表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/173

ノーエルへの訪問(12)

12

 雫が凄い集中力で三つ子たちのカルテに目を通している横で、俺はノーエルとは関係のない仕事をしていた。

教材の最終チェックにはそんなに時間はかからないし、ここでの仕事の負担は雫の方が大きい。

1人で3人の子供の実技を付きっきりで見ているのだから無理もない。

俺はメーラやシーナから頼み込まれた仕事をしぶしぶやることにした。

「失礼します。」

11時を回り、ノックの後扉が開いて寒月先生が入ってきた。

「マトリエ先生今よろしいですか。」

「はい。」

「ありがとうございます。」

寒月先生が雫を見る。

雫はずうっとパソコンを見ていて先生に気づいていない。

「集中してると周りが見えない性格なので、放っておいてもらっていいですよ。」

「わかりました。」

寒月先生が俺の前に椅子を持ってきて座り、大きなファイルを開いた。

「えっとまずは今日の時間割の確認からしましょうか。」

「はい。」

「今日は5時間目から8時間目まで授業をしてもらいます。5時間目は少額1から3年生の20人に魔道識別学、6時間目は少額4から6年生の25人にスパイラルの演算法を7時間目は中学生45人に魔道物理を8時間目は高校生30人に魔道物理と実践物理の応用額を教えてもらうことになっています。えっとー、それぞれの授業の進捗状況等は。」

「確認済みです。」

「そうですよね。」

寒月先生は俺と話すとき、なぜか肩に力が入っているような感じがする。

そんなに警戒される必要はないのだが。

「では今日の授業内容のイメージをざっくり教えてもらえますか。」」

「はい。」

俺はパソコンのモニターを寒月先生に見せた。

「5時間目は魔道識別学の教科書を進めながら、細かなところをプリントで補足していこうと思っています。これはそのプリントになります。問題がなければ、これから印刷するつもりです。」

「失礼します。」

寒月先生がパソコンの中をじーっと見る。

顔が険しかった。

「あの。」」

「はい。」

「もう少し柔らかな言葉にしませんか。まだ7歳から9歳の子供たちですから、こういう難しい言葉の理解は少し。」

「魔道識別学の内容にはどうしても目では確認できない抽象的な概念が多く含まれます。それらを概念用語抜きで説明するとなると子供たちの中に誤解が生じるかもしれません。」

「そうですねえ。でも。」

寒月先生の言葉の切れが悪い時、それは相手に気を遣っていて思ったことが言えない時だ。

これは4年間雫と関わるときの寒月先生を見ていて気付いた。

雫と話すときの寒月先生はもっとてきぱきとものを言い、けして雫に後れを取らない。だが、俺と話すときはいつも言葉がはっきりしない。

「よければ意見を聞かせてください。子供たちに正しい理解をしてもらいたいと思っているだけですから、むしろ批判的な意見は取り入れていくべきだと考えています。毎回伝えていますが、気を遣わないでください。」

「はい、ありがとうございます。」

改めてこう伝えてもまだよそよそしい寒月先生だが、それでも言いたかったことは伝えてくれた。

「まず、このプリントは小学校低学年の子供たちに見せるには難しすぎますし、授業設計もレイアウトが単純すぎて子供たちが飽きます。」

俺は頭を抱えた。

似たようなことをさっき雫に言われたような気が。

「雫。」

「なあに。」

ふっと雫の方を向くと、雫と目が合った。

こちらを見てにこにこしている。

「ちょっといい。」

「いいわよ。」

雫が席を立って俺たちの方へ来る。

「寒月先生すみません。本当は面白い授業ができる子なんですけど。」

「あーいえ。マトリエ先生に小学生の授業を持ってもらうようになったのはつい最近のことですから。」

寒月先生がなんとか答えを探している横で雫が俺のパソコンを覗き込んだ。

「あー。」

呆れの感情を隠そうともしない大きなため息に俺はため息で返す。

「私の言いたいこと当ててみ。」

「つまらない。」

「ぴんぽーん。言おうとしていることはよくわかるし、伝えようとしている内容自体は間違ってない。でもね、これを小学1年生が見ても何も面白くないわよ。」

こんな反論をしても全く意味はないとわかりつつ、俺は一応思ったことを口にする。

「面白くなくてもいいよ。勉強が進めばそれでいい。楽しくわかりやすく自発的な学習を促しつつ、既に世の中に広まっている知識を叩き込むなんて無理がある。」

雫がモニターに映っている表を指さしながら俺の反論に答えた。

「ええ何も否定しないわ。その通りだから。でも、それをなんとかしようと努力するのが今の私たちの仕事よ。」

やっぱり反論の余地はくれなかった。

でも、少し声が柔らかい。

「あのね、寒月先生も指摘してくれていた通り、抽象概念を使った説明が多すぎる。これはまだ少額1年生じゃ無理よ。どうしてもこのやり方でいきたいなら、具体例を使ってあげる必要があるわ。」

「いきたいなら。」

おれはそこが気になって復唱した。

「そうどうしてもこの表を使いたいならね。クシー、クシーはさっきメーラたちに教えたように教えるのは無理だって言ったよね。でも、それは違う。ねえ思い出してみて。メーラにこの辺りを教えた時さあ、どうしてた。」

雫の意味深な笑顔に少し言い返したい気分になったが、それを我慢して取り合えず思い出すことにした。

メーラたちに教えていた方法は参考にしない方がいいと考えて、いつもはこの辺りの記憶を思い出そうとはしない。


 まだこのグループができて2か月ぐらいしか経っていなかったころ、急に雫が俺に声をかけてきた。

「クシー、クシーは座学は得意よね。」

「えっうん。」

ちょうど大学に上がりたてだった俺は取り合えず頷いた。

「だったらこの子たちの勉強を見てあげて。」

「えっ。」

「できるでしょ。」

雫が首をかしげて微笑みかけてくる。

雫の前に立っているメーラとシーナが俺の顔を怖がるように見ていた。

「えっとー。」

「魔道識別学が苦手みたいなの。」

「それは。」

「教えてあげたいんだけど、レークの担任の先生に呼び出されちゃってね。そういうわけだからクシーよろしく。」

今思えばあれは俺がメーラやシーナと仲良くなるためのきっかけ作りだったのだとわかる。

あのころの俺はとにかく小さい子たちから怖がられていた。

メーラやシーナは俺に基本的に近づいてこない。

それをわかっていた雫があえて勉強を俺が2人に教えるなんて言うとんでもないシチュエーションを用意したのだ。

(よわったな。)

雫が部屋を出た後、2人がずっと俺と一定の距離を取り続けている。

「勉強するんだろ。」

俺が声をかければぴくりと反応して2人とも余計に後ろへ後ずさる。

「やるならきちんとやろう。」

あの時も今と同じぐらい手を焼いていた。

話そうとしても怖がられ、聞こうとしても何も答えてくれない。

ある意味全く意思疎通ができていないのだ。

これは普通の講義形式ではだめだと、2人を見始めて10分で察した俺は。

そこでふっと思い出した。

雫を見ると、雫が狙い通りというふうに笑っている。


「あのさあ、意味深スマイルはやめてくれない。」

「そんなことないわよ。それにきちんと思い出せたでしょ。」

「あれは。」

「ここの子たちって今までに授業を受けて知識はあるでしょ。メーラたちに教えた時より遥かにハードルは低いと思うけど。」

「それはそうだけど。」

「やってみる価値はあるんじゃない。」

俺は自分が作ってきた教材と頭の中の記憶を比較するように見比べる。

「やる価値はあるけど、準備が。」

「なんとでもなるでしょ。」

雫が微笑んで口を開いた。

「寒月先生、5時間目はクシーに任せてあげてもらえませんか。きっと持ってきた教材より遥かに子供たちに適した授業をすると思うので。」

「わかりました。」

雫の言葉はほとんど疑わない寒月先生がなんの抵抗もなく頷いた。

「時間があまりないわ。6時間目のスパイラルの演算法の教材も見せて。」

「うん。」

雫に言われて俺は画面を変えた。

「授業の前半はこの前の授業で行ったテストの答え合わせをするので、これだけ問題数があれば授業時間は足りると思いますし、余った分は次までの宿題にしようと思っています。」

「わかりました。」

「でもさあ。」

すんなり話が進むかと思ったが、ここで雫の待ったが入った。

「なに。」

「せっかくだし、文章問題も入れたら。計算問題ばかりやっていてもねえ。実生活で使える事象もセットで教えた方がいいわ。」

雫が6時間目の授業内容を自分で調べて目を通す。

「やっぱり、クシーに限らず文章問題をしている先生が少ないわね。どう思う。」

「その通りだよ。計算方法を理解するのに時間のかかる子供たちが多くて、実例を教えるところまで手が回らないのが実情だよ。」

事実だった。

これを一瞬で見抜くあたりがやはりすごい。

「できるだけ早く準備をしてこのプリントに付け足すよ。」

雫が頷いた。

「中学生や高校生にする授業内容は難しいと思うけど、今はどのあたりをやっているの。」

俺は雫に教科書を差し出す。

しばらく教科書の中身を見ていた雫が顔を上げた。

「クシーの得意な講義形式で教えるのがいいんじゃない。」

俺はほっと頷いた。

「よかったよ。これまで中身を変えろって言われたら時間が間に合わないところだった。」

雫が寒月先生を見た。

「すみません。話に入ってしまって。」

「あーいえ。」

寒月先生が慌てて首を振る。

「私からは他には特にありません。マトリエ先生今日もよろしくお願いします。」

「こちらこそ精一杯頑張ります。」

寒月先生が雫を見た。

「では木漏れ日先生、今から彼女たちの引継ぎをしてもいいですか。」

「はい。」

寒月先生が俺に会釈をして雫の机に向かう。

俺は2人の背中をぼんやり見送ってからパソコンに視線を戻した。

6時間目の教材に手直しを加え、5時間目に関しては大きく授業設計を変更しないといけなくなった。

メーラたちから押し付けられた仕事のファイルを閉じて、俺はもう一度今日の教材を開く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ