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ノーエルへの訪問(19)

19

 グループメートたちを見送った後、私と彩都は空飛ぶジュータンに乗り直した。

「どうする。まずは宿舎に荷物を置きに行こうか。」

「はい、賛成です。それからノーエル局に行きましょう。」

「僕が運転するよ。」

「助かります。」

私は10人分の荷物の数を確認して、彩都に頷く。

ジュータンがゆっくり浮いて、あっという間に空中を飛んでいく。

「今日も1階の左側が女性組で、右側が男性組だよね。」

「はい。」

「それなら、荷物を部屋に入れるところまでやってしまおうか。」

「わかりました。」

空中からノーエルの様子を確認する。

「彩都。」

「なに。」

「地上がいつもより荒れているというか、何か感じませんか。」

彩都がジュータンを操縦する手を止めず、頷く。

「そうだね、町の様子を見て推測することしかできないけど、何かあったのかもしれないね。」

「ノーエル局で確認する必要がありそうですね。」

宿舎の前にジュータンを着陸させ、私が荷物を宿舎の玄関に運び入れ、彩都がジュータンを片付ける。

「僕がジュータンを片付けちゃうから、Miraはその間にそれぞれの荷物を部屋に運んでくれない。」

「お任せしてもいいんですか。」

「その方が効率がいいだろ。」

「ありがとうございます。では、お願いしますね。」

「はい。」

キャリーケースを持つと、1人1人の荷物の重さがよくわかる。

(これはメーラのね。)

メーラのキャリーケースは紫色で、重さは普通。

私は反対の手でオレンジ色のキャリーケースを持つ。

(シーナはやはり荷造りが上手なのね。すごく軽いし、ケース事態小さいわ。)

魔道良から魔道士がノーエルに来て、滞在する際に使用する宿泊施設をそのまま宿舎と呼んでいる。

複数のグループが同時に使う時は、全員でこの建物を共有する。

今回はたまたまうちのグループしか使わないが、いくつかのグループが共同でノーエルに来たときは、宿舎の中がとても賑やかになる。

4階建ての木造建築で、各フロアーに台所とトイレがあり、1階の奥に男性用と女性用の浴室がある。

それぞれの部屋は襖で遮られているだけなので、部屋の広さは調整できる。

今回宿舎を使うのは、うちのグループだけなので、1階の半分を男性用、もう半分を女性用にした。

フロアーごとに分けるほどではないし、お互いその辺りの弁えはきちんとしている。

「これはチコの荷物ですね。」

真っ白なキャリーケースを持ち上げると、ずっしりとした重みが肩にかかった。

「一泊二日なのにどれだけ荷物を持ってきたのでしょう。」

10人分の荷物をそれぞれの部屋にまとめておいて、私は時計を見る。

「彩都。」

宿舎を出て、ジュータンを片付けてくれている彩都に声をかける。

「なにかな。」

「何か困っていることはありませんか。」

「大丈夫、もう少しで終わるよ。」

「よかったです。もう10時半ですね。彩都がジュータンを片付け終えて、少し息を整えたら、ノーエル局へ行きましょうか。」

「わかった。あと5分はかかるだろうから、Miraは中で休んでて。」

「ですが。」

「いいよ、ここまで1人でやったから、最後まで1人でやった方が楽だから。せっかくこんなに小さく畳んだのに、Miraに預けるときに解けたら悲しすぎる。」

「ではお任せしますね。」

彩都は説得するのが上手だと思う。

私は玄関先に腰を降ろして、持ってきていた水を飲んだ。

今日はさすがに暑い。

(メーラや雫がへばっていそうですね。あっそうだ。夕食の食材を台所に持って行っておきましょう。)

基本的に宿舎での食事は自炊になる。

昼食は各自MYから持ってきていたり、向こうでもらうが、夕食と朝食はそうもいかない。

自分たちで食事を作るのも、ノーエルでの醍醐味だし、明日の午前中にはグループメート全員で宿舎の掃除もする。

私は1階の台所に持ってきた食材を片付け、彩都のところに戻った。

 「お待たせ行こうか。」

玄関に戻ると、ちょうど彩都が小さく畳んだ空飛ぶジュータンを靴箱の上に置いていた。

「ずいぶん小さくなりましたね。さすがです。」

「片づけ慣れてるからね。クシーが運転して僕が片付ける。」

私は思わず笑ってしまった。

「すみません。行きましょうか。」

「うん。」

宿舎の鍵を閉め、私と彩都は炎天下の中歩き出した。

「暑いですね。」

「そうだね、Miraは暑いの苦手なの。」

「苦手ではありませんが、得意でもありません。」

「冬は。」

「同じですよ。」

ネオンダールの神殿、宿舎、ノーエル局は3角形の頂点のような立地になっていて、それぞれの距離は歩いて10分程度だ。

「今からノーエル局に行って、諸連絡を終えれば、14時ぐらいには宿舎に戻って来れるでしょう。」

「そうだね。僕たちからの連絡も大事だけど、何があったのか聞かないと。」

「ええ。」

 魔道良ノーエル局は、魔道良がノーエルに作った魔道良とノーエルを繋ぐ事務局だ。

魔道良から魔道士が派遣される際の日程や、どの施設に何人ほど派遣するかなどを管理したり、逆に、ノーエルで起こったトラブルをMYに報告したり、どの施設にどれぐらいの魔道士が必要か、魔道院のスパイラルはどの種類が足りていないかなどを報告したりする。

ノーエルとしては珍しい金属製の建物で、2階建てだ。

「こんにちは。」

入り口はすりガラスになっていて、私はゆっくりノブを回転させて扉を開けた。

「こんにちはMiraさん。」

「失礼いたします。」

建物の中では15人ぐらいの人たちがそれぞれ仕事をしていた。

「彩都さんもこんにちは。」

「どうも。」

私と彩都は中に入り、人を待つときの定位置になりつつあるソファーに座った。

「少し待っていてください。「九道」を呼んできますので。」

「お願いします。」

彩都がスマホを開く。

私はその横でパソコンを立ち上げていた。

(今日はえーっと。)

事前に準備してきたスライドと提供するデータの確認をしていく。

「ねえMira。」

「なんですか。」

「これかな。」

彩都が自分のスマホを私の顔の前に持って来る。

「ノーエルに関係する直近のトラブルみたい。」

「その情報どこから引っ張ってきたんですか。」

「ポリスの表サイト。裏には入れなかった。」

「そうですね。最近はログインしていませんでしたから。」

私は彩都にウェブページのURLを送ってもらい、自分のスマホで記事を読んだ。

(なるほど。この記事を見る限りでは、トラブルは既に解決したように見受けられますが。)

私はそれぞれの席に座って、仕事を続ける職員さんたちを見る。

いつもなら、こういう待ち時間に世間話をするぐらい余裕があるのに、今日はみんな目の前のパソコンとにらめっこを続けている。

(トラブルの概要はわかりました。でも、この報告書もずいぶんざっくりですね。そもそもどうして神町さんにこのことが伝わっていなかったのでしょう。神町さんは、把握していて私たちに伝えないなんてことはしないはずですし。やはり、九道さんからお話を聞く必要がありそうです。)

「お待たせしました。」

2人ともスマホに見入っていて全く気付いていなかった。

2階から降りてきた九道さんが私たちの前に立っている。

「失礼しました。こんにちは。」

私と彩都は立ち上がって九道さんに一礼する。

「お忙しいところお越しいただきありがとうございます。」

九道さんはグレーのスーツをきちんと着こなし、今日も暖かな笑みを浮かべている。

九道さんは魔道良ノーエル局つまりここの副局長で、今は局長が産休中だから、局長代理をしている。

「すみません。今日はここでもかまいませんか。私の手違いで会議室の予約をし忘れてしまって。」

「かまいませんよ。」

私が彩都を見ると、彩都も頷いた。

「ありがとうございます。今お茶を持ってきますね。」

「お気遣いなく。」

九道さんが、会釈をして台所の方へ向かう。

「今日の九道さんいつもより疲れてるよね。」

「ええ、九道さんが局長代理になってからお会いするのは初めてですから、そのせいかと思っていましたが。」

私と彩都は顔を見合わせて首を横に振った。

「たぶんそのせいだけじゃないね。」

「はい。」

紅茶の入ったカップと少し大きめのポットをおぼんに乗せて、九道さんが私たちの前に座り、3人で小さな四角のテーブルを囲んだ。

「どうぞ。」

「ありがとうございます。いただきます。」

九道さんが入れてくれたのは、香りの高い「アーサーティー」。

ノーエルの特産品であちこちから買い付けが殺到している人気商品だ。

ノーエルの経済基盤の一つになっている。

「相変わらず美味しいですね。」

彩都がカップをソーサーに置いて九道さんに微笑む。

「ちょうど収穫時期なので、一番新鮮なお茶になってます。」

九道さんも一口飲んでふうっと息を吐いた。

「ではお願いします。」

「わかりました。まずは、いつもどおりこちらから連絡をさせていただきますね。」

「はい。」

九道さんにパソコンを見せつつ、今日持ってきたデータの説明と、提出してほしいデータの説明をしていく。

横で彩都は静かに話を聞いていた。

「わかりました。来月の7日までに神町さんにお送りできるようにしておきますね。」

「助かります。」

「ではこちらからも何点かお話してもよろしいですか。」

「はい。」

九道さんが私たちに伝えてくれたのはいつもの報告内容とほとんど変わらないものばかりだった。

(どうしてトラブルのことを話してくれないんだろう。)

「あの。」

九道さんが一通り話し終え、私より先に彩都が声をかけた。

「はい。」

「先週この辺りで何かトラブルがありませんでしたか。」

「あ。ありました。」

「九道さんの口からこの話題が出てこないということは、あまり大ごとではなかったんですか。」

「大ごとですよ。怪我人もたくさん出ましたし、全壊や半壊したお家も。それに、魔道院のスパイラルもかなり減ってしまって。」

始めは感情を滲ませたきついトーンで話始め、後半からは少し元気をなくしたような話し方だった。

「九道さん。」

私は九道さんの表情に注意を払って観察を続けた。

可笑しい。

どうして真っ先に話してくれなかったんだろう。

ここまで意識をしていたのに、どうして。

「失礼に当たると思ったんです。はっきり言って、先週のトラブルを解決してくださった魔道良の方を私たちは快く思っていません。でも、それをMiraさんたちに言うのは筋違い化と思っていて。」

彩都が私の顔を見る。

深刻そうな顔をする九道さんに私は微笑んだ。

「九道さんお気遣いいただいてありがとうございました。お気を煩わせてしまっていたんですね。すみません。でも大丈夫ですよ。むしろ、何か不快に感じられたことがあったなら、私たちに教えてください。私たちとノーエルのみなさんはあくまで対等な関係ですし、お互いがお互いを思いあっていないと有効な関係は気づけません。」

九道さんの表情が少し緩んだ。

「よければお話を聞かせてください。いったい何があったのですか。」

彩都がスマホを片手に持っている。

メモを取る気なのだろう。

九道さんがゆっくり息を吐いて話始めた。

「先週の月曜日、ですから8月15日です。午後3時ごろに瑠璃湖に強い生命体反応があって。」

「生命体反応。」

「はい、何事かと思って調査に向かったら、そこには大きなモンスターがいて。」

「モンスター。」

想わず声が裏返ってしまった。

「すみません。続けてください。」

「私たちも驚きました。瑠璃湖は普段とっても穏やかな場所ですし、この辺りは悪気は強いですが、モンスターなんて出現しません。」

「はい。」

この辺りは悪気こそ強いがモンスターは出現しない。

ネオンダールの支配地域だからだ。

絶対的な強者であるネオンダールにわざわざ盾突いてこの辺りに侵入するモンスターなんてそうそう現れない。

「対応に困っていた時、ちょうどその日にノーエルに来てくださることになっていた魔道良の職員の方々が到着されたんです。」

「はい。」

「それでその人たちがモンスターを倒してくれたんです。ただ、私たちにもよくわからないんですけど、スパイラルが大量に必要だからと言って、魔道院のスパイラルをたくさん使われて。」

「魔道院のスパイラルですか。」

「はい、それにモンスターとの戦いの衝撃波が大きくて、村のあちこちに被害が出てしまって。」

九道さんの瞳に涙が溜まっている。

「私が魔道院のスパイラルの使用許可なんて出したから。」

「でもそれがその時最も勝機のある選択だったんでしょ。」

彩都が九道さんに言う。

「はい、結果的にモンスターは倒せたそうなので。でも、こんなに被害が出るなんて。」

さっきまでの笑顔が九道さんの高い演技力からくるものだったのだと痛感させられる。

「お話はわかりました。ありがとうございます。こちらでも詳しいことを調べてみますね。これから復興の流れを考えていく必要がありますから、今からそれについてお話ししましょう。」

「はい。」

何が先週起きたのかはわかったが、腑に落ちない点があった。

「一つお聞きしてもいいですか。」

「はい。」

「私たちはこのお話を魔道良のノーエル局から聞いていませんでした。どうして連絡をされなかったのですか。」

「えっ。」

九道さんが目をぱちぱちさせる。

「先週そのモンスターを倒してくださった魔道良の方が報告はこちらでしておくから構わないとおっしゃったんです。私たちも村の被害の確認に追われていて、向こうのご厚意に甘えてしまって。」

「そうでしたか。」

私は慌ててスマホからノーエル局のページを見る。

ノーエルで起こったことを九道さんたちが魔道良に伝えると、神町さんたちがその情報をウェブページにアップし、私たちが見ることができるのだ。

「もしかして連絡がきてないんですか。」

「はい、こちらのミスですね。申し訳ありません。帰り次第叱るべき措置を講じます。」

「九道さん、とてもお疲れですよね。少し休憩しませんか。」

私が険しい顔をしていると、彩都が九道さんに優しい笑顔を向けていた。

「でも。」

「九道さん、実はここ数日全く寝ていなかったりしませんか。」

「えっ。」

九道さんが目を泳がせる。

「どうして。」

「うちのグループリーダーがよくそういう顔をしてるんですよ。大抵2日か、3日ぐらい徹夜したときに見せる顔に似てたので。」

九道さんが少し笑って頭を掻いた。

「正解です。事後処理に追われていて家に帰ってません。でもそれって私だけじゃないんです。ここで働いてるみんなそうです。今ノーエルの主要施設のほとんどがそんな感じですからね。私だけ休むわけにもいきません。」

事態は私が想像しているより、ずっと深刻なのかもしれない。

私はまだこの辺りしか見ていないし、現場となった瑠璃湖の近くにも行けていない。

今私や彩都にできることはなんだろうか。

(そうだ。)

私はソファーから立ち上がって九道さんに微笑んだ。

「それならせめて少し回復させてください。」

「えっ。」

九道さんの後ろに回って、私は右掌を九道さんの背中に当てる。

「嫌ではありませんか。」

「はい。」

「それならしばらくそのままでいてください。」

私は右手に集中する。

「我が求めに応じ、癒しと安らぎを、「ヒーリングハーモニー」。」

私を見ていた彩都が頷いて席を立つ。

「女性の職員さんをお願い。」

「わかりました。男性の職員さんをお願いしますね。」

「任せて。」

「あのそれは。」

九道さんが後ろを向こうとするが、私が反対の手で肩に触れてそれを制する。

「しばらくこのままでいてもらえますか。今回復魔法を掛けているんです。」

「回復魔法ですか。」

「はい、体の機能が休息して少し楽になると思いますよ。」

九道さんが少し考えてから微笑んで肩の力を抜いた。

「そうです。リラックスしてください。ここの職員さんには全員に同じことをやらせてもらいますね。もちろん、こういうのが好きでない方にはしませんから。」

「みんな喜ぶと思います。」

魔道適性のない人にヒーリングハーモニーを掛けるのは、1回につき長くても10分と決められている。

それ以上魔法を掛け続けると、魔道適性のない人には副作用が出始めるからだ。

私も彩都も1人に3分から4分ほどヒーリングハーモニーを掛けて回った。

「背中に触れてもいいですか。」

「はい、お願いします。」

最初は緊張気味な職員さんたちが、1分ほどヒーリングハーモニーを掛けているうちに、ふうっと息を吐いて目を閉じる。

(本当に忙しかったのですね。肩がこんなに凝って。)

魔法を掛けるとき、私たちは相手の体の状態をスパイラルの流れから把握することができる。

みんな非常に疲れていた。

体のあちこちが硬く、頭が重い。

ほとんどの人が睡眠不足だった。

「ありがとうございました。なんだかとっても体が軽くなりました。」

「そういう魔法ですからね、エステに行ったとでも思っていてください。」

「はい。」

 魔法を掛けた後、九道さんは人が変わったように元気になった。

「なんだかとっても体が軽くなりました。魔法すごいですね。」

「よかったです。」

「復興支援の流れのお話今からやってもいいですか。なんだか捗るような気がします。」

「わかりました。」

昼食を九道さんたちと摂りながら、私たちは話を詰めていった。

普段ここまで大きな災害が起きることのないノーエルには、こういった場合の支援のプロセスをまとめたマニュアルがなかった。

それが今回の対応がここまで遅れてしまった原因になったのだ。

「ナチュラルスパイラルは薄くても、ネオンダールの支配下にあるおかげで激しい天候の変化やモンスターの襲撃なんてめったにありませんからね。」

「はい、これでもいろいろな災害に備えて準備をしてきたつもりでしたが、盲点でした。」

九道さんが村に出た被害の規模を示すモニターを見ながらため息をついた。

「とにかく今回のことを改めてこちらからお伝えするとともに、まずは私たち自身で復興計画を立ててみて、できるだけ早く神町さんにお送りします。」

「わかりました。ではこちらからもそのように神町さんに伝えておきますね。」

「ありがとうございます。」


 15時過ぎ、私と彩都は九道さんとの打ち合わせを終え、荷物をまとめた。

「長々と申し訳ありませんでした。」

「いえ、九道さんをはじめとして、みなさんあまりご無理はなさいませんように。季節柄体力が落ちやすい時期なのに、睡眠不足が続くと風邪をひいてしまいますから。」

「うちのリーダーみたいにいきなり倒れたら大変ですから。」

私のセリフに彩都が付け足す。

「木漏れ日さんはそんなにしょっちゅう倒れる方なんですね。いつも明るいから全然気づきませんでした。」

「そういう演技力だけは高いんですよ。」

九道さんが少し笑った。

「木漏れ日さんにもよろしくお伝えください。」

「わかりました。」

私と彩都は頷いて、ノーエル局を出た。

「今日はこのまままっすぐ帰るでいいんだよね。」

「そうですね。瑠璃湖の近くにいきたいところですが。」

「僕たち2人で行くのは少し危険じゃないかな。ポリスの表サイト通りなら既に解決したことになってるけど、この辺りの気配といいあの文章といい、腑に落ちない点が多すぎるよ。もし2人で瑠璃湖に近づいたタイミングでハプニングが起きたら、僕たちだけだと対処できない。お互いに怪我をするわけにはいかないし、僕たちが近づいたことで何かの引き金を引いてしまうなんてことになったら大変だ。」

私はゆっくり頷いた。

「彩都の言う通りです。このまま宿舎に戻ってみんなが帰ってくるのを待ちながら、先週の情報を集められるだけ集めましょうか。」

「賛成。」

 炎天下の中歩くのは本当に辛い。

宿舎に入ってまず私と彩都はそれぞれの部屋のクーラーのスイッチを入れた。

「お疲れさまでした。」

「Miraの方こそお疲れ様。」

私のいる部屋と彩都のいる部屋の間は廊下を挟んでいるだけだから、お互いが襖を開ければ、普通に会話ができる。

「この後ですが、どうしましょう。」

「もしMiraが嫌でなければ、少し2人でいたいな。なんていうか、ここは1人でいるには広すぎて少し怖くなるんだ。」

「もちろんかまいませんよ。確かに1人で過ごすにはこの宿舎は広すぎます。では、彩都の部屋に行ってもいいですか。」

「うん。」

「ありがとうございます。準備を済ませてからそちらに行きますね。」

「はーい。」

襖を閉めて私は自分の鞄を開けた。

簡単でいいから、汗を拭いてしまいたかったのだ。

(お風呂を張るのは何時ごろがいいでしょう。あまり早く沸かしてもぬるくなってしまいますし。)

ペットのお茶を飲んでから、私はスマホを見る。

「よかった、きていますね。」

ほとんどのグループメートたちから帰宅予定時刻の連絡が来ていた。

(やはり雫は遅くなるんですね。晩御飯は向こうで食べてくるのかしら。食事を1人分少なく作らないといけないかもしれないわ。)

私と彩都の今日のメインとなる仕事は一応終わった。

後はグループメートたちが帰ってくるのを待ちながら、お風呂を沸かしたり、夕食の下準備をしたりするだけだ。

ただそれらを始めるのもまだもう少し後でよさそうだ。

今が15時過ぎで、一番早く帰ってくる予定のメンバーでも18時帰宅のようだし、先にお風呂に入るだろうから、もうしばらくは自分のしたい仕事をしていてよさそうだ。

 「お待たせしました。入ってもいいですか。」

「どうぞ。」

彩都の部屋の襖を開けて、私は近くの卓袱台にパソコンやスマホを置いた。

斜め前で彩都もパソコンを開いている。

「Mira。」

「なんでしょう。」

「夕食の下ごしらえは。」

「17時ぐらいから出いいと思います。一番早い帰宅組でも18時を回るようですから。もしかしたら、夕食の準備よりも先にお風呂を準備した方がいいかもしれません。」

「たしかにそうかも。これだけ暑いとまずはゆっくり汗を流したいよね。」

彩都が時計を見る。

「16時半ぐらいから準備をしようか。」

「ええ。」

「了解、まだ1時間半ぐらいあるね。Miraはこれからなにするつもり。先週のハプニングの情報を集めるみたいなことを言ってたけど。」

キーボードで何かを打ち込んだら、すぐにマウスをクリックし、また打ち込むを繰り返しながら彩都が私に尋ねた。

「ええ、先週のハプニングの情報収集に当たろうと思っています。雫が戻ってきたら早急に伝えないといけませんから。」

「手伝おうか。」

「ありがとうございます。でも、大丈夫ですよ。彩都は彩都のしたいことをしてください。」

「と言われてもあんまりないんだけどな。」

「今は何をしているのですか。」

「雫からの宿題だよ。」

「宿題ですか。」

「そう、3000文字ぐらいで報告書を書いてくれって頼まれた。」

「なんの報告書ですか。」

「今月のうちのグループの活動記録だよ。概要報告書。」

「それは雫でなくてもグループメートなら誰でもできるものですが、かなり大変でしょう。」

「まあそれなりにはね。」

「雫はどうして彩都に任せたんでしょうね。」

「たぶん僕が少し暇そうな顔をしてたからじゃないかな。今は雫も結構忙しいし。」

「雫が結構忙しいのはいつものことですよ。ここ3か月ぐらい雫がのんびりしているところなんて見ていませんね。」

「それもそうか。」

「1人で片付けられそうですか。」

「うん平気だよ。うちのグループは毎日いろんなことをするからさ、3000字なんてあっという間に書けちゃうんだ。他にもいくつか任されてるんだよ。国語力を鍛えるのはいいことだって雫が言ってた。」

「あんまり鵜呑みにしすぎると、調子に乗った雫から次から次へと頼まれますよ。」

「はーい。」

彩都だって、こんなことわざわざ渡しに言われなくても、雫との付き合いがこれだけ長くなればわかっていると思う。

グループができて6年目、それぞれがそれぞれのことを理解し、また時間が経つごとに変わっていくグループメートのことをきちんと把握しながら過ごしてきた。

ノーエルに関しても同じことが言える。

ノーエルに来るようになってからこの6年の間でずいぶんグループメートの支援内容も変わったし、2年目からは私がノーエル支援のグループ責任者になった。

最初は雫が責任者だったが、他の仕事が増えたことと、三つ子たちの授業にもっと時間を割きたいということで責任者を代えるという話になり、たぶん一番こういうのが向いているだろうという謎のイメージからグループ全員に推薦されて私が責任者に任命された。

適材適所という言葉はあるが、その適所を探すのがなかなか大変で、2年前ぐらいにようやくこの形に落ち着いたのだ。

6年前はまだメーラやシーナ、レークは小学生だったから、ノーエルに来てもお仕事というより、遊びという意識の方が強かったと思う。

実際、当時はノーエルに着いて、儀式を済ませた後雫が3人を学習韻に連れて行き、同学年の生徒たちと一緒に授業を受けさせていたし。

ただ雫いいわく、同世代の子供たちと関わることはメーラたちにとってもノーエルの子供たちにとってもプラスになるから支援ができていなくても、遊びに行っていたわけではないのだが。

この3人にはそれぞれ中学生になってから支援の仕事を任せるようになり、この4月からようやく全員がノーエルの仕事をできるようになった。

神町さんや九道さんからの評価も高く、もうしばらくはこのままで問題なさそうだ。

ノーエルに来るのは仕事だが、ノーエルに来て過ごす時間は、大都会で必死になって仕事をする毎日から私たちを解放してくれる貴重な時間でもある。

だから、ここで何かあったならそれは全力で解決しなければならない。


 「Mira、Miraってば、そろそろ起きなよ。」

背中を軽くとんとんと叩かれる感覚がここちいいのに、耳から入ってくる言葉はその逆のことをしろと言う。

「彩都。」

私はゆっくり目を開けてはっとした。

「彩都。」

「起きた。」

「今何時ですか。」

「17時半だよ。」

「私は。」

「1時間半ぐらい寝ちゃったんだよ。ネット回線が悪くて、待ってる間に寝ちゃったんだ。」

なんとなく思い出してきた。

私はパソコンを見る。

「もう少し情報を揃えたかったですね。これだけでは不十分です。」

「でも、もともとこのハプニングに関して公開されてる情報が少ないんだから、これでも集めた方だと思うよ。Miraはすごいな。いろんな角度からハプニングを分析して情報を探してくるんだから。」

「雫と長く付き合っていますから、雫が欲しがる情報の種類はなんとなく察しがつくんですよ。それだけです。」

私は軽くため息をついて、パソコンの電源を落とした。

「もう5時半ですからね、お風呂と食事の準備を始めましょう。」

「うん。」

私は背中に掛けられていたタオルケットに気づいた。

「彩都、ありがとうございます。」

「どういたしまして。」

タオルケットを畳んで彩都に返した。

「彩都は浴室の掃除をして、お湯を張り始めてもらえますか。私はその間にお米を炊き始めます。」

「うんお願い。」

外を見ればもう夕方の明るい光が差し込み始めている。

廊下に出ると、さっきまでの焼けるような暑さから、纏わりつくような暑さに変わっていた。

「今日は。」

台所に行き、MYから持ってきた食材を一度テーブルに出す。

「親子丼でしたね。」

数日前にみんなで話し合い、今日の夕食は親子丼ということになっていた。

食事を作るのは私だから、私が作れるものならなんでも問題ない。

「ただいま。」

玄関の扉が開く音と同時にシーナの明るい声が台所まで聞こえてきた。

今は手を止められなくて、私がしばらく調理を続けていると、台所の前を通ったシーナが中に入ってきてくれた。

「おかえりなさいシーナ。」

「ただいまMira。ちゃくちゃくと進んでるね。親子丼だっけ。」

「ええ、そうですよ。彩都にお風呂の仕度が済んでいるか確認してみてください。たぶんもう入れるはずですから。」

「本当、助かる。暑かったもん。」

シーナが部屋に行くと、すれ違いにスマスが入ってきた。

「おかえりなさいスマス。」

「ただいま。いい匂いがするね。ありがとう。」

「いえ、お疲れさまでした。問題は。」

「特になかったよ。今日もマダムたちは美しかった。」

「それは良かったです。」

スマスが冷蔵庫から冷たく冷えた水のペットを取り出す。

「これもらって行ってもいいかなあ。」

「はい、どうぞ。」

「ありがとう。それから、持ってきていた水分がなくなってしまったんだけど。」

「わかりました。お茶を沸かしておきますね。」

「明日のこともあるからそれがいいと思うよ。」

スマスがペット片手に台所を出て行く。

「ただいまー。」

それからまもなくして、2人の賑やかというか大きな声が台所まで届いた。

レークとメーラが帰ってきたのだ。

「暑い。」

2人揃って台所に来ると。

「なんか冷たいものない。」

と何より先に聞いてくる。

「冷蔵庫にお水、冷凍庫に少しアイスがありますよ。でも、それに手を付ける前に手洗いうがいを。」

「うるせえ。」

レークが冷凍庫からアイスを出す。

「あんたさっきも向こうで2本食べてたじゃない。」

「それはおまえも一緒だろ。」

「だから私はお水を飲もうとしてるでしょ。」

「メーラ。」

結局二人とも私の話しは全く聞かず、それぞれ好き勝手にやっている。

「2人とも。」

「手洗いうがいならこれ食べてからやるって。」

「食べる前にやるから意味があるんですよ。暑いのもわかりますが。」

「ねえMira、お風呂は。」

「もう沸いていると思いますよ。」

「よかった。もう汗だくでさあ。今日瓦礫を運ばされたんだよ。500mを何回往復したか。」

「瓦礫ですか。」

「あー、おまけに俺たちが頑張って溜めてきた魔道院のスパイラルもすげえ減っててよー。」

「その話もう少し詳しく。」

「いや、先にお風呂入りたいから。」

「わかりました。ではそのあとで。」

2人が結局手洗いうがいをせずに台所を出て行った。

瓦礫、魔道院のスパイラル、気になることが多すぎる。

「ただいま。Miraいないかな。」

そろそろお米が炊き上がるかなという18時半ごろ、糸奈が私を呼ぶ声がした。

だが今はここを離れられなくて、私は廊下から奥の部屋を覗く。

「彩都いませんか。」

「いるよ。」

「すみません、今手が離せないので糸奈のところに。」

「わかった。」

これだけ伝えてお鍋に戻る。

「ここがポイントですからね。」

しかし、しばらくして彩都が台所に入ってきた。

「彩都。」

彩都を一瞬見て驚いた。

「どうしたんですか。」

彩都がチコをお姫様抱っこしている。

「寝ちゃったんだって。お布団を敷いて寝かせてあげてもらえないかな。ここは僕が見てるから。」

「糸奈が私を呼んだのはこういうことだったんですね。わかりました。タイマーが鳴ったらまたスイッチを入れておいてください。」

「はーい。」

チコを預かって、私は部屋に戻る。

チコが寝てしまうまで、医療院で治癒魔法を使ったのだとしたら、やはり原因は先週のハプニングだろうか。

「チコ、チコ。」

何度か声をかけたが目覚める様子が全くない。

私は畳に一度チコを寝かせて布団を敷く。

「チコ抱き上げますよ。」

私はもう一度チコを抱き上げて、私が敷いた布団の上に寝かせる。

「あんまりここで長いお昼寝をさせてしまうと、良くないんですけどね。まあもう少しぐらいいいでしょう。」

チコに布団をしっかり掛けて、私は台所に戻った。

「彩都ありがとうございました。」

「どういたしまして。」

台所には彩都ともう1人糸奈がいた。

「糸奈おかえりなさい。」

「ただいま。チコありがとう。」

「いえ、チコはどこで寝てしまったんですか。」

「医療院で僕を待ってる間に寝ちゃったみたい。」

「では医療院からずっとお姫様抱っこで帰ってきたんですか。」

「うん。」

「お疲れさまでした。」

「なら糸奈はもうお風呂入って来なよ。」

彩都が糸奈の額を見る。

糸奈にしては珍しく軽く汗をかいていた。

「そうさせてもらうよ。今日はいろいろ疲れたから、一度全部洗い落として来る。」

糸奈が台所を出て行く。

「後はクシーと雫だけですね。」

「うん。」

「もうすぐ夕食もできますから、彩都もお風呂をどうぞ。」

「ありがとう。それじゃあ入らせてもらうよ。」

 宿舎の中が少しずつ賑やかになってきた。

彩都と2人だった時には想像もつかないほどのざわざわっぷりだ。

おそらくレークと糸奈が他愛無いことで他愛ないことで言い合いをしていて、それをスマスがすまし顔で見ているのだろう。

そろそろメーラが「うるさい。」と言ってその輪の中に入って行き、ヒートアップしてきたところでシーナが仲裁に入る。

「Mira。」

そんな想像をしながら、洗い物をしていると台所の入り口から声がして振り返った。

「チコ起きたんですか。」

「うん。」

チコは目を細めてふらふらしながら、私の背中にもたれかかる。

「レークうるさいのー。」

「そうですね。賑やかになってきましたね。チコ、お水を飲んでおいた方がいいですよ。」

「はーい。」

チコが紙コップにお水を入れる。

「Mira。」

「なんでしょう。」

「今日のご飯なに。」

「親子丼ですよ。」

「親子丼。」

チコの目がキラキラする。

「この前みんなで決めたでしょう。」

「うん。」

「そういえばチコはお風呂まだでしたね。入ってきてはどうですか。」

「うん。」

「チコが上がったら、夕食にしましょうね。」

「はーい。」

チコが明るい返事をして、ぴゅーっと台所を出て行く。

 「ただいま。」

19時過ぎ、夕食を作り終え、ようやくみんながいる部屋に入った時、入り口の開く音がした。

「あれ、もうみんな帰ってきてるの。」

「クシーおかえりなさい。」

「ただいま。その格好だともうお風呂は済ませてるのか。」

「ええ、今はチコが入ってますね。」

「晩御飯はもう食べたの。」

「いいえ。」

「それなら、僕も入ってくるよ。」

「わかりました。クシーとチコが上がってきたら、夕食にしましょう。」

「Miraは。」

スマホを触っていたシーナが私を見る。

「私は後でいいですよ。」

「いいの。」

「ええ、みなさんの夕食の準備も始めたいですから。」

「手伝うー。」

シーナがスマホをポケットにしまって立ち上がった。

「ありがとうございます。ではそろそろ始めましょうか。」

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