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ノーエルへの訪問(13)

13

12時半を回ったころ、雫が荷物をまとめて席を立つのが見えた。

「行くの。」

「ええそろそろ。」

「行ってらっしゃい。」

「行ってきます。5時間目頑張って。」

雫がひらっと手を振って部屋を出て行った。

まるで初めてメーラやシーナのことを俺に預けて部屋を出て行ったときのように。

俺は食べ終えた給食のお皿に蓋をして5時間目から8時間目までの教材や教科書を科目ごとにまとめて鞄に入れる。

一度ここを出ると休む間もなく4時間ぶっ通しで教え続けることになるため、水稲やちょっとしたおやつも鞄に入れておかないといけない。

授業開始5分前のチャイムが鳴り、俺は部屋を出た。

魔道適性を持った子供たちだけにする授業は少し大きめの教室を使って行う。

5時間目は20人しか受けないから普通の教室の広さでも足りるのにと普段なら思うが、今日は広めの教室でよかった。

「こんにちは。」

本鈴がなるまで少し廊下で待って、俺は少し大きめの声で挨拶をしながら教室に入った。

教室の中を暴れまわっていた男の子たちが俺をちらっと見る。

一つの机を囲んでおしゃべりをしていた女の子たちが俺が来たことに不快感を示すように俺を見る。

そして、全員がぱっとこちらに体を向けぱたぱたと並び始める。

「みんな本鈴は聞こえたよね。5時間目を始めよう。今日はマトリエ先生が教えます。席についてくれるかな。」

一応こう伝えるが彼らが俺の話を聞いてくれるわけもなく、20人の生徒がずらりと並んだ。

「みんな先生は席につこうかと提案したんだ。今整列はしなくていいよ。これからするのは座学の授業で会って実技の授業じゃない。いいのかい。」

そこまで言ったとき、一斉に生徒たちがこういった。

「攻撃魔法アタック。」

20人の生徒たちが手を前に突き出し、小さな手にスパイラルを集めていく。

もはや恒例と言ってもいいほどに恒例化したこの講堂を俺は嫌味を込めてご挨拶と呼んでいる。

ちなみに、彼らがこんなことをするのは俺だけらしい。

攻撃用にカスタマイズされた鋭利なスパイラルが俺めがけて20人掛ける2の40本飛んでくる。

俺はそれをよけることなくすべて受け止める。

俺はスパイラルのナイフがこちらに飛んでくるまでにスパイラルナイフの力を目視し、防御魔法を使うほどでもないと判断したのだ。

思った通り、スパイラルナイフは俺の体に当たりひらひらと散っていく。

痛みは全く感じない。

生徒たちがとても悔しそうな顔をする。

「他の人にしてはいけないよ。さあ満足しただろう。今日も元気なご挨拶をしてくれてありがとう。みんな着席しようか。」

「でも先生は防衛魔法を使ってない。なら、魔法を使えない人にもこれをしていいんじゃないの。」

「今の君たちの力ならそうかもしれないけど、これから君たちの魔道士としての力が高まれば高まるほどそういうわけにはいかなくなる。一般の人に魔道を飛ばすなんていう癖は付けるべきではないよ。だから、本来なら実技ではないこの座学の時間に魔道を発動させていることすら褒められたことではない。さあ席について。早く始めないと休み時間がなくなるよ。」

生徒たちがむくれた顔でだらだらと席に着く。

お決まりの流れだ。

「みんな教科書を開いて。この前のまとめをしてから今日のところに入るよ。」

生徒の机の上には何もない。

教科書どころかノートも鉛筆もない。

前はまだ鉛筆ぐらいはあったのだが。

列記としたボイコットだ。

俺は生徒たちの目を1人1人見ていく。

これでまだ目を逸らせば説得の余地もあるかもしれないが、この生徒たちは目が合っても目を逸らさず、逆に睨み返してくる。

ある意味感心するほどに硬い意志を持っている。

「マトリエ先生の授業は受けません。」という意思だ。

「今日は全員揃っているね。よかったよ。みんな教科書は。」

誰も返事をせず、慌てて鞄をさぐる様子もない。

「先生。」

今までにない転回だ。

1人の男子生徒が手を挙げた。

「何かな「公」君。」

「教科書を忘れました。」なんて答えを少し期待したが全く違った。

「どうして先生は俺たちが攻撃魔法を使っても怒らないんだ。」

「怒ってるよ。」

「怒ってるの。」

他の生徒が聞き返してくる。

「うん、怒ってるよ。分かりづらかったかな。」

「他の先生に試した時はもっと怒鳴られたよ。」

「へえ、みんなの行いは褒められたものではないけれど、怒鳴るほどのことじゃないだろ。待って、他の先生は怒鳴るほど怒るのかい。」

「うん。」

「怒鳴るしきれるし怖い、怖い。だからマトリエ先生に死かしないんだ。」

「へえ。」

感覚のずれなのだろう。

「先生が教えたことのある生徒の中にはもっととんでもない魔法を使って全力で授業を阻止しようとした子たちもいたから、みんなの魔法なんてかわいい方なんだよ。それに、授業を受けたくないという意思表示を前面に出すことは、先生の授業において悪いことではないよ。」

「どんな生徒だったの。」

ふと時計を見る。

きっと生徒たちの狙いは雑談をして授業を進めないというところにある。

わかってはいるが乗ることにした。

これも今日の授業スタイルの一つだ。

「その子たちを教えていた時は3人だったんだけどね、3人総出で僕に攻撃をしかけてきたんだ。それもとてもよくできた連係プレーでね。1人は痺れ粉をまき散らしてもう1人は植物の弦を生やして先生の両手足を縛ろうとして、最後の1人がこれでもかというほどの水を先生の顔めがけてかけてきたんだ。」

「えー。」

クラス中がざわざわする。

いい感じだ。

授業とは全く関係のない話をしているが、いつもに比べれば形になっている。

生徒たちは自分の席に着き俺の方を向いて俺の話を聞いている。

「君たちと同い年ぐらいの子たちだったよ。後で彼らも先生にものすごく怒られた。あれは怖かったなあ。」

「それって学習韻の先輩。」

「違うよ。先生のグループメート。」

シーナ、メーラ、レークだ。

あの時はとんでもない目にあった。

3人とも疲れていてあまり勉強に乗り気でないことはわかっていたが、仕方ないだろうと言い聞かせて授業をしようとした。

しかし、しびれを切らせたメーラがまず俺めがけて痺れ粉を一気に放出し、それを見たシーナが何とも言えないほどの速さで弦を生やし両手足を縛りあげ、最後にレークがにやにやとした顔で俺に水をかけてきた。

年の差と実践経験の差があったおかげで俺は防御魔法を貼り、無害だった。

魔法を放った当事者である3人も無害だった。

ただし、3人の使った魔道も俺が使った防衛魔法も強すぎて実害が出たのだ。

魔道がぶつかり合った時の衝撃やレークの水でまずグループルームの書類や電子機器がとっ散らかって水浸しになり、メーラの放った痺れ粉のにおいが室内に蔓延し、シーナの使った鶴が家具をひっくり返すという大惨事になった。

最初にこの悲惨な状況を目撃したのが雫だったらまだましだったかもしれない。

しかし、俺たちがどうしたものかとあっけにとられている時に帰ってきたのはMiraだったのだ。

グループができてまなしのことで俺は初めてMiraが怒るところを見た。

とんでもなく怒られた。

あれのおかげでMiraを怒らせてはいけないということを俺たち4人は学習した。

「何をしてるんですか。これはどういうことですか。書類や電子機器、家具は誰が直すんですか。重要機密の情報ばかりなんですよ。」

「Mira待って俺は悪くない。」

「はっ、何を言っているんですか。あなたがこの子たちをきちんと静止ていればこんなことにはならないんです。」

そんな理不尽なと思ったが反論の余地はなく、Miraは更にまくしたてる。

「あなたたち、魔道を不用意に放ったらどれだけ危ないかわかっているでしょう。ここはただの部屋なんです。それに今あなたたちがやっているのは座学です。実践演習ではありません。自分たちで責任が取れないことをしてはいけません。」

Miraがすごい勢いでお説教をする。

普段優しい人が怒ると普通の人が怒るより怖いとはよく言ったものだ。

メーラとシーナは大号泣、レークはフリーズし、俺はどうしたらいいかわからずきょろきょろしていた。

「あなたたち4人でこの部屋を綺麗にしなさい。」

Miraはそれだけ言うと、荷物を取り換えて部屋を出て行った。

あの片付けに半日かかったのだ。

「あなたたちなにやってるの。面白いことするわねえ。あのMiraを怒らせるなんて。」

雫にはやはり大爆笑された。

結局最後はMira以外のグループメート全員に手伝ってもらい片付いたのだ。

 「先生。」

呼ばれて我に返る

今は思い出に浸っている場合ではない。

「そんなわけでみんなの攻撃ぐらいはどうとも思わないんだ。」

「面白くねえの。」

授業が始まって5分、ここまで誰も席を立たずにいるなんていつもなら考えられないことだ。

俺は教科書の表紙を生徒に向けた。

「さあ始めるよー。ただし、みんなが教科書を忘れてきたから、今日はいつもと違うことをしよう。」

「なにすんの。」

生徒たちが俺に向ける視線が少し輝く。

「今日は教科書に書かれていることを実際に再現してみよう。」

生徒たちが首をかしげる。

「教科書に書かれてあることを実際に試してみるんだ。今日はそうだねえ。」

俺は教科書をぺらぺらさせる。

やる場所は決めているが、こういうパフォーマンスは意外と面白いし、生徒たちの集中力を上げる。

「ここにしよう。」

俺は生徒に教科書を見せる。

「攻撃系統魔法、防御・防衛系統魔法、その他の系統の魔法の区別を実際に体験しながら、今日勉強する共同魔法を再現しよう。とは言っても、みんなは実技ができるからそんなに新鮮味はないかな。でも、今日は少しややこしいことをしようか。」

俺は右手の掌を上に向けてスパイラルを発生させた。

「今日はこういうことをするよ。さあ問題です。これは何法かな。」

「氷魔法。」

誰かが元気よく答えてくれた。

「そうだね。なら、これは何魔法と何魔法の共同魔法かな。」

「水魔法と。」

水魔法という答えはすんなり出てくる。

水のスパイラルはノーエルで2週間後に開かれるお祭りSerenereのお祭り飾りの一つにも数えられているスパイラルで、ノーエルの子供たちには馴染み深いスパイラルだ。

しかし、あとが出てこない。

「水魔法と。」

聞き返すが生徒全員首をかしげる。

「一度魔法から離れて考えてみようか。氷は水をどうすることでできるのかな。」

「水を冷たくするとできるの。」

3年生の「カナリア」が手を挙げて答えてくれた。

「カナリアさんそうだね。水を冷たくする。水の温度を下げるんだ。つまり、気候魔法を使って水のスパイラルの温度を下げてスパイラルの氷を作る。つまり答えは。」

「水魔法と気候魔法。」

生徒全員が一斉に答えた。

「正解。」

クラスの中がざわざわする。

ブーイングや悪口と言ったネガティブなざわめきではなく、面白い、楽しいというポジティブなざわめきだ。

「他には他には。」

「なら逆を考えてみよう。」

「逆。」

1年生の「誉」が首をかしげる横で3年生の「優斗」が手を挙げた。

「お湯を作るのか。」

「そうだよ。」

「簡単だ。水魔法で使う水のスパイラルを気候魔法で今度は熱くすればいいんだ。」

「正解。」

「先生他には。」

「そうだねえ。」

今まで俺が教えてきた中で一番クラスがいい感じの空気になってきた。

魔道識別学で今教えているのは魔道同士を組み合わせて行う共同魔法と言われるものだ。

初めは二つの魔法を合わせるところから始めこの授業では最終的に五つの魔道を組み合わせるところまで教える。

もう少し二つの合わせ技で遊ぶことにした俺は生徒を見た。

「今みたいに二つの魔道を組み合わせると何ができると思う。」

生徒たちが思い思いに意見を述べる。

「泥。」

「薬。」

「肥料。」

「嵐。」

「そうだね。いろんなものができるよね。ならそれはどうやって作るのかな。隣のお友達と一緒に考えてみよう。」

 メーラたちを初めて雫が俺に預けて行った日、広義では全く教えられないと踏んだ俺はやり方を変えた。

まさしく今のように実際に目の前でいくつか例を見せて、あとは自分たちに考えさせる。

メーラやシーナは実戦経験が豊富なうえに魔道士としての力も同世代の子供たちより遥かに高かった。

そのため、こういうやり方でもよかったのだ。

ここの生徒たちがメーラたちのような高い魔力を持っている魔道士ではないことを懸念していたが、彼らなりになんとかやっている。

「先生わかったぞ。泥はなあ、砂のスパイラルに水のスパイラルを足せばいいんだ。」

「先生お薬はね、草のスパイラルに水のスパイラルを足せばいいの。」

「先生肥料は砂のスパイラルに草のスパイラルを足して、それに水のスパイラルを足して、火のスパイラルを加えて気候魔法で熱するの。」

生徒たちの理解度が非常に高い。

「今肥料を提案してくれたクラスメートがいるんだけど、いくつ魔法を使ったかみんなで聞いてみよう。」

授業の終わりには目標である5工程の魔法を使ってスパイラル肥料を作るところまでやれた。

「じゃあ、今日のまとめも兼ねて先生が実演するね。まず砂のスパイラルを出します。それに草のスパイラルを加えることで肥料の養分になります。それに、水のスパイラルを加えて肥料がばらばらになるのを防ぎます。更に日のスパイラルを足して燃えるようにした後、気候魔法を使って実際に燃やせばスパイラル肥料の出来上がりです。」

クラス中が喜びの声でいっぱいになる。

いつもよりチャイムが鳴るのを早く感じた。

「今日の授業はこれで終わりだよ。今日のことを作文にまとめて次の先生に渡すように。」

「えー。」

生徒たちのブーイングを聞きながら俺は部屋を出た。

「先生今日は楽しかったよ。」

廊下を歩いていると教室の方から生徒の声がした。

俺が振り返ると数人の生徒が手を振ってくれていた。

(雫に後でお礼をしないとな。)

 6時間目は比較的すんなり進んだ。

小学生だが高学年にもなれば少しは物事に分別が着くし、内容的にもめるようなことでもなかった。

「それじゃあこの前のテストを返すね。名前を呼ぶから取りに来てもらえるかな。」

テスト返しをし、授業の続きをして残りを課題にした。

「先生これ文章問題。」

「そうだよ。」

「この科目で文章問題なんてしたことないよ。」

「普通にやってごらん。算数の文章問題を解くのと同じ感じだよ。次の試験ではこういう問題も出るからしっかり練習してね。わからなかったらまた聞いて。」

「はーい。」


 次は7時間目だ。

もう15時を回っている。

グループルームにいたらおやつを食べながら仕事をしている時間だ。

(次は。)

中学生45人がいる教室に入ると、ざわざわとした声が徐々に小さくなっていった。

「みんなこんにちは。今日授業を担当するマトリエです。よろしくね。」

さすが中学生、机の上には文房具も教科書もノートも置いてある。

小学生とはやはり違う。

「じゃあ授業を始めようか。教科書90ページを開いて。」

さくさくと7時間目を終え、8時間目は隣の教室で行う。

教室を出るとき、1人の女子中学生と一緒になった。

「先にどうぞ。」

「いえ先生が先にどうぞ。」

彼女はこの授業を一番前の列で熱心に聞いていた生徒だ。

きっと座学が好きなのだろう。

彼女のテストの採点をすることもたまにあるが、よく理解できているし、字も綺麗で非の打ちどころのない優等生だ。

「ありがとう。それなら先に行かせてもらうね。」

俺が教室を出ると彼女も後ろについてくる。

「あの。」

「なにかな。」

俺が立ち止まると彼女は先に進むように表情で促した。

「8時間目も授業ですか。」

「そうだよ。高校生に授業を。」

「それって魔道物理と実践物理の応用学ですか。」

「うん。」

「嬉しいです。また先生の授業が受けられて。」

「えっ、君はまだ中学生だろ。」

「そうですが、他の先生に高校レベルの座学まで受けてもいいんじゃないかと勧められて。先生がこの前高校生用にしたクラスにも私いましたよ。」

「そうだっけ。」

「はい。」

彼女が少しむくれる。

「先生私の名前忘れたりしませんよね。」

むくれていたかと思えば今度は急に慌てた顔になる。

「もちろん覚えているよ。「要塚雪」さん。」

雪が満足そうに頷く。

「よかったです。」

「生徒の名前だからね。全員覚えているよ。」

「そうですよね。」

雪は教室に入ると一番前の端に座った。

「この授業も楽しみにしてたんです。よろしくお願いします。」

「はい。」

こうして8時間目が始まった。

高校生の授業ではあるが、地域によっては大学生が勉強するような内容だ。

難しいがゆえについてこれずうとうとする生徒や最初から授業に来ない生徒もいる。

しかも俺が「講義形式の鬼」だという噂が学習韻中に広まっているせいで生徒の顔にはやる気がない。

そんな中で雪はいつも一番前の列で俺の授業を熱心に聞き、成績もいい。

本当によく勉強のできる子なのだろう。

「みんな一回起きようか。今からテストに出るところをまとめるからせめてそこだけでも聞いて。」

後ろの方で寝ていた生徒たちがへなへなと起きる。

「じゃあ続けるよ。」

 俺はいつも授業の最後に質問タイムと称したラスト5分を作る。

何もなければ5分早く授業が終わるのだ。

「じゃあ最後の質問タイムを取るね。何かあるかな。」

当然誰の手も挙がらないと思ったが、雪の手が挙がった。

「先生よろしいでしょうか。」

「なにかな。」

「練習プリントの4番の解説ですが、先生のご説明通りにいくと答えがずれてしまいます。」

雪が自分のノートを俺に見せた。

他の生徒が「余計なことをするな」という顔で雪の背中を見ている。

出る杭は打たれるとはこのことだ。

自分たちよりも後輩が質問し、早く終わらせたい授業が終わらなくなる。

そうすると、この生徒を一斉に非難する。

だが、雪のノートを見る限りたしかに俺の説明が間違っていたことになる。

このまま冷たい視線を向けられるのは教師として嫌だったので、一つ考え付いた。

「要塚さん、要塚さんの意見を前で説明してもらえませんか。」

「えっ。」

雪の肩がぴくりと反応する。

「要塚さんの指摘がどのようなもので、どうしてこの指摘をするに至ったのかをみなさんにも伝わるように、論理的に解説してほしいのですが。」

「わかりました。」

しばらくの間の後、雪が自分のノートを持って黒板の前に立った。

生徒たちと対面し、雪がゆっくり息を吐いて口を開く。

「私はこのように考えました。」

自信はなさげだったが、内容はしっかりしていたし、説明が始まってから3割ぐらいで、授業をきちんと聞いていた生徒の8割ぐらいが雪の意見に賛同していた。

「要塚さんありがとう。たしかに先生の解説が間違っていました。みなさんもこのようにノートを直しておいてください。」

そこでちょうどチャイムが鳴り、生徒たちが俺の指示も聞かずに席を立つ。

「教科書の105ページから110ページの練習問題と今日配った練習プリントの後半11番から20番までを次までの宿題にします。きちんと解いてくるように。」

 授業が終わって数分後、荷物をまとめ雪を見ると雪が肘をついて窓の方向を見ていた。

「要塚さん。」

「はい。」

雪がふっと首をこちらに向ける。

「さっきはありがとう。いい指摘だったね。それに、素晴らしい説明だったよ。」

「いえ先輩方に理解していただけるような上手な説明はできませんでしたし。」

俺は首を振る。

「そんなことはないよ。8割ぐらいの人は要塚さんの説明を聞くうちに、要塚さんの指摘に賛成していたし、要塚さんの考えは正しかったんだ。」

雪が少し嬉しそうに表情を崩した。

しかしそれはどこか寂しそうにも見えた。

「私だめなんです。友達できないし、先輩にも後輩にも同級生にまで冷たい目で見られて。私はただ魔道座学が好きでやってるだけなのに。」

泣いてはいないが思わず漏れた本音というようなトーンで雪がこう言った。

授業以外での生徒との関りは得意ではない。

俺の安易な発言が生徒を気づ付けてしまうかもしれないと思うと、プレッシャーが半端ではないのだ。

しかしここで無視をするわけにもいかない。

今言える言葉を探した。

飾っていない正直な本音を探した。

「要塚さんってとても勉強熱心だよね。知っているよ。」

「えっ。」

数瞬俯いていた由紀が顔を上げる。

俺は雪が少額6年の時から彼女を見てきた。

勉強熱心で努力家で彼女の努力を教員は正当に評価しているはずなのに、他の生徒たちからは妬まれ、疎外されているのは昔から変わらない。

「要塚さんが気づ付かない程度なら、他人からの自分の扱いなんて気にしなくていいよ。他人からの評価だって気にしなくていい。」

雪が俺を見て微笑んだ。

「先生はそうやって大人になったんですか。」

自分のことを聞かれるとは思わなかったが、俺は素直に頷いた。

「うん、周りの評価より自分がどうしたいかで生きてきたかな。だから今木漏れ日先生のグループにいるんだ。」

「周りの目を気にしないで自分のやりたいことをやる力ってどこから湧いてくるんですか。」

「叶えたい願いとか、達成したい目標とかからかな。要塚さんにはそういうのない。」

雪が少し黙り込んだ。

「気が向いたらまた考えてみて。」

俺は雪に会釈をして教室を出た。

雪のことは少し気になるが、しっかりした子だから自分で何とかするだろう。

それに、俺はこれ以上雪に立ち入れる立場の人間でもない。


 「終わったあ。」

17時、最初にいた部屋に戻って俺は伸びをした。

原則として、授業の報告書はその日か遅くても次の日には作成し、学習韻にデータを送ってネットの分も行進しないといけない。

明日はノーエルで午前中作業をした後、MYに帰る。

優先度マックスの仕事を残しておきたくはない。

「仕方ない。やるか。」

だいたい報告書の作成には1科目15分以上かかる。

しかも今日の5時間目のような授業をすると詳細を書くのに更に時間がかかる。

寒月先生がこの部屋を覗きに来た時俺はまだ報告書を作成していた。

「マトリエ先生お疲れ様です。」

ノックの後入ってきた寒月先生が俺に声をかけた。

「寒月先生お疲れ様です。」

俺は手を止めて寒月先生を見る。

そこでやっと既に18時を回っていることに気づいた。

「すみません。もうここを閉めますよね。」

「あーいえ、このお部屋はまだ開けていられるんですけど、私が帰ろうと思いまして。」

「そうでしたか。お疲れ様です。今日の授業の報告ですよね。」

俺は席を立って寒月先生の前に立った。

「詳細はもうすぐ出来上がる報告書にまとめてあります。特に大きなトラブルはありませんでした。ただ、要塚さんのことだけ見守ってあげてください。」

「彼女何か言いましたか。」

「ええ少し弱音を聞きました。」

寒月先生の顔に驚きの表情が現れる。

「何か。」

「いえあまり弱音を吐かない子なので驚いて。マトリエ先生には心を開いてるんですね。」

「たんに私が学習韻とは直接関係のない人間だからでしょう。」

寒月先生が少し考えているような顔をしてから頷いた。

「わかりました。もともと雪さんはとても優秀でなかなか同世代の生徒と仲良くできない子ですから。付かず離れずで見守ります。」

「お願いします。」

寒月先生がふっと何かを思い出したように会話を続けた。

「あと、子供たちから聞きました。5時間目大好評でしたね。」

「えっ。」

寒月先生がにこにこしながら話してくれた。

「子供たちが5時間目すごく楽しかったって報告に来てくれたんですよ。いつもはものすごく怖いマトリエ先生が怖くなかったって。」

「普段から怖くしているつもりはないのですが。雫のおかげです。」

「確かに木漏れ日先生のおかげかもしれませんが、授業をしたのはマトリエ先生です。今後ともよろしくお願いします。」

「はいこちらこそ。」

部屋の入り口から寒月先生を送って俺は机に戻った。

宿舎でやってもいいが、きっと宿舎は賑やかすぎてこんなことはできない。

 「それにしても雫はすごいな。」

報告書を仕上げ終わったのはそれから30分後だった。

部屋の灯りを消して薄明るい空の下を歩いていく。今日はなんだかんだで雫に助けられた。

雫がアドバイスをくれていなければ、今日の5時間目は破綻していただろう。

後日雫に何かお礼をすることにして俺は宿舎を目指した。

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