スマスとたね(2)
2
ちょうど3年くらい前、雫が初めてうちに来た時だった。
僕がグループルームに忘れた書類をわざわざ届けに来てくれた雫は、そのまま2時間くらいうちで寛いでいた。
「いいのかいそんなにごろごろしてて。」
「いいでしょう。今日はもう仕事ないし、やらないといけない事務作業も終わらせて来たし、他の子たちへの連絡事項も伝えてあるし、私にしては珍しいくらい完璧よ。」
「自分で珍しいとかやめなよ。」
「事実だからねえ。」
ゆっくりとソファーに腰掛ける雫は、オレンジの膝丈スカートに白いブラウスで上から黒い何かを羽織っていた。
ノーマル月間の服装は結構本格的な私服に近いから、仕事の用事でうちを訪ねてきたというよりも、プライベートで訪ねられたような気さえしてしまいそうだなと思っていた。
雫は僕が出した紅茶を美味しそうに飲んで、冷蔵庫にあったケーキを美味しそうに頬張っていた。
「今日の服可愛いね。少し勘違いをしたらデートに来た彼女みたいだよ。」
「あらおうちデートなんてとんでもない。私はただ週末前に大事な資料を職場に忘れて有休を取っちゃったグループメートに書類を届けに来ただけなのよ。そんな呑気なこと言ってていいの。この光景を見られたら困る相手がそれなりにいるでしょう?」
「そんな相手いないよ。毎日働きづめのせいで出会いがないからね。特にここ3年くらいは今までで一番忙しいよ。」
「それ分かるわー。忙しいわよねえ。」
力の抜けた雫の声はリラックスしてくれている証拠だ。
「誰かさんが何でもかんでも仕事を受けるからだよ。」
「これでも相当取捨選択してるのよ。学生組に無理させたくないし。」
グループができて3年目、一番年下のメーラは小学4年生だった。
僕は雫の正面に座って本を手に取る。
「帰りはどうするんだい。上手さんはもう帰ったんだろ。」
「そうねえ、飛んで帰るか電車で帰るか。あんまり考えてなかったわ。」
「ざっくりだなあ。雫だって今から帰ればいつもよりゆっくりおうちで過ごせるよ。」
「それ早く帰れって意味かしら。」
雫がわざとらしく笑って尋ねてくる。
僕も負けじと笑みを浮かべて首を振る。
「いやいやまさか、雫が一緒にいたいと言うのならいくらでも。」
雫がふっと笑って目を逸らす。
僕がこう返事をするって分かっていただろうに、いつまでたっても慣れないのが面白い。
自分から仕掛けておいて。
もう一押しいけるだろうか。
「何なら夕食をご馳走しようか。僕が作ってもいいし、外に食べに行ってもいいよ。」
雫が僕を見てにっこり笑う。
「お誘いいただきありがとうございます。せっかくのご提案ですけれど、今夜は家に帰って賞味期限ギリギリの材料をきちんと料理して、美味しく食べる予定ですので、ぜひまたの機会に。」
上品に済ました声で言っているけど、内容はとても庶民的、実家で身に着けた高級感あふれる言い方や所作に今の雫の生活がかみ合っていない気がする。
「言い方はおとぎ話だけど、中身がとってもリアルというか。」
「当たり前でしょ、私は一般市民です。」
「ロイヤルブラットがよく言うよ。」
「あー。」
雫が頬を膨らませて立ち上がる。
カバンは手に取っていないから、機嫌を損ねて帰るというわけではないらしい。
雫がそのまま窓際に歩いていく。
「そんなこと言っちゃだめなんだあ。たしかに私はロイヤルブラットだし、木漏れ日の中でもかなりいいポジションにいるけど、それでもそんなこと言っちゃだめなんだあ。」
雫がプランターの前でしゃがむ。
「ねえ。」
話しかけているのはちょうどいい感じに成長してきた長ネギ。
「雫それは僕じゃないよー。僕はこっち。」
「ねえだめだよねえ。スマスは私に謝らないとだめだよねえ。」
どうやらネギに話しかけているていで僕に謝罪を要求しているらしい。
「悪かったよ、そうだよね雫も一般市民だよね。迂闊だった、申し訳ない。」
雫がこちらを振り返ってにっこり笑う。
「いいよ。」
雫がソファーに戻ってくる。
「あのネギ、スマスが前から話してた家庭菜園の野菜?」
どうやらさっきまでの話はここで終わりでいいらしい。
あまり怒っていなくて良かった。
「そうだよ。」
「どうして土の上で育てないの?ここの庭って申請すれば栽培できるんでしょ。」
「そうだけど、毎日面倒を見るわけでもないし、ご近所づきあいも得意ではないしね。」
「スマスともあろうお方が何をおっしゃる。コミュニケーションの達人みたいな人なのに。」
「関わらないといけない相手とのコミュニケーションと自由意思で関わるか否かを決められる相手とのコミュニケーションは別だよ。」
「ふーん。」
雫が長ネギを振り返る。
「でもこの長ネギは土の方がいいんじゃない。」
とっても素朴な問いという声色で聞いてきてるけど、もっと深いことを考えての問いということくらいこれだけ付き合っていれば分かる。
「何が言いたいんだい。」
持ち上げたカップをゆっくりソーサーに戻して雫が僕を見る。
「深い意図はないけどちょっと寂しそうだったから。」
「僕が?」
「うん。」
「それだけかい?」
「うん。」
「本当に?」
「うん。」
雫がもう一度カップを手に取って今度こそ口に運ぶ。
どうやら僕の考えすぎだったらしい。
もしかしたら僕の反応を見て雫が意図を隠したのかもしれないけど。
「スマスネギが好きってわけじゃないでしょ。どうして長ネギ?」
「何となくだよ。一度育てた野菜は育てないんだ。いろんな野菜をまんべんなく育ててみたくてね。」
「一度でうまくいくものなの?」
「うまくいかないことが多いらしいけど、僕はなぜかうまくいくんだよ。」
「それって自慢?」
雫が首をかしげて尋ねてくる。
「まさか事実だよ。」
「スマスにとっては簡単なのね。やりごたえというか歯ごたえがなさそう。」
雫が目を細めて僕から視線を逸らす。
何か考えているらしい。
こういう時は待つに限る。
僕が2、3ページほど本を読み進めた時、雫がふっとこちらを向いた。
「前さあ。」
「なに?」
「スマスが野菜を育てるのって自分にしかできないことがしたいからって言ってたよね。」
「そうだよ、まあ実際には僕じゃなくてもこの野菜は十分育つんだろうけど、それでもこの部屋で育とうと思ったら、基本的には僕が世話をしないといけない。」
「うん。」
僕がいないと育つことのできない命、僕がいないと成立しない何かを昔からずっと求めていた。
求めてはいろいろなものに手を出して、その影響で多趣味で何でもできるという評価を受けることになったのだけど、雫のグループに入って時間に制約ができるようになって、落ち着いたのが家庭菜園だった。
これは公然の趣味で、できた野菜はグループメートにあげてたし、野菜の進捗状況とかが話題になることもあった。
「この野菜はスマスじゃなくても育つけど、スマスじゃないと育てられない植物があるとしたら、育ててみたい?」
普通に会話をするように雫がふっと切り出した。
「もう少し聞かせてくれる?」
雫が数回首を横に振って話し始める。
「知り合いがね、面白い研究をしてるの。研究が軌道に乗ってね、それで会社を始めたんだけど、うまくいかなくて没になるのが多いんだって。でも腕のいい魔道士なら没にせずに済むかもしれないって。」
僕が数回瞬きをすると雫が申し訳なさそうに笑う。
「漠然としすぎてるね。これ以上話せるかどうかはスマスの返事次第なんだ。」
「どうして?」
「企業秘密。」
なるほどそれなら納得だ。
「面白そうかい?」
「面白いと思うよ。根気強くてスパイラルの扱いにも慣れてるスマスならやれると思う。ちょっと気難しい人だけど、それさえクリアできればやっていけると思う。」
「いいよ、雫がそう思うならやってみる。」
雫が嬉しそうに頷いてスマホを取り出した。
「確認するね。」
ぼくのことをよく理解している雫が、僕に向いていると思うことがあるのなら、取り合えず手を出してみて損はないと思う。
最初は師匠と弟子だったけれど、それからもずっと交流を続けて、今では雫の方がグループリーダーで立場は僕より上だ。
まだまだ年下だし至らないところはたくさんあるけれど、それでも必死になって毎日何かに取り組んでいる雫が上司なら僕は嫌だと思わない。
「もしもしガーディ先生木漏れ日です。」
しばらくして雫が電話越しに話し始めた。
「突然お電話してすみません。あー、はい、元気ですよ。先生は?そうですか、お変わりないなら良かったです。ええ、ええ。」
あの雫が相手のペースに流されていく。
珍しい光景だ。
基本的に雫が会話で流されることなんてない。
「先生。」
雫が優しくそれでいて鋭く話を止める。
「先生が以前おっしゃっていた廃棄せざるを得ない種の引き取り手になってくれそうな人物を見つけたんです。会ってみませんか?はい、スパイラルどころかシャインを操作する腕もありますし、魔道良でも屈指の魔道士ですし、何より命を大切にする心があります。どんな相手であっても真摯に向き合って真っすぐ対応しようとする根気強さも持っていますから、適任だと思いますよ。よければ今から伺いますが。」
僕が慌てて雫に手を振ると雫がニコニコしながら首を振って会話を続ける。
「構いませんか。ありがとうございます。それではできるだけ早く伺いますね。失礼いたします。」
電話を切った雫が「そういうわけだから」というふうに立ち上がる。
「さあ、行きましょうか。」
「一つ聞いていい?」
「なに。」
「この後僕に予定があったらどうするつもりだったんだい?」
「ないでしょ、予定。」
「だとしたらなんでそう思うんだい。」
「さっき晩御飯に誘ってくれたじゃない。スマスはどんなにからかっていたとしても、相手が頷いたっていいように嘘はつかないわ。」
とんでもなく深いところまで読まれていたようだ。
実際今夜は予定もないし、雫がもし僕が誘った夕食をオーケーしても付き合うつもりはあった。
「分かったよ、準備するからちょっと待ってね。どこまで行くんだい。MYに戻るのかな?」
「うーん、ロテフォニ。」
「ロテフォニ!そんな遠くまで行こうと思ったら、何時間かかるか。」
「普通に飛んで行ったらね。今回は私がいるのよ。」
雫が得意げにウウィンクして見せる。
「つまり雫が二人乗りの空飛ぶジュータンを法律違反ギリギリの神的な速さで操縦してくれるってことかい?」
「そうそう。」
「まったく危なっかしいったらありゃしないね。」
「無事にたどり着けばいいのよ。普通に飛んだら6時間くらいかかるわけだし、帰りの時間も考えたらそうするしかないわ。」
「それなら最初から日を改めて朝から行けば良かっただろう。」
「あら、自分は早起きなんて苦じゃないみたいな言い方するじゃない。スマスだって本当は早起き苦手でしょう。」
「まあ。」
「そういうわけよ。分かったら早く用意して。」
半強制的にかつ突発的に決まった雫との空の旅は思っていたより快適だった。
「驚いたよ。こんなに飛ばしているのにほとんど揺れを感じない。」
「慣れてるからね。」
雫が球体の操縦機を右手で操作しながら左手も手のひらを全部プレートの上に置いている。
普段なら右手の球体だけで充分操作できるのに左手も使っているあたりを見るとかなり真面目に運転しているらしい。
普段の雑な運転しかできないわけではないようだ。
「少し見直したよ。そんなに上手に空飛ぶジュータンが操縦できるとは思わなかった。」
「そんなこと言うと、今度から私空飛ぶジュータンの運転しないわよ。ノンフェリーゼ仕込みの運転技術をなめちゃダメ。」
「はーい。」
二人乗りの小さなジュータンには僕と雫とそれぞれの荷物がリュック一つずつしか乗っていない。
「そういえば雫、さっきの電話で先生って言ってなかった?」
「そうこれから会いに行くのは、私に植物魔法を教えてくれた先生の所。名前はガーディ「ティアル」、聞いたことあるでしょう?」
「あー知ってるよ、研究所でもかなり優秀な研究員だったけど、孤立しちゃってやめたんだろ。」
「うーん厳密に言うと少し違うんだけど、だいたいそんなところかな。」
「違う?」
「詳細は私が言うと怒られちゃうから自分で聞いて。」
「分かった。」
確かにティアル先生は気難しいという話は昔聞いたことがあるような気がする。
僕が魔道良に入りたてくらいの時はまだ研究所にいたのだ。
「じゃあティアル先生が起業して何かを作ってるのかい?」
「そうそう。」
雫が左手の小指をプレートの上でぽんぽんと2回叩く。
「今先生が作ってるのはね、花の種。」
「花の種?」
雫が前を向いたまま頷く。
「具体的に言うと実際の花の種にスパイラルやシャインの力を作用させることで、実態のある花に魔道をプラスした花を作ろうとしてるの。魔道で作った花ってどうやったって外見に違和感があるし、実際に触れようとしたら触れないか砕けるじゃない。だから魔道だけで花を作ることにはこれまであまり価値がなかった。他方、実際の花は環境によって成長に差がみられるし、咲いている期間も短い。ここで、魔道で作った花と実際の花のいい部分を足して、もっと新しく美しい花、実用性に飛んだ花を作ろうって思いついたのがガーディ先生。基本的には、実際の花の成長のプログラムはそのままに、種の遺伝子の中にスパイラルを注ぎ込むことで変化を起こすプログラムを組み込むの。用途は多彩よ、実際の花の色や質感はそのままに咲き続ける時間を長くしたり、スパイラルの入り具合で成長の速度を調整することでばらつきを軽減したりできる。美しさの観点で言えば、実際の花にスパイラルの輝きを加えたり、花の形や色ごと変えることだってできる。」
「壮大だねえ。」
「そうなの、今の問題は一般的な魔道士でも使用できる種を作れるようになること。」
「確かに話を聞く限り、かなり高度なスパイラルやシャインの操作が必要になりそうだね。」
「そうなのよ、プログラムを組み込むのも一苦労なんだけど、そのプログラムに寸分たがわぬ要領でスパイラルを注ぎ込むのはもっと至難の業なの。」
「そのプログラムを簡略化して簡単にするっていうのは?」
「そうするとできることが減ってくるの。花の形やデザインを変えようと思ったら、そんな簡単なプログラムではだめだしね。」
「なるほど。」
「それで。」
雫がふっとジュータンから地上を覗き込む。
「そろそろ着くわよ。」
雫が右手の球体をぐるっと回転させる。
「いろいろ研究してるんだけどなかなかいい種ができないの。ただその種だってガーディ先生が組み込んだプログラム通りにスパイラルを注ぎ込めば花を咲かせるわ。だから棄てるのはもったいないし、何より実際に咲かせてみないとどういうデザインになってるかも分からないじゃない。そこで高度なスパイラルやシャインの操作ができる人材がいないかって困ってたのよ。」
「ティアル先生が自分でやったら。」
「それは嫌なんですって。」
「なぜに?」
「こだわりやプライドの部分も少なからずあるとは思うけど、一番はいらいらするからだと思うわよ。自分で描いた緻密な塗り絵を塗りたいと思うかどうかは人によって分かれるでしょう。」
「なるほど。」
一通り説明を終えた雫がジュータンの高度を下げていく。
「後は本人から聞きましょう。」




