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実家の雫(8)

8

 別荘を出て雫が後ろを振り返った。

「見送りありがとうございました。」

「いえお気をつけてお帰りくださいませ。」

雫が会釈をして春宮邸本邸の方を向くと、森崎が雫の方へ歩いてきていた。

「お迎えが遅くなり申し訳ありません。」

「いいわ帰りましょう。」

雫の後ろを森崎がついていく。

(あれ?)

アーチの間をぼんやり歩いていた雫がふっと立ち止まる。

「いかがなさいましたか?」

「馨ちゃんじゃないかしら?」

「えっ。」

雫の目線を追いかけて森崎も視線を走らせる。

「確かに馨様ですね。」

二人が馨と思っている女性は、庭の木の前に置かれたベンチに一人腰掛けている。

あきらかに疲れ切っていた。

近くに使用人ら式姿はない。

「声をかけてくるわ。ちょうどお話しないといけないことがあるのよ。」

「畏まりました。」

森崎はその場に待機し、雫が馨に向かって歩いて行く。

数歩手前で雫に気づいた馨がふっと顔を上げた。

「雫ちゃん?」

(あー、やばいかも。ちょっと顔色が。)

「ごきげんよう、馨ちゃん。」

雫が馨の前で立ち止まり、優しい微笑みを浮かべて首を傾げ、右手を差し出す。

「お部屋へ帰りましょう。もう会議は終わったわ。今夜は白羽さんももうおやすみになっているし、ね?」

無だった馨の顔にどんどん悲しみの表情が現れる。

(どれだけ追い込まれているの。)

「ずっとそんな薄着でここにいたの?いくら8月だからってこんな遅い時間にそんなかっこうで外にいたら体が冷えるわ。」

馨が両手で顔を覆って泣き出してしまった。

(どうしよう。)

「馨ちゃん?」

「私帰らないから。」

(ほお、反抗期の子供みたいなことをおっしゃる。私と歳の差一つなのに。)

笑いを堪えて、雫が差し出していた右手を引っ込めて、馨の隣に座った。

体全体を馨の方に向ける。

「馨ちゃん。」

「絶対に努さんと結婚するの。」

指の隙間からぽろぽろと涙が落ちて馨の服を濡らしていく。

「分かってる、分かってるから。」

雫が馨の背中に手を当てて、トントンとさすり始める。

雫が森崎の方を向くと、森崎が雫をじーっと見ていた。

(大丈夫、もう少しそこで見て手。誰か近づいてきたら教えてちょうだい。)

(畏まりました。)

馨に魔道適性はない。

二人のエスパー魔法を使った会話も聞こえていない。

(これは一通り泣きはらすまで様子見た方がいいかなあ。私も眠たいんだけどなあ。でも歩いてくれなさそうだしなあ。かと言って、ここに放って行くわけにもいかないしなあ。しゃーない。)

「馨ちゃん、歩ける?さすがにここにずっといたら、本当に体調を崩しちゃうわ。私の部屋に来てゆっくりお話し聞かせてくれる?」

ようやく馨がゆっくり顔を上げた。

「私、私。」

また下を向いてしまった。

(仕方ない。)

「馨ちゃん、ここにいる必要はないわよね?」

馨が俯いたまま頷く。

(話したいけど話せない。動きたいけど動けないって感じかな。)

「ならちょっと失礼していい?」

雫が立ち上がって馨をふわっとお姫様抱っこした。

馨が顔を覆っていた手をぱっと放して雫の顔を見上げる。

遠くから見ていた森崎がため息をついた。

「嫌だった?裾の長いスカートだったし大丈夫かと思ったんだけど。」

「えっ。」

「嫌だったら降ろすけど、そうじゃないならこのまま私の部屋までお連れしますよー。」

馨が固まっている。

涙はぴたっと止まってしまった。

雫がふっと笑って歩き始める。

「びっくりした。久しぶりに会ったら放心状態で座り込んでるし、声かけたら突然泣き出すし、私の話しちっとも聞いてくれないし。」

「びっくりしてるのは私の方なんだけど。」

「私がサプライズ登場したから?」

「いや今の状態に。」

「うん?」

「お姫様抱っこのことだよー。」

馨が今日会って初めて感情的なトーンで返した。

「あー、だって全然歩いてくれないんだもん。こっちの方が早いかなあと思って。」

雫の返事を聞いた後しばらくして、馨がくすくす笑う。

「変わらないんだね雫ちゃんって。昔から全然変わらない。私が泣いてると笑顔にしてくれるところとか、全然変わらない。」

「変わらないよー。馨ちゃんは私にとって妹みたいなもんなんだから。大事な妹が泣き崩れてたら迎えに行くよ。来るの遅くなってごめんね。その分全力でサポートするから、許してくれる?」

「聞いたの?」

「うん、白羽さんから一通り。大変だったね。」

馨の目にまた涙が溜まる。

「ちょっと待ってまだ泣かないで。安心して、私白羽さんよりたくまさんに面と向かって文句言えるから。」

「えっ。」

「私は馨ちゃんの結婚を止めようとは思ってないよ。白羽さんもそれは同じ。たくまさんを説得して緋偉螺義さんに木漏れ日の家に来てもらおう。」

「止めないの?結婚。」

「逆に何で止める必要があるの?」

「だって緋偉螺義はうちと。」

馨がそこで黙る。

「確かに仲は悪いね。木漏れ日との間で離婚も絶えない。でもそれは各個人個人の問題であって、血筋は関係ない。そういう差別は無くして行かなきゃ。だから、馨ちゃんは何も悪くないんだよ。」

「どうしてここまでしてくれるの?私が保険だから。」

「うーん、私が馨ちゃんにこの家にいてほしいのは保険とかじゃないよ。私が帰って来た時に馨ちゃんが家にいないってちょっと寂しいなあって思って。それに、私は世代代表だもん。世代のみんなの苦しみや困難を一緒に感じて乗り越えるお手伝いをする志明があるの。」

「建前?」

「鋭いなあ?」

「やっぱり。」

「でも、半々なのよ。」

「半分は?」

「今の社会情勢上馨ちゃんにうちにいてもらいたいと思う気持ち。」

「もう半分は?」

「馨ちゃん個人が、馨ちゃん自信の望む人生を送ってほしいと思う気持ち。」

「両方叶えるの?」

「叶えるよ。」

「叶えられるの?」

「それは馨ちゃんの意志次第じゃない。何なら犠牲にしても良くて、何は守り抜くのか、自分の持っている物を崩す代わりに新たに得られる物に掛けるのか、自分の持っている物を手放さない代わりに何かを諦めるのか、自分の持っている物を手放さずして新しい物も手に入れるのか。全部馨ちゃんと緋偉螺義さんの意志次第なんだよ。」

馨が空を見上げる。

「たくまさんがね。」

雫が足を止める。

(話してくれるのかな。)

「うん。」

「緋偉螺義の家は木漏れ日の家と仲が悪いからやめておけって言ったの。」

「うん。」

「それで私悔しくてどうしても許してくれないなら、私がこの家を出て行くって言ったの。」

「うん。」

「もちろん分かってたよ。私がどんなに抵抗しても絶対に木漏れ日と縁を切るなんてできないって。それでも分かってほしかったんだ。どれだけ私が本気なのかを。」

「うん。」

「そしたらやっぱり、たくまさん以外の人にも全力で止められちゃって、なんかね、私って何なんだろうって思ったの。急に怖くなった。」

「うん。」

「私の存在意義って私自身にあるんじゃなくて、魔道適性がないのにトータルランキングの上位にいることなのかなって、魔道適性がないのにロイヤルブラットの家で高い地位にいることなのかなって思ったら、急に悔しくなって。」

「うん。」

「私はここにいるって、ただの木漏れ日馨がここにいるって叫びたくなって。」

「うん。」

「悔しかったよ。悔しかったの。ちゃんと私を見てよ、私っていう一人の人を見てよ。私の幸せを願ってよ。」

「うん。」

話している間に馨の感情はどんどん大きくなっていった。

目からすーっと涙が流れていく。

「でもでもね、やっぱりね、どんなにこの家が嫌だって思っても私はこの家から出られない。」

「どうして?」

「私ここを出たら、私には何も残らないから。」

「それは違うよ。そんなことない。絶対にない。馨ちゃんは馨ちゃん自信がすごい魅力を持ってる、教養を持ってる、知識と技術を持ってる。外の世界でおつりが返ってくるくらい十分に自立できるだけの物を持ってる。私が保証する。だからね、安心して。どんなに壁が高くても、どんなに理不尽な力で押さえつけられても馨ちゃんは負けないし枯れない、蓬みたいに折れることなく自分の望みを叶えるよ。私はそう信じてる。」

雫が歩き始めた。

馨は何も言わず雫の胸に顔を押し当てている。

「部屋に帰るまで泣くの我慢してほしかったんですけど。」

「泣かせるようなこと言う雫ちゃんが悪い。」

「私のせいなの。」

「うん。」

「はいはい。」

 部屋の前までお姫様抱っこで馨を連れてきた雫が扉の前でようやく馨を降ろした。

「ちょっと待ってね。」

森崎から鍵を受け取って雫が扉を開ける。

「お先どうぞ。」

「お邪魔します。」

「はーい。」

馨の後に雫が入り、最後に森崎が扉を閉める。

「馨ちゃんお風呂入っておいで。体あっためてゆっくりした方がいいよ。」

「でも。」

「私その間に別務をしてるから。急ぎのがあるしちょうどいいの。それに今夜は泊まって行くでしょう。だったら、今急いでお話聞かなくてもいいじゃない。」

「ありがとう。」

「いいえ、森崎に案内させるね。」

雫が森崎を振り返ると、森崎が静かに頷いた。

「馨様ご案内いたします。」

「はい。」

部屋で一人になった雫が椅子を引いて深く腰掛け、テーブルに肘をついて掌に顎を乗せる。

(眠い、まさかこうなるとは思わなんだ。まあ子月ちゃんと夢くんにも会わないといけないわけだから、先に馨ちゃんに会えて良かったと言えば良かったけど。)

「雫様。」

2、3分くらいだろう。

雫がウトウトしていると森崎が戻ってきた。

「雫様。」

「はい。」

「馨様ご案内してきましたよ。雫様も後で入られますよね?」

「ええ、それより馨ちゃん行方不明扱いになってないわよね?」

「はい大丈夫です。中庭にいらした時からかなり遠巻きに使用人が見ておりましたし、GPSは馨様にも埋め込まれていますので。また、先ほど馨様直属の執事にも公的な内容として、馨様は雫様のお部屋にいらっしゃることを伝えております。」

「返事は?」

「今夜はそのままこちらに泊めても構わないとのことでした。」

「そっか。」

いくら春宮邸が立派と言ってもシャワーの音が完全にこちらに聞こえてこないわけではない。

雫も森崎も馨に聞かれていないかに気を配りながら話を続ける。

今夜森崎と雫が二人きりで話せるのは今が最後だろう。

二人ともそれを分かったうえで話しを進めている。

「明日だけどもう一泊しても構わないから、そのつもりで予定を入れてくれる?」

「とおっしゃいますと。」

「さっきいくつか預かったのよ。帰る前に会っておきたくて。」

「畏まりました。そういえば今月は世代代表者会議で使用する資料は事前に渡せないと白羽様よりお聞きしておりましたが、間違いありませんでしたか?」

「大間違いでした。」

「申し訳ありません。」

「別に森崎を責めるわけじゃないわよ。いろいろあったの。」

「なるほど。」

「その件については今度ゆっくりと、今はそっとしておいて。」

「はい。」

「明日だけど何時に起きたらいいの?」

「水香様とのお約束は8時からですので、それに間に合うように起きてください。春宮様への朝のご挨拶のお約束はありませんね?」

「はーい。」

「ではそのように。もしよければ、7時くらいから、お一人お会いになれる時間をお作りしましょうか。」

「いや、お母様と会う前はそのスイッチを入れないといけないから誰とも会わないわ。」

「畏まりました。」

雫が森崎から目を逸らす。

「馨ちゃん上がってきたらハーブティーを入れて話し相手になっててあげて。上がってきたらお話聞いて、一通り聞き終わったら就寝するから。」

「明日もお忙しいというのに。」

「仕方ないわねえ。」

雫が大きなあくびをしていると洗面台のドアが開いた。

「お先でした。」

「はーい。」

雫の顔がさっきまでの優しいよそ行きの顔に戻っている。

「さっぱりした?」

「はい。」

(確かに血色が良くなってる。)

「じゃあ私も入ってくるね。森崎が暇つぶしに付き合ってくれるから、何でも話してて。」

「分かりました。」

馨がニコニコ笑っている。

ずいぶんリラックスできているらしい。

(さて、今夜は長くなりそうね。頑張りますか。)

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