ノーエルへの訪問(11)
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「雫。」
「なあに。」
「本当に何があったのか知らされていないの。」
「ええ知らないわ。でもこれは。」
学習韻に向かう途中、クシーと雫は路の両サイドに拡がる被害をまじまじと見ながら歩いていた。
この辺りにあったであろう家々が取り壊されている。
「どこで何があったんだろう。」
「きっとMiraが情報を持って帰ってきてくれるはず。」
(これはひどいわね。)
雫もクシーも何が起きたのか自分たちで調査に向かいたいぐらいだが今の2人の仕事は先生だ。
学習韻にクシーと雫が2人で行くと、校門を通る前から子供たちの明るい声が聞こえてきた。
「相変わらず元気だね。」
「子供のうちは元気な方がいいわ。それに、もし何かあったなら、そのストレスを緩和するためにも学校は機能していた方がいい。」
「たしかに。」
学習韻は敷地の中心に大きなグラウンドがあり、それを取り囲むように校舎が建てられている。
すべての建物が3階建ての木造建築だ。
(魔道士専門学校みたいな近代的な校舎もいいけど、こういう木造の建物も私は好きだな。)
雫が1か月半ぶりぐらいに来た学習韻の雰囲気を感じながら奥へ進む。
正門から中に入って一番奥に建てられているのが小学生用の校舎でここに雫たちのデスクも準備されているのだ。
「クシーは今日何をするのかしら。」
「魔道の座学を個別で教えるんだ。雫はいつもの三つ子ちゃんだろ。」
「ええ、月に1度程度しかノーエルにも来れないから、来たときは必ず見てるわ。」
「雫に向いてるよ。」
「ありがとう。」
ノーエルの学習韻は幼稚部から高等部までの一貫校になっていて、ノーエルで暮らす子供たちが学べる場所はここしかない。
ノーエルで暮らす子供たちの中で大学に進学する子供は10%に満たない。
ほとんどの子供たちは学習韻の高等部を卒業後家の事情や自分の意思でノーエルに残り、それぞれ仕事に就く。
大学に進学しない子供たちの学習の一端を担う学習韻はノーエルでは、非常に重要な場所だ。
雫とクシーは学習韻に通う魔道適性を持った子供たちの指導に当たるためにここに来ている。
「今日はなんの科目。」
小学生用の校舎に入り、階段を上がりながら雫が聞いた。
「4教科。5時間目に魔道識別学、6時間目にスパイラルの演算法、7時間目に魔道物理、8時間目に魔道物理と実践物理の応用学だよ。」
「つまり、17時ぐらいまで授業なのね。それにしても。」
廊下を進みながら雫が苦笑いを浮かべる。
「なに。」
「5時間目と6時間目は小学生、7時間目は中学生、8時間目は高校生に教える科目でしょ。学習内容が年齢に適しているかと言うと。」
「やる気があればどの科目も十分に理解できるよ。」
「小学生には大変でしょう。中学生だって寝てそうだし、高校生の授業出席率は悪いような気がするけど。」
クシーの顔が少し険しくなった。
「当たり。」
「残念だけど。」
「クシーは座学が得意だからさ、そんなに苦労( ノД`)シクシク…全部理解できたんだろうけど、普通の子供たちは違うわ。」
「僕は雫みたいに物事を教えるのはうまくないんだよ。僕ができるのは自分が持っている魔道の知識を子供たちに与えることだけだ。」
「その意識で来られたら、子供たちが飽きるのも無理ないと思うけど。」
クシーが雫から顔を逸らした。
「クシーはいつも通りでいいと思うけどなあ。」
「どういうこと。」
「クシーはメーラやシーナに教える時みたいに授業をすれば、それだけでいいってこと。」
「彼女たちと今から見る生徒たちでは信頼度が違うだろ。うちのグループの現役学生組は教えるときに多少冗談を言いながら教えても理解してもらえるけど、ここの子たちはそうじゃないし、僕の冗談で学生を気づ付けてしまってはいけないよ。」
雫が腕を組んだ。
(真面目というか、考えすぎというか、身構えすぎというか。面倒見はいいんだしもっと肩の力を抜いてリラックスすれば普通にわかりやすくて多少面白い授業ができるだろうに。)
「クシーも魔道指導専門官の資格持ってるわけだしさあ。」
「資格はきちんと勉強をして、一定の研修を受ければ簡単に取れるだろ。」
公的な学校に通う生徒に魔道を教える場合、正しい教え方や教師として最低限身に着けておかなければならない知識を理解している必要がある。
雫やクシーのような学校で生徒に魔道を教える者たちを魔道指導専門官と呼び、この資格はざっくり分けると座学系統と実技系統の2種類に分けられる。
さらにその中で座学であれば科目別に実技であれば能力別に免許が分けられている。
魔道指導専門官の資格を有していないと学校で子供たちに魔道を教えることができないのはノーエルでも同じで、学習韻で授業を受けている魔道適性を持った子供には魔道指導専門官が魔道に関する指導をすることになっている。
「それに、毎回教える教員が違うから、授業にもパターンができないし、子供たちのストレスなんでしょうね。」
「それは僕らも感じてるよ。」
「あの手この手を使ってるんだけどなかなかうまくいかないか。」
「うん。」
ノーエルの学習韻が、他の教育機関と違う点は、魔道指導専門官が常駐していないところにある。
魔道良に所属する魔道士でノーエルの支援を行う舞台に所属している魔道士のうち魔道指導専門官の資格を持っている魔道士が、入れ代わり立ち代わり学習韻に行き授業を行っているのだ。そのためまず、ノーエルに行く魔道指導専門官は最低でも1度会議を開き、自分が受け持つ科目を担当する他の魔道指導専門官と年間を通しての授業内容の確認、成績の付け方、自分がどれぐらいの頻度で学習韻に行けそうかなどを年度頭に話し合っておく。
そのあとは授業のたびに、学習状況や進行状況、生徒の理解度、課題の有無などをとても細かくまとめた報告書を、その授業を行った魔道指導専門官が作成し、紙媒体のものを学習韻の本棚に保管し、ネット上でも更新する。
こうすることで生徒たちを持ち回りで指導する魔道指導専門官たちはできる限りブレがなく、生徒たちにストレスのかからない授業運営を目指しているのだ。
しかし、クシーのように資格は持っていても教えることが専門ではないためなかなかうまくいかない例は往々にしてよくある。
雫とクシーが職員室に到着し、雫がノックの後横開きの扉を開ける。
「おはようございます。」
雫とクシーのはきはきとした声が職員室に響く。
「木漏れ日先生、マトリエ先生おはようございます。」
職員室の入り口近くに座っていた若い女性が立ち上がる。
「「寒月」先生おはようございます。」
寒月先生と雫が呼んだのは、今立ち上がった若い女性の先生だ。
「今日はよろしくお願いしますね。」
「はい。」
「さっそくいつものお部屋を使ってください。マトリエ先生のところにはすぐに伺います。木漏れ日先生すみません。今日、「ミスミ」はちょうど3、4時間目に授業がありまして、こちらに戻って来れるのが給食の後になってしまうのですが。」
「わかりました。それではミスミ先生からの状況報告は後程伺います。その前に寒月先生からお話を聞かせてもらってもいいですか。」
「はい、そのつもりで一応ミスミから話は聞いていますので、可能です。」
「よろしくお願いします。」
雫が軽く礼をした後、
「では失礼します。」
クシーが扉を閉めて、雫たちは隣の扉を開けた。
ここは魔道良から来た魔道指導専門官が使う部屋になっている。
毎回違う魔道指導専門官が来るから、こうして魔道指導専門官用の部屋を一つ作ったのだ。
大学でいうところの非常勤講師室みたいな場所だ。
部屋の中には大きな机が五つ。
それぞれの机に椅子が2客ずつ置かれている。
2人は適当に自分の定位置を見つけ、一つの椅子に鞄を置き、もう一つにゆっくり腰を落ち着ける。
部屋の中には温かい、いや暑いお日様の日差しが差し込んできていて、室温はかなり高かった。
「暑いね。まずは換気をしよう。」
「お願い。」
雫は水筒に入れたお茶を飲んでパソコンを立ち上げる。
「何してるの。」
「あの子たちの座学科目の報告書と個人カルテの確認よ。」
「まだしてなかったの。」
「仕方ないでしょ。忙しすぎて見る暇がなかったの。それに、実技の方を見るのもこれからよ。」
「それでよく教材の準備ができるよね。」
「私の実技の授業スタイルはクシーもよく知ってるでしょ。」
「まあ。」
「あの子たちにとってはね、環境がいい教材なのよー。」
クシーが自分の席に戻ってパソコンを立ち上げる。
「クシーは何してるの。」
「作ってきた教材の最終確認と前回の授業の進行状況の最終チェックだよ。」
ここでクシーと雫の仕事内容が大きく分かれる。
一般的な制度では、魔道良に所属する魔道士でノーエルの支援部隊に所属し魔道指導専門官の資格を持っている魔道士が入れ代わり立ち代わりでここに派遣され、魔道適性を持った子供たちにその魔道士が持つ魔道指導専門官の資格の範囲内で座学や実技を教える。
クシーは完全にこれに準ずる魔道指導専門官であるため、クシーがしなければならないことは、自分が作ってきた教材の確認と、自分がこれから教える科目の前回の授業の報告書の確認だ。
主に前回どんな内容をどんなふうに教え、生徒の反応はどうだったのか、何か課題は出しているのかといったことの確認を行う。
ちなみにクシーは魔道指導専門官の中でも座学の方面にたけている。
魔道学の主要座学と言われる科目を一通り教えることができ、持っている豊富な知識は本物で非常に優れている。
一方、雫はイレギュラーなケースを預かっている。
「雫は本当にまれだよね。」
「ノーエルではそうでしょうね。でも私じゃなかったら、あの子たちは見れないわよ。」
「それはここに来てる魔道指導専門官の全員が認めるところだよ。彼女たちの魔道の腕はオールSSを持ってる雫じゃないと見れない。」
雫は、クシーと同じ程度の座学方面の魔道指導専門官の資格を持っている。
これだけでも十分なのだが、これにプラスして雫は実技の免許も取得しているのだ。
それも実技の資格はオールSSと呼ばれるものを持っている。
実技の資格は攻撃系統魔道領域、防御・防衛系統魔道領域、その他の魔道系統領域の3領域に分かれており、それぞれの領域で試験を行い、資格を取得する。
実技の資格は3領域すべてがEDCBASSSの7段階に分かれている。
SSに近づくほどレベルの高い実技の魔道指導専門官という評価を受ける。
持っている資格のレベルが高いほど教えることのできる魔道の幅も広がるのだ。
つまり、雫が持っている実技魔道指導専門官資格オールSSとは、実技資格免許を構成する3領域すべての取得資格がSSであることを意味する。
この資格を持っている実技魔道指導専門官は実技系統の魔道指導専門官の中で最も人数が少ない。
どのぐらい貴重化というと、魔道良の新人教育観最高責任者レベルに相当するぐらいだ。
これだけ多くの資格を有し、なんでも教えられる雫だが、ノーエルに来てから6年間ある三つ子の指導しかしていない。
「僕たちと同じ報告書とカルテを見てるの。」
「だって座学は同じクラスで受けているじゃない。それに、カルテもみんなと同じものを見ているわ。あの子たちがほかの子たちと違うのは実技に関してだけよ。」
「たしかに。」
そう、雫が教えている三つ子たちの座学はクシーのような魔道指導専門官が入れ代わり立ち代わりで教えている。
雫が教える三つ子たちも座学は他の子たちと一緒に受けているのだ。
本来なら実技もそうあるべきなのだが、この三つ子たちはとある理由から実技は雫からしか受けていないのだ。
「残念だよ。僕が来てるときは雫も来ているから、僕が彼女たちを教える機会がなくて。」
「そうしないとあの子たちの実技の授業時間数がぎりぎりでね。私が来てるときは午後の授業を全部実技演習に当てているけど、それでもかなり危ういわ。無理やりカリキュラムに乗っ取ってるって感じになってるし。」
雫が3人の個人カルテに目を通す。
個人カルテと報告書の違いは、作っている人間の違いだ。
授業の報告書は授業を行った魔道指導専門官が作成する。
一方個人カルテはさっき雫たちが会った寒月先生が作っている。
個人カルテは、名前の通り魔道適性を持った学習韻に通う生徒1人1人の様子や成長を記録したものである。
寒月先生は魔道適性を持った生徒の円滑な授業推進や魔道良から来る魔道指導専門官の予定を調整する仕事をしてくれている。
寒月先生がいなくては雫たちと生徒たちの間の関係性が確実に崩壊してしまう。
「僕はあまり詳しくないけど、彼女たちの実技の授業はどうしているんだい。もう雫が教えて6年になる天才児たちだろう。雫の弟子と言ってもいいぐらいじゃないか。」
「スパルタよー。」
「それは言われなくてもわかってる。」
雫が笑ってパソコンに目を通す。
「普通よ。大筋は普通の実技カリキュラムに乗っ取ってる。ただそれだけだとあの子たちのスパイラルの発散にならないから、多少荒っぽいこともしてるけど、ちゃんと私の対処できる範囲内でのお話だし。」
「後半のことをもう少し詳しく聞きたいところだけど。」
雫が少し首をかしげてパソコンを操作する。
「答える気はないのかな。」
「聞かれて困るようなことではないけどね。こっちをきちんとやらないと終わらないから、集中させてね。」
「はいはい。」
クシーもパソコンに視線を落とした。
(へえ、3人とも実技の宿題は毎日やってるのね。それに、パソコンの使い方もずいぶん慣れてきたみたい。これならもう少し涼を増やしても問題なさそうね。あと、3人3用の個性がもう出始めてる。魔道の習得が早い子は個性の開花も早いって聞くけど本当なのね。)
雫が見ているのは、雫が三つ子ように作った実技の課題ファイルだ。
日にちとその横にその日の課題内容、それから「シディー」「ソフィー」「ナリー」3人の名前が書かれている。
その日の課題の出来具合を100点満点で三つ子たち自身に毎日採点させ、ついでにその点数を付けるにあたった理由も書かせる。
(シディーは攻撃系統の魔道がぐんぐんうまくなってる。的宛の的中率がまた上がってるわね。的の半径をもう少し小さくしても問題なさそうだし、的をもう少し強固にしてもよさそうね。ソフィーは防御・防衛系統の魔法が得意だと思ってたけど、最近それが顕著だわ。新しい防御魔法の練習メニューを考えないと。ナリーは何魔法が得意なのかしら。攻撃や防御の魔道は平均的だし、きっと違うところに才能の芽が眠ってる。まあ、ナリーの場合は座学の成績がいいから、上2人に比べれば、バランスは取れているわね。)
「嬉しそうだね。」
クシーが雫の微笑みに気づいて声をかけた。
「嬉しいわよ。あの子たちの成長がよくわかるデータだから。」
「実技の課題ファイルかい。」
「ええ。」
「課題の出来具合とか自己申告なんだろ。嘘をつくなんてことは。」
クシーが言いかけて首を振った。
「ありえないか。」
「ええ、基本的にはね。よっぽど何かあったら未だに嘘もつくけど、それはそれであまり咎める気にはならないし。」
「座学の方のセンスはどうなの。」
「ナリーは優秀よ。まだ少額3年生だけど、小学高学年で受けるような授業を一緒に受けてるぐらい。」
「へえ、優秀なんだね。上2人は。」
「ソフィーは普通かな。シディーは。」
雫の顔が険しくなった。
険しいと言ってもクシーが表情から察することができるようにわざと作った顔だが。
「得意不得意はあるからね。」




