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ノーエルへの訪問(17)

17

 お日様が西に傾き始め、空がどんどんオレンジ色を深めていくころ、大きな杉の木の前で4人がシーツの上に座り込んでいた。

「先生。」

「なにシディー。」

「疲れた。」

「そうね、私も疲れた。」

「結局あれを3セットもさせるからだよ。」

「3セットやってやっとサイクルトレーニングがなんとか止まらずできたじゃない。」あれを来月は1回でクリアしてもらわないといけないんだからね。」

「それにしても今日はきつかったよ。」

「そうねナリー。今日は暑かったし、いつもより少しだけハードなこともしてたしね。」

「やっぱり。」

3人がシーツの上に寝転がる。

「こらちょっと、息を整えたら家に帰るって話してたでしょ。そろそろ帰らないとお母さんたち心配させちゃうわ。」

「先生今何時。」

「17時45分。」

「大丈夫だよ。この時期はいつも18時半まで遊んでるし。」

「あんまり遅くまで遊んでると余計なのに目をつけられるからやめときなさい。」

「余計な物ってなに。」

「あー、いやあなたたちが今まで会ったことがないならいいわ。今の話しは忘れて。」

「忘れていいの。なんか怪しい。」

「忘れて。」

雫が少し声を大きくして言った。

「はーい。」

そう言っている横でソフィーがウトウトし始めていた。

「あーいけない。ソフィー、ソフィーってば。こんなところで寝たら虫に刺されるわよ。起きて。」

雫の必死の声掛けで目を覚ましたソフィーが何とか体を起こした。

「先生眠いよー。」

「わかったわ。そろそろお家に帰りましょう。宿題の話しは帰ってからね。」

雫が立ち上がり、ソフィーを抱っこする横でナリーとシディーがシーツをたたみ、鞄にしまう。

「2人ともごめんね。ありがとう。」

「いいよ気にしないで。先生ソフィー抱っこしてくれてるし。」

少し薄暗くなってきた森の中を歩いていくと、三つ子たちの家の明るい窓が雫の視界に入ってきた。

ナリーとシディーの足取りが少し軽くなる。

ソフィーの熟睡度は歩き出した辺りからどんどん増している。

帰り道はさすがに全員疲れていて、あまり会話なかった。

 「ただいまー。」

お家に着いたのは、結局18時前だった。

入り口を少し開けてシディーが入り、次にナリー、最後にソフィーを抱っこした雫が家に入った。

「ただいま戻りました。」

「おかえり。」

台所で夕食を作っていたお母さんが4人を見る。

「あらら先生すみません。ソフィー重かったでしょ。」

「いえ全然。今日もよく頑張っていましたよ。」

雫がソフィーをフローリングの床に降ろす。

「ソフィー着いたわよ。起きなさい。」

ソフィーがうっすら目を開ける。

「先生。」

「お家に着いたわよ。」

ソフィーがフローリングの上で横になる。

「3人とも汗だくじゃない。お風呂入っていらっしゃい。」

「ええ、お腹すいた。お風呂より先にご飯がいい。」

「ご飯まだできてないの。それに、そんな汗だくでいたら風邪ひくわよ。早く入ってきなさい。」

「でも先生から宿題の話し聞かないとだし。」

シディーが雫を見る。

「先生と一緒にご飯も食べたいし。」

「気持ちは嬉しいけど、とにかくお風呂に入ってらっしゃい。本当にそのままでいたら風邪ひいちゃうわ。」

雫がお母さんを見た。

「3人がお風呂から上がって来るまで少し待たせていただいてもいいですか。次の授業までの宿題の説明がまだできていなくて。」

「もちろんですよ。それに今日晩御飯食べて行くでしょう。」

「いえそんな。」

「いつものことなんですし、今日もそのつもりで料理作っちゃいましたから、食べて行ってください。」

雫が少し微笑んで頷いた。

「すみません。それでは今日もいただいていいですか。」

「もちろんです。」

「わーい。」

ナリーとシディーがぴょんぴょん跳ね、その横でソフィーが寝息をたてはじめている。

まだ眠気が取れないらしい。

「だからさっさと入ってきなさい。」

お母さんに急かされて、3人がお風呂場に向かう。

ソフィーはシディーとナリーに支えられて半分寝ながら入って行った。

「おじゃまします。」

玄関に立ちっぱなしだった雫が靴を脱ぎ、リビングに上がる。

「何かお手伝いします。」

雫がお母さんのいる台所に行くと、お母さんが麦茶の入ったコップを片手に首を振った。

「いえいえ、大丈夫ですから、先生はこれでも飲みながらゆっくりしていてください。あの子たちを見るって大変でしょう。」

「お手を煩わせてしまってすみません。ありがとうございます。でも、彼女たちを見るのは本当に楽しいですよ。」

麦茶を受け取って、雫が辺りを見回す。

「お料理ができるまであそこの卓袱台をお借りしてもいいですか。」

「ええ、どうぞどうぞ。」

雫が卓袱台の前に座り、鞄からパソコンを取り出す。

炒め物の音や、庖丁で何かを切る音を聞きながら、雫が麦茶を喉に流し込んだ。

(美味しい。)

そして、真っ白なテキストファイルを開く。

「今日は暑かったですね。子供たちが熱中症にならないかがいつも心配で。」

お母さんに声を掛けられて雫が手元のタイピングを止めず顔をお母さんの方に向ける。

「そうですねえ。どれだけ魔道が上手でも体がついてこないと元も子もありませんから。本来なら涼しい室内で授業をしたいところなんですけど。」

「無理でしょう。あの子たちの魔力だと建物を壊しかねませんから。」

「ええ。」

今雫がやっているのは、今日の報告書の作成だ。

「あの子たち調子どうですか。」

「順調ですよ。宿題にも毎日積極的に取り組んでくれていますし、きちんと努力が成果になって表れてきています。これからが楽しみですね。」

「いつも気になってたんですけど。」

お母さんがフライパンから料理を大皿に移しながら雫に声をかけた。

「はい。」

「先生ってパソコンしながらどうして話せるんですか。」

「可笑しいですか。」

「あまりこの辺りでは見かけませんよ。」

ノーエルではこういう電子機器はまだまだ珍しい。

日曜家電は少しずつ普及し始めているが、パソコンやスマホはまだ珍しい。

それに、シディーたちのお母さんはノーエル育ちだし今は専業主婦だ。

結婚する前も農家で働いていたから、こういう電子機器とは縁がなかったらしい。

「あー、よくやるんです。パソコン使って仕事しながらでも、グループメートたちと話したくて。初めはすごくおぼつかなかったですよ。話に夢中になってなに書いてたか忘れたり、パソコンに集中しすぎてなに話してたか覚えてなかったり。かれこれ6年ぐらいこんなことしてますから。」

雫がエンターキーを押してお母さんに微笑む。

「すごいですね。」

「いえ、すごく失礼なことしてますよね。すみません。」

「いいえ、こっちこそうるさくないですか。」

「全然。」

雫がマウスをダブルクリックしてから話を続ける。

「前もお話したことがあるかもしれませんが、私このお家が好きなんです。お料理をする音とか、お風呂場から聞こえてくるシャワーの音と子供たちの声とか、テレビから流れてくる音とか、そういうのがいっぱい合わさってできているこの空間が好きなんです。小さいころ憧れていた風景でもあって。」

「うちでよければ好きなだけいてくださいね。」

「ありがとうございます。」

お母さんは雫のことを深く詮索しない。

母親の勘というものなのだろうか。

雫にどんな過去があるのかを聞かなくても、雫が経験してきたことを知っているような接し方をする。

 18時半前、子供たちがお風呂から上がってきてリビングが一気に賑やかになった。

「先生何やってるの。」

シディーが髪の毛を濡らしたまま雫の背中におぶさる。

「シディーまず髪の毛をちゃんと拭いて。これは今日の授業の報告書。」

「報告書。」

「ソフィー、いつも書いてるやつよ。」

ソフィーが真っ白な髪の毛を頭の後ろで結びながら雫の右肩にもたれかかる。

「すごい、字が細かい。」

ナリーが雫の左肩にもたれかかって、雫をゆする。

「あんたたち、先生のお仕事の邪魔しないの。」

「邪魔じゃないよね、先生。」

シディーが満面の笑顔で雫の背中に体重をかける。

「邪魔じゃないけど、パソコンが濡れるのはまずいから、髪の毛はちゃんと拭こうか。」

「先生が拭いてよ。」

「ずるい私も。」

「私も。」

「わかったから、ちょっと待って。」

雫が笑顔半分でファイルを保存し、パソコンを閉じる。

「はい1列に並んで。」

1人ずつ頭を丁寧に拭いていると、懐かしい感覚にかられる。

雫の頭に、まだメーラやシーナの頭を拭いていたころの記憶が蘇る。

「懐かしいわ。グループメートをこうやって拭いていた時期があったから。」

「私たち以外の頭も拭いたことあるんだ。」

「あるわよナリー。」

3人の髪の毛を拭き終え、夕食ができるまでの間、卓袱台を4人で囲み雫が宿題の話を始めた。

「ちょうどいいわ。お家のパソコン持ってきてくれる。」

「はーい。」

ソフィーが立ち上がって奥の部屋に向かう。

「ソフィーの目は覚めたの。」

「うん、お風呂入ってる間少しウトウトしてたから、充電できたみたいだよ。」

「よかった。」

ソフィーの持ってきたパソコンからソフトを立ち上げる。

これのおかげで、オンライン上で雫もこの子たちの宿題の進行状況を確認することができるのだ。

「パソコンの使い方にはもうずいぶん慣れてきたみたいね。誤字脱字もなくなってきたし。」

「うん、先生に教わった通り、きちんとタイピング勉強してるよ。」

「キーボード見なくても打てる。」

「ナリーが一番早いんだよ。」

「そう、いいことよ。じゃあ、もう少し宿題の量を増やしても問題なさそうね。」

「ええ。」

3人がいっせいにブーイングをした。

モニターには表が出ている。

左の列は日にち、そこからシディー、ソフィー、ナリーの順番で右へ行き、5列目に雫の名前がある

シディーたち三つ子の名前のところをクリックすると、その日、雫から出されている宿題の一覧が表示され、やり終えた物にはチェックマークを付けるのと、100点満点のうち何点ぐらいの出来だったかと何かコメントを一言書き入れるようになっている。

それを見た雫が3人それぞれにコメントを送り返し、それとは別に3人全員に向けたコメントを5列目に書き込む。

コメントというか、ちょっとしたコミュニケーションツールに使っている。

「これから1か月分の宿題の入力は済ませてあるから、各自で確認していつも通りやってね。少し量が増えてたり、一人一人内容を変えていたりするから、よく確認するように。」

「はい。」

「あと来月テストだから、最後の追い込みもきちんとやっておくように。」

「はい。」

「先生次はいつ来るの。」

「来月の第4週のどこかよ。まだちゃんと日にちが決まってないけど、必ず来るから。」

「わかった。」

ポリス月間もノーエルには来れる。

最悪雫1人でもこの子たちのために足を運ぶのだが、具体的な日にちはいつもぎりぎりにならないとわからない。

わからないというか都合を付けられないのだ。

「先生宿題のお話は終わり。」

ナリーがパソコンから雫に視線を移す。

「ええ、終わりよ。晩御飯までなにしようか。」

「宿題教えて。」

3人が口をそろえて言った。

「座学とか普通の科目のってことよね。」

「うん。」

ソフィーが大きく頭を縦に振る。

「わかったわ。3人とも持ってらっしゃい。あーでも、ここでやったら夕食の準備の邪魔になるわね。」

「なら私たちの部屋でやろう。」

「いいの。」

「いいよねお母さん。」

「はいはい。」

「よろしいんですか。」

雫がお母さんを見る。

「散らかってますけど、どうぞ、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

3人に連れられて雫が子供部屋に行き、辺りを見回す。

「先月よりは片付いてるじゃない。」

「昨日頑張ったの。」

「お母さんに片付けなさいって。」

「余計なこと言わないの。」

ナリーが言いかけた時、台所の方から大きな声が聞こえてきた。

「そういう時だけよく聞こえてるんだよね。」

シディーが雫の耳元でぼやく。

「お母さんだもの。」

「先生のお母さんもうちのお母さんみたいな人だった。」

「そうねえ。」

雫が少し斜め上を見てから、視線を子供たちに戻す。

「素敵なお母さんだったわよ。物静かで笑顔が素敵で声が優しい人。」

「うちとは大違い。」

「また聞こえちゃうわよ。」

雫が苦笑いを浮かべて首を振る。

「さあ早くしましょう。」

3人の宿題を見ている雫の頭の半分が雫と母親との記憶に持って行かれていた。

(私からしてみれば、あなたたちのお母さんの方がずっと素敵だと思うわよ。)

その後、お父さんも帰ってきて雫たちは6人で夕食を摂った。

三つ子のお父さんは、近くの畑の管理者で、ノーエルで取れる野菜の5%を栽培している。

「いただきます。」

今日の夕食は、白米、シイタケの味噌汁、夏野菜のサラダ、卵の卵とじだ。

雫の食事をする手が止まらない。

「美味しいです。一人暮らしなので、食事って結構蔑ろにしがちなんですよね。だから、こういう家庭的な味は本当に美味しくて。」

雫があんまり美味しそうに食べるから、お母さんがとても上機嫌だった。

「シディー野菜食べた。」

雫がふとシディーのお皿の中を覗き込む。

「食べてるよ。」

「今日はでしょ。」

ナリーに横から指摘されてシディーが顔を歪める。

「宿題に「毎日野菜を1種類は食べること。」も追加した方がいい。」

「先生それは頼むから本当にやめて。」

一同が笑いに包まれる。

「しないわよ。私にだって苦手な食べ物はあるし。」

「なになに。」

「それはなーいしょ。」

「えー。」

「私たちは食べられてる。」

ソフィーがお箸をおいて雫を見る。

「そうねえ、みんなはきちんと食べれてるわよ。」

「なんか言い方があやふや。」

雫が微笑んでご飯を口に運ぶ。

「うちのご飯でよければいつでも食べに来てくださいね。先生だって大きな娘みたいなもんですから。」

「ありがとうございます。」

 20時前、夕食を食べて家族みんなとお話をし、3人の宿題の残りを見てから雫が荷物をまとめた。

「本当に長いお時間おじゃましました。ご飯美味しかったです。」

「こちらこそいつもお世話になってますから。」

玄関先でお父さんとお母さんに会釈をして雫が3人の視線に顔を合わせた。

「また来るわね。」

「先生明日もいるんでしょ。」

「ええ、学習韻には行かないけどノーエルにはいるわよ。午前中もう少しお仕事をしてから帰るつもり。」

「そっか、遊びに来てくれたらいいのに。」

「そうねいつか遊びに来たいわね。それでみっちり朝から晩まであなたたちに魔道を教えるの。楽しいでしょうね。」

「ええ。」

嫌そうに笑う3人の顔を見て雫が立ち上がって一礼する。

「それでは失礼します。」

「先生ばいばーい。」

3人に手を振って雫が歩き出した。

空はもう真っ暗だ。

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