実家の雫(12)
12
9時に始まった会議は11時前にひと段落ついた。
「それではいったん昼食を挟みましょうか。1時間休憩を入れるので、12時になったらここに戻ってきてください。」
「はい。」
「それではお疲れさまでした。」
これからおのおのが昼食を摂る。
疲れた。
一十さんが早めに出て行ったからいつもよりはスムーズに終わったが、一十さんの出て生き方もそれなりに堪えた。
「雫さん。」
「はい。」
「この後の昼食ですがご一緒しても?」
右斜め前からかけられた声に私は相手の目を見て頷いた。
「はい、もちろんです。貝さん。」
二人きりになったら真っ先に謝らないといけないし。
「雫様、パソコンはわたくしがお預かりいたしますので、お部屋を移動しましょう。」
「はーい。」
パソコンは森崎に預けて、貝さんと一緒に部屋を出た。
「実は下のフロアーに部屋を抑えてあるんです。時間がもったいないですから、そこで食べてしまいませんか?」
「はい、ありがとうございます。」
貝さんはいつも準備が早いし、優しい。
仕事も完璧でみんなに慕われている。
非の打ちどころのない人だ。
「そういえば。」
私と貝さんが横並びになって、その後ろを森崎がついて会談を降りていた。
「先日いただいたデータ、とてもよくできていました。腕を上げましたね。」
「ありがとうございます。」
こんなふうに褒められたら誰だって嬉しくなってしまう。
きっと貝さんが木漏れ日の外で働いていたら頼れる上司になるのだろう。
貝さんが予約してくれていたのは、小さな部屋で、中には椅子が2客と対面用のテーブルが一つ。
奥の壁には大きな窓が2枚付いている。
個人面談などでよく使う部屋だ。
「貝さんお昼は?」
「持参しました。」
「ご自分でお作りに?」
「いえいえ、できればそうしたいところですが使用人にあり合わせのものを詰めてもらいました。」
「そういえば今日はお一人でいらしたのですか?」
「ええ、私一人でも困りませんし。」
森崎が私のお昼を持ってくる。
いつもならプレートにお皿が乗ってくるのに、今日はお弁当箱だ。
「雫さんも僕とお揃いですね。」
「森崎?」
「こちらの方がいいかと思いまして。」
森崎の真意をこの言葉だけで読み取るのは無理だった。
でも美味しければ何も問題はない。
「ありがとういただくわね。」
「はい。」
私も貝さんもお弁当箱は開けて、食べる準備はできている。
「どうぞ。」
「ですが。」
「雫さんの方がランク上でしょう。何も気にしないで。」
「分かりました。ではいただきます。」
私は貝さんの方が年上であることを気にして、貝さんが食べ始めるのを待っていた。
そして貝さんは、私の方が当主候補比率保持者トータルランキングが上であることを弁えて私から食べ始めることを待っていた。
本当なら貝さんの方が正解だが、ここにいると社会の常識と木漏れ日の常識とどちらを優先させるべきか悩んでしまう。
貝さんに促されて、私がまず食べたのはクリームコロッケ。
私が一口食べてから貝さんも食事を始めた。
木漏れ日の仕来りに乗っ取った食事の風景だ。
「あの貝さん。」
「はい。」
貝さんがいつもの笑顔で返してくれる。
ここで謝らないと後でタイミングを作るのが難しそうな気がしている。
今謝ってしまおう。
「申し訳ありませんでした。」
箸を置いて私は頭を下げる。
「何のことでしょう?」
私は頭を上げて貝さんの表情を見る。
本当に何のことか分かっていないという穏やかでちょっと困ったような笑顔。
「一十さんのことです。もっといい対応の仕方があったと思います。つい感情に任せて力業で黙らせてしまいました。」
「あー一十さんのことですか。僕はてっきりデータの提出が大幅に遅れたことかと思いましたよ。」
あーやっぱり気にしてたんだ。
何も言わないから許してくれているのかと都合よく解釈していた。
「その件に関しても謝罪いたします。」
貝さんが声を上げて笑う。
「雫さんは相変わらず素直ですね。資料のことは冗談ですよ。確かに締め切りは守っていただけませんでしたが、それ以上のできでしたから、気にしてません。あと一十さんのことは深く考えなくていいですよ。ただあなたに絡みたかっただけでしょうし。いつものことです。それに。」
貝さんの優しい表情がふっと変わる。
たぶんこれが貝さんの本来の顔。
鋭い眼にはどこか深い部分まで見下ろしているような輝きが宿っていて、それに触れようとするのならこちらもそれなりの覚悟を持たなければならないような近寄りがたさが溢れている。
表情は穏やかに笑っているのに、オーラやほんの小さな部分が笑っていないことを伝えてくる。
まるで心にざわざわとした風を吹かせるような笑み。
その笑みを浮かべて貝さんは話す。
「あんな攻め方はあまりにナンセンスですからね。攻めるならもっと攻めるで美しく、確実に、徹底的にやらないといけませんよ。ここは木漏れ日本邸なのだから。それもできないような小者が雫さんに手を出そうとする方が悪い。」
貝さんはさっきまでの優しい表情になって首をかしげる。
「そうは思いませんか?」
なんて答えよう。
ここで肯定しても否定してもだめな気がする。
私が困ったような笑顔を作ると貝さんがまたくすくす笑う。
「ポーカーフェースが相変わらず下手ですね。まあいいでしょう。今の質問は質問というか同意を求めたようなものですから。全く、相変わらず彼は雫さんの心の弱さというか悩みの種に付け入るのが上手いですね。どんなにやり方が雑でも結果的に対象者にそれなりのダメージを与えられているのだから。」
良かった、いつもの会話のペースに戻せそうだ。
「一十さんのおっしゃることはいつも正確ですから。」
「けれど言い方に棘がありますよ。」
貝さんが美味しそうに卵焼きを食べている。
「そもそも一十さんは私のことが嫌いですから。嫌いな相手に優しい言葉はかけられないのでしょう。」
ノンフェリーゼから戻ってきてグループを作った同じタイミングで春宮様から役職を与えると言われた。
同い年の木漏れ日の人たちも大学を卒業しほとんどが社会人になる。
そのタイミングで役職を与えられることが一般的だし、私のランクだと役職を持っていないとかえって反感を買う。
それで「魔道良担当にすれば魔道良で実際に働いているから内政が分かりやすい」とか「内部情報にアクセスしやすい」とかっていう理由を後付けして無理やり魔道良担当になったのだ。
春宮様がすべて取り計らってくれたことで、私の魔道良でまだ働きたいという意思を尊重し、木漏れ日の制度を私に合わせてくれている。
本来8位が魔道良担当になることはないのだ。
それぞれの役割に優劣がないにしてもどうしてもそれに近いものは生まれてしまう。
そして魔道良担当は、これまで一桁ランクの人間がやる役職ではなかった。
貝さんだってランクは52位だ。
「雫さん。」
はっとして我に返る。
「食事が進みませんか?」
「あーいえ、少し考え事をしていました。すみません。」
私はお弁当箱の中で比較的食べれそうなものを選んで口に運ぶ。
食欲が全くないというわけではないのだが、木漏れ日の家に帰ってくると気を張り詰めている時間が長すぎて本能的なものが鈍る気がする。
「森崎、少し外して。」
「畏まりました。」
森崎が会釈をして部屋を出ていく。
食が進まなくても多少疲れていてもやらないといけないことはまだまだたくさん残っている。
「話してしまわないといけないことがあるでしょう。もう少し豆に帰ってこれれば、こうしてお昼を食べながらお話をしなくてもいいのですが、申し訳ありません。」
「この後の打ち合わせということですね。別にいいですよ。最初から分かっていたことですし。それに。」
貝さんが箸を置いて私を真っすぐ見る。
「自立する女性は美しい。」
「ありがとうございます。」
何だろう、要所要所で垣間見る貝さんの裏の顔と言うべきか、本音と言うべきかという側面は私に向けられると返答に困る。
腹の探り合いとほぼ同じようなことが求められているから。
一応お礼を伝えたけれど、これは遠回しに私への小言なのだろうか。
私が木漏れ日の家の中でこの役職を担当していれば、第1補佐である貝さんはきっと木漏れ日の外で働けた。
私のように魔道良に勤務していたかもしれないし、公務員や一般の企業の職員として働いていたかもしれない。
木漏れ日の中でできる仕事はとても限られている。
外で大活躍する職員や木漏れ日の家の中で平均的な人が外で働くことはよくあるけれど、貝さんのように第1補佐につけるランクの人はどっちに転ぶかとても不安定だ。
自分に与えられた立場や周りの環境がダイレクトに影響する。
そして貝さんが第1補佐になった私はずっと外で働いている。
本当なら私はずっとこの家の中で生きていなければいけなかったのに。
「雫さん。」
「はい。」
「考えていることがエスパー魔法を使わなくても手に取るように分かります。」
「すみません。」
「ひとまず食べましょうね。さあ箸を動かす手を再開しましょう。」
貝さんが私を見てにっこり微笑む。
「何度かお話したことがあるかもしれませんが。」
「はい。」
「僕は今の生活をかなり気に入っているんです。」
確かに何度か聞いたことがある。
私は小さく頷いた。
「学生の頃は木漏れ日の外で働いてみたいと思っていましたが、役職を与えられて魔道良担当の業務を木漏れ日の中で務めるようになって、外とか中とか関係なく忙しいところは忙しいし、責任を伴うことは木漏れ日の内外関係なく存在するって知りました。そう思ったら、どこで働いててもあんまり関係ないんじゃないかって思ったんですよ。実は中で働くって結構楽なんですよ。まあ、僕が本邸に住んでるからかもしれませんけど。勤務時間の縛りはないし、休みだって取りたい日に申請できるし、仕事のペースは自分で決められるし、頼りになる木漏れ日の人や職員は大勢いるから指示も出しやすい。何より第1補佐という立場でしっかり働いていれば、多少の我儘は許されます。雫さんには助かってるんですよ。おかげさまでいつまでも結婚せずに済む。」
「あー、それなら良かったですかね?」
「はい。」
貝さんが満足げに頷いた。
私は、貝さんが結婚しない理由を知っている。
貝さんはお母様が好きなのだ。
昔からお母様のことが好きで好きでたまらなかったけれど、お母様は別の相手と結婚し少し前までその人の妻だった。
一度は諦めようとしたそうだ。
けれどお母様への思いの大きさは、貝さんが他の相手と関係を築くことを全力で拒んだそうで、そうこうしていたらお父様とお母様は離婚した。
それからずっと貝さんはお母様の心が穏やかになって、新しい一歩を踏み出すことを待ち続けている。
その時は自分がお母様の隣にいたいのだと。
2年ほど前に貝さんが、私にだけこっそり教えてくれた貝さんの心からの願いというか野望だ。
だから、私の第1補佐をすることで多忙を理由にこの手の話題を避け続けている。
私としてはそうなってもいいと思っている。
貝さんのランクなら、お母様と再婚してもお母様が影響を受けることはほとんどないだろう。
むしろお母様にはぜひ再婚してほしい。
もちろんその再婚がお母様の心身魔のバランスを整えてくれるものでなければいけないが。
「そういえば、風の噂で聞きましたよ。今朝久しぶりにお会いになったんですって?」
「どこから出た情報ですか?その通りですけれど。」
「木漏れ日の中で生きていくためには良くも悪くも信頼できる情報網を手に入れておくことが必須なんですよ。それよりも、いかがでしたか?水香さん。」
「相変わらずといったところでしょうか。」
「具体的には?」
流れるように会話を誘導されている。
分かってはいるのだが、この流れるような心地よい会話の流れをぶった切るだけの元気がなかった。
「母の部屋に時計がなかったんです。」
「時計ですか?」
「ええ、母は父が出て行ったあの時から自分の時間は止まっていると言っていました。あれから私が必死に支えてきたこの期間は、母にとってないに等しいようです。」
つい話過ぎてしまった。
私は笑顔を作って首を横に振る。
「すみません。少し気を抜きすぎましたね。貝さんの気持ちを知っているからと言って、母のことを愚痴っていい相手というわけではないのに。」
「いいですよ。そうやって愚痴ってください。辛くなったら嘆いてください。投げ出したくなる時だって、悲しくなる時だってあるでしょう。どれだけ責任を負わないといけないと言ったって、人間なんですから限界はありますよ。僕は雫さんの第1補佐ですし、何より将来あなたの父親になりたいと願っているのですから。」
「逆でしょう。私の父親になりたいのではなくて、母と結婚できたなら、私の父親になるということでしょう。」
「まあ。でもだからあなたに媚を打っているというわけじゃありませんよ。雫さんを大切にしたいと思う気持ちは本物です。」
そういう声のトーンは建前を言う時のトーンだった。
「そうですか、ありがとうございます。」
「はい。」
だから私も表面的な返答をして会話を終わらせる。
今の会話が成立したのは、完全に貝さんの高いコミュニケーション能力と魔法の力だ。
貝さんはそもそも相手との交渉や関係構築のためのコミュニケーションを学生時代に学んできたし、木漏れ日の家で働いている今も絶えずいろいろなスキルを身に着けている。
そして貝さんが得意とするリラックスを促進させる魔法とそのスキルたちは非常に相性がいい。
今のように相手に自分が知りたい情報を話させるのも簡単なのだ。
ともすれば、普通なら相手に告白を共用せざるを得ないような場面でも、貝さんなら自分からべらべらと話すようなシチュエーションを作れてしまう。
自分の魔法特性をよく理解して、それを最大限に生かすために必要なことを着実に習得してきた人の強さは簡単には崩れない。
打ち合わせをしていたら扉がノックされた。
「貝様、雫様、失礼いたします。四永様がお見えです。」
貝さんがこちらを見る。
私は一度頷いた。
「入ってもらって。」
扉が開けられると正面に四永君が立っていた。
私たちに目を合わせて一礼する。
「貝さん雫さん、お食事中に申し訳ありません。」
「構わないよ、入っておいで。椅子がないから早めに済ませようか。」
「失礼いたします。」
四永君が入ってきて扉を閉める。
「どうしたのかな?」
「雫さんに謝罪をしたく伺いました。」
木漏れ日の家では、「木漏れ日の人間に対し、木漏れ日の人間は、一部の例外を除き、公的な場において、年齢やランクの関係なく、敬称としてさんを付けること。」という家束がある。
敬語を使うかため口を使うかは厳密に決められていない。
「謝罪?一十さんの件ですか?」
「はい、魔道良研究所担当の木漏れ日一十が大変失礼なことをいたしました。一十に代わり深くお詫び申し上げます。」
四永君が頭を下げる。
まだ中学1年生のはずなのに、こうしてスーツをかっちりと着こなしている姿だけを見れば、そんなふうには見えない。
幼い顔とは裏腹に背負わされている責任の重さが窺い知れる身のこなしだ。
「四永さん、頭をあげてください。先ほどの件、わたくしは気にしておりませんので、四永さんもどうかそれ以上お気になさいませんように。わたくしの方こそ感情的な振る舞いをいたしましたこと、お詫びいたします。」
私も椅子に座ったまま四永君の方に体を向けて頭を下げる。
「頭をお上げください、雫さん。」
顔を上げると四永君がこちらを見ていた。
「それではこれで失礼いたします。」
「気を付けてね。」
貝さんに送られて四永君が私に背中を向ける。
「四永さん。」
四永君の背中に感じたのは、彼の中で溜まりに溜まった疲労感や不満感だろう。
四永君が礼儀正しく私を振り返る。
「四永さん、無理はいけませんよ。耐えられなくなる前に声をかけてくださいね。」
四永君がしばらく私を見て頷いた。
「ご忠告恐れ入ります。」
四永君は部屋から出て行った。
「彼に何を感じたのですか?」
私は椅子に座りなおし貝さんを正面に見る。
「四永君はきっと今辛いのですね。慢性的にずっと何かストレスがあるのでしょう。一人で抱えきれないほどに大きくて、でも他人に擦り付けられないような何かが彼の心を痛めているように私には思えてなりませんでした。」
「教師をしていると分かるものですか?」
「私は教師なんて立派なものではありませんよ。グループに四永君と同い年くらいの子供たちがいますし、そこから成長してきたグループメートもいますから。」
「彼には兄弟も親も大勢いますから、何かあっても大丈夫でしょう。」
貝さんの言うとおりだ。
少し心配しすぎてしまったかもしれない。
「そうですね、少し気を配りすぎました。」
何事も起きなければいいのだが




