東大陸編10『戦いの流儀』
リンド王国海軍フリゲートのエリルファゼイ号がリンド王国の港を出航して1週間。
太陽が天高く昇る快晴で、風も波も穏やかな日であった。
「船が見える! 帆船ではありません!」
マストの上で見張りをしていた水兵が、望遠鏡越しに水平線を指差す。
その声に艦長をはじめ主だった士官達が指差す方向を見定め始めた。
「あれは皇国艦ではないか?」
煙を吐いて航行する帆の無い船といえば、皇国艦以外にありえない。望遠鏡を覗きこんだ艦長には、すぐにそれが皇国の軍艦であるとわかった。
「そのようです。迂回しますか?」
砲術科の若い海尉が艦長に確認した。『皇国艦があれば、すぐに戻って本部に知らせる』のが任務だったからだ。
だが、海尉の進言は即座に却下された。
「いいや、仕掛ける」
「しかし元帥のご命令では、皇国の軍艦との戦闘は避けるようにと」
リンド王国の哨戒艦艇に与えられた任務は海域の監視と皇国商船の拿捕であって、軍艦との対決は禁じられていた。
「向こうの大砲は何門だ」
「艦長!」
「答えたまえ。皇国軍艦の大砲は何門だ?」
海尉は望遠鏡を覗き込むと、敵艦の大砲を数え始めた。しかし、それもすぐに終わる。
「……見る限りでは、砲窓がありませんので、艦上にある旋回式と思われる砲が5門です。他に据付けの旋回砲かバリスタ? ないし小銃が数丁。以上です」
「ではこちらの大砲は何門だ?」
「36門です。片舷では16門ですが……」
「36門と5門、勝つのはどちらだ? そうそう、こちらは優秀な狙撃術を持った海兵も乗っているな」
「艦長、皇国軍艦の大砲の性能は、我が艦の大砲と比べ物にならないという……」
「そのような、腰抜け共がでっち上げた信憑性に欠ける情報を鵜呑みにすることはできん」
「しかし……あの艦の砲の大きさはここからでもハッキリと見えます」
「こけおどしに決まっている。あのように大きすぎる大砲は実戦では使い物にならんのだ。よく覚えておきたまえ」
「艦長……」
「元帥は慎重すぎるのだ。常勝提督という渾名は、単に危ない橋を渡らなかった結果に過ぎない。ノーリスクノーリターンの戦法だ。だが私は、ローリスクハイリターンを心がけている。第一、こちらが発見したという事は敵に発見されている可能性も高い訳だが?」
「ですから、逃げるなら早くすべきです。そうすれば悪天候に紛れて姿を眩ます算段も付きます」
「逃げるだと? 誇り高きリンドの艦長が、そのような命令を下す筈が無かろう」
エリルファゼイ号が遭遇した皇国艦――駆逐艦江風――は4000mの距離から砲撃を開始した。
発射された5発の12.7cm砲弾のうち3発は目標を外れたが、2発がエリルファゼイ号の至近に弾着、同艦を大きく揺さぶった。
「たった5門で、しかもこの距離で初弾から至近弾か!」
「やはりあの大砲はこけおどしではありませんでした」
「そのようだな。敵ながら天晴れ、面白くなってきたではないか」
そもそも、命中精度を問わずとも20シウスという距離をあれ程に巨大な砲弾が飛ぶというのが驚きであった。
だが、そのような驚きを内心に留めたのが艦長なりの配慮であったのだろう。指揮官はどんな時でも動じてはならないのだ。
しかし艦長の強気に水を差すように、第2斉射のうち1発が命中、エリルファゼイ号の前部砲列を薙ぎ払った。
「被害は!」
「大砲3門大破、13人死亡、他二十数人が重傷!」
「一撃でこれか」
「敵は炸裂弾を使っています。このままでは!」
「まぐれだ! いいか、大砲というものは、そうそう当たるものではない。特にこんな距離ではな。だが、接近して舷側から斉射を行えばどうだ!」
「……敵を打ち倒す武器になります」
「そうだ。だから敵艦に突撃するのだ。半シウスの距離まで詰めてからが本番だ。半シウスの距離まで接近し、舷側の大砲で蹴りを付ける! 海兵の活躍の場も増えるだろうな」
「敵との距離は20シウスです。船体の一部を破壊されて、あと19シウス半も距離を詰めるのは不可能です。接近すれば敵の砲撃精度も増すでしょうから、その前にこちらが沈没します。こうなったら降伏すべきです、艦長」
海尉の必死の説得が、艦長の感情を逆撫でさせた。
「うるさい、艦長は私だ! 決断は私がする! 君は自分の立場を弁えていないようだな!」
「私は、立場を弁えた上で艦長に提案をしています。このままでは危機的な状況に陥りかねないと……」
「それがいかんと言うのだ。まだ経験も浅い海尉の判断と、経験豊富な艦長の判断はどちらが正しいか解かっておらん。敵は既に十数発撃ってきているが、まだ命中は一発だ。恐るるに足らん。そんな敵を恐れることよりも、攻撃精神だ。攻撃こそ、将兵の士気を鼓舞し、規律と秩序と忠誠を生み出す。陛下のご命令は、そのような“もののふ”の立場からのものからではないからな。致し方無い。損害を恐れては敵に立ち向かうことはできない。この程度の損害は織り込み済みだ」
「では、陛下のご命令に背くのですか!」
「そうではない。陛下は損害を嫌っておられるが、それ以上に勝利を望んでもおられる。我々は陛下に勝利を献上するだけだ。解かったか? 解かったら持ち場に戻れ」
「……はい、艦長」
(確かに敵の命中はまぐれかもしれないが、そのまぐれを引き出した砲術は本物だ。狙いが不味ければ、どんな幸運が重なったって当たりはしない。それは艦長も解かっているはずだ!)
エリルファゼイ号の艦長の突撃命令から数刻。江風の砲撃は数回の夾叉とさらに2発の命中を得ていた。
対するエリルファゼイ号はまだ何の戦果も得ていない。何となれば、4000mの距離からそれ以上接近できないからだ。
「艦長、敵は9マーシュに増速しました。これでは追いつくのは不可能です」
「うむ……」(馬鹿な、距離は20シウス以上ある。それでこの砲撃精度は……)
「艦長、降伏致しましょう。これではなぶり殺しです」
「いや、降伏はまかりならん」
「何故ですか!」
「陛下からお預かりしたこの艦を、みすみす敵に明け渡せというのか? 降伏して拿捕されるくらいならば、自沈もやむをえまい」
「それでは、艦長や他の乗組員はどうなるのです」
「…………」
「艦長!」
「文明国ならいざ知らず、あのような野蛮な敵の捕虜になるくらいならば、死を選ぶのがリンドの騎士だ。それは皆も同じだろう」
艦長と海尉が議論している間にもさらに数発の命中があり、エリルファゼイ号は船体が破壊され浸水が止まらず、マストも破壊され航行もままならず、ただ船の形を保つだけで精一杯の浮かべる墓場と化していた。
「艦長もご存知でしょうが、皇国軍は降伏の際には軍旗を降ろし、白い旗なり布切れなりをかざして振れと」
「知らん。そんな方法で降伏を示すなど、聞いた事も無い」
「将校であれば、当然ご存知のはずでは? 皇国軍からの宣戦布告の文書に……」
「降伏を示すときには、軍旗と一緒に軍服をかざすのが流儀であろう。しかも軍旗を降ろせだと? 旗を降ろすのは降伏を受け入れた敵に渡す時だけだ。敵に渡すより前に軍旗を降ろせば、秩序だった降伏が行えないではないか! そんな訳の解からぬ方法で降伏したとなれば、恥の上塗りだ」
「確かに、我々の常識ではそうでしたが……今、圧倒的に優勢な皇国の流儀では軍旗を降ろして白い布をかざすものなのでしょう。幸い、我々の手元にはハンモックや白い帆の切れ端があります。これを振れば、皇国は……」
「そんなに振りたいのならば、貴官が自分の軍服を竿に付けて振れば良かろう。ただし、その前に私は自沈を命じるがね」
「艦長!」
「もうこの艦は終わりだ。だから私と諸君等はここで散る。これは騎士としての名誉の――」
言いかけた艦長が、その続きを発することは永遠に無かった。
艦尾楼甲板に響いた銃声は、勿論皇国軍のものではない。
「か、海尉……!?」
甲板上は騒然となる。
至近距離から引き金を引いた海尉の軍服は返り血に染まっていた。
自らの職務をこなしながらも、事の顛末を聞いていた副長はすぐさま命令を出す。
「艦長は名誉の戦死を遂げられた……海尉は士官室で謹慎の事。その後の処置は追って命ずる。海兵隊長、海尉を拘束し、士官室へ閉じ込めておけ」
「艦長、敵艦の甲板が慌ただしいです」
「それはそうだろう。これだけ撃ちまくられて慌ただしくない訳が無い」
「いえ、そういうものとは違うようで、様子が変です」
「様子が変?」
水雷長の言葉に、艦長を始め艦橋に詰めていた士官達はリンド製の数倍の性能を誇る双眼鏡を覗き込む。
「おい、奴ら服を脱いで振ってるぞ。軍艦旗の旗竿にも軍服を!」
「何だって? 軍服を振ってるということは……」
「艦長! 服を脱いで振るのは、この世界での降伏の意思表示です。砲撃を止めましょう」
誰もが直感したことだが、先に声を出したのは航海長だった。
もう決着は付いているも同然で、これ以上の戦闘は弾と油の無駄だと誰もが思い始めていた矢先である。
「そうだな。確かにそのとおりだ」
「では、砲撃中止を?」
「まあ待て、リンド王国には、降伏の際は軍旗を降ろし、白旗を掲げるという文書が渡っているはずだな?」
「はい。宣戦布告文書を交わす際に、確かに渡っているはずです」
「何故、勝っている我々が負けているリンド王国のやり方で降伏を受け入れねばならんのだ? 少なくとも我々は、負け戦の時は敵の流儀に従って軍旗と共に士官の軍服を振れと教わったが」
「しかし、そのような理屈で戦闘を長引かせても、得るものは何も……」
「もし、お互いのそのようなやり方を知らないのであれば、それは士官、国王の怠惰だ。リンド王国はお互いに交わした約束も守れない、統制の取れていない軍隊ということになる」
「……仰るとおりです」
「敵が軍旗を降ろして白旗を掲げるまでは、砲撃は続ける」
「どういうことだ! 敵は俺達を全員殺すまで戦を止めないのか!」
「これだけ多くの軍服を振って、気付かないわけがない。やはり野蛮人だった!」
水兵や海兵達の悲痛な叫びがエリルファゼイ号の甲板を覆っている。
皇国軍は、既に投了した相手の全ての駒を盤上から取り除くまで将棋を止めない棋士の如きだ。そんな野蛮なこと、人間ならばするはずが無いのだ。相手が投了したら、そこで将棋は終わるように。
しかし、現実は違った。
「駄目なのか。皇国は、降伏すら受け入れないというのか!」
「副長、皇国流の方法でやりましょう。ここまで来たら何の躊躇うことがありますか」
「全ての帆を畳んで艦を停止。全ての旗を降ろし、白いものを何でも……そうだな、あそこに落ちている大きな帆の切れ端を振るように命じろ」
エリルファゼイ号の様子を双眼鏡で監視していた皇国軍の見張りが、待ちに待った信号を確認した。
「艦長、敵艦が停止し、軍旗を降ろして白旗を!」
「砲撃中止」
「了解。撃ち方止めー!」




