レークと雫の三者面談(8)
8
レークは幸せ者だな。)
僕は透明魔法を自分に掛け直し、さっき校舎を飛び出した窓から校舎に戻った。
だが教室に帰る気分にはなれなかった。
(しばらくここに隠れていよう。授業は出なくても問題ないだろう。)
さっき僕が木漏れ日さんに感じたのは僕が理想とする母親像だった。
あんな母親がいれば父親とうまくやれたのだろうか。
こう考えていると、あの嫌な記憶がいろいろとよみがえってくる。
僕は西道路家の長男として生を受けた。
西道路家はロイヤルブラットにはならずとも魔道に長けた一族で、父親は西道路の本家の長男だった。
父親をはじめ西道路家の親戚たちはプライドが高い。
自分たちがロイヤルブラットに劣らないいい血筋だということを強調し、生きている。
それはロイヤルブラットに自分たちが選ばれないことへの言い訳であり、ロイヤルブラットへの憧れの裏返しでもあった。
だからこそ、どこかでロイヤルブラットに自分たちが選ばれるような行いをするものを西道路家から排出したいと考えていた。
その考えは僕の父親も持っていて、僕は厳しく育てられた。
学業、魔道、芸事といった学びをたくさんのプロから学びつつ父親からの厳しい英才教育も受けていた。
魔道良専門学校には幼稚園の時から通い、友達もなかなかできないまま日々の過密なスケジュールに追われていた。
ひたすら父に褒めてほしかった。
毎日その一心でいろいろな学びに励んでいた。
母親は僕を産んですぐに家を出たらしい。
西道路家の家風と自分が合わなかったそうだ。
父親は母親のことをほとんど話さなかった。
男親が息子を育てることに表面的な苦労はそんなにない。
それに一応経済力もあるから日々の家事は使用人に任せ、食事は宅配の食事を食べればいい。
父と関わるのは英才教育の時間だけで食事や睡眠前は一人で過ごしていた。
幼少期から父のしつけは厳しかった。
「前に言っただろ。一度で覚えろ。」
「やる気がないのか。」
「おまえは西道路家の伝説にその名を残さなければならないんだ。」
こんな言葉を10年以上浴びせられたら気がおかしくなる。
それでも、そんな父に褒められたらきっと大きな快感になるだろうと信じた僕は必死になって父の期待に応えようと努力した。
その結果、学業成績は学年のトップFiveに毎年入るようになり、芸事でも著名な賞を受賞できるようになった。
魔道はこれらに比べれば見劣りするが、それでも平均よりは上だった。
周りの親戚たちやクラスメイト、教師たちは僕のことを高く評価し常に褒めてくれた。
親戚たちの喜びようといったらなかった。
たまに西道路家の年中行事で顔を合わせれば僕の知らない親戚まで褒めにくる。
一方的に僕の名前は西道路家の中で広まるのだ。
だが父親だけは褒めてくれなかった。
いくら頑張っても父親の期待は僕の現状の更に上を行く。
「もっとできてあたりまえだろ。」
「こんなことで褒められると思うな。」
「おまえの周りの人間が甘いんだ。この程度できて当然だろ。」
父親との関係が長くなれば長くなるほど父親の僕に対する期待は高まり、それに比例するように僕のモチベーションは徐々に下がっていった。
今まで僕のモチベーションをなんとか保っていた「父に褒められたい。」という重いさへ、高い父の欲求を前に崩れ始めていた。
このままでは僕は精神病にかかる。
そう察したのは高校受験の時だった。
魔道良専門学校は高校受験で主席を取った者に入学式で金メダルが授与される。
父親はそれを僕に求めた。
「西道路家に金メダルをもたらせ。」
はっきり言って当時の僕の学力であれば難しい話ではなかった。
その当時の勉強時間をもっと切り詰めて難しい内容の問題集をすれば金メダルは夢ではなかった。
しかし、僕の心にはもうそんなことをする気力は残っていなかった。
高校も魔道良専門学校に進むことには納得できる。
だが、金メダルを取る価値が自分の中で見いだせなかった。
今までのように父が褒めてくれるかもしれないという期待はその時僕の心にはかけらもなかった。
だからこそ、僕は当時通常の学習にプラスして勉強しようと思えなかった。
結果、僕の高校入試の結果は10位だった。
その時受かった同級生は1500人を超えるのだから、普通に考えればとても優秀だ。
しかし、父の風当たりはきつかった。
あの時の記憶を鮮明に覚えている。
合格通知が自宅に届いた時、僕は中学部にいた。
教室では外部に進学する生徒たちがまだ受験勉強に励んでいて、クラスはいつも通りの空気だった。
あれは3時間目の母国語を学んでいた時だった。
いきなり大きな音を立てて教室の扉が開いた。
クラスメイトはもちろん先生もきょとんとした顔で扉の方に視線をやった。
僕は扉のところに立つ鬼の形相をした男を見て察した。
僕は主席ではなかったのだと。
高等部に合格するという確信は持てていた。
自己採点の結果は余裕で合格ラインを超えていたのだ。
だが主席かどうかはなんとも言えないところだった。
万が一、この成績で主席なら今年の生徒たちの成績が平均的に低いか、よほど僕が強運を持っていたとしか考えられない。
「雅。」
教室に一歩踏み込んだ父が僕を怒鳴りつける。
「この成績はなんだ。誰が10位を取れと言った。私がおまえに求めたのは金メダルだ。10位ではなんの言い訳にもならんぞ。」
父は他のクラスメイトや先生をそっちのけに僕を怒鳴りつけ、ずかずかと僕に近づいてくる。
「おまえはいつもそうだ。私の期待に全く応えようとしない。誰が育ててやったと思っている。誰が忙しい時間を縫って小さい時から英才教育を施してきたと思っている。親への恩を仇で返すのか。」
僕の首を父親が掴んだところで騒ぎを聞きつけた先生たちが駆け付け、父親は取り押さえられた。
その後、今までの僕に対する父親の対応が明るみになり、僕自身が父親との今後の同居を拒んだことで、僕は晴れて父親との生活に終止符を打ち寮に住めることになった。
「本当にいいの?」
最終面談で当時の担任が僕に聞いた。
「はい、このまま父と暮らしていたらいつか僕は父に殺されるか僕が自殺をし兼ねません。もし自殺をしなくても僕はなんらかの精神病にかかるでしょう。」
「そう。」
その時担任はそれ以上何も言わなかった。
こうして寮で一人暮らしを始めた僕は高校1年間をただたんたんと過ごしていた。
父とは一切連絡を取らなくなった。
僕から父に連絡をすることもなければ、父から僕に連絡をすることもない。
世界に色なんてない。
求められたことを求められたとおりにこなし、周りから高い評価を得ることでどこか心に空いた穴を一時的に満たしていた。
僕が演じたキャラクターは明るく、紳士的でまじめでそれでいてユーモアがある。
このキャラを演じていれば、教員からの評価は高くクラスメイトからも悪い対応はされない。
親戚たちには学業に専念したいから家を出たと、僕も父も嘘をついた。
こういう時だけは口裏を合わせなくても気が合うのだ。
まあ、こういっておけば勉強熱心なのねと言われてそれで終わる。
毎日が退屈だった。
退屈過ぎて、つまらなすぎてなんにも張り合いが持てずにいた。
そんな時だ。
僕は高校2年の春にレークと出会った。
レークが僕のすべてを変えた。
2年に進級するためのテストでも僕は成績上位者だった。
もっとも、高等部のクラス分けは成績に関係なくランダムに組まれるため、一つのクラスにさまざまな得意不得意を持った生徒が集まる。
僕にクラスが求めているのは、高学力の生徒であることとこのキャラクターだろう。
そう思って僕は新年度をスタートした。
「ねえ。」
「なに?」
新年度がスタートした当日、指定席の表を見て僕が席に着くと僕の前に座る女子生徒が聞いてきた。
「西道路君の隣は空席なの?」
「いや、誰か座るみたいだよ。」
「へえいいなあ。西道路君の隣なんて羨ましい。」
「そんなことないよ。何か用事があったらいつでも言って。」
これで彼女との話は終わりだ。
僕は空席の隣を見た。
(新年度初日から欠席か。ずいぶんお偉い身分だな。)
その日はそう思っていた。
しかし、4月が4日過ぎても僕の隣は埋まらなかった。
そのころからあるうわさが流れ始める。
それは「うちのクラスをずっと欠席しているやつは魔道良に所属していて、そちらの仕事で両手いっぱいだ。」というものだった。
魔道良に所属しているなら筋が通る。
そもそも魔道良専門学校では魔道良に所属する学生年齢の子供たちが、魔道良での仕事と学業を両立する支援を行うというのが経営理念の一つになっている。
たまたまうちのクラスには欠席続きのクラスメイト以外魔道良に所属する生徒がいないから異質に感じるが、他のクラスではよくあることらしい。
僕も直接的に魔道良に所属する生徒と面識を持ったことはなかった。
どうせ今日も来ないだろうと思っていた4月5日の金曜日。
1時間目に出席するため7時前に教室へ入って驚いた。
「君は。」
僕の隣の席で男子生徒が机に突っ伏して寝ていた。
僕はしばらく立ち止まって考えてから、自分の席につくことにした。
(まあ起こしても問題ないだろう。あと5分もすれば授業が始まる。)
僕が授業の準備をするのにカバンをがさごそしても、くしゃみをしても、うっかり筆箱を落としても隣で眠るクラスメイトは全く起きようとしなかった。
(なんなんだ。)
このあたりから僕は彼に対して興味と呆れを感じるうになった。
結局ホームルームでも寝っぱなし、1時間目が始まっても寝っぱなしでとうとう1時間目が終わり先生が教室を出て行ってしまった。
(なんなんだこいつは。いびきこそかかないから授業の妨害にはならないが、隣でこうもすやすや眠られると気になる。)
こいつとどう関わればいいかを考えながら、次の授業の用意をしている時だった。
すぐ横からアラームの音がした。
(こいつのか。)
僕が隣のクラスメイトを見る。
「眠い。」
するとクラスメイトが体を起こしてスマホを触る。
(目覚ましだったのか。)
男子学生が首を一回転させてからリュックを背負って出て行った。
(なんだったんだ。)
これがレークと僕のはじめましてだった。
ただ、クラスへ来て、授業を眠って過ごし、どこかへふらふらと消えたレークが僕にとってなぞ多き存在だった。
今までの家庭環境の中でこんなに適当なやつを見たのは初めてだった。
次に僕と隣の席にいるはずのクラスメイトが会ったのは、次の週の木曜日だった。
その日は11時間目になって急に現れ、11時間目と12時間目を机で眠りながら受けて帰った。
3回目に会ったのはまた次の週の水曜日で、その日は6時間目と7時間目を寝ながら受けていた。
こうも不思議な行動をとられ続けるといろいろと気になってくる。
勉強はいつしているのだろう。
単位や出席日数は大丈夫なのだろうか。
なぜいつも授業中に眠るのだろう。
といった素朴な疑問と、このクラスで僕の隣のクラスメイトが確実に浮いているという現状が気になっていた。
彼がいない時クラスでは彼に対するさまざまなうわさが飛び交っていた。
ただのうわさだがされどうわさだ。
年齢的にうわさが好きな生徒がどうしても多く、彼が教室にいると教室に変な空気が流れる。
彼が教室にいるとクラスメイトの誰かが一度か二度は彼をちらみする。
放っておいたらいじめになるかもしれない。
しかも彼はそういう生徒を見つけたらすぐに睨み返すから、場の空気が余計に悪くなる。
大人の対応ができないやつなのだろう。
5月も中盤に差し掛かったころいつもと違うことが起きた。
週に一度は教室に来ていた隣の席の彼が5月の第2週はまるまる1週間来なかったのだ。
とうとう休学したのではないかといううわさまでクラスに広まり始めていた。
担任の舞薔薇先生は常時機嫌が悪そうな人で、彼については全く語らない。
だから、僕たちも彼の名前すら知らないまま1か月と少しが経っていたのだ。
人は自分がよく知らない人に対してあまりプラスのイメージを持たないことがある。
よく知らないからこそ根も葉もない、信ぴょう性のかけらもないようなうわさをし、話のネタにする。
僕は彼のことが気にはなっていたが、それ以上どうこうしようとは思っていなかった。
そして、5月の第3週に入った金曜日の11時間目が始まる10分前に彼が教室に入ってきた。
クラス中がしんとした。
単純に久しぶりの彼の登校にクラス中が驚いたのだ。
まだ来るかというオーラさえ感じる。
教室に入ってきた時からだるそうだった彼の顔が教室を歩く中でますます暗くなり、僕の隣に来る頃にはいつものように寝る体制になっていた。
こうやってクラスの中でいじめというのはできていくのだろうか。
僕は何を思ったのかこのタイミングで口が開いた。
「やあこんばんは。」
隣で机に突っ伏す彼に声をかけたがあっさり無視をされた。
本当に寝ているのかもしれないがそれでも挨拶は返してほしい。
だがそれと同時に一つ思ったことがある。
全員からこんな対応をされていたら挨拶をする気にもならないかもしれないと。
そう思っているのならこうなるのも無理はない。
僕はこれ以上彼に声をかけることをやめた。
「ちょっとあんた、せっかく西道路君が挨拶してくれたのに応えないってどういうことよ。」
前に座る女子生徒が彼を睨む。
しかし彼は全く反応しない。
「ねえ聞いてるの?」
女子生徒が席を立って彼を睨む。
「待って、落ち着いて。」
「西道路君は黙ってて。こいつが悪いのよ。ほとんど学校に来ないでさぼってるくせに
西道路君が挨拶しても返さないなんてどれだけ礼儀知らずなの?学校にもろくに来ないで遊び惚けてるぐらいならいっそ休学したほうがいいのよ。」
教室中が凍り付いた。
彼女が思ったことをずばずば言う性格だということはなんとなく把握していたが、ここまではっきり言うとは思っていなかった。
「あっ。」
すると、隣の席の彼がむっくり顔を上げて女子生徒を睨んだ。
その時の彼の眼はいつものぐだーっとしたものとは違って強かった。
まるで敵を威嚇するような肉食動物のような目が女子生徒を一歩後ろにたじろがせる。
「俺が遊んでる?さぼってる?ふざけるな。いいか、俺はほんの1時間前まで違う国にいたんだよ。ポリス月間で呼び出されて1時間残業して帰ってきたら、うちの口うるさいグループリーダーが先週行けてないから行ってこいって言って、俺を校舎の前まで送り届けたんだ。だから来てるんだ。おまえ知ってるか?俺のこと見慣れない生命体を見てるような目で見てるほかのやつらも知ってるか?毎日出動命令が出されたところに出動して、場合によっては自分の命を懸けて仕事して帰ってきたら、サラリーマンみたいな報告書書いて、不備があったら自分で直すんだ。睡眠時間削って勉強して、課題して、宿題やってもテストの成績が悪ければ、補修になる。おまえら学業と仕事の両立の苦労を知ってて、そのうえで俺が効率の悪いやつだと思って軽蔑してるのか?別に俺に気を遣えなんて言わねえよ。でもなあ、おまえらが魔道良で働いている学生を軽蔑するならそれは完璧ないじめだぞ。」
驚いた。
普段あんなに気の抜けた顔をしているこいつがこんなにはきはきと筋の通ったことを言うとは思わなかった。
クラスにはすでに授業をしにきた教師が入ってきていた。
クラス中が凍り付き、教師もどう対応したらいいかが分からなくなっている。
こいつにけんかを吹っ掛けた女子生徒は何も言えずに俯いていた。
(どうするべきか。)
ここでの対応一つで僕の立場は変わる。
僕だってほかのクラスメイトと同じように黙りこくっていてもかまわない。
だが、なんとなくこいつに親近感に似ているものを持っている僕は違うことがしたかった。
(たまにはいいか。)
僕は席を立って隣で立っている彼を見た。
「名前教えてよ。」
「あっ。」
「名前。僕ら君のこと何も知らないんだ。」
「レークだ。」
「レーク。」
「あー。」
「僕の名前は西道路雅だ。今年は1年十君の隣の席だからよろしくな。」
「おー。」
「さあ、授業を聞こうじゃないか。今日は寝かせないよ。」
こうしてクラスに起きかけたいろいろなごたごたは徐々に無くなっていき、2週間もするころには落ち着きを取り戻していた。
僕はあのあと暇さえあればレークと話すようになり、授業中にレークが寝ようものならさまざまな方法で起こした。
ある時はレークの髪の毛を洗濯ばさみで引っ張った。
ある時はレークの瞼に接着魔法をかけて、目を閉じられないようにした。
ある時は、寝ているレークの背中に魔法で作ったカニを大量発生させた。
「何すんだよ!」
「起きろ。」
「うるせえなあ!ねみーんだよ!」
「授業に来てても寝てたら意味ないだろ。」
レークと話す中でレークが驚くほどに勉強が苦手だということが分かり、俺はテストのためにノートを移させ、レークが欠席した授業のサポートをし一緒にテスト勉強をした。
「なんで俺にこんなに構うんだよ。」
「当然だろ。楽しいからさ。」
「変なやつ。」
「君もだろ。」
レークは自分の過去についてほとんど話さない。
たいした興味もないが少しは気になる。
だがレークを見ているとなんとなく分かるようになってきた。
きっと大変な幼少期を過ごしたのだろう。
日々の振る舞いや言動、人間の観察力を見ていればなんとなく察しがつく。
とても大柄な態度や言葉遣いをするが、実はテーブルマナーは身についているし小さな所作が美しい。
そういったことを自然にやってしまうのだ。
かなり厳しい教育を受けてきたのだろう。
しかしその一方で体力はあるし魔道の実力は天才ものだ。
きっと僕をインドア派とするなら、レークはアウトドア派だ。
部屋の中で勉強をして学業成績が高い僕と、外で魔道の訓練を必死になって積み魔道成績が非常にいいレークといったところだ。
自分とは何も似ていないからこそ僕はレーク解いて居心地がいい。
ぐずぐずとした梅雨の6月上旬を超え、テストとレポート尽くしになる6月下旬を乗り越えるころにはレークはきっと友達と呼んでもいい関係にまでなれただろう。




