまう。
とは言っても、本日は大雨。爆弾は使えない。
何が投下されたかと言えば、大量の葡萄弾だ。高度数百メートルから投下された葡萄弾は、十分な位置エネルギーを持つ。
鎧を着ない皇国兵にとっては、小さめの葡萄弾と言えども馬鹿に出来ない威力がある。
十数次に渡る飛竜の襲撃に対して、400騎以上の損害を強いた皇国軍であったが、皇国軍自身も2000人近い死傷者を出してしまった。転移以来の大損害である。
師団長に、敵陸軍が突撃しつつありとの報告があったのは、飛竜隊による襲撃後30分程が経った頃だった。
「何? 敵は準備射撃も何も無しで突撃してきたのか?」
「はい。敵軍砲兵隊は最後列です。最前列は戦竜隊です。この雨ですから、砲兵が使えんのでしょう」
「応戦しろ。砲兵連隊も全力射撃だ。決戦だから、弾薬の心配はするなと伝えろ」
「はっ!」
皇国軍の砲撃とほぼ同時に、南方から飛来した24機の九七式重爆撃機が次々と爆弾を投下していく。
リンド王国軍にとっては2度目の“現代戦”が始まった。
「撃ってきた!?」
まさかの事態に、突撃中のリンド王国軍兵士は浮き足立った。皇国軍は、こんな大雨でも大砲を撃てるというのか?
皇国軍陣地までは、まだまだ距離がある。これでは、リア公国での戦闘と同じ。いや、こちらが撃てない分余計に不利だ。
「閣下、やはり皇国軍は何事も無いように撃って来ています」
「馬鹿な……」
「こんな大雨で、何の魔法でしょうか……」
「突撃部隊は一方的に撃たれるだけです。撤退しましょう!」
「撤退? どこに撤退するというのだ? もうこの後背は王都だぞ!」
「そ、そうでした……」
背水の陣なのだ。引く場所などリンド王国軍には残されていない。
「とにかく突撃だ。これだけの数、皇国軍の弾薬が尽きる可能性もある」
リア公国ではそうだった。皇国軍は一方的に戦闘を中止して、引き上げてしまった。
「それに、白兵戦に持ち込めば勝機はある!」
だが、今回の皇国軍は必死のトラック輸送と空輸でかなりの弾薬を溜め込んでいた。
ユラ神国の港では、交代で24時間不休の荷揚げ作業が行われているのだ。
リア公国の時とは違う。野砲や機関銃の射撃は、何時まで経っても終わらない。
さらに、戦車連隊が前面に出てはリンド王国軍の突撃が阻止されるのは確定事項になった。
「皇国軍まであと2マシル(≒2.4km)ですが、敵軍の火力は衰えるどころか、益々――」
「予備部隊も投入しろ。総力戦だ!」
「し、しかし……」
「あと8万も投入すれば、必ず皇国軍は息切れする!」
「は、8万ですか? それは予備部隊のほぼ全軍ですが……」
「総力戦だと言った筈だ。皇国軍を撃ち破らねば、リンドの未来は無い」
「はっ……予備を突撃させます」
だが、悪い事は重なるもので、損耗が極限に達しつつある前衛部隊が、勝手に撤退しだした。
敵前逃亡だ。
士官や下士官が必死に制止しようと務めるが、効果は無い。
1度目は何が何だか判らずに居たら収まったものが、2度目では収まる気配が無いのだ。
兵士達は恐怖で一杯で、逃げ惑う。呆然としてその場で動かなくなる者も居た。
皇国軍陣地から約3kmの地点では、突撃しようと前進する予備部隊と、敵前逃亡する前衛部隊が入り乱れて酷い混乱状態になっている。
前衛部隊の酷い有様を見て、まだ損害が殆ど無いのに逃げ出す予備部隊の兵士も出ている。
「閣下、非常事態です。このままでは突撃も撤退もままなりません。降伏すべきかと」
「降伏したら王都が丸裸だぞ?」
「もう、現状で丸裸も同然ではありませんか。恐らくですが、前線将兵の7割から8割は死傷しています」
「この銃砲弾の雨の中、誰が降伏の使者になるかね?」
「私が致します」
「君がか!」
「はい。特大の白旗を掲げて行けば、皇国軍も気付くでしょう。もし私が撃たれても、他の誰かが代わりになってくれます」
志願したのは、軍の総参謀長である。軽々しく前線に出るような人物ではない。
「恐らくですが、今日の天候が晴れでも、結果は大して変わらなかったと愚考致します」
「確かに、皇国軍の攻撃は未だに止まん。もう半日近いのに、一体どれだけの弾薬を運んできたのだかな」
「皇国軍を領内に引き摺り込む作戦を提案したのは私ですから、私に責任があります」
「いや、確かに君が提案した作戦だが、最終的に決済したのは私だ。責任は私にある」
「いえ、私も……と言いたいところですが、責任の奪い合いは止めましょう。今は一刻も早く降伏しなければなりません」
総参謀長は、陸軍旗を持つ旗手を同伴し、大きな白旗を掲げて皇国軍陣地に向かって行った。
幸い、総参謀長は皇国軍の攻撃に倒れる事無く、降伏の意思を示す事が出来た。
予備も含めて22万を数えたリンド王国陸軍だったが、この時既に戦える将兵は5万に満たなかった。




