西大陸編14『敗者と勝者』
「くっ、皇国の力これ程とは……急げ! このままでは戦争が終わってしまう」
イルフェス軍近衛胸甲騎兵連隊の第1中隊は、ライランス軍近衛歩兵師団の駐屯地に到着した。
建物はあらかた破壊され、多くの負傷兵が居るが、イルフェス軍の奇襲に多くの将兵が迎撃に出てくる。
軍旗が降ろされ、白旗の掲げられた建物。再び軍旗が掲揚されることも、司令官の軍服が翻ることもない。
「中隊、突撃!」
司令官であるエレーナの号令で胸甲騎兵隊は騎槍を構え、混乱するライランス軍に突撃を開始する。猛者揃いの胸甲騎兵隊の前に、ライランス兵は反撃もおぼつかない。
マスケットが上手く胴体に命中しても、それは頑丈な胸甲に弾き返されてしまう。
マスケットの銃剣は騎槍よりも短いために、集団で槍衾を形成するならともかく、このように散り散りになっている状態では有効な防御兵器とはなりえない。
「蹴散らせ! 敵は近衛とは名ばかりの烏合の衆だ!」
胸甲騎兵は馬の速度を乗せての騎槍突撃で次々とライランス兵を屍にしていく。
エレーナの副官が持つ大きな軍旗が目に入ったのか、1人のライランス兵がエレーナの副官を狙撃した。幸い命中はしなかったが、若い副官は弾丸が風を切る音に一瞬慄く。
副官を狙撃したライランス兵に対し、エレーナは馬上から冷静にマスケットを構えて一撃で仕留めた。
「怪我は無いか、少尉」
「はい。殿下!」
副官は胸甲を身に着けているが、司令官であるエレーナは鎧の類を身に着けていない。
エレーナの銀色の“全身鎧”は、厚さ1mmも無い板金製で、軽量だが鎧としての効果は無く、黒い羽飾りの付いた兜共々“美しく勇ましい見た目”を演出するための小道具に過ぎない。
エレーナは馬を走らせながら馬上で再装填をする。揺れる馬上で、周囲に気を配りつつ普通の歩兵が再装填するより素早くだ。
胸甲騎兵隊でマスケット(しかも短銃ではなく長銃)を装備しているのはエレーナただ一人である。
一般将兵はピストルとランスにサーベルが基本装備で、ピストルも基本的に戦場での再装填は考えていない。
エレーナは集中的に狙われないように頻繁に位置を変えつつ、1/4~半シウス(≒50~100m)からの狙撃でライランス兵を次々と刈り取っていく。
比較的安全な後方から大軍を率いるのとは違う、自分自身も一戦士として戦場を駆けるのはエレーナにとって久しぶりの事で、普段以上の興奮を覚えていた。
「あの旗の隣にいるのが大将だ! 銀色の鎧の女だ!」
なんとか集まった兵で1列横隊を作り、エレーナを狙撃する態勢に入る。といっても、たった数名の横隊では効果的な弾幕が形成できるのか疑問ではあったが。
「全員狙え、撃て!」
命令を下す伍長自らも引き金を引く。だが、馬を走らせながら不意に変針するエレーナには1発も命中しなかった。
「次はあそこだ、少尉。抜刀せよ」
「はい、殿下!」
エレーナは自分を狙った伍長を狙撃する。そしてマスケットを左手に持ち替えると、鞘から剣を引き抜いた。
歩兵隊にマスケットの再装填をする時間を与えてはならない。エレーナと副官は、全速力で“横隊”に突っ込む。
その勢いのまま、エレーナと副官は剣を振り下ろし、一瞬で2人のライランス兵を斬殺した。
そして恐慌状態になった数名のライランス兵を次々に斬り刻んでいく。
「2人斬ったか。褒めてやるぞ、少尉」
「あ、ありがとうございます。殿下!」
エレーナを狙うという身の程知らずなライランス兵達を葬ると、すぐに馬を走らせる。
剣を鞘に戻し、マスケットを再装填しつつ、素早く射点に着く。そしてまた1発。マスケットを準備していた軍曹を射殺した。
馬を走らせながら再装填、そして狙撃。
さすがに銃を撃つ瞬間は馬を止めるが、それ以外の状況では常に走りっぱなし。エレーナだけでなく、エレーナの愛馬もタフである。
「私はライランス軍近衛歩兵師団長、グリー=ゲーベック中将だ。“白銀の魔女”とお見受けする!」
「その名で呼ばれるのはあまり好きではない。私の名はエレーナ=シャルリーヌ=ワースレイ」
馬に乗って駆け寄ってきた将軍は、エレーナと、そして副官の持つ軍旗を見ながら、ゆっくりとサーベルを抜刀する。
「私に一騎打ちを挑むとは、命知らずも居たものだな」
エレーナは、だが嬉しそうに笑みを浮かべるとマスケットを副官に預け、鞘から華麗な装飾の施された剣を引き抜いた。
エレーナの剣は、一見するとサーベルより細身のレイピアである。
ただし見た目とは裏腹に頑丈な造りで重く、かなり鍛えた男でも片手で扱うのは梃子摺るような代物だ。刺突だけでなく、斬撃にも対応している。切れ味も鋭いが、敵を“撲殺”することも可能だ。
この何とも野生的な片手剣を、エレーナは日頃から愛用している。
「参る!」
ゲーベックは両足で馬の腹を蹴り、エレーナに向けて馬を走らせる。対してエレーナは動かない。
だが斬撃の瞬間、すっと馬を動かすと、ゲーベックの一撃をギリギリのところで避わし、エレーナは剣を持たない左手の拳でゲーベックを殴りつけた。
幾ら防御効果の無い薄い板金鎧とはいえ、金属には違いない。しかもエレーナは普段からかなり体を鍛えている。その一撃は重い。
将軍用の軍服であって鎧を着ていないゲーベックは、故に酷い打撲を負うことになった。
「な、何故一思いに殺さん!」
「殺してしまっては、捕虜に出来ない。それに秩序だった降伏もな」
「だが、私はお前を殺すつもりだぞ? 我が国王陛下は、“白銀の魔女”であれば首だけでも良いと仰った」
「殺せるものなら、殺してみよ……今の一撃で解ったが、貴殿では私は倒せん」
「馬鹿にしおって……!」
ゲーベックはサーベルを振り下ろすが、エレーナは冷静に剣で対処する。サーベルを逸らされ、次の一撃に移ろうと思ったときには既に遅かった。
エレーナの剣が、ゲーベックの喉元に突きつけられていたのだ。神速の如き剣捌きに、ゲーベックは冷や汗を流した。
「こういうことだ。降伏するか?」
「こ、降伏する……」
そう言いながら、ゲーベックはサーベルをエレーナに渡した。
「軍服も脱げ。少尉、中将の上着を受け取れ」
「はい、殿下」
「…………」
いそいそと上着を脱ぎ、エレーナの副官に渡すゲーベック。
エレーナは、勝者の余裕を見せるようにマントを翻しゲーベックに背を向ける。そして駐屯地のそこかしこでイルフェス兵がライランス兵を追い散らすのを満足げに見つめた。
司令官であるゲーベックが上着を着ていないのに気付いたライランス兵達は、皆銃や剣を捨てて両手を上げる。
「少尉、将兵全員の降伏を確認しろ。抵抗するものは殺せ」
次々と武器を捨てて降伏していくライランス兵。抵抗するものはいなかった。
その様子を見ていたゲーベックは、エレーナに近づき言葉をかけた。
「エレーナ王女。一言、言いたいことがある」
「ん。何かな、中将?」
「我々は、皇国軍に敗北したのだ。断じてイルフェス軍ではない」
「……! それは負け惜しみというものだ、中将」
「そうかな? 私の軍刀も軍服も、そして我が軍の軍旗も、皇国軍が受け取るのが筋というものだ」
「現実を見ろ、中将。貴殿等の軍旗を持つのはイルフェスだ。あれを見よ、この地に翻るのは我が軍旗のみだ」
「皇国軍の猛爆で既に壊滅した部隊を攻めて軍旗を奪う。まるで盗人ではないか。皇国が捏ね、焼いたパンをイルフェスが食う。イルフェス軍の近衛連隊に、武人の誇りは無いのか?」
「近衛への侮辱は、我が陛下への侮辱と受け取る……ここで斬り捨ててやってもよいのだぞ、中将?」
「降伏した丸腰の将校を斬り捨てるだと? 蛮族と同じだな。貴女が魔女と呼ばれる所以が解った」
「戯事を……負け犬の遠吠えも程々にするのだな、中将」
エレーナが降伏の確認を終えた頃、早馬に乗った伝令将校が駆け寄ってきた。
「殿下、朗報です。ライラインス軍の、王都近隣の基地、駐屯地は全て降伏とのことです」
「全て? 随分早いな」
「我が軍が到着した時には、既に降伏の旗が掲げられていたと」
「降伏の旗?」
「白旗です。皇国式の……旗竿からは既に軍旗が降ろされておりました」
「それで、降伏の確認が行えたのか? では軍旗と、指揮官の軍服と剣は!」
「不明です……」
「不明だと? 愚か者が! それでは“我が軍が降伏させた”事にならんではないか! 貴様も将校なら、陛下が何をお考えか解っているだろう! 何を伝え聞いてきた!」
「い、急ぎ指揮官の軍服と軍刀の回収を命じます!」
「もうよい。下がれ……いや、ここで斬り捨ててやる」
「はっ……?」
「貴様のような無能者、近衛には存在せぬ」
「で、殿下……ご冗談を!」
エレーナの一太刀で、伝令将校は首から大量の血を噴出させて絶命した。
「大佐!」
「はっ、殿下!」
「皇国の手の者が来ぬうちに各地の連隊の軍旗、指揮官の軍服と軍刀を回収しろ。ただし、皇国軍が現れた場合は何もせずに引き返せ。“同士討ち”はするなよ?」
「はい。そのように手配致します」
「ライランス王国が降伏するまでにだ。急げ!」
「はっ!」
鮮血を散らしながら落馬した伝令将校から目を背けながら、ゲーベックは改めて確信した。目の前の女性は軍人ではなく“魔女”だと。
「では少尉、王都に凱旋するぞ」
「はい、殿下!」
少尉が見つめるのは、炎に照らされて輝く“魔女”の瞳であった。
皇国軍の王都爆撃と、それに続くイルフェス軍による不意打ちから2日後、軍務大臣は事後処理を息子に託すと王都の自宅にて服毒自殺。
外務大臣も敗戦の事後処理を終えると服毒自殺を試みたが、死にきれずに全身麻痺状態でその後1ヶ月を生きた。
近衛軍司令官は王都を守りきれなかったとして服毒自殺。
近衛飛竜名誉連隊長は何処かへ逃亡した。
ライランス国王ゼートップⅡ世はイルフェス王国、皇国との降伏文書調印式にて正式に降伏をした後に全身麻痺の外務大臣を見舞い、王宮の自室で服毒自殺をした。享年57歳。
ライランス王位は一人息子のゾシュフォーが継ぎ、疲弊した王国を立て直す事業に生涯を尽くした。
皇国軍はギリギリのところでボロを出さずに済んだ。
派遣軍の陸軍、海軍部隊が本国に帰国すると、首相や国防大臣は冷や汗をかいたものだ。
何せ、燃料弾薬の9割近くが消費され、残りは1割5分に満たなかったのだ。
しかしこの戦争によって、皇国は西大陸に対する覇権を築く事となった。
西大内洋に面する多くの国との国交樹立が“驚くほど迅速に”成される事となり、その後の新世界の覇権を握る第一歩となる。
西大陸編はこれにて終了し、東大陸編に続きます。
ご精読ありがとうございました。