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チコのプロ意識(7)

7

 部屋に籠ったチコはソファーに座り込んで俯いていた。

近くにカバンが落ちている。

(何でこうなったんだろう。)

チコがソファーに横たわる。

緑とフェルートと別れた後、稲穂の車で真っすぐ自宅に帰ってきた。

予定よりも早い帰宅に屋敷の使用人やチコの母親が驚いていたのもチコは空気感として感じていた。

(お兄様帰ってきたら怒られるなあ。何もしたくない。何も考えたくない。)

夕食も摂らず気づけば20時、チコが体を起こした。

室内は外から入ってくる明かりだけだ。

「チコ様、チコ様。」

スリーノックの後稲穂の声が部屋に響いた。

「今は嫌。」

チコが力ない声で答える。

「それでもお水は飲んでください。」

(そう言われれば喉乾いたかも。)

チコがカギを解除し、扉を開ける。

「ありがとうございます。」

廊下に立っていた稲穂が一礼して部屋に入ってきた。

肩に少し大きめのトートバックが掛かっている。

「お水だけじゃないの?」

「今夜は引きこもられるようだったので夕食になりそうなものや、その他必要になりそうなものをお持ちしました。」

稲穂がてきぱきとテーブルや引き出しの上に荷物を置いていく。

「帰って来た時より落ち着かれたようですね。良かったです。熱中症になりやすい時期ですから、きちんと水分は摂ってくださいね。冷房が使えるからと言ってさぼってはだめですよ。寝る前にはコップ1杯のお水を飲んで、きちんと歯磨きをして、目覚ましをセットしてくださいね。冷房は眠ってから1時間ほどでオフになるように設定すること。よろしいですね。」

さっきまで横になっていたソファーに座ったチコが目をぱちぱちさせる。

「何で今そんなこと言うの?」

「わたくしがこの後このお部屋に入れなくても困らないようにです。」

稲穂がテーブルに陶器のコップを置いてチコに向き直った。

「チコ様どうしてもお伝えしなければならないことがございます。」

「お兄様のこと?」

「はい。」

「なに?」

「あと1時間ほどでドニー様がお帰りになります。その後ご家族の皆様に今回の公務についての報告を終え、チコ様とお話になりたいと連絡がありました。いかがなさいますか?」

稲穂は優しいトーンでてきぱきと尋ねた。

「お断りして。」

(やっぱりそう来るか。)

「しかし、トニー様は簡単には諦めてくださらないと思いますよ。」

「分かってる。でも話したくないの。」

「トニー様の誤解を避けるためにも何があって、何をお話になったのかをチコ様から正確に報告されるべきです。後々厄介なことにならないためにも。」

チコが黙った。

(もう一押し。)

「使用人であるわたくしに許されない発言とは存じますが、トニー様は少々勘違いや早とちりをされることが多いように思われます。その点も踏まえると、やはりお話になるべきかと。」

チコが眉間に皺を寄せる。

(いつもこういう怒り方をしないから珍しい。)

「明日がいい。」

「えっ。」

「今日は嫌だ。明日がいい。」

稲穂がしばらく考えて頷く。

「畏まりました。そのようにトニー様にはお伝えをいたします。」

「話はそれだけ?」

「どうしても追い出したいのですね。まだです。明日のお話ができておりません。」

「あー、そっか明日魔道良に行くんだったね。」

「お休みになりますか?」

「うーん行く。」

稲穂の顔が曇る。

「ですがこちらの件が片付くまでは、勝手な行動は極力お控えになった方がいいですよ。トニー様が敏感になっておられますし。」

「明日は行かないと私の気持ちに折り合いがつかない。」

チコが稲穂を抹消面に見つめる。

「畏まりました。トニー様が止められた場合はいかがなさいますか?」

「振り払って行く。」

稲穂が一つため息をついた。

(こうなると折れないもんなあ。)

「畏まりました。では明日何時に起きますか?」

「6時。」

「何時にこちらを出発になるおつもりですか?」

「7時。」

「とすると8時以降に魔道良に到着することになりますが。」

「明日はお休みだしもう少し早く着くんじゃない?」

「それは明日にならないと分からないですね。」

「そっか。」

「とにかく6時に起きるつもりなら自分で目覚ましをセットしておいてくださいね。私も起こしに参りますが、責任持って起きてください。」

「分かった。」

稲穂がしばらく黙ってから一度頷いた。

「わたくしからは以上です。では何かあればお声かけください。」

「稲穂。」

「はい。」

チコがふっと顔を上げた。

「ありがとう。」

稲穂が一瞬ぽかんとして頷く。

それも今日一番の笑みで。

「はい、もったいなきお言葉恐れ入ります。」

稲穂が丁寧に一礼して部屋を出て行った。

 また一人になった部屋でチコがスマホを持ち上げる。

(誰かと話したい。でも雫はだめだよね。お仕事だもんね。)

チコが連絡先の一覧を開いてスクロールしていく。

「あっ。」

チコの指が止まった。

画面にはスマスの名前が表示されている。

「スマスならいいかなあ。」

チコが電話のマークを押した。

「あ。でもだめ。やっぱり迷惑になるよね。」

1回か2回コール音が鳴ったがチコは電話をキャンセルした。

またソファーに横になる。

けれど、天井を見上げたところで何かが変わるわけではない。

「ん?」

チコのスマホがぶるぶると震える。

チコが慌ててスマホを見ると、ロック画面にスマスの名前が表示されていた。

「スマス。」

チコがスマホを耳に持っていく。

「もしもしチコかい?」

「うん。」

電話の向こうのスマスの声はいつもと同じだった。

「こんばんはチコ。」

「こんばんは、スマス。さっきはごめんなさい。間違って手が当たっただけだから気にしないで。」

(スマスに迷惑かけたくない。)

「そうなの?」

「うん。」

「おかしいなあ、そんなはずないと思うんだけど。」

「どうして?」

「だって僕の連絡先にチコが触れるには、きっとあえて僕を選ばないといけないから。」

「ん?」

チコが首をかしげる。

「チコ、チコが僕に電話をしてきたのっていつが最後か覚えてるかい?」

チコがしばらく考えて首を横に振る。

「分かんない。」

「3週間くらい前なんだよ。」

「そうなの?」

「そうなんだ。だから履歴を探してて間違って僕を押すっていうのは考えにくい。だったら、連絡先の一覧表を眺めてて僕を選んだんじゃないかなって。」

「スマスすごい。でも怖いよ。」

「誉め言葉として受け取っておくよ。それでどうしたんだい?プライベートの電話かな?それとも仕事の電話かな?」

チコがしばらく黙っているとスマスが口を開いた。

「分かった。チコ今どこにいるんだい?王城かい。」

「うーん家だよ。帰って来たの。」

「思ったより早かったね。まだお仕事終わってる時間じゃないだろ。」

「うん。」

チコの微妙な声のニュアンスからスマスが少しずつ察していく。

「なるほどね、チコ窓のところに立って。」

「窓?」

「そう今日は月が綺麗だろ。朝からよく晴れていたけれど、夜になって一層雲が無くなって月がよく見える。」

「うん。」

チコがだらだらと立ち上がって窓の前に行く。

この部屋の窓は、掃き出し窓ではなく、壁の上3分の2くらいが窓になっている。

「見えるかい。」

「うーん。」

チコがゆっくり空を眺める。

「ないね。」

「おっと窓の向きが僕の家とは違ったんだね。」

チコがくすくす笑う。

「チコの窓からは何が見えるんだい?」

「うーん「ななのかね」座かな。」

「なるほどそれじゃあ月とは方角が真逆なわけだね。」

二人の間に沈黙が流れる。

「チコ話したくないなら話さなくていいし、こうやってだらだらと喋っているのが楽ならそれでもいい。でも話し始めるタイミングを見計らっているならいつからでも聞くよ。」

スマスの優しい声にチコの笑顔がすーっと消えた。

「ありがとう。」

チコが深呼吸をしてスマホを耳から離す。

「スピーカーモードにするね。」

「いいよ。」

チコがスマホを窓に立てかけてゆっくり目を閉じる。

「あのね、私王女の護衛から外されちゃった。」

「ずいぶんと急だね。王女と何かあったのかい?」

「うーん大きなことは何もなかったんだ。ただ最近全然会ってなかったから私も王女もうまく空気が掴めなかったんだと思う。それで二人ともぎこちなくてね、それを見てたガーノーさんに王女の護衛を外れるように言われちゃった。」

「ガーノーさんって?」

「お城の護衛業務をまとめてる偉い人。」

「そっかあ。王女の護衛を外されたのがそんなにショックだった?」

「えっ。」

目を閉じて話していたチコの瞳がぱっと開く。

「もちろんそれは辛かったと思うけどチコが悲しいのはそれだけじゃないだろう。」

「何で分かったの?」

「勘だね。これでもチコとの付き合いはかなり長いんだよ。僕。」

「ほんとスマス怖い。」

「今日はたくさん褒めてくれるじゃないか。ありがとう。」

「褒めてないって。」

チコがぼんやり窓の外を眺める。

顔色はさっきまでよりずいぶん良くなった。

「王女にね言われたんだ。魔道良をやめて私と一緒に外交先に来ないかって。魔道良でできる楽しいことよりももっと楽しいことをあげるからって。そもそも私は王女の護衛なんだから、何よりも王女を優先しないといけないんじゃないかって。」

「ずいぶんとはっきりした言い方だね。」

チコが黙っているとスマスがため息をつく音が聞こえた。

「王女が言ったのはそれだけ?」

「うーん。」

「他にはなんて言っていたんだい?」

チコが首を横に振る。

「王女は。」

チコの声が震えていた。

「王女ねごめんねって言ったの。」

チコの頬を涙が流れて落ちていく。

「王女は、私の自由な生活を結局応援できてないんだって謝ってたの。」

チコが指で流れる涙を拭う。

電話の向こうのスマスに反応はない。

「王女のこと好きだよ。大好き。でも私は魔同良も研究所もやめたくない。もっとみんなと一緒にお仕事したり、お休み過ごしたり、お話したりしたい。だから断ったの。でも結局これじゃあ私もきちんと私に与えられたお仕事できてないのかな。これじゃあ雫との約束守れてないよね?」

「雫との約束?」

「うん。」

「どんな約束?」

「お仕事の時はお仕事に相応しい表情や立ち居振る舞いをして、その時関係のない感情は置いておくって。」

「そっか、それがチコが大切にしてる仕事のポリシーなんだね。守れなくて辛かったね。」

チコがすすり泣くのをやめて声を上げて泣き出した。

「チコ。」

チコがふわっと暖かなものに包まれる。

フェザードで作られた幕だ。

一瞬それに驚いたチコはそっと触れてそのまま顔をうずめた。

ひたすらに声を上げて泣き続けるチコの声を電話越しにスマスが聞きながら目を閉じている。

(泣きたいだけ泣いたらいい。頑張ったんだから。)

チコの頭に響くのはスマスがエスパー魔法で飛ばしたメッセージ。

 泣き腫らすこと20分、チコが鼻を啜って目を開けた。

「落ち着いたかい?」

「うん。」

チコがしゃがんでフェザードの幕を体にぎゅーっと引き寄せる。

「ありがとうスマス。これ作るの痛くなかった?」

「構わないさ。今日遠出をしてね、フェザードを生え変えないといけないなって思ってたところだったから平気。」

「でもすごいね。こんなところまで飛ばしてくれるなんて。」

「これでも風魔法には自信があるからね。フェザードの1枚や2枚メリー総合国の中ならどこえでも運ぶよ。」

チコがくすっと笑ってまた顔を曇らせる。

「明日雫に怒られるかなあ。」

「何で雫がチコを怒るのさ。そもそも雫にはこのこと伝えてないんだろ?」

「うん。うん?何で分かったの?」

「雫は今日本邸で木漏れ日の仕事をしてるからね。チコも最初からそれを分かっていたから僕に電話してきたんだろ。」

「ばれてたんだ。」

「分かってるよ。だから雫はこのこと知らないわけだし、知ったところでチコを怒ったりしないと思うよ。」

「何で?」

「だってチコは頑張ったから。チコは頑張ったしきちんとお仕事してたと思うよ。今日はたまたまうまくいかなくて、心が折れそうになってるだけで、大丈夫だよ。まあ僕が言ったところで詳細を知ってるわけじゃないから無責任だって言われるかもしれないけど。」

「うーん。」

チコが首を横に振る。

「スマスの言葉は無責任とかないよ。」

「それは嬉しいな。」

スマスが少し間をおいてまた話し始めた。

「チコは大人になったねえ。」

「大人?」

「あー、僕がチコに会って間もないころのチコは、自分のやりたいことや頑張りたいことを自分で選べるレディーじゃなかったからね。」

「そうだね。」

チコが小さく頷く。

「そのころのチコと比べたら今のチコは大人になったと思うよ。大人になって自分のやりたいことや頑張りたいことを自分で選んで周りに言えるようになったんだ。もちろんすべてが叶えられるわけじゃないけど、誰かを傷つけてしまうこともあるけど、でもそれでもチコの意思をすべて曲げろなんて誰も矯正できない。チコは勇気を出して頑張ったんだよ。王女に言うのだって怖かっただろう。よく頑張ったね。」

チコの口角が少し上がる。

「うんありがとうスマス。」

「どういたしまして。」

チコがふっと時計を見る。

「そろそろ休まないと。明日も早いでしょ。」

「そうだね、明日はみんなで晩御飯食べるしね。ちゃんと来るんだよ。」

「うん。」

「じゃあおやすみ、チコ。」

「おやすみ、スマス。」

電話を切ってチコがゆっくり立ち上がる。

まだ体にはフェザードをまとわせたまま。

キラキラと緑のスパイラル光を放つフェザードは大きなガウンのようにチコの体を包んでいる。

窓の向こうを見つめるチコの顔は少し穏やかで、優しくて、勇気に満ちている。

「王女を傷つけてしまったし、王女の言葉は悲しかったけど、でもでも、私やっぱり私がやりたいと思うことを大事にしたい。それを理解してもらったり、協力してもらったりするのは大変なことかもしれないけど、スマスが大人になったねって言ってくれたのはやっぱり嬉しかったから。雫もそう言ってくれたら嬉しいなあ。」

チコがベットに横になる。

「あっ、歯磨きしないと。明日稲穂に怒られちゃう。」

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