ノーエルへの訪問(28)
28
「そう、大変だったのねえ。メールの中身が嘘じゃないってよくわかったわ。」
田野村のデスクの前に椅子を置き女性が田野村と話している。
かなりの美人だ。
口ぶりからしてはきはきと物を言うタイプではなさそうだ。
「あんな嘘つくわけないだろ。」
「私に会いたくて呼び出したのかと思っちゃった。」
「そんな余裕ねえよ。本当に疲れた。まあ古代モンスターの蘇りのデータが取れたんだから上出来だけどな。損害の規模も最小限に抑えられた。」
「さすが星九つといったところね。それで。」
女性が田野村に話の本題へ行くよう促す。
「私に会いたい以外の理由で、わざわざ私を呼び出したってことは。」
「あーもうすぐ来ると思うぞ。」
「ふーん。」
女性が対策室の大きな扉の方を向く。
魔道良2205室ポリス業務部魔道緊急任務対策室、通称MEMCは魔道良2205室の東棟45階から48階までの吹き抜けエリアになっている。
各フロアーに小さな扉があるが、ここのスタッフでなければ基本的に45階の入り口から入ってくる。
田野村たちのデスクがあるのも45階で、田野村の席からは入り口が正面に見えるのだ。
「田野村。」
「おー。」
田野村の後ろから声をかけたのは田野村と同い年ぐらいの男性職員だ。
「聞いたぜ、お疲れさん。」
「あー今日は本当に疲れたよ。」
「そうだろうな。」
田野村が席を立つ。
「悪いな。片づけはとっくにできてるんだが、人を待ってた。」
「やっぱりそうなるか。」
「あー、今回の案件は放置できない。」
田野村が女性を見る。
「「釵」、あっちのソファーに移動するぞ。」
「はいはい。」
釵は席を立って椅子を前の机に戻した。
「では失礼します。「三星」チーフ。」
「あー。」
田野村と釵が入り口近くのソファーに座り直した。
「私を待たせるなんていい度胸ねえ。何時に来ることになってるの。」
「7時ぐらいには来るはずだったんだよ。ただ道が混んでるらしい。」
「本当かしら。」
「そこは疑ってやるなよ。」
その時、待ち人が対策室の扉から入ってきた。
「一園さん。」
田野村が男性に声をかけて立ち上がる。
釵は座ったままそちらを見る。
白髪の混じった高齢の男性が田野村と釵に気づいて歩いてきた。
「お疲れ様です。」
田野村と釵の前に立ち、一園が姿勢正しく2人に一礼する。
「どうぞこちらにおかけください。」
「はい。」
一園が田野村と釵の正面に置かれたソファーに座る。
「申し訳ありません。個室を準備したかったのですが。」
「いえここで構いません。何か機密情報が含まれている話をするわけでもありませんから。」
一園はさっきから妙に険しい顔をしている。
「それにしてもこんなに早く申し訳ありませんでした。」
「いえ田野村さんはもう勤務が終わっていらっしゃる。これ以上お待たせするのは申し訳ありませんから。」
釵が一園を見る。
「珍しいこともあるものですねえ。」
田野村と一園が本題に入る前の挨拶を交わしていたのを釵がこの一言で終わらせた。
「釵機嫌悪いのか。」
「そうですねえ。私は勤務開始時間より1時間早く呼び出されたうえ、少し待たされましたから。」
「渋滞は仕方ないだろ。」
釵がため息をつく。
「田野村チーフがそこまで言うなら今回は許して差し上げるとして、ただねえ。」
釵が一園を見る。
「今回の出来事、うちとしては黙認できませんの。叱るべき対応を取るにあたり、少々作業工程の多い仕事をこなさないといけなくなりますのが、気に入らないだけですわ。」
「それはおまえの仕事だろ。」
釵がため息をつく。
「少しの愚痴も聞いてくれないんですね。もういいです。早く始めましょう。」
田野村がため息をついて一園を見る。
「一園さん。」
「はい。」
「今朝お送りしたメールとお電話でお伝えした内容のことで。」
「はい。」
この男性一園は魔道良2205室第26グループのグループリーダー、つまり昨夜雫たちが倒したレッドネックへの対応を誤ったC班を監督している人物なのだ。
「こちらとしては何一つとして抗議するつもりはありません。そちらの通達に従います。」
釵が表情を変えず、田野村を見る。
「そうですか。現場を見ていた田野村チーフとしてはどのようにお考えでしょう。」
「一園さんがお考えの通りにされるのが賢明だと思いますよ。」
「そう。」
釵が一つため息をついて口を開いた。
さっきより顔に力が入っている。
「では魔道良2205室第26グループグループリーダー一園一男様、魔道良2205室ポリス業務部ポリス業務向上化ポリス担当魔道士職員指導室チーフ統括釵瑠璃の公的権限により、魔道良2205室第26グループC班のポリス業務活動を一時停止とし、本案件に関する事実確認への全面協力、並びにポリス担当魔道士職員指導室による勤務改善指導の履修、そして今回の不祥事に対する処罰の受け入れを命じます。」
一園は一度頷くだけだった。
「お判りとは思いますけれど、監督責任として一園さんにもそれなりの処分が下ることご承知おきくださいね。」
「はい。」
「仕方ありませんわよね。規則ですもの。二桁ナンバーの魔道士グループを統括する者には、グループ内でのルールや人事を決めるそれなりの独立性が認められています。その代償として、グループ内での不祥事の責任はその魔道士に留まらず、グループリーダーも背負うということになっているのですから。」
「ええ。」
「釵、それ以上はいいだろ。」
「そう。」
田野村の自制で釵が黙った。
「一園さん、一つお聞きしたいことがあります。」
一園が田野村を見る。
「はい。」
「彼らへの勤務改善指導の教官は誰がいいですか。対策室としてはぜひ木漏れ日をと思っているのですが。」
「あーそうですね。わたくしもそれで良いと思います。」
「はい。」
一園も頷いた。
「今回の一部始終をすべて把握し、事後対応までしていただいた方だ。お任せするに相応しい。」
「ご安心ください。彼女も魔道良2205室ポリス業務部ポリス業務向上化ポリス担当魔道士職員指導室のチーフですから。」
8時前、ベットの上に置かれたスマホがトランペットの音を流す。
「8時か。」
アラームを止め上手がゆっくり体を起こす。
「一応雫様に朝の連絡を。」
上手がスマホのロック画面の通知に表情を変える。
「雫様から連絡が来てる。それも今朝の6時ごろ。」
上手が通知からメールに飛んで内容を確認する。
(つまり今朝は連絡を寄越すなということか。今頃爆睡してるだろうな。たぶん、俺に電話をかけられたくなくてこのメールを書いてる。)
上手が更に本文を読み進める。
(俺が今やらないといけないことは取り立てなさそうだな。むしろ皆さんが帰ってきてからの方が仕事が多そうだ。それなら予定通り14時出勤にしよう。)
上手がもう一度ベットに横になる。
(いいな午後出勤。)
上手の勤務時間は平日の8時から17時までと決まっているのだが、それはほぼ毎日破られている。
8時に雫が出勤するために、上手は7時前後には雫を迎えに行く。
上手の家から雫の家まで車で30分ほどかかるから、上手が家を出るのは6時過ぎぐらいになるのだ。
雫が出勤する日は基本的にこうだから、上手は平気で残業をしていることになる。
しかも帰りだって雫を家まで送るし、雫が魔道良に泊りで残業をすれば、上手はそれにも付き合わされる。
魔道良はホワイトで残業手当も付くのだが、勤務時間のリストを見ていつも秘書課の人事担当からぶつぶつ言われてしまう。
雫もそこはよく理解していて、こういう外泊勤務の時は時間通りに魔道良に出勤しなくても、日々の残業時間があるのだから、問題ないということにしてある。
(もう少し寝よう。)
上手が再び目を閉じた。




