チコのプロ意識(1)
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今日はいつもより眠たい。
起きたくない。
「チコ様そろそろ起きてください。」
「昨日遅かったもん。」
「支度を始めないと遅刻しますよ。」
稲穂が横でがみがみがみがみ何か言っているけど、そんなのどうでもいいくらい眠たい。
私が寝返りを打つと稲穂が長い溜息をつくのが聞こえた。
「昨日遅くまで頑張っておられたのは分かっていますよ。ですが、昨日は昨日、今日は今日なのです。」
「あんなサービス残業みたいなの嫌い。」
「分かりますよ。お嫌いなのも知っています。それでも出席なさっていたではありませんか。ご立派でしたよ。」
「緑様が行くって言ったから。」
「そうですね、緑王女は今日もご出席なさいますよ。チコ様は行かれなくてよろしいのですか?」
「分かってるもん。」
ちょっと稲穂にいらっとしたら体を起こせた。
「おはようございます、チコ様。」
「おはよう。」
「いかがなさいますか。朝食からでもシャワーからでもどちらでも準備はできておりますが。」
「今日はシャワーいい。散歩行く。」
「畏まりました。」
外に出たい。
今日は天気がいいから気持ちいいと思う。
今私がいるのはお城の来客室。
昨日と今日開かれる末夏会に出席するために、海外から帰ってきている緑様の護衛をするためにここに一泊している。
昨日の夜の談笑会が長引いたせいで、寝不足だ。
「チコ様、こちらにお着替えを置いておきますから、終わったら声をかけてください。」
「はーい。」
稲穂が引き出しの周りに一式置いて部屋を出て行ってから、私は窓の外を見た。
今日はよく晴れている。
今日みたいな日はみんなと遊びに行けたら楽しいのにな。
「稲穂着替え終わったよ。」
王城の中で着るお洋服はきっちりしていて少し着づらい。
「チコ様寄れてます。」
稲穂に少し直されて私は部屋を出た。
「チコ様、さきほど緑王女からご連絡がありまして。」
「なに?」
「お散歩について行きたいと。」
「なんで?」
「そこまでは伺っておりません。」
「分かった。どこで待ち合わせ?」
「こちらの入り口まで来られるそうです。」
「私が迎えに行くんじゃないんだ。」
「はい。」
緑様の決めたことに私は嫌と言えないから、緑様が私のお散歩についてくると言うならそうなるし、私が迎えに行かなくていいならそうする。
エレベーターで1階に下りて外に出ると、本当に緑様がいた。
こちらを向いて手を振っている。
淡いオレンジのドレスに手首竹の白い手袋、緑色の帽子で顔に陰を作っているけれど、とても明るい笑顔だ。
私はゆっくり鼻から息を吸い込んでゆっくり吐く。
さあ、お仕事を始めよう。
「おはようチコ。」
「おはようございます、緑王女。お呼びいただければ、わたくしが迎えに行きましたのに。」
「いいの、私が迎えに来たかったの。チコはこれからお散歩と聞いたけど。」
「はい。」
「でもお腹すいていない?」
緑様がにっこり微笑む。
「はい。」
「良かった。実はね、チコを朝食に招待しようと思って迎えに来たの。ついてきてくれる?」
「はい。」
なるほど、最初から私のお散歩についてくるつもりではなかったらしい。
「稲穂はここで待ってて。」
「畏まりました。」
ここで稲穂とはいったん別れる。
私は緑様の護衛だから、護衛の私に使用人がついてくるのは少し不自然だ。
「チコ歩いて行きましょうか。」
「はい。」
私は緑様の少し後ろを歩いていく。
緑様はこの国の王女様。
いつもはいろいろな国を回るお仕事をしている。
「チコ、隣に来てよ。今はお仕事中じゃないの。私はお友達のチコをお客様として朝食に招待しに来たの。分かるでしょう?」
そっか、それなら私は隣に行かないと。
少し速足になって緑様の隣に行く。
「ありがとう。」
「いいえ、とんでもありません。」
それなら話し方も少し柔らかくしないと。
「昨日はお疲れさまでした、緑様。」
「チコこそお疲れさま。ごめんなさいね、あんなに長くなるなんて思ってなかったの。帰りが遅くなって疲れたでしょう。」
「大丈夫です。しっかり休めましたから。緑様はゆっくりお休みになれましたか?」
「ええ大丈夫。昨日はあれでも早い方だったもの。もっと遅くなる時だってあるわ。」
緑様が私を見下ろしてにっこり笑う。
「見てチコ、あのお花なんて言うのかしら。」
緑様が突然立ち止まって指をさす。
「申し訳ありません。わたくしにも分かりませんね。」
「そう、長い間ここに住んでるけど、あの品種の花は知らなかったわ。誰かに聞かないと。」
「お花好きですもんね。」
「ええ。」
緑様がまた歩き出す。
「ねえチコ。」
「なんでしょう。」
また突然緑様に話しかけられた。
でもさっきより声のトーンが低いかも。
「元気ないわよね、昨日から。私のせいかしら?」
歩く足は止めないで、前を向いたまま聞かれた。
「元気なくなんてないですよ。むしろ緑様に久しぶりにお会いできて嬉しいです。」
「でも。」
緑様が立ち止まって私を見下ろす。
とっても寂しい目、悲しい目。
私はこの目がとても苦手。
「チコ。」
緑様がゆっくりしゃがむと長い裾が地面に広がる。
周りの人たちが慌てて私たちに近づいてくる。
それを緑様が一度見て止めた。
そして私の両肩に手を当てて、私をまっすぐ見つめる。
その目が少し揺れていて私の肩を握る手も震えている。
「お願いチコ、私はね、私は大丈夫だから。チコのやりたいことをして、チコには自由であってほしいの。」
緑様のまっすぐな瞳をまっすぐ見つめ返す。
私は、こういう時なんて答えたらいいのか、答えるべきかを知っている。
「緑様、私は私の意志でここにいます。緑様のお近くにいたくてここにいます。だから大丈夫ですよ。」
緑様がじーっと私を見ている。
もう一押しだろうか。
「緑王女。」
私が口を開きかけたとき、大っ嫌いな声が駆けてきた。
「いかがなさいましたか。チコが何か失礼なことをいたしましたか。」
緑様の手や目から震えが消えた。
そしてゆっくり立ち上がる。
「チコリータどの、おはようございます。何でもありませんよ。」
「ならばなぜ緑王女があのように地に膝を付けておられたのですか。本来の王族の方々にあるまじき行いです。」
お兄様の顔が怖い。
でも緑様は全く怯まなかった。
「本来のとはどういう意味でしょう。」
「緑王女のようなお方のことです。」
「チコリータどの、ここはメリー総合国王室が本家、王城です。お言葉には十分お気を付けください。」
さっきまでの優しい緑様の声じゃない。
緑様が私の少し前に立って、私の方へ腕を伸ばして壁のようにする。
「チコは、わたくしに何もしていません。ご懸念には及びません。先を急ぎますので、これで失礼いたします。」
緑様が私の手を取って歩き出す。
お兄様がずっとこちらを睨んでいるけれど、緑様は足を止めなかった。
緑様に招かれたのは、少し広いバルコニー。
「なんだか邪魔が入っちゃったけど、どうぞ。」
「失礼します。」
白くて丸いテーブルを二人で挟んで座ると、彩り豊かな朝ご飯が出てきた。
このバルコニーは私と緑様が二人でゆっくりしたい時に使うスペースだ。
「時間もあまりないし、いただきましょう。」
「はい。」
緑様が美味しそうに一口食べ終えてから私も食べ始める。
「チコさっきのチコリータどの、いいえトニーさんのことは気にしないでね。世の中にはいろいろな考え方の人がいるでしょう。トニーさんもそのお一人ということよ。」
ふわっとした言葉だ。
意味を完全には理解しきれなかったけれど私は頷いた。
「分かりました。」
「いい子ね。そうだチコ、最近は魔道良でどんなお仕事をしているの?昨日ゆっくり聞けなかったし聞かせてほしいわ。」
緑様が声のトーンを変えた。
明るい話題にしたいらしい。
「そうですねえ。」
私は食器を置いて緑様を見る。
少し口角を挙げて明るい顔を作る。
「今週もいろんなことがありました。水曜日は晩餐会の警備任務をして、木曜日と金曜日はノーエルに行ってきました。」
「そう、楽しかった?」
「はい、ノーエルに行くのは楽しいです。みんなで枕投げをしたり、借りた宿舎の掃除をしたり。」
緑様が楽しそうに話を聞いてくれている。
でもちょっと寂しそう?
「緑様、どうかなさいましたか?」
「何でもないわ。チコは私の知らないことをたくさん知ってるんだと思っただけ。」
「緑様も今度一緒にやりましょう。枕投げ。」
「私が!」
「はい。」
「でも私はもうそんな歳じゃないわ。」
「歳なんて関係ないって雫は言ってましたよ。」
私がにっこり笑ったら、緑様が困ったように頭を掻く。
「チコが一緒にやってくれるの?」
「はい。」
「それなら嬉しいわ。」
緑様がパンを一かけら口に入れる。
「楽しみにしてるわ。」
次は私が質問をする番。
「緑様はいかがお過ごしでしたか?」
「私?私はねえ、あちこち飛び回ってたわ。最近はねえ。」
緑様が口ごもる。
「緑様?」
「何でもないわ。」
そこで緑様が話すのをやめた。
「早く食べちゃいましょうか。」
「はい。」
緑様と朝ご飯を食べ終えて、私は自分の部屋にいったん帰る。
「ではまた後でね。」
「はい、8時半ごろにお迎えに上がります。」
緑様に深く一礼して、私は迎えに来ていた稲穂と一緒に部屋に帰った。
「チコ様、先ほど何があったのですか?すごい形相のトニー様とすれ違ったのですが。」
「知らない。」
「本当ですか?」
「本当。」
部屋に帰ってソファーにだらんと座ったら、急に疲れた。
緑様が私を朝ご飯に招待してくれたことは嬉しかったけれど、その前にいろいろあった気がする。
それに何だろう、緑様とのやり取りがうまくかみ合っていないというかぎこちないというかもやもやする。
「チコ様、もうお疲れのようですが、これから打ち合わせがありますので、着替えてミーティングルームに行きますよ。」
「はーい。」
「制服はこちらに置いておきますから、着替えたら声をかけてくださいね。」
「はーい。」




