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皇国召喚 ~壬午の大転移~(己亥の大移行)  作者: 303 ◆CFYEo93rhU
番外編
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番外編33『異世界の習俗を訪ねて』

 イルフェス王国北部の高原にある田舎の村に、2頭立ての豪華な馬車がゆっくりと到着した。

 牽引する馬もこの地方のものではない。リョシーナ産の立派な体躯の馬だ。


 村にあるたった1軒の食堂兼宿屋。そこに見た事も無い軍服を着た軍人が4人。

 あれが噂の皇国軍か?

 もしも皇国軍だとしたら、粗相があっては手打ちになるかも知れない!

 急な来客に店主は面食らっていた。

 既に居た数人の客も、見慣れぬ軍服に立派な剣を持った来客を前に弾んでいた話も止まる。


 店内は一瞬静寂に包まれたが、それを見渡して隊長らしき人物が声を上げる。

「店主、食事は出来るものを4人分腹いっぱい食わせてくれ、あと酒を1バルツ頼む。金はあるから心配するな」

 そういってテーブルの上に置かれたのは1リルス金貨。

「この金貨で足りるか?」

「ええ、勿論ですとも……」

「ならば良い。4人分、頼んだぞ」

「は、はい……ではお食事とお飲み物の用意をさせて頂きます」


 食堂の主は困惑していた。

 見るからに豪華な馬車に、乗っていた軍人は全員将校らしき立派な服装。

 しかも支払いは正金貨と来た。どう扱って良いやら。

 そもそも、この村は街道から大きく外れた僻地といっていい所だ。何故こんな場所に?


「あの、失礼ですが皇国の将校様で? 何故このような村に……?」

「いかにも皇国の者だが、村に立ち寄った理由は軍機ゆえ、教えられない。我々がこの村に来たという事は内密だ。その旨は村長にも話してある。我々の秘密を村人全員に徹底させるよう、店主も協力して欲しい。もし、我々がこの村を通ったという情報が漏れたとしたら……」

 隊長は一呼吸置いて続けた。


「恐ろしい事に成るかも知れぬと、心得ていてくれ。我々はここには来ていないのだ。良いな?」

「はっ……わ、解りました。この件については決して口外しませんので、出すぎた真似をお許し下さい」

「許そう。我々も約束を守るものに対しては決して酷い仕打ちはしないし、この村に何か不幸な事があれば協力すると約束しよう。イルフェス王国とは良き友人でありたいからな」

「あ、ありがとうございます!」

「そちらの客人も急な来訪で話を遮って悪かった。続けてくれて良いぞ。こういう場所が辛気臭いのは良くないからな」

 目線を合わされた先客は無言で頷くが、自分達が今まで何を話していたのか意識から飛んでしまったようで、暫く固まったままだった。


 奥に引っ込んで少しすると、店主が給仕係を連れて戻ってきた。給仕係といっても雇われ者ではなく店主の娘であるが。

「お飲み物の準備が出来ましたので、カップをどうぞ」

 ある種当然だが、ワイングラスのような食器は用意していないようで錫製のコップである。

 軍の将校と言えば貴族か騎士であるのが当然なので、この方々も立派な貴族に違いないと考えた店主だが、それに見合う食器など存在しない。

 本陣のような王侯が来る事を想定している場所でもないから、一般客には木製の食器、それなりに上流階級の客が何かの拍子に来たら錫の食器だ。

 申し訳程度に装飾が施されており何とか見栄えを頑張ってはいるが、銀メッキすら施されていないから場合によってはそれだけで手打ちかも知れない。


 テーブルに置かれたコップを見ても特に異議申し立てが無さそうなので、今度は酒を注ぐ。

 やはりワインボトルなどという洒落たものは無く、陶製の壺から恐る恐る注がれる。

 ライランス軍に留まらずエレーナ王女さえ退けたと噂される相手を前にすれば、全てが命がけなのだ。

 佩いていた剣は椅子の右に置かれてはいるが、やろうと思えばそれを抜く事は物理的に可能なのだから。


 注がれたワインを見た皇国将校は“またお湯割りか”と思ったが、口には出さない。

 ガラス製だろうが金属製だろうが木製だろうが、コップが出て来た時点で八割方そうだ。

 昼間だし、特に何も注文しなければ水割りかお湯割りが普通なのは嫌と言うほど学んだ。

 酒ではなく清涼飲料の扱いなのだから、カルピスを水で薄めて飲むようなものだと理解している。


 輸出する場合や王侯向けの製品ならともかく、現地で作って現地で飲む分はガラス瓶などに保存はしない。

 これは正確に言えば“酒を水で薄める”のではなく“水を酒で消毒する”行為だから、薄める事は当然であり、また密閉されていない容器で保存しているから蒸発しているので、そのまま飲むと色々濃すぎてしまう。

 薄めるなと注文されない限り、薄めて出さない方が客に対して失礼なのだ。

 だから子供も酒を飲む。というより体が弱い子供だからこそ生水より薄めた酒の方が安全な飲み物になる。

 湧水のようにそのまま飲める水というのは、この近辺では酒よりも高級品なのだ。

 オレンジジュースのようなものも同様。ジュースにしてから長期保存する事は出来ないし、生のまま保存して飲む直前にジュースにするにしてもやはり長期保存は出来ないから高級品。


「うむ……葡萄酒か。なかなか旨いな」

「ありがとうございます。しかし、この地方で作っております葡萄酒ですが……」

「何か問題でも?」

「質の良いものは大都市へ輸出しておりまして、この地元で飲まれるものは決して、その……」

「質の悪い、売れ残りというわけか」

「はい、そういう事なのです。ですが、これが今すぐ用意出来る精一杯でして、事前に知り得て居れば良い品を取り寄せましたが、無礼をお許し下さい」

「そんな中でも、なんとか上等なものを出してくれたという事か。天晴れではないか。軍人を前にして“これは質の良い酒ではない”などと、正直に告白する勇気は相当なものだぞ」

「はははっ、逆上して斬りかかられるかもしれんのにな!」

 店主の話に、将校達は何故か上機嫌である。

 逆上して斬りかかられる可能性はやはりあったのだ!

 上機嫌な将校とは正反対に、店主は生きた心地がしていない。


「では……一旦下がらせていただきます」

 給仕を娘に任せると、店主は台所で食材と睨めっこに入った。

 何も無い。食材は有るが、貴族に出せるような食材は無い。

 先程の葡萄酒すら本来は商品作物として生産した貴人用のもので、普段は林檎酒を飲んでいる。

 普通は、事前に使者が来て準備を要請するものだ。軍隊の移動なら自前で料理人を雇っている筈なのだ。

 わざわざ店などに入らず、材料だけ調達して専属の料理人が調理する筈なのだ! これは嫌がらせか何かか?


 皇国軍からの使者は無くても、王国からの使者があるかも知れない。

 それすら無いという事は、王国や王家に対しても秘密の軍務なのだろうか。

 しかし秘密にしては堂々と軍服を着込んで名乗りもしており、村民が秘密を守っても効果が疑わしい。

 えらい事に巻き込まれたと、店主は一通りの料理が終わったら自害するしかないかと本気で考えていた。


(兎は1匹あるが、ローストしても4人分には足りない。馬肉と野草と……)

 羊乳のチーズなどを準備しながら、そこで肝心な事に気づく。

(パンが無い!)

 この辺りの主食は馬鈴薯で、麦類そのものの栽培が少ないのだ。

 イルフェス王国でも南部は豊かな穀倉地帯があり、北部も概ね土壌が良いのだが、この地方だけは例外だった。

 かといってわざわざ余所から麦類を取り寄せる必要も無いから、普段は祭りの時くらいしかパンは食べない。

 貴族が来るなら、その時になって初めて必要な分だけ取り寄せる。今までもそれで問題なくやって来た。


 料理が出て来たのは1時間程経った頃だったが、テーブルに並べ終えた店主はひれ伏して言った。

「御不満も多々あると存じますので、どうぞ私めの首を刎ねて下さい。その代わりイルフェス王国への御慈悲を。懲罰は何卒お赦しを……」

「不満も無ければ首も刎ねない。頭を上げよ」

 実際、店主の接客に不満は無かった。

 料理自体は最初から期待してもいない。任務だからミミズやサソリを出されても食べる覚悟で来ている。

 村の外には軍医が控えていて、内服薬から外科手術の備えもある。軍人は国の為に命を懸ける職業なのだ。



 禅僧のような無心の境地で全ての料理を食べ終えると、皇国軍の隊長は何やら手帳に書き記し、

「良いひと時だった。気に病む事は無いぞ、我々はすぐに出発するが秘密を漏らさぬ限り何の咎めも無いだろう」

 そう言って急ぎ足で立ち去った。


 残された店主は店の奥にしまった金貨を眺めながら、これをどう処分しようか悩みはじめた。

(どうしてこんな目に……)

 馬車が村を出ても、受難は去っていないのだ。


「人の噂も七十五日と言いますが、ライランス降伏から九十日は過ぎてます」

「ここらはシュフから遠いから、伝わってからまだ日が浅い可能性もある。尾ひれも相当仕込まれているようだが、どうしたものかね……」

 馬車に乗る方も、これらからの事を考えると悩みは尽きなかった。

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