ナント王国王妃と雫(9)
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雫がアルバートを説得したという知らせが王妃の耳に届いた。
「すごいわ。アルバートを説得するなんてさすがね。彼女なら、アルバートの心の氷を少しでも解かすことができるかもしれない。期待する価値がおおいにあるわ。」
雫とアルバートはアルバートの部屋に籠り、二人で設定を考え始めた。
「私の名前や立場は変わりません。問題は、あなたの名前や年齢、素姓を考えることです。」
「あと、これは推測ですが、私たちの関係性やきっかけは聞かれると思います。」
「そんなプライベートなことには答えたくないと言ってしまえばいいでしょう。」
「それでは、場の空気を濁してしまいます。どうせ作り話なのですから、作れるところまで作りきってもいいのではないですか。」
「いいのですか?」
「はい、これも場の空気を和ませ、違和感を感じさせないためのテクニックです。」
王子がため息をついた。
「本当にあなたはまじめな人だ。」
「過分な評価感謝します。」
王子がペンを取った。
「名前はどうしますか?」
「王子がお考えください。」
「私が考えたら、あなたが覚えられないでしょう。」
「ひどいですね。覚えられます。」
雫がむうっとむくれてそっぽを向いた。
「そんな顔をすることがあるのですね。」
「ありますよ。私だって人間です。意外でしたか?」
「はい。」
雫が微笑んで紙を見る。
「名前はどうされますか?」
「愛香宮子はどうですか。」
「えっ。」
「愛香宮子です。愛する香りの宮の子供です。」
「それで問題ありませんが、なぜその名前に?」
「響きがよかったので。」
(不思議な感性ね。)
雫は頷いた。
「はい。今日私は愛香宮子です。私はアルバート王子を人前でなんとお呼びすればいいですか?王の理にのっとり王子とお呼びすればいいですか?」
「ええ、それでかまいません。」
「わかりました。」
「誕生日ですが、私と一緒でいいですか?」
「はい、王子と同じ8月5日でかまいません。」
「年齢は20歳でいいですか?そうすれば、私の一つ年下になるので。」
「わかりました。王子は21歳なのですね?」
「そうですよ。」
「木漏れ日雫と同い年です。」
「そうですか、見た目が大人びているので、もう少し上だと思っていました。」
「21ですよ。」
二人で少し笑ってから、話を戻す。
「あなたと私が出会ったきっかけはどうしましょう。」
「弓道に打ち込む王子を見て、ひとめぼれをした私が王子に声をかけた。普段強固なボディーガードを嫌う王子は、そのときも周りにSPらしい人たちを連れていなかったがために、私は王子だと気づかずに声をかけた。」
「いいですね。その後の転回は?」
「そうですねえ。ありきたりですが、王子がそのまま自分が王子であることを私に告げず、弓道の腕をともに磨きながら言葉を交わす中で、思いを寄せ合うようになって、王子が私に自分が王子であることを告白します。そのうえで、私を恋人として迎え入れてくれた。」
「それでいきましょう。」
アルバート王子が項目をすらすらうめていく。
「ご職業は?」
「口裏合わせがしやすいのは、王室関係の部署だと思いますが。」
「では、あなたの品格や言葉遣い、立ち居振舞、所作などが合いそうな王室統率課所属の職員ということにしましょう。」
「王室統率課の職員と王族が恋愛をしてもよろしいのですか?」
「はい、問題ありません。舞踏会の後、あなたを探すものが出てきたら、海外に留学に行ったと言えばいいのです。」
「では、私はナント王国出身者ということになりますね。ナント王国王室で採用されるのは、ナント王国に国籍のあるものだけでしょう。」
「そうですね。うまく話を合わせられそうですか?ナント王国出身と言えば、ナント王国に関連した地理や文かの話題が多くなりますが。」
「出身をナント王国の首都マルカリにしてもよければ、問題ないと思います。」
「お詳しいのですか?」
「最低限の知識と教養は持っているつもりです。」
「さきほどから思っていましたが、弓道にたけているし、一定の高い学識もお持ちのようだ。とてもいいご家庭でお育ちになったのですね。」
「私の一族がロイヤルブラットの家系で満ち足りた英才教育を受けてきただけです。」
「そうなのですか。」
「はい。」
A4用紙5枚分の二人のなれそめと、最低限の愛香宮子のプロフィールをうめ、王妃に雫とアルバートが提出に行った。
「あら、思ったより早かったわね。手抜きしなかった?」
「していません。」
アルバートが王妃に書類を渡し一礼する。
「このあとやりたいことがありますので、失礼します。」
「何をするの?」
「ホールダンスの練習です。」
雫が答える。
「わかったわ。第3ホールへ行きなさい。そこでゲストに扮した使用人たちが談笑したり、踊ったりしているわ。あなたたちはそこでホールダンスの練習とゲストからの質問や挨拶への受け答えを練習しなさい。」
「王妃、そこまでご準備いただきありがとうございます。」
すぐに一礼する雫と対照的にアルバートはため息をついた。
「どこまで準備がいいのですか?」
「あなたと木漏れ日さんが一緒に考えたら、これぐらいはすぐに思いつくと思っていたわ。もし思いついていなかったら、一括してから二人を行かせるつもりだったの。さあ、のんびりしている時間はないのだから、行ってらっしゃい。」
「はい。」
雫とアルバートが第3ホールに行くと、たしかにそこでは190人前後の使用人たちがドレスやタキシードに身を包み、舞踏会を再現していた。
「すごい。」
「驚いた。」
二人が中へ入っていくと、使用人たちが二人を見てざわつく。
「アルバート王子が女性を連れているわ。」
誰かがそういうのと同じころにほかの使用人たちとは違うスーツを着た高齢の男性が、雫たちの前に立った。
「じじい。」
「ご機嫌以下がお過ごしでしょうか。本日王妃様より、お二人のマナーやダンス、言葉遣いの指導を応接借りました。イルレンロンソムホルメロンアウテローナイスと申します。」
「この方をご存じなのですか?」
雫がアルバートを見た。
「はい、我が王家に長年仕え、子供たちの英才教育担当責任者を50年以上続けているベテランです。じいがここに来るとは。思っていたより大変なことになるかもしれません。」
「大変なこと?」
雫がイルレンロンソムホルメロンアウテローナイスを見た。
「長い名です。どうぞ愛香さんもじいとお呼びください。」
雫が一瞬返事に戸惑うと、じいがぱっと雫をにらんだ。
「あなたの名前は何ですか?」
「愛香宮子です。」
「ならば、愛香と呼ばれるか、宮子と呼ばれれば、自然体で返事をなさい。」
「はい。」
(あー、こういうことか。)
雫がアルバートの言っていた意味を察した。
「それではお二人、実際に舞踏会に参加していると思ってこれから立ち居ふるまってください。」
「はい。」
二人が返事をして歩き出す。
「王子、こういった社交的な場ではレディーをエスコートするのが王子の常でございます。宮子様の腰に腕を回してエスコートしながら、人の中をかき分けて行くのです。」
「えっ。」
王子がフリーズしている。
(想定外なんだろうなあ。)
雫が王子を見上げた。
「王子。」
「まだ会って1日も経たない男に身体を触られるのは不快でしょう。」
「王子、宮子様は今日一日王子の恋人を演じる覚悟ができています。それに、ゲストたちに求められるかもしれない恋人同士のパフォーマンスも躊躇なく演じるという覚悟をお持ちです。王子もお心を早くお決めなさい。そうしなければ、すぐに嘘だとばれますぞ。」
「はい。」
王子がじじいの言葉にぴくりとしていい返事をしたが、腕がなかなか動かない。
「王子。」
雫が微笑みながら、王子との距離を詰めた。
(ここまですれば、できるでしょう。)
「さあ、王子。」
じじいにせかされて、王子が震える手を雫の腰に当てる。
「うふふ。」
雫がつい笑ってしまった。
「なぜ笑うのですか?」
「王子の手が震えていて、くすぐったいのです。」
「すみません。」
その後、なんとかホールの中央に行き、ダンスの定番10曲前後を踊れるようになった。
「少し休憩しませんか?」
「わかりました。」
雫が王子に微笑みかける。
「お二人ともダンスは問題ありません。非常に美しく、息の合ったステップでした。ホール内の移動や簡単な所作は身に着けていただきましたので、ここからは質問や挨拶に対する受け答えを練習いたしましょう。」
「じじい、私は疲れました。少し休ませてください。それに彼女だって。」
王子が話す途中で、じじいが王子をにらんだ。
「王子、彼女ではありません。ちゃんと宮子様の名前を呼ぶのです。彼女、あなたといった代名詞は禁止です。」
「なぜですか?」
「宮子様のお名前は愛香宮子です。彼女でもなければ、あなたでもありません。設定では、お付き合いはされていて仲睦まじいのですから、お互いの名前を呼ぶことなど、抵抗なくできなければ、かえって怪しまれますぞ。」
王子がため息をついて雫から目をそらす。
(できるかなあ?)
「王子。」
雫がつぶやいた。
「宮子さんだって、疲れているでしょう。」
王子が初めて雫の偽名を呼んだ。
「そうです。」
じじいが満足そうに頷く。
「とにかく、私は疲れました。いったんここから出ます。」
「王子。」
雫やじじいの静止を振り切って、王子がホールを出て行った。
「少しハードルを上げすぎたでしょうか?」
雫がじじいを見た。
「いいえ、シャイなだけでございます。むしろ、宮子様は王子に合わせて動いてくださる心優しい魔道士でいらっしゃいます。このような急なお願い、急なむちゃぶりにも柔軟に対応し、王子のことも意識の中にしっかり置いて行動してくださっております。感謝しております。」
「いえ、とんでもありません。わたくしは仕事をしているにすぎないのです。王子が休憩から戻ってまいりましたら、更なるご指導よろしくお願いいたします。」
「かしこまりました。」
雫がじじいに微笑んでから、ホールの扉を見た。
(待っていてもいいけど、帰ってくるかしら?)
雫がホールに掛けられた時計を見る。
「王子を迎えに行ってきます。」
「居場所をおわかりなのですか?」
「はい。」
雫はホールを出て行った。
実は、王子の背中にこっそりつけていた魔道結晶のおかげで、王子の位置が把握できるのだ。




