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ノーエルへの訪問(20)

20

 「着いたー。」

雫が宿舎の入り口を開けたのは、21時を回ってからだった。

ネオンダールのせいで歩速が遅くなり、帰ってくるのに1時間もかかってしまった。

ネオンダールは去り際一言だけ

「まあ、また近々会うって。」

と言い残した。

(どういう意味よ。)

横開きの扉を開けて玄関に上がると、一部屋の襖が大きく開いて、そこからチコが駆けてきた。

「ただいまチコ。」

雫が扉を閉め鍵をかける。

「遅かったね。」

「ええ、子供たちの授業に熱が入っちゃって。」

「晩御飯は。」

「もらってきたわよ。」

「ええ、雫と一緒に食べたかったのに。」

「もしかしてまだ食べてないの。」

「食べたよ。」

「よかった。今日は親子丼だったわね。Miraの親子丼美味しかったでしょう。」

「うん。」

「みんなは何してるの。」

「今はみんなゆったりタイムだよ。」

「そう。」

(いつものチコならもうお寝むさんなはずなのに。)

「ねえチコ。」

「なになに。」

「今日は眠くないの。」

「うん、さっきまでお昼寝してたもん。」

「あらら、そっか、そっか。」

(あー、これは夜更かしパターンだな。)

靴を脱ぎ、チコについていくと台所でMiraが洗い物をしていた。

「おかえりなさい。」

「ただいま、すっかり遅くなりまして。」

「そうですね。夜間の移動は危ないですから、次からは気を付けてください。」

「はーい。」

「夕食はもう済ませているのなら、お風呂に入ってきてはどうですか。」

「そうね、そうさせてもらうわ。Miraはもう入ったの。」

「いえ私は雫の後にでも。」

「だったら一緒にどう。」

「でも。」

「ちょっと話したいことが。」

雫がほんの少し変えた表情をMiraが察して頷いた。

「わかりました。」

「いいないいなあ。」

雫の右腕に掴まってチコがぴょんぴょん跳ねている。

「何がいいの。」

「2人でお風呂いいなあ。」

「そういうことか。チコは今日1人でお風呂だったの。」

「うん。」

「あっそうだ。お風呂から上がったら、みんなで打ち合わせをするから、みんなに伝えておいてくれる。」

「はーい。」

チコがスマスたちのいる部屋に入っていくと、賑やかだった室内が一層賑やかになる。

チコが何かしたのだろう。

「荷物は部屋に置いてありますよ。」

「わかったわ。」

雫が手洗いうがいをして、Miraを見る。

「みんなの夕食ありがとうね。」

「いえ、みんな手伝ってくれましたから。」

「みんな。」

「はい、特にシーナは積極的に。」

「そう、よかった。Miraの親子丼が食べられなくて残念だわ。」

「普通ですよ。特別美味しいというわけではありません。」

「そんなことないわよ。Miraの親子丼美味しいわ。」

雫が軽く手を振って、荷物を取りに行く。

「また後でね。」

「はい。」

「雫おかえり。」

雫が女性用の部屋に入ろうとして、男性用の部屋からシーナに声をかけられる。

「ただいま。なんでみんなそっちにいるの。」

「晩御飯こっちでみんな一緒に食べたから。」

「なるほど。」

「雫美味しいお菓子があるよ。」

部屋の卓袱台を囲んで8人がまったりしている。

スマスが雫に手を振った。

「あら、美味しそう。少しいただいて行こうかしら。」

(これ一回座ったら、なかなか立てないやつかなあ。)

雫が座布団を置いて腰を降ろす。

「はいお茶。」

左に座るメーラから紙コップに入った麦茶を渡される。

「ありがとう。」

雫が左手の人差し指で白い紙コップの表面にオレンジ色のスパイラルでしずくと平仮名で書いた。

「ペンがなくてもいいのは楽だよねえ。」

雫が麦茶を飲んでふーっと息を吐く。

部屋を見渡せば8人がそれぞれ気の抜けた顔でぐーたらしているのだ。

(居心地がいいなあ。そうだ、座ったついでに聞いてみるか。)

「今日はみんなどうだった。」

「暑かった。」

まず口を開いたのは隣に座るメーラだった。

「そうね、暑かったわ。でも今日外で作業した子はいないわよね。」

「させられたわよ。瓦礫を持ち上げて500mを何往復も。」

「それは暑かったわねえ。」

「あー。」

レークが答える。

「魔道院でスパイラル入れた後な。」

「そっか。瓦礫って瑠璃湖の。」

「うん。」

「結構大ごとだったみたいだよ。医療院は魔道薬剤が異常なほどなくなってたし。」

「私もいっぱい手当したよ。治癒魔法いっぱい使ったあ。」

「それでお昼寝しちゃったの。」

「うん、糸奈がここまで医療院から運んでくれた。」

「そう、医療院で寝ちゃったのね。」

(つまり。)

雫が軽く考え事をしながら、スマスを見る。

「今日もマダムたちは美しかった。」

「あー、美しかったとも。」

「シーナは、今日は何したの。」

「Serenereのお祭り飾り作ったよ。」

「あら、もうそんな時期か。」

(Serenere。)

「雫まだ入ってなかったんですか。」

後ろから呼ばれて雫がふっと後ろを振り返るとMiraが立っていた。

「あー、ごめんごめん。今からお風呂に入ってくるわねえ。チコさっきの伝言みんなに伝えておいてねえ。」

「はーい。」

雫が席を立って、Miraと一緒に荷物の置かれた部屋に入る。

「荷物荷物。」

雫が着替えを入れた鞄を見てMiraが目をぱちぱちさせる。

「雫、そこにはパソコンも。」

「入ってるよ。たぶんいるから。」

「浴室で使う気ですか。」

「まさか、まさか。この子を使うのは入浴後よ。」


 「気持ちいい。」

宿舎の浴室は銭湯並みに広い。

ゆっくり肩までお湯につかり雫が伸びをする。

「今日はどれぐらい魔道を使ったんですか。」

「サードウォールエンドレスとサードソードエンドレスをそれぞれ3回とその他もろもろ。」

「すごいですねえ。普通なら、スパイラル切れしないのが不思議なぐらいですよ。」

「まあね、さすがにそこはオールSSですから。」

雫が得意げな顔をする。

「そうですね。オールSSが教える生徒が三つ子たちだけというのも少しもったいないように思いますが。」

「魔道士専門学校で非常勤講師してるからいいのよ。」

「座学ばかりでしょ。雫の実技の力は、もっと多くの若手に継承していくべきです。」

「Miraは。」

言いかけて雫が顔を歪めた。

「そっか、Miraはしっかり継承してるもんねえ。」

「ええ、私も月に5日ぐらいしか行けませんが。」

「それでも教えてるのは実技でしょ。」

「はい。」

Miraは魔道士専門学校の幼稚部で非常勤講師をしている。

優しいMiraにぴったりの仕事で、Miraの魔道指導専門官の実技資格はAASとかなり優秀なのだ。

「私は長湯ですが、雫はそうではないでしょう。そろそろ本題に入りましょうか。」

「本題か。」

「ちゃんとわかってますよ。」

「さすがね。」

雫の表情が真面目なものに変わる。

「Mira。」

「はい。」

「先週の話しは。」

「聞いてますよ。」

「グループメート一人ずつからは。」

「夕食を摂りながら話を聞きました。」

「そっかオーケー。ちょっと2人で話しましょうか。ノーエル任務の責任者はあなたなわけだし。みんなに話すのはその後にしましょう。」

「ええ。」

「今回のことどこまで調べられた。」

「私の調べと、グループメートたちの証言を重ね合わせ、現段階で想定されることですが。先週の月曜日つまり8月15日の15時ごろ、ノーエル局で瑠璃湖周辺に強い生命体反応が感知されました。対処に九道さんたちが難航していた時、先週ここへ派遣予定になっていた魔道良の魔道士が到着し、生命体を駆除したそうです。ただ、その時に大量のスパイラルが必要だと言われ、九道さんは、理由もきちんと説明されずよくわからないまま、苦渋の決断をしてスパイラルの使用を認めたそうです。」

「スパイラルを使わないと、駆除できないとでも言われたんでしょうね。」

「ええ。」

雫が肩にお湯をかける。

「Miraはどうして先週のハプニングで大量のスパイラルが使われたか、予想で着てる。」

Miraが顔を曇らせる。

「悔しいのですが、こればっかりはわからなくて。」

雫がしばらくの沈黙の後、呟いた。

「MSHMT。」

「今なんと言いましたか。」

Miraがはっとして、雫にゆっくりと聞き返す。

「知ってるでしょ。MSHMTよ。私たちだって使うじゃない。」

「MSHMTって近代科学高等魔法技術のことですね。」

Miraの顔にどんどん驚きの色が滲む。

雫がゆっくり頷いた。

「どんな使い方をしたのかはわからないし、実際に使ったかどうかも今の段階では何とも言えないけど。」

「それはMSHMTの使用履歴から確認できます。」

「そうね。私は他に魔道士が魔道院のスパイラルをわざわざ使う理由が見つけられなかった。」

「同感です。ですが、どこからその発想に至ったのですか。」

「うーん、三つ子たちが教えてくれたのよ。」

「もし本当にMSHMTが使われていたなら、すべての辻褄が合うわけですね。」

「ええ。」

Miraが唇を噛みしめるのが見えた。

「Mira。」

「はい。」

「明日の任務内容の変更を提案します。」

「現地調査ですか。」

「ええ、MSHMTで本当に駆除できているなら、それはそれで取り合えずいいの。ただ、いろんなことを総合的に考えるに、そんなにうまく行ってない気がするのよ。」

「私もそう思います。ですが、口実はどうするんですか。さすがに他所のグループの仕事に難癖をつけて喧嘩を売るようなことは。」

雫の口角が上がる。

「お風呂上がってから電話かけて、一応調べてもらうけど、きっとこのハプニング事後調査がまだできていないはずなの。私たちが動いてもあまり問題はないはずよ。」

「なるほど。相変わらずその気になると本当に頭の切れる人ですね。」

「お褒めに預かり光栄に存じます。電話は私がしておくわ。」

「助かります。よろしくお願いしますね。」

「はーい。」

「2人で話せてよかったです。」

「私もよ。任務の変更は後でMiraから伝えてね。」

「ええ、わかりました。」

「よし、じゃあ私は先に上がるわね。ゆっくりどうぞ。」

 洗面台で髪の毛を簡単に乾かし、雫が服を入れたトートバックを肩にかけて廊下に出た。

グループメートたちがいるのはもう少し離れた部屋だから、まだこの辺りは静かだ。

(やっぱりパソコン使うことになった。大ごとになる前に片付けてしまおうか。)

雫が廊下の壁にもたれかかって鞄からスマホを取り出す。

ロック画面にいくつかの通知と、21時47分の表示があった。

電話帳を立ち上げ、手早く相手を選択しスマホを耳に当てる。

「魔道良2205室魔道緊急任務対策室ファーストカウンター、「田野村」です。」

「魔道良2205室第37グループグループリーダー木漏れ日です。田野村チーフ、お疲れ様です。」

「あー木漏れ日か。」

「夜分遅くにすみません。私間違って緊急ダイヤルにかけちゃいましたか。」

「いいや、今日人手が足りなくてね。今電話番が休憩に行っちゃってたから、回線一本化してたんだ。まあ今日は比較的穏やかだしこのままでいいよ。」

「そんな、いけませんよ。私の話しも急ぎではありませんから。」

「そうなの。ならちょっと待って。」

待機音を聞きながら、雫が明かりのついていない部屋の襖を開けて中に入り、明かりをつける。

そのころ、田野村は大きなカウンター席から奥の机に向かっていた。

「緊急ダイヤル空けるから、暇なやつはコール音にだけ気を遣っとけ。」

「はい。」

誰かが返事をするのを聞きながら、田野村は椅子を引き深く腰掛け、机の上に置かれた受話器を取った。

「わるい待たせたな。」

「いえ。」

雫が部屋の奥に置かれた卓袱台の前に座りながら答える。

「自分の席に戻ってきたからこれで心置きなく話せるだろ。緊急案件でないならどうした。」

「大したことじゃないんです。情報管理局がもう閉まっているので、そちらにかけただけですから。」

「あー、あそこ7時11時だからな。自分で調べられなかったのか。」

「ポリス業務用のソフトウェアに最近ログインしていなかったので、外部の端末からは入れないんです。」

「そうか、今月ポリス月間じゃなかったな。」

「ええ。」

「それで、なんの情報がほしいんだ。」

「少し前に起きた事件のデータを一切合切いただきたくて。」

「はいはい。いつのだ。」

「今年の8月15日です。」

「ずいぶん最近だな。先週じゃないか。場所は。」

「ノーエルの瑠璃湖周辺かと。」

「事件種別は。」

「わかりません。」

「まあすぐに出てくるだろう。」

田野村がパソコンに雫から聞いたキーワードを打ち込み、検索をクリックする。

「出たぞ。事件種別はMHだ。」

「モンスターハントですか。」

(聞いていた通りだ。)

雫が左手にスマホを持ち、右手で持ってきたパソコンを立ち上げる。

「担当したのは26グループのC班だな。」

「それなら、その時「一園」さん現場にいなかったんですか。」

「そうじゃないか。ネームリストには載ってないぞ。」

(なるほど。)

雫が頷く。

「田野村さん、この事件に関連してるデータすべて送ってもらっていいですか。」

「はいはい、今準備してるよー。」

数秒後、雫のメールソフトのアイコンの右上の数字が一つ増えた。

雫がすぐにソフトを立ち上げ確認する。

「受け取りました。ありがとうございます。」

「報告書あるからいらないかもしれないが、ネーミングリストと概要説明も送ったぞ。」

「助かります。お礼にこちらをお送りしますね。」

雫は返信を押し、データを貼り付けて送信ボタンを押した。

「なになに。」

雫からのメールを田野村が開く。

「任務の依頼書か。」

「予定任務担当局、この時期ぴりぴりしてるでしょう。」

「それで俺のところに直接持ってきて、さっさと許可印がほしいと。」

「まあ。」

「いい作戦だな。この時期は生命体の3割がナーバスになるから狂暴化する例が多くてね。事前調査や定期観察のプランニングだけであそこは一苦労だ。一魔道士の任務依頼なんて対応できないからな。」

「ええ、9月半ばぐらいまでは間違って近づくと大目玉食らいますからね。」

「それで雫が依頼してきた任務内容は。」

田野村がデータを開け、内容をぱーっと読んでいく。

「つまり君は先週のハプニングの事後調査も兼ねて26グループの業務内容の確認に行きたいと。疑ってるんだね。若手の仕事は信頼できないかい。」

「そこまでは言っていませんよ。ただまあ、少しばかり気になるところがありまして。」

「具体的には。」

「チーフも知っての通り、ノーエルは普段ナチュラルスパイラルが少ないだけで、モンスターなんてめったに出現しません。そんなノーエルにわざわざMSHMTを使わないといけないような凶悪なモンスターが突然出現したのなら、事後調査をしてきちんと最後まで報告すべきかと。」

「何が言いたいかわかったよ。」

「さすがですね。チーフに隠し事はできないようです。」

雫の口元に笑みが零れる。

「ノーエルでMSHMTを使ってモンスターを駆除した彼らのやり方が不満なんだろ。しかも、事後調査がまだときた。」

田野村がハプニングの報告書を読みながら話を続ける。

「君の勘として、まだこのハプニングは完結していないと思うんだね。」

「はい、ノーエルに充満する悪気がいつもの数倍に濃くなっていますし。」

「なるほど、了解した。37グループにこのハプニングの事後現地調査をお願いしよう。どちらにせよ、なかなか事後調査だけでノーエルに向かってくれる魔道士はいないからね。よろしく頼むよ。」

「ありがとうございます。」

「その代わり報告書はきちんと書いてね。」

「はい、承知しました。戻りましたら、何かお礼を。」

「はーい、楽しみに待ってるよ。」

雫が電話を切って、田野村から送られて来たデータに目を通す。

(仕事が雑ねえ。モンスターが水中に潜ったから倒せたなんて安易な判断だわ。やっぱり裏サイトの情報は、いろいろわかって助かるわね。)

パソコンを閉じて雫が片付けを始めた。

「雫。」

部屋の襖の隙間から声がして、雫が振り返る。

さっきまでの険しく真面目な表情がなくなり、穏やかで優しいいつもの雫の顔になっていた。

「あらクシー。」

「取り込み中だった。」

「いいえ、ちょうど終わったところよ。」

「それならこの部屋使わせてもらえるかな。」

「もちろんどうぞ。」

襖を開けてクシーが部屋に入ってくる。

「何してたの。」

「電話をかけて他の。」

「そっか。そうだ雫、今日はありがとう。」

「なんのこと。」

鞄にパソコンをしまいながら雫が聞き返す。

「授業のアドバイスをくれたことだよ。おかげでとてもうまくいった。」

「それはよかった。子供たちどうだった。」

「楽しそうに授業を受けてくれたよ。あんなに授業らしい授業ができたのは初めてだった。」

「でしょ。クシーはいつも通り教えるのが一番いいの。」

雫が鞄を肩にかけ襖の方へ歩いていく。

「電話が終わったらさっきの部屋に戻ってきて。明日の打ち合わせをするから。」

「はーい。」

女性組の部屋に荷物を置き、雫がスマホを見る。

「上手から連絡が来てる。」

メッセージを開き、上手から送られてきている大量の文章に目を通す。

「電話ね、はいはい。」


 22時前、上手はグループルームでパソコンとにらめっこをしていた。

「どうして雫様はこんなに仕事を溜め込むのがうまいんだ。自分で片付けられない仕事は全部断るようにとあれだけ口を酸っぱくして言っているのに。」

パソコンの横に置いていたスマホが音楽とバイブで着信を知らせる。

「やっときた。」

ロック画面に表示された雫の名前を見て上手がスマホを取った。

「上手、木漏れ日よ。お疲れ様。」

「お疲れ様です。雫様。」

「今朝はごめんなさいね。いっぱい迷惑かけたでしょ。」

「ええ、メールの処理はどうされるおつもりですか。」

「それは帰ってから検討するわ。」

雫が苦笑いを浮かべている。

声のトーンで上手は今雫がどんな顔で話しているのかを想像しながら、話を続けた。

「それで、そんなことを伝えるために私に電話をかけさせたわけじゃないでしょう。」

「はい、何件か事務連絡で急ぎのものがありまして。」

「伺うわ。」

電話すること10分、Miraが女性用の部屋に自分の荷物を置きに来る頃、ようやく上手からの事務連絡が終わった。

「以上になります。」

「たくさんあったわね。10分ぐらい話しっぱなしだったじゃない。」

「そうですね。」

「ありがとう、わかったわ。最後のやつ以外はマニュアルに乗っ取って手続きを進めておいて。」

「畏まりました。明日戻って来られた後、改めてご説明させていただきます。それから、今週中に必ずメールはすべて対応してくださいね。先方がいてメールがきているんですから。」

「わかってること言わないで。」

「そのお言葉信じていますよ。」

「はいはい、もう22時を回ってるでしょ。あんまり遅くならないうちに帰ってね。」

雫が電話を切り、上手がスマホを机の上に置いた。

「あんまり遅くならないうちにわたくしを帰してくれようとするのなら、もう少し仕事をしてください。」

上手がコーヒーを飲んで、パソコンと向き合う。

 「上手さんからですか。」

「ええ、長い事務連絡を受けたところ。」

お風呂上がりのMiraを見て、雫が瞬きをした。

「髪の毛伸びたわね。」

「お互い様だと思いますよ。」

「忙しすぎて髪の毛を切りに行く時間もあげれてなかった。」

「いいえ、時間自体は十分ありました。私に髪を切りに行く気力が残っていなかっただけです。」

「それも一緒よ。ごめんなさい。」

「いいえ、長いぶんにはどうにでもなりますから。私より雫の方が髪の毛を切りに行ってほしいですね。」

「枝毛のことを言ってるの。」

「はい。」

雫が自分の髪の毛に手を当てる。

茶色い髪の毛の毛先の方が少し傷んでいたり、枝毛になっていたりする。

「あと半年ぐらい行けないかなあ。」

「去年の世代会議の時、あまりに髪の毛が荒れていたからって周りにいろいろ言われたんでしょう。」

「あー、そうだった。」

雫が苦笑いを浮かべる。

「それよりさっきの件どうなりましたか。」

「オーケーもらったわよ。」

「さすがですね。」

「電話に出てくれたのが田野村チーフだったの。ラッキーだったわ。」

「なるほど。」

 さっきの部屋に戻ると、グループメートそれぞれがさっきよりもだらけた格好で寛いでいた。

卓袱台の近くにいるのは2,3人だ。

布団を押し入れから出して、畳んだ状態の布団にパソコンを置いて動画を見ているメーラ、シーナ、レークが大爆笑している。

彩都は部屋の壁にもたれて読書中、スマスは鏡を見ながらスキンケアの真っ最中でチコと糸奈がタブレットを使ってオセロをしている。

クシーはまだ電話から戻っていないようだった。

「クシーは。」

雫がさっき座っていた座布団に座って誰にというわけではなく声をかける。

「まだ戻ってきてないよ。」

スマスがちらっと雫を見た。

「そう、じゃあクシーが戻ってきたら明日の打ち合わせをして寝ましょうか。」

「枕投げ。」

タブレットから顔を上げてチコが雫を見る。

「枕投げ。」

雫が聞き返す。

「そうだよ。先月は私負けちゃったから、今日は勝のー。」

「あー。」

雫が目を細める。

「次チコの番だよ。」

「はーい。」

チコがすぐタブレットに視線を戻した。

(糸奈。)

(なに。)

雫がエスパー魔法を飛ばす。

(結局チコはどのくらい寝て他の。)

(だいたい2,3時間ぐらいじゃない。)

雫の顔が険しくなる。

「お待たせ、もうみんないたんだね。」

雫が入り口に一番近いところに座っている。

クシーの声を聞いてふっと振り返った。

「いらっしゃい。Mira全員揃ったわよ。」

「わかりました。」

卓袱台の上でパソコンを触っていたMiraが顔を上げる。

「さあ一度していることの手を止めて、卓袱台を囲むように集まりましょうか。」

「はーい。」

タブレットの画面を消して卓袱台のところに来るチコ、糸奈と違って、3人はわざと聞こえないふりをしている。

「メーラ、シーナ、レーク。」

Miraが呼ぶと、シーナがちらっとMiraを見た。

「お願い、あと2分半だけ待ってくれない。」

「わかりました。3分だけですよ。」

「ありがとう。」

シーナがパソコンに向き直る。

「今日は優しいじゃない。」

雫が紙コップにお茶を注ぎ、テーブルの真ん中に置かれたお菓子に手を伸ばしながら言った。

「もう少し優しくしたらどうかと言ったのは雫ですよ。」

「そうだったわね。」

雫が3人を見る。

こうしているとどこにでもいる12歳、15歳、16歳の学生なのだ。

もっと家でぐーたらして、もっと我がままを言ってもいい年だ。

大人と肩を並べ、仕事では同じだけのクオリティーを要求されながら毎日学業と仕事の両立をしているのだから、こういう羽を伸ばす時間は必要だと雫は思っている。

「お待たせ。」

シーナがパソコンを閉じて、メーラとレークを卓袱台に連れてくる。

(まあ、こうやってシーナが2人をコントロールしてくれるからいいっていうのもあるけどね。)

時刻は22時20分、こうして10人が卓袱台を囲むように座った。

雫とMiraが誕生日席に座り、横の辺に4人ずつ座っている。

「全員揃いましたね。みなさん、今日一日お疲れさまでした。今から今日の反省会と明日の簡単な打ち合わせを始めます。もう夜も遅いですから、できるだけ手短に済ませましょう。今日何をしたかは夕食の時に聞かせてもらいましたから、雫にだけ発表してもらいましょうか。」

「えー。」

「夕食の時にいなかったのは雫だけなんだから当然でしょ。」

「はーい、と言っても今日もいつも通りだったわよ。学習韻に三つ子たちを迎えに行って、今日は瑠璃湖の近くに行けなかったから、あの子たちのお家の裏庭で魔道実技の授業をして、夕食をいただいて帰ってきたの。」

「みんな強くなった。」

「ええ彩都、来月のテストに向けて猛特訓中よ。」

雫がにこやかに頷く。

「あと、こんな話を聞いたわ。」

雫が一呼吸おいて話しを続ける。

「みんなももう知ってると思うけど、先週の月曜日に瑠璃湖の近くにモンスターが現れて、魔道良から来た魔道士に倒されるっていうハプニングが起きたでしょ。その時にその魔道士たちがMSHMTを使ってたんですって。」

MSHMTという言葉にすぐ反応したのは、彩都、クシー、糸奈、スマス。

数店舗遅れてはっとしたのがシーナ、レーク。

最後まで首をかしげていたのがメーラとチコだ。

「ねえねえ雫。MSHMTってなあに。」

チコがさっそく手を挙げて雫に質問をする。

「チコこれだよ。」

雫が口を開く前に、隣に座る糸奈がスマホの画面を見せた。

画面には黒い大きな機械が映っている。

「あーこれ知ってる。」

「メーラもわかってるよね。」

クシーがメーラを見る。

「わかってるわよ。」

メーラが慌てて首を何度も縦に振る。

「これを使ったなら、魔道院のスパイラルがごっそりなくなったのにも説明がつくな。」

レークが難しい顔をする横で、雫がMiraを見る。

「私からは以上ヨ。」

「わかりました。ということでこの話に関連した明日の連絡事項を伝えます。」

Miraが一同を見る。

「明日の午前中の任務内容を変更します。明日の午前中、瑠璃湖に行って周辺の調査から瑠璃湖内の調査まで行います。モンスターが本当になくなっているのか、瀕死になって沈んでいるのか、はたまた回復術を使用して自分の魔力を回復しているのかなどなどを調べるつもりです。誰か指摘のある人がいれば、お願いします。」

誰も手を挙げなかった。

「ありがとうございます。それでは明日のために改めて現段階で調べられている先週起きたハプニングの内容をご説明しておきますね。」

Miraの目配せで雫が膝の上に置いていたノート型パソコンを卓袱台の上に乗せ、モニターをグループメートたちの方へ向けた。

「この情報はもらってきましたよー。」

一同が画面を覗き込む。

「これって。」

「先週のハプニングの詳細報告書。」

「いつの間に。」

「今の間に。」

グループメートたちがしばらくの沈黙の間必死になって情報を頭に入れていく。

「覚えた。」

1人1人がゆっくり頷く。

「Mira九道さんから聞いてきた内容とずれはないかしら。」

「大筋は合っています。ただここまで細かい情報はノーエル局になかったので、助かりました。」

雫が頷く。

「この中から重要なところだけ切り出して言うわよ。先週の月曜日、8月15日の午後3時、瑠璃湖に巨大なモンスターが出現し、たまたまノーエルに来ていた魔道良2205室第26グループのC班がMSHMTをフル活用して町に中規模の損害を出したうえに、今まで一生懸命溜めてきた魔道院のスパイラルにまで手を出しつつもなんとかモンスターを倒した。一見完結したハプニングのように聞こえるけど。」

雫が少し間をおいて話を続ける。

「報告書によれば、水中に瀕死のモンスターが沈んだからモンスターは死んだというふうに書かれているの。この見解に異論のある人。」

雫が一同を見回すと、全員が手を挙げた。

「そうよね、私もそう思う。ちゃんと最後に生命反応確認はしないといけないわよねえ。というわけで私とMiraで相談して明日の任務内容を変更したの。理解してもらえたかしら。」

「はい。」

メーラたちの返事を聞いて、Miraの顔が少し緩んだ。

「よかったです。では明日の朝は7時半起床で、9時ごろに瑠璃湖に向けて出発することにします。みなさんから他に連絡事項や質問がなければ、今日はこれで終わりますが。」

「Mira。」

糸奈が手を挙げた。

「なんでしょう。」

「雫が持ってるデータを後でもらえないかな。寝る前にもう一度ゆっくり確認したいんだ。」

「雫構いませんよね。」

「ええ、あとで全員に送っておくわね。」

「他には。」

誰も手を挙げない。

「それではこれで解散にします。みなさんお疲れさまでした。」

「お疲れさまでした。」

部屋の空気がさっきと同じぐらいに緩んだ。

「さてと、じゃあ布団を敷こうかな。」

「雫枕投げ。」

「わかったから。その前にちゃんと寝る用意をしましょうね。」

「はーい。」

「メーラたちも布団敷くの手伝って。」

またさっきの場所にパソコンを置き、動画に見入ろうとするメーラたちに雫が声をかける。

「えー。」

「5人分敷くのよせめて自分のところぐらいは敷いて。」

「レーク、この部屋にも布団敷くから、場所を空けてくれるかな。」

クシーがレークに話しかける。

「うるせいなあ。」

「早く寝ないと明日に障るよ。お肌にも良くない。」

「おまえはいつもそれかよ。」

レークがため息交じりに言う。

「取りあえず、メーラとシーナはこっちの部屋に帰って来て。」

女性用の部屋でMiraとチコが早速荷物を壁側に寄せ、布団を押し入れから出している。

「めんどくさいのー。」

「まあまあ、布団敷き終わったら、枕投げするみたいだし。」

「まじ。」

メーラの目の色が変わる。

「よしさっさと敷いちゃおう。」

それを横でレークが盗み聞いている。

「チコ、お布団敷いたら歯磨きして、明日の準備しようね。」

「はーい。」

この部屋は本来15人程度が寝られる。

布団も15セットあり、枕ももちろん15個ある。

「飲み物。」

Miraがペットを卓袱台から持ち上げて、雫を見る。

「あー。」

雫がチコを見る。

元気よく布団の上をごろごろしながら毛布と掛け布団を綺麗に均している。

チコが持つ不思議な得意技の一つだ。

「鞄の中にしまっておいて。今日は枕投げしないと寝てくれなさそうだから。」

「わかりました。」

 布団を敷き終え、明日の準備を済ませ、枕投げの時間が近づくにつれ、チコのテンションが上がっていく。

「はいはい、歯磨き行く人ー。」

「はーい。」

チコが元気よく返事をし、その後ろでメーラも既に洗面具を持っている。

「すぐに追いかけるから、2人で先に洗面台に行ってて。きっとスマスたちもいるから順番にね。」

「わかってるって。チコ行こ。」

メーラがチコの手を引いて、洗面台に向かう。

実はチコはメーラより背が低く、メーラよりチコの方が七つも年上なのに、メーラの方がお姉さんに見えてしまう。

(仲がいいのはいいことね。)

歯ブラシのコップを片手に雫が後を追おうとすると、隣の襖から糸奈が出てきた。

「雫。」

「はーい。」

声がした方を素直に振り返って、雫が糸奈の顔を見る。

「あら糸奈。どうかした。」

「さっきもらった情報のことで少し聞きたいことがあるんだけど。」

雫が持つ洗面具に糸奈が気付く。

「ごめん、後でいいよ。」

「ごめんなさいね。ちょっと待ってて。後で部屋に声をかけるわ。」

「わかった。」

雫は申し訳なさそうに少し笑って、洗面台に向かう。

「歯磨きできた。」

「うん。」

チコが歯ブラシを咥えて雫を見る。

「こらチコ、歯ブラシ咥えたら歯磨き粉垂れるよ。」

メーラが慌ててチコの顎を洗面台の方へ向ける。

「歯磨き終わったよー。」

口の中をもごもごさせながらチコが言うと、メーラがコップを渡す。

「はい、うがいして。」

(こうして見ていると、本当にメーラの方がお姉さんに見えるわね。まあ末っ子だから世話を焼いてみたいっていうのはあるかしら。)

「雫。」

「うん。」

「私とメーラ歯磨き終わったから、部屋に戻ってるよ。」

「はーい。」

(糸奈は何を言いたかったんだろう。)

歯磨きを終え、雫が部屋に戻ると、既に簡単な枕投げが始まっていた。

メーラとシーナ、チコが3人で枕を投げ合っている。

「今始まったところですよ。」

「まだウォーミングアップでしょ。もう少し見てて。糸奈に呼ばれてるの。」

「わかりました。」

廊下に出て、雫が男性用の部屋の少し開いた襖の隙間から部屋をのぞく。

「糸奈いる。」

「うん。」

しばらくして糸奈がタブレット片手に部屋から出てきた。

「廊下でいいの。」

「うん。」

「なにかしら。」

糸奈がタブレットを雫に見せる。

モニターには雫が先ほど送った先週のハプニングに対する詳細報告書が映っていた。

「聞きたいことがあるんだ。」

「ええ。」

「どうしてモンスターの具体的な種類が明記されてないの。」

「あーそれね。報告書の端っこの方に小さな文字で書かれてたことをそのまま言うと、「緊急時だったため、モンスターの識別までできなかった。」そうよ。」

「そんなことある。MSHMTを使ってたなら、大抵のモンスターの識別は機械がやってくれる。モンスターの識別もせず、無鉄砲に攻撃をしてたなら、魔道院のスパイラルの無駄遣いだよ。」

「その通り。もっとも、イレギュラーなモンスターでまだデータが登録されていないものなら話は別なんだけど。」

「可能性はかなり低いと思うよ。イレギュラー変異をしていたって。」

「原型はだいたいわかるものね。」

糸奈が頷く。

「明日ノーエル局に行ってMSHMTの機械を見るつもりよ。使用履歴の確認も兼ねてね。その時、一緒に調べましょう。」

「うん。」

「指摘をありがとう。それじゃあ私は枕投げの現場に戻るわね。」

「ほんとにやるんだ。」

「チコの目がらんらんしてるからね。」

「あと10分もすればレークが乱入するかも。」

「最初からわかってるわよ。糸奈だって気が向いたら来ていいんだから。」

「僕は遠慮しておくよ。どんなに親しいと言っても、あそこは女性の部屋だからね。不躾な真似はしないよ。」

「そう。それなら来月は糸奈も参加できるように、男性の部屋でやりましょうね。」

糸奈の困ったように笑う顔を見て、雫は部屋に戻った。

 「ヒートアップしてるなあ。」

雫が襖を開けて部屋を見回す。

「イエローカード。」

雫がわーわー騒ぐ3人に聞こえる声で言うと、チコたちがぴたりと手を止めた。

「はいありがとう。通るわよ。」

「雫もやろうよ。」

「後でね。」

「1対2になっちゃうから早く。」

「3人でシングルスしてて。」

「えー。」

チコたちとかなり距離を取って座っているMiraの隣に雫が座る。

「早く。」

「少しゆっくりさせて。もう少ししたら行くから。」

時刻は23時前、本当ならもう寝かせたい時間だが、枕投げの本番はこれからだ。

「どれぐらいで収束させるつもりですか。」

「あと40分もすれば、チコが眠くなってくるはずだし、レークが乱入してきてもいいタイミングでクシーと糸奈がレークを連れ戻しに来るだろうから、12時前ぐらいには寝れるんじゃない。起きてられなかったら、Miraは先に寝てていいわよ。私が見てるから。」

「雫は見てるんじゃなくて、乱入して一緒に遊び始めるでしょう。」

「ばれたか。」

「わかってますよ。誰か1人が遠くから総合的に見ていてあげないと危ないんですから。」

Miraの言う通りだ。

チコたちがする枕投げは、枕に魔道を吹き込んで普通の人の枕投げの数倍のスリルを加える。

飛んでくる枕は当たれば痛いし、速度も速い。

避けるときのチコたちの速度もそれに合わせて早くなる。

枕に込める魔力が強すぎれば、実と魔の境界線を超えて、部屋を壊しかねない。

だから必ずグループの誰か1人が審判的なポジションから総合的に枕投げを見ていないといけない。

「あっ。」

雫の口から漏れた声を聞いて、Miraが視線を走らせる。

「ストップ。」

雫が右手を前に出し、枕の一つを空中で止めた。

枕の表面が薄い緑色に光っている。

「これ投げたのだあれ。」

メーラもチコもシーナも首を横に振る。

「となると。」

雫が右手首をひょいっと動かして、枕を襖の隙間から廊下に向けて飛ばした。

何かに枕が当たる鈍い音の後、聞きなれた呻き声が聞こえる。

「3人で犯人を連れてらっしゃい。」

「はーい。」

チコたちが廊下に走って行く。

「全然気づきませんでした。」

「まあ、透明魔法を掛けずとも意識疎外魔法は掛けていたし、あの速さは注意して見ていないと視界に泊らないわ。」

Miraと雫が話している間に襖からレークが入ってきた。

「犯人捕まえました。」

シーナがはきはきとした声で雫に伝える。

「ご苦労であります。さてさて、レークくん。」

雫が立ち上がってレークの方へ歩み寄る。

「罪状はおわかりかしら。」

「ひでえなあ、少し速くして投げただけだろ。」

「せめて部屋に入ってからにしなさいよ。廊下から投げるなんて反則ヨ。」

「うんうん。」

メーラのセリフにシーナが同意する。

「うるせえなあ。」

「まあ廊下から投げたことをとやかく言うつもりはないんだけど、あの速さは反則ヨ。あのまま壁に当たったら、壁がただの土になってたわ。」

「へいへい。」

「反省してる。」

「おー。」

「改善する意識はある。」

「はいはい。」

「ならよろしい。今回は誰にも怪我をさせてないし、もし枕がぶつかっても人を傷つけることはなかったから、これぐらいにしてあげる。」

レークが少し俯いてゆっくり顔を上げた。

その顔に悪い笑みが浮かんでいる。

「おりゃあ。」

近くに落ちていた枕を掴んでレークが勢いよく投げる。

枕が飛んでいく方向には雫が立っていた。

「反省してないわね。」

雫が片手で枕を受け止める。

枕が雫の手で止められた時、衝撃波が発生し、それは襖や壁を通り抜け、スマスたちのいる部屋まで伝わった。

「本格的に始まったみたいだね。」

「レークがさっき行ったからなあ。」

「楽しそうだけど、やっぱり雫たちの部屋に行くのは少し気が引けるなあ。」

「来月はこっちの部屋でやるって雫が言ってたよ。」

布団の上に横になったり、壁にもたれたり、卓袱台に両肘をついたりしながら、おのおの好きなことをしている。

「こっちでやるとなったら、僕は安全地帯を探さないといけないな。4階にでも避難するよ。」

「スマス、俺もついてく。」

「いいよ。」

枕投げが始まって15分ほど経った。

「彩都。」

「なに。」

スマスがブラッシングをしながら押し入れを見た。

「そろそろ枕を出しておいた方がいいんじゃないかな。あと10個はあそこに入ってるだろ。」

「はいはい。」

彩都が枕を出してきたちょうどそのタイミングで、襖が大きく開いた。

興奮した鋭い目つきのままレークが部屋を見回す。

「枕くれ。」

「そこに置いてるよ。」

「おー。」

10個の枕を一斉に空中に浮かせ、レークが雫たちの部屋に戻って行く。

「せめて襖ぐらい閉めて行ってくれたらいいんだけどねえ。」

「あんな形相で枕投げって可笑しいだろ。」

「それにあんなに息を切らしてさ。どんな枕投げなの。」

「毎月あんな顔してるだろ。気になるなら見てきなよ。襖から覗くぐらいならいいんじゃないかい。」

「そう言うスマスは興味ないの。」

「僕は察しがつくからね。」

「ならどんなふうに想像してるんだよ。」

「そうだねえ。」

スマスがブラッシングをする手を止めた。

「枕をこっちの部屋から持って行ったってことは、向こうでは既に16個の枕が宙を舞っているはずだよ。」

「15個じゃなくて。」

「レークが自分の持ってっただろう。」

「なるほど。」

「それで数が足りなくなって、こっちのを10個持って行ったってことはもう向こうの部屋では26個の枕が使われていることになる。きっとMira以外の5人が枕投げに没頭しているだろうから、1人の持ち分は五つってところか。Miraが護身用一つ持っていると思うよ。枕には枕が実際に傷つかない程度の魔法を掛けて、やりあっているはずだ。重力増幅魔法を掛けて、相手に飛ばしたり、枕に魔法で作った電流を纏わせたりしてね。

「スマスリアルタイムで見てるんじゃないの。」

「まさか。」

「ならなんでそんなリアルに。」

「よく巻き込まれる形でその餌食になっていたからさ。せっかくだし答え合わせでもしてきなよ。」

「おー。」

クシーと糸奈が部屋を出て行く。

2人が開いた襖から部屋の中を覗いた。

「当たってるな。」

「あー、ビンゴだ。」

2人がゆっくり気配を消して部屋に戻っていく。

「当たってただろ。」

「あー。」

「こええな。」

「あれをこっちの部屋でやるって言ってるなら、やっぱり避難しないとね。」


 「よく寝てる。」

Mira、メーラ、雫、チコ、シーナが放射状に布団を敷いて横になっている。

最初はきちんと横並びに敷いていたのだが、枕投げの最中にずれて形が変わってしまい、もう直す気にもならなかった。

枕投げをすること45分、チコがエネルギー切れで布団に倒れこみ、レークをクシーと彩都が連れて行き、ようやく今月の枕投げは終わった。

(アドレナリンのせいでメーラとシーナはなかなか寝付けないと思ってたけど、結構あっさり寝てくれたわね。根本的に疲れてたのね。)

「Mira起きてる。」

「はい。」

外から入ってくる月明りだけが、部屋をほんのり照らしている。

隣の部屋でも穏やかな5人の寝息しか響いていない。

「すっかり遅くなっちゃったね。」

「本当ですよ。明日起こすの大変でしょうね。」

「そうねえ、今夜夕食を作ってくれたから、明日の朝食は私が作るわ。」

「そういって、チコとメーラを起こすのを私に押し付けようとしてますね。」

「ふふーん。」

雫が少し笑って寝返りを打つ。

「楽しいじゃない。こういうの。」

「ええ、それは否定しませんよ。」

「みんなでお泊りして、わいわいやって、それできちんと仕事もできてるんだから、うちのグループは優秀ね。」

「そうですね。今頃レークたちももう寝ていますよ。私たちも早く寝ましょう。」

「うん、おやすみMira。」

「ええ雫、おやすみなさい。」

お月様が空高くへ登っていく。

ノーエルの夜が深まっていくことを伝えている。

お月様の暖かく冷たい光に見守られながら、雫たちは夢の中へ心を溶かす。

疲れた体にしばしの休息がもたらされ、明日に向けて体と心を回復させる。

そんな穏やかで優しいノーエルの夜は、雫たちの穏やかで幸せそうな寝顔は、長く続かなかった。

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