実家の雫(16)
16
森崎の運転する車は今度、貝の自室のあるマンションに向かって走っている。
「森崎。」
「はい。」
「疲れた。」
「存じております。」
「早く家に帰りたい。」
「ここは雫様の実家ですが。」
「訂正するわ、早く私の自宅に帰りたい。」
「24時間後くらいにはお帰りになれるのではありませんか。」
「そんなに待ってられない。早く帰ってだらだらしたい。グループのみんなに会いたい。」
雫が後ろの席で足をばたばたさせる。
「その服で暴れないでください。先日も申し上げたではありませんか。もう少しマメに帰ってきてくだされば、1時間交代で、プレッシャーのかかる面談をする必要は無くなりますよ。」
「それ、無理だって分かってて言ってるでしょ。」
「はい。」
雫が長い溜息をつく。
「これから貝様とお会いになるのですから、凛としていただかないと足元を簡単に掬われますよ。」
「分かってるって。だから今が息抜きなの。」
「今だけで済ませてくださればいいのですが。」
「済ませるわよ。」
雫とやいやい言いながら、森崎は慣れた手つきで車を走らせる。
そもそもどうして雫が貝のところを訪ねなければいけなくなったかというと、今日の午後雫と貝が話をしていた部屋に、会が落とし物をして、それを届けに行くことになったからだ。
その落し物は魔道を使用して機能させる盗聴器で、雫と四永の会話は盗み聞かれている。
貝の自宅の前に森崎が車を停める。
「雫様、貝様がいらっしゃいます。」
「えっ。」
(あららお出迎えとは、こちらのペースを乱す気満々ってことね。)
森崎が後部席のドアを開け、雫が車を降りる。
時刻は17時とあって、もう空は夕方の色だ。
貝は午後に雫と会った時と違い、華やかな色実のスーツに着替えている。
(見た目は晩餐会用ね。その前に会ってくれたのか。)
「ごきげんよう雫さん。」
「ごきげんよう貝さん。先ほどはありがとうございました。またご多忙の中お時間を割いていただき、重ねてお礼申し上げますわ。」
雫がとても高く丁寧な声で応える。
「いえいえ、雫さんからのお誘いなら僕は喜んで応じますよ。ただ自宅が散らかっていて、お見せするのは少し恥ずかしかったものですから、お迎えに上がりました。どういった場所がいいですか?」
雫がゆっくり辺りを見回す。
(ここは人目が多すぎるということね。)
「そうですねえ、あまり人の多くないところに行きたいのですが、お見かけしたところこの後表の会にご出席されるのですか?」
「目ざといですね。そうですよ。雫さんとのお話が終わった後、そのまま行こうと思っています。」
「会場はどちらですか?」
「「アマリア」館ですよ。」
「ここからだと、少し距離がありますね。よろしければ、車でお送りいたしましょうか。その間にお返しすれば時短になりますし。」
(何があっても逃げさせない。)
雫が体を車の方に向けたタイミングだった。
「いいんですか。僕と二人で車に乗り込んだりして、後で誰に何を囁かれるか分かりませんよ。」
「あー。」
雫が体を貝に向けなおす。
「そのことでしたら、ご心配には及びませんわ。だってこれからお返しする物を使っていただければ、何もなかったと周りに知らしめる証拠ができますでしょう。お嫌でなければお早くどうぞ。」
雫が後部席の扉を開け、貝を見る。
「全く仕方のない人ですねえ。」
貝が車に乗り込んで、雫も座る。
「森崎。」
「畏まりました。」
アマリア館まではゆっくり車を走らせて20分くらいだろう。
雫の右の席で貝が一瞬スマホを見た。
「失礼しました。仕事の連絡は休みも関係なく来るもので。」
「分かります。」
雫が数回頷く。
(そろそろいいかな。)
「森崎。」
「席の前のホルダーに。」
「了解。」
雫が前の席に取り付けられたホルダーを開けると、中に細長い管が入っていた。
真空管だ。
透明なガラス製の管の中には、貝が落とした金色の金具がしっかり入っている。
「貝さん、それではこちらをお返しいたします。」
「ありがとうございます。」
(表情が全然崩れない。見つけられてもいいと思ってた?むしろ見つけられるか試されていたか?)
雫は真空管を手に持ったまま貝を見た。
貝は雫の視線に気づいて少し微笑んだ後手を伸ばす。
しかし雫はふっと真空管を自分の体側に引っ込めた。
「どうしたんですか?」
(白々しい演技だなあ。)
「貝さん、これが何か持ち主である貝さんならご存じですよね?」
「もちろんですよ。」
雫がゆっくり頷く。
「でしたらこれをお返しする前に、いくつかお聞きしたいことがありまして。お答えいただけましたら、お返しいたしましょう。せっかく拾った面白いおもちゃに、わたくしも少々テンションが上がっておりまして。車がアマリア館に到着するくらいの時間で十分ですから、お付き合いいただけませんか?」
雫のゆったりとした高い声に貝が目を細める。
「あくまで遊びの延長線上にあると?」
「はい。」
貝が露骨な溜息をつく。
「いいですよ。早く要件が済んでしまっては、その後どうするか困りますしね。」
ええ。」
(いや雑談してればいいと思うけど。)
雫が左手に真空管を持ち替えて右手を少し挙げ3本の指を立てる。
「お尋ねしたいことが三つございます。」
「どうぞ。」
「一点目、なぜこれをあの時お持ちだったのですか?魔道良関係者会議の内容は、数日以内に議事録担当がまとめ、データベースにアップするのが常ですし、録音したい場合は、その場で9割以上の人間の同意を得る必要がありますが、貝さんはそれを行っていません。」
「あの場では使用していませんからね。僕がそれを使いたかったのは会議の時じゃないですよ。」
「私とお話している時ということですか?」
「それは僕が直接聞けるじゃないですか。雫さんは、それが何かお分かりのようなのに、どうしてそんな必要のないことを聞くのですか?」
(そうなったら消去法で残るのは、私と第三者の話し合いを盗み聞きするためという目的しか残らない。そしてそれをあっさり認めてる。)
「私と四永君や華原秩序会会員との話し合いを盗み聞くためということでよろしいんですね。」
「はい。」
「二点目、もしこれを私が見つけなかったら、どう処分するおつもりでしたか?」
「清掃担当の使用人が勝手に棄ててくれていたんじゃないですかねえ。こちらで動くつもりはなかったですよ。雫さんだって微弱な魔道を感じたからそれが魔具の盗聴器だって分かったわけでしょう。普通の人間には何のために存在する物なのか皆目見当もつきませんよ。それに魔具だと分かってもその用途までは普通見抜けません。雫さんレベルの魔道士だからできる類のことですよ。」
(悪びれもせずにはきはきと。)
「最後に、どちらの話を聞くことが目的でしたか?」
貝はすぐに答えなかった。
「もう少し具体的に教えてくれませんか?」
(解釈のしようによってはうっかり答えたくないことを答えそうってことか。どっちを聞いた方がいいかな。)
「その魔具の盗聴器、私の知っているどのタイプとも形や方法論が異なりました。貝さんオリジナルの魔具なのではありませんか?」
貝が一瞬目を見開く。
「ええそうですよ。かなりお詳しいんですね。」
「とんでもありませんわ。その類の魔具には気を付けるようにと昔から教育を受けてきたので。そんな手の込んだことまでして、四永君と私の会話を盗み聞きたかったのか、華原秩序会会員と私の会話を盗み聞きたかったのか、どちらですか。」
「あーそういう意味ですか。どちらもですよ。優劣はありませんでした。」
「分かりました。」
(何となく仕掛けただけか。それにしては腑に落ちないことが多いけど、これ以上聞くのは時間的に無理だし、聞いても答えてくれそうにないわね。)
「お付き合いいただきありがとうございました。ではこちらをお返しいたしますね。お遊びはほどほどに。」
雫が両手で真空管を貝に差し出す。
「その服。」
「はい?」
(いきなりなになに。)
「午後に会った時と違いますね。私服ですか?」
貝は真空管を自分の服の内ポケットにしまいながら雫に尋ねる。
「はい、あの後何人か世代の子たちと会っていたので。」
「みんな年下ですか。」
「ええ大体は。」
「やっぱり、世代代表のお仕事も忙しいんですね。無理しないでくださいよ。雫さんは僕の大切な人なんですから。」
「はい、十二分に気を付けますね。」
(何が言いたいの。)
それからまもなくして車が停まった。
「雫様、貝様到着いたしました。少々お待ちくださいませ。」
森崎が運転席から降りた時だった。
「最後に一つ。」
シートベルトを取った貝が雫の耳元に近づいた。
(近い。)
「貝さん?」
(冷静な声を出して。絶対に動揺してるって悟られてはだめ。)
小さな声で尋ねる雫に貝は囁き声で答えた。
「これが僕の落とし物だと勝手に決めつけたのは大きな減点箇所ですね。今回のことは貸しにしておきます。」
(あっ。)
雫が一瞬息をのむ間に、貝は車道側の扉を開けて車を降りて行った。
歩道側の後部席の扉を開けようとしていた森崎と貝が目を合わせる。
(いけない見送らないと。でもたぶん車を降りていたんじゃ間に合わない。)
雫は後部席の窓を降ろした。
「貝さん、お気をつけて。」
優しく微笑むと貝が会釈をして去っていった。
窓を閉めなおして雫が長く息を吐く。
「雫様、何があったのですか?」
急ぎ足で運転席に戻ってきた森崎が慌てて雫を振り返る。
「ここで止まっている必要はないわ。本邸に帰って着替えるんでしょう。出発して。説明は後よ。」
「畏まりました。」
森崎は来た道を引き返す。
「あの盗聴器、貝さんが仕掛けたことは間違いないんだけど、言い出しっぺが貝さんじゃないみたいなの。」
「つまり第三者が貝様と協力して、雫様の足元を。」
「ええ。」
森崎が目を細める。
「森崎ちゃんと前見て。」
「はい。」
雫が窓から外を見て溜息をつく。
「完全にやられたわ。貝さんに言われるまで全く考えてなかった。」
「わたくしも全く思い至りませんでした。」
「自力で盗聴器を見つけられたことに少し安心してしまったわ。」
車の中の空気が重い。
「この後は?」
「この話はもうおしまい。貝さんがいいように後片付けしてくれるんでしょうし。」
「お任せして大丈夫なのでしょうか。」
「私たちにとって悪いようにはしないと思うわよ。それはイコール貝さんにとってもデメリットだろうから。」
17時半過ぎ、春宮邸の自室に戻った雫が、別荘用の服に着替える。
「今日何回目の着替えかしらね。」
「数えても仕方ないですよ。あと1回は確実に着替えていただきますし。」
「はーい。」
雫が大きなあくびを一つして、テーブル席に座る。
「森崎、髪型直してくれる?」
「はい。」
森崎が少し速足で準備を始める。
「雫様からおっしゃるなんて珍しいですね。」
「白羽さんに会った後、そのままユークレース館行って、ここねちゃんにも会うんでしょ。そこまでしようとおもったらしっかりした身だしなみで行かないと恥かくわ。」
「良い心がけだと思います。その調子でいつごろこちらにお戻りになるかも決めちゃってください。」
「そんなにすぐには決められません。」
雫が即答してぱっと後ろを振り返る。
「危ないですよ。ヘアアイロン持ってたらやけどしてました。」
「ごめん、スマホ貸して。」
森崎が溜息をついて近くの棚の上に置いていた雫のスマホを渡す。
「ありがとう。」
「しばらく動かないでくださいね。」
「はーい。」
雫が連絡用のアプリを一つひとつ確認していく。
(連絡は特にないな。シーナたちから呟き程度のコメントが来てるのは、いつものこととして、それ以外は特に無し。上手からも緊急の案件はないみたいだし、チコもうまくいってるみたいね。良かった。)
「あっ。」
雫の口からひと言漏れる。
「どうされました?」
「ごめん森崎。ちょっと電話するから静かにしててくれる?」
「畏まりました。」
雫が電話帳を開いて連絡先を探す。
これは雫の隙間時間活用テクニックの一つだ。
森崎も慣れている。
「あったー。」
雫が選んだのは水竜あげはの名前の部分。
スピーカーモードにしてスマホをカップに立てかける。
「はーい、連絡ありがとう雫。」
「お疲れ様です。水竜ポリス担当魔道士職員指導室副チーフ統括。」
「肩書をわざわざフルで言うなんて嫌味ったらしいねえ。プライベートであげはがわざわざ電話してあげたかもしれないのに。」
「今までに起きたことのないことを想定することはできないものよ。そういう発想になってほしいなら、一度くらいやって。それでどうしたの?」
(だらだらとは話してられないわね。さっさと終わらせないと。)
「いきなり本題に入るなんてせかせかしてるなあ。そんなに急がなくたってあげはたちの人生は長いよ。」
「そういう長期的な話じゃないし、今を逃したら日付が変わるまで電話できそうにないんだけど。掛けなおしてもいいなら、後でのんびり話しましょう。」
雫の声がかなりリラックスしている。
やはり木漏れ日の人たちと面談をしている時とは違う。
「それは嫌だなあ。なに?もしかして今実家なの?」
「ええそうよ、月に一度の帰宅の日。何でこんなタイミングで電話かけてきたのよ。だからご用件をお早めにどうぞ。」
「あーそういうこと。絶賛お姫様タイムってわけかあ。堂々、お高い紅茶飲んでるの?」
雫が電話を切った。
「それ以上言うなら切るわよ。」
「雫様口より先に手が動いております。」
「あっはは、もうすぐかかってくるわ。大丈夫、これも遊びの延長だから。」
本当にまもなくして電話がかかってきた。
「はーい、ごめんなさいねえ。通信環境が悪いみたいで。」
「わざとでしょ?」
「うん?」
「ほんと分かりやすいことするよね。」
「何のこと?それより謝って。」
「何をさ?」
「私にお姫様だって言ったこと。」
「あーそれが気に障って切ったのか。」
(分かってたでしょうに。)
「謝って。」
雫の声は電話を始めた時とほとんど変わらない。
本気で怒っているというわけではないらしい。
「あげはが謝るのと、この電話の要件とどっちが先に聞きたい。」
「謝罪。」
「あんなに用件を急いてたのに?」
「今聞かなかったらそのままうやむやにされそうだから。それに謝罪は、要件よりもっと短い時間で終わるわ。たった15文字以内で言い終われるんだから。」
「はいはい、すみませんでした。」
「何に対して?」
「雫のことをからかいました。」
「いいよ、許してあげる。電話切ってごめんね。」
「認めるんだ。」
「あげはがきちんと謝ってくれたんだから、私も正直にならないと。」
「いい心がけだね。」
森崎が雫の後ろ髪に魔道石のあしらわれた髪飾りを刺す。
ヘアセットも終盤だ。
「で水竜、そろそろ本当に用件を教えて。私これから人と会う約束してるのよ。」
「わかった。ならはっきり、ばっさり伝えるよ。今お願いしてる教官としての指導計画提出の催促だよ。」
「あー、そうじゃないかなあとは思ってたけどやっぱりかあ。でもあれ一昨日決まったことじゃない。昨日も今日も私は休みだし。次正規で出勤するのは9月の1日なので、それまでお待ちいただけますか?」
「待てないなあ、正規のってことはそれまでにも魔道良に来るんでしょ。雫の提出や行動が遅れれば遅れた分だけ彼らは待ちぼうけを食らうことになるよ。いいのそれで。」
(痛いところをついてくる。)
「しかも金曜に挨拶行った時、今後の支持何もしてこなかったんでしょ。どうするのさ。」
「分かった、分かりました。明日魔道良行くので、その時に彼らへの今後の支持を何らかの形で伝えるようにします。」
「それだけじゃ不十分だよ。もしこっちで指導計画書を受理できなかった解き、雫の支持と実態がずれちゃうよ。」
「何が何でも明日提出しろってことね。」
「そういうこと。本当は今日ほしかったんだけど、百歩譲って我慢してあげる。さすがに実家にいる雫に無理強いはできないし、あげはもこれから用事があるし。」
(用事って何だろう。あーでも今聞いたら話がどんどん長くなる。)
「ありがとう。ただし、私が約束できるのは、明日中に提出するってことだけ。明日の23時59分59秒に提出しても文句言わないでよ。」
「はいはい、わざわざ予防線を張るなんて偉いねえ。」
「いやマジの話。」
森崎が雫の肩を小さくとんとんと叩いた。
(あーそろそろ行かないと遅刻しますってことね。)
「水竜ごめん、そろそろ行かないといけないから、この辺りで失礼するわ。」
「了解、じゃあよろしくねえ。」
電話が切れた。
「お疲れさまでした。」
「ごめんなさいね。」
雫が席を立って伸びをする。
「おかしくない?」
「はい、ばっちりですよ。」
「よし。」
雫が籠カバンを森崎から受け取る。
「じゃあ行きましょうか。




