実家の雫(7)
7
おとぎ話、昔からお兄様と私の間で紡いできたおとぎ話。
どちらかの心が弱った時に片方が相手の気持ちに寄り添いたくて作るようになったもの。
よく出てくるのはお姫様や王子様、魔法使いに正義の騎士。
実際に語り継がれてきた昔話が物語の主線になることも多いけれど、一から自分で作ることもよくある。
空想上の世界に自分たちを投映して、自分の伝えたいことを伝えあってきた。
私とお兄様の間を繋ぐ大切なものだ。
「春宮様雫様と白羽様がお戻りになりました。」
室内から扉が開けられた。
使用人を中に入れていたらしい。
「お入りください。」
春宮様を探すと、さっきのソファーでまた寝そべっていた。
少し瞼が重たそうだし、仮眠を取っていたのかもしれない。
「帰って来た?20分って言ってたのに30分も休憩して、欲張りやなあ。」
「僕が雫を引き留めたんですよ。それに、僕らが休んでる間叔母様もお休みになってたんでしょう。」
「まあな。」
私とお兄様はさっき座っていたソファーに座り直す。
さあスイッチを切り替えよう。
「ほな今度こそ始めよか。」
「はい。」
私はテーブルに置かれた資料を手に取る。
これが今日の資料らしい。
毎回世代代表者会議で使う資料の内容やフォーマットは変わらない。
世代代表が把握しておかないといけない項目ごとに内容がまとめられていて、今月分は両面印刷で30枚、いつもに比べれば少ない方だ。
それに重大な議題は最初から書類には印刷しない。
つまりこの書類に書かれていることにはあまり時間をかけずに片付けなければならないのだ。
「ではまず進学・就職の件から行きましょうか。」
世代代表者会議はお兄様が仕切る。
やはり8月分の会議では進学や就職といった届け出は少ない。
この資料にも50人くらいしか書かれていない。
個人の名前の横に進学・就職先の名前が書かれている。
「調べ終わったんか?」
「はい、特に問題なさそうでしたよ。」
「ならええんちゃう?」
春宮様の視線に気づいて私は書類から顔を上げる。
「そうですね、この書類上に記載のある内容は問題ないと思います。」
「なら書類に記載のない問題に行きますね。」
世代代表者会議ではまずこの流れで一通りの届け出の内容を確認し、最後にその他の案件に触れる。
「第8魔道別邸の「立気」がメリー総合国を出て行きたいそうなのです。」
「行き先は?」
「「カンタナリア」帝国だそうで、留学や就職というわけではなく、自分探しの旅に出たいと本人から相談がありました。ご家族を始め別邸亭主は猛反対だそうです。」
「やろうなあ。」
「お兄様はどのようにお考えですか?」
「立気はうちにとってそれなりに大切な人物だよ。そうやすやすと放浪の旅に出られては困ると思ってる。木漏れ日の家で生きると決めたわけだしね。」
お兄様がここで口を閉じたが、私も春宮様もお兄様のお話がここで終わるなんて思っていない。
お兄様は私たちの様子を伺っている。
私たちが逆にお兄様が会話を再開するのを待っていると分かると、お兄様は少し微笑んで再開した。
「ただ、他国に長期間行くって言うのはこの時期しかできません。行き先もカンタナリア帝国と明確ですし、立気の身辺調査もしましたが、駆け落ちや法に反する行為をするためというわけでもなさそうです。ですので、私としては行かせていいのではないかと。」
「ですが、カンタナリア帝国はうちと違い、魔道士に対する風当たりがきついと聞きます。その点に関しては?」
「本人の気持ち次第だと思うよ。確かに帝国には総合国のような魔道士優遇の制度こそないが冷遇されているわけじゃない。もし帝国に行って間無しに立気が戻ってきたらその程度だったと言うまでだよ。今以上に安全な籠の中の居心地の良さに酔いしれるだろうしね。」
こういう話をする場合、議題に上がって来る個人一人一人の性格や想いといった個人的なものは比較的優先順位が後ろになる。
それよりも、客観的に見た状況に対する意見交換をして、それが木漏れ日の家の利益・不利益にどう影響するかを考えるのが世代代表の務めらしい。
うちの世代では木漏れ日の家のことが半分、個人的なことが半分のウェイトになるよう私もお兄様も意識している。
「白羽がええて判断したんやったらええんと違う。行かせたら。」
「わたくしも同意見です。立気君は昔から海外に対する興味の強い方ですから、時間のあるうちにいろいろ見ておいて損はないでしょうし、ゆくゆく新しい木漏れ日のパイプ形成に一役買ってくれれば十分元手は取れるのではありませんか。」
3人満場一致でこの話は終わりだ。
「さて次に出産のお話を。」
なるほど、今日お兄様は資料に書かれた順番ではなく、比較的早く片付きそうなトピックから片付けていくらしい。
私は資料をペラペラ捲って出産リストを開く。
「今月は1564人ですか。」
「毎月に比べたら少ない方やな。」
「そうですね、昨年よりも約300人少ないですし、出生率が昨年より低下しているとも言えますが、他の世代のところと合計すると例年並みかと。」
お兄様がすらすらと補足の開設をしてくれる。
「本家では15人ですね。内訳は?」
「本家に残ったのは一人だよ。後はそれぞれしかるべきところに。ちなみに、今月木漏れ日家全体で生まれた子供の中で、産みの親がそのまま育てになったのは10%だったよ。」
「そうですか。」
木漏れ日の家では生まれた子供をその子供のレベルに合った別邸か本邸に送り、その家の中でも子供のレベルに見合った親が育てることになっている。
だから、産みの親が、育てられる能力の子供を産める確率なんてとてつもなく低い。
私も産みの親と育ての親が違う。
一般的にはあり得ないと言われるかもしれないが、木漏れ日の家にいれば当たり前の話だ。
「お祝いの品はいかがいたしましょう?」
「そうだねえ、毎月と同じようにおむつとミルクのセットは贈るとして、あとは。」
「水田真柄のおもちゃは?」
私とお兄様は二人揃って春宮様を見た。
「叔母様、水田真柄のおもちゃとおっしゃいますと。」
「それはあんたらが考ええな。水田真柄ってうち好きなんよ。夏らしいしいいんと違う?」
「なるほど、確かに季節に合った贈り物ができそうですね。」
「雫がそれでいいなら、こちらで決めて贈っておくよ。水田真柄のおもちゃ。」
「よろしくお願いいたします。」
次はたぶん結婚の話のはずだけど。
「じゃあ次に婚姻願いについて。」
当たった。
婚姻願いは入籍前に木漏れ日家に申し込まれるもので、婚姻願いが出されるということは、それぞれの親や亭主は了解をしているということになる。
「今月は259組です。」
「身辺調査は?」
「完了しています。特に問題なかったですよ。」
「では承認いたしましょう。嬉しいことですね。」
「あー、これだけならすぐに終わるんだけどね。」
お兄様が隣に置いていた封筒を一つ手に取る。
そう結婚に関係した世代代表者会議の議題にはもう一つ大切なものがある。
お兄様が封筒を私に差し出してきた。
「拝見しても?」
「もちろん。」
「失礼いたします。」
封筒の中には分厚い便箋がいくつも入っている。
「それで今月分の3分の1だよ。」
「そうですか。」
結婚したいという意志や結婚相手を認められず、婚姻願いを亭主経由で私たちに届けられなかった世代の人には、個人として私たち世代代表に直談判をする権利が、木漏れ日の家の中で保障されている。
これは婚姻に限らずどのような人生の選択の時であっても保証されている権利だ。
基本的にはこうやって直筆の手紙が届き、よほど向こうの熱意が強ければ直接本邸までやってくる。
「世代代表と世代の者との間において、世代の者が人生の節目に関する願いを世代代表にすることは、木漏れ日の人間の権利として保障され、何人たりともこれを犯してはならない。」というのは木漏れ日家全体の家束の一つ。
「お兄様がここにお持ちにならなかったということは、残りの3分の2は認めるおつもりなのですね。」
「うん、よくよく話を聞いて、身辺も調査したけど、僕はいいと思ったからね。」
「さようでございますか。ではここに入っている控え婚姻願いについてのお話をお聞かせください。」
公式の婚姻願いではなく、私たちに直接届けられた婚姻願いのことを控え婚姻願いと呼んでいる。
そもそも、親や亭主が婚姻を認めない理由にはいろいろあるが、親や亭主が本邸や私たちの機嫌を損なうことを恐れて結婚を止めるケースが一番多い。
「この子が結婚することは本邸の意志に反しないだろうか。」、「この結婚相手の地位や名声は、木漏れ日の家に泥を塗らないだろうか。」、「この結婚相手は木漏れ日の家に対して相反する考えを持ってはいないだろうか。」、「この二人が結婚したのち木漏れ日の子育てをきちんとやれるだろうか。」などなど、こういった保守的な考え方の大人のせいで思うように人生設計ができない、あるいは結婚したい相手と過ごせない世代の人は多い。
だからこそ、私たち世代代表は、本当にその結婚が木漏れ日の家に不利益を齎すのかを考え、問題がないと判断すれば、控え婚姻願いを正規の婚姻願いと同等のものと認め、婚姻を承諾する。
これも婚姻願いに限った話ではなく、「世代代表は、木漏れ日家の秩序、名誉等の優先すべきことを踏まえたうえで、世代の者からの願いに心を配り、最大限叶えること。」という木漏れ日家全体の家束があるからこそこの話し合いは設けられている。
「まず、一番上の便箋、「町」と木漏れ日「作大」君の連名で送られてきた控え婚姻願いなのですが。」
私は一番上の控え婚姻願いを手に取る。
「作大君の方がどこの世代?」
私たちの会話を黙って聞いていた春宮様が久しぶりに口を開いた。
「「地夏」さん、「トリシア」君の世代です。」
「あんたらの一つ下の世代ってことは作大君は町ちゃんの年下?」
「はい、まだ大学生です。」
「つまり町さんの別邸の亭主は、作大君が学生であることが問題だと言って婚姻を認めなかったのですね。」
お兄様が一度頷く。
「ですが、片方が学生の結婚はうちではよくあることではありませんか?他に問題が?」
お兄様がまた頷く。
さすがに10年以上世代代表をしてこういう案件を山ほど見てくると、だいたいのテンプレートみたいなものが分かってくるものだ。
「どうやら作大君は大学卒業後うちと縁を切りたいらしい。むかしからそう言っているそうだ。作大君の世代内の地位も調べたけど、はっきり言って作大君がうちと縁を切るのはさして問題なかったよ。ただ、町に抜けられるのは困るんだよね。」
「そうですね。」
なぜなら、町は私たちの世代の党首候補比率保持者ランキング女性15位にいるから。
基本的に世代内の党首候補比率保持者ランキングで二けたランクにいる男女は木漏れ日の家から抜けることが難しい。
いつ何が起きるか分からない以上、万が一の時にスムーズに事が運べるよう一定の人数を確実に確保しておきたいのだ。
「作大君と結婚して町にここを出られるのは困るし、こればかりは譲れない。そこでどうするべきか雫と話したかったんだ。」
「お兄様は、既に一通りのお考えをお持ちでしょう?」
「まあね、それなら雫当ててごらんよ。」
春宮様が黙って私たちのやり取りを聞いている。
それも楽しそうに。
ここでうだうだすると会議の終わりがどんどん遅くなるから、私はさっさと自分の考えを言うことにした。
「作大君に交換条件を持ちかけるおつもりですね。町さんと結婚したければ、町さんとの婚姻関係中木漏れ日の家と縁を切るなと。」
「素晴らしいね、大正解。ついでを言うと、トリシア君に頼まれたんだよ。作大君はこれから伸びるだろうから、繋ぎとめてほしいってね。」
「なるほど、一石二鳥くらいあったわけですね。それなら良いのではありませんか。」
「もしかしたら町ちゃんはこの家出て行きたくて作大君と結婚したいて言ってるんと違うの?」
「はい、十分想定できる話です。その時は雫に説得を任せるよ。」
「畏まりました。」
正直この手の説得は嫌いだけど、仕事だから仕方ないと割り切るしかない。
これまでだって私は何人もこの家に繋ぎとめてきた。
この家から出て行きたいと切に願う人たちを、自由に生きたいと願う人たちを言葉巧みに、法に反しない範囲で手段を択ばず、相手のすべてを読み取って相手が一番素直に受け入れられるような演出で繋ぎとめてきた。
私には相手の長期的な拘束は求められていない。
一時的に盛り上がった、あるいは昔から溜め込んできた思いが爆発した状態を鎮静化し、この家で暮らすことに対する抵抗感を緩和するのが私の役割で、そのあとは周りの人たちがなんなとする。
だからこそ、本来ならずっと木漏れ日の家にいて、自分の世代の人たちのところを日ごとに訪ねて熱心に話すべきなんだけど。
こういう話をするといつも思うことがある。
今の私ならお姉ちゃんをこの家に繋ぎ止められただろうか、私の近くに留められただろうかと。
「こっちはまあ僕が先に動くし、残りの控え婚姻願いも僕が対応するなり使用人を使うなりすればいいと思ってるんだけどね、一件雫に任せたいのがあるんだよ。」
「はい。」
ふっと我に返った。
お兄様が新しい便箋を差し出す。
差出人を見て私は思わず息をのんでしまった。
「「馨」ちゃん!」
相手は緋偉螺義「努」。
私がお兄様を見る。
「読まずして分かったかな?」
「憶測の域を出ませんが。」
「話してごらん。」
心に嫌な感じが流れてくる。
「馨ちゃんが緋偉螺義努さんと結婚したいと申し出たところ、どこかの派閥が緋偉螺義家はやめておけとでも言っているのではありませんか。」
「正解。」
なんてことだ。
なんて気の重い話だ。
「具体的に言うと「たくま」さんがね。」
「そうですか。」
「更に付け足すと、馨、努さんと結婚できないなら、自分は木漏れ日家と縁を切るとまで言ってるんだよ。これを送ってきた後は毎日僕に会いに来てる。」
「では今日も?」
「今日は1日予定が入っていたから会えなかったけど、なかったら来てたと思うよ。今日だって、世代代表者会議で帰って来てる雫に会えるなら行くって言ってたくらいだ。馨だって関係者以外立ち入り禁止なのは分かってると思うけど。」
「つまりそもそも緋偉螺義家を木漏れ日家が嫌うようになった元凶の片棒を担いでいる人間の血縁者である私に説得しろと?」
「そういうこと。」
まあ、緋偉螺義という名前が出てきた段階で分かっていたけれど。
「お兄様としてはどちらですか。反対ですか?賛成ですか?」
「どっちでもいいけど絶対なことは、馨はこの家から出せないってことかな。」
かなりラフなリアクションだ。
本当に表面的なことしか意図していないらしい。
なら後は確認を取るだけだ。
「さようでございますね。つまり馨ちゃんが出て行かなければ何でもいいと。」
「あー。」
この問題の背景はかなり根深い。
まず、どんな夫婦にだって離婚は認められる権利だし、木漏れ日の家の中でも離婚はよくある。
私の両親だって10年くらい前に離婚した。
そして離婚した相手の家のことを木漏れ日家では記録して、あまりに離婚の多い家とは極力結婚させたくないというのは昔から抜けきらない木漏れ日の空気間だ。
ここ数年、世代代表者と木漏れ日家の間で、こういう空気間を無くして行こうという方針が定められているが、ちょっとやそっとで目に見えない空気なんて変えられない。
次に、緋偉螺義というのはロイヤルブラットの一つで、メリー総合国の中ではうちより格上のロイヤルブラットなのだけど、何せ昔からうちとの間で離婚が絶えない。
私の父も緋偉螺義の出身だった。
そして第3に、なぜ馨ちゃんをうちから出したくないかというと、馨ちゃんは私たちの世代の党首候補比率保持者ランキング女性5位、全体の党首候補比率保持者トータルランキングでも32位だから。
木漏れ日のみんなとほとんど面識のない私だって馨ちゃんのことはよく知っている。
「あいにく馨は、木漏れ日の財産というだけじゃない。馨は、ロイヤルブラット全体の財産なんだ。」
「財産やないやろ白羽、保険やろ。」
「失礼ながら、その言い方は好みません。」
「だから僕は財産だと言ったのに。」
「うちのせいなん?」
「お二人ともお認めになっていたではありませんか。」
「認めてるだけなら、雫だって認めてるやろ。」
「認めるも何も現状として、ロイヤルブラットの重要人物の多くが魔道適性者であることが世間で批判される中、馨ちゃんのように魔道適性のない人がロイヤルブラットの重要人物にいることが大切だということでしょう。最初から馨ちゃんにロイヤルブラット全体の批判を弱めるための役割を押し付けるのはいかがなものかと思いますよ。」
「はっきり言うなあ。」
魔道適性がないけれど、聡明で真っすぐな馨ちゃんはここまで上り詰めてきた。
党首候補比率保持者トータルランキングベスト100の中で魔道適性がないのは馨ちゃんだけだ。
さてどうしたものか。
「お兄様、馨ちゃんを木漏れ日の中に繋ぎ止めていればいいと言うだけでしたら、たくまさんの説得に当たってもよろしいでしょうか。」
春宮様もお兄様も面食らったような顔をして私を見ている。
たくまさんを知っていれば当然の反応だ。
「驚いた。あの堅物を説得やなんて。」
「何か切れるカードでも?」
あるにはあるが今が使い時ではないような気がする。
「あるにはありますが、それを使うつもりは今のところありません。もう少したくまさんの様子を見てから決めたいと思います。」
「長期戦と思っていた方がいいかもしれないね。」
「当然です。たくまさんを相手にするのですから。」
「じゃあよろしく頼むよ。」
「分かりました。」
また仕事が増えた。
「じゃあ次は勘当についてだね。」
どんどん内容が重たくなっていく。
資料を診れば、今月は記載がある分で85件。
「すべて承諾なさいましたか?」
「その予定だよ。」
正式名「勘当願い」、木漏れ日の家と完全に縁を切りたい時に提出される書類で、受理されれば二度と木漏れ日の人間とアポが取れなくなるし、逆に木漏れ日の人間もその人と関われなくなる。
他にも何種類か木漏れ日の家と縁を切る方法があるが、勘当願いはその中で一番重たいものだ。
「受理したくないのは5件かな。」
お兄様が別の資料を私に渡す。
資料には名前と顔写真と勘当したい理由が詳細に書かれている。
すべてお兄様自ら聴き取りに出向いたか、本邸に招いたのだ。
名前を見ていれば、確かにこの5人はやすやすと勘当させられない。
「「子月」と「夢」はこれを置いて勝手に出て行こうとしたから、捜索隊を出動させて身柄を保護してるんだ。そのまま別邸に返したら亭主が何をするか分からなかったから、いつも通り本邸の来賓邸で寛いでもらっているよ。後の3人はまだそれぞれの住まいにいて、亭主もこのことは知らない。」
勘当願いは婚姻願いなどと違い必ず亭主経由で渡す必要はない。
亭主に出せば真っ先に反対されると考えて、勘当願いを残して逃亡を図ろうとする子月ちゃんや夢君のようなパターンもあれば、こっそり世代代表に届けられるか、持って来るパターンもある。
時々稀に勘当願いが亭主経由で届くこともあるけど、それはよほどのことがあった時だけだ。
「原則として勘当願いの提出は、たとえ亭主や世代代表で会っても矯正できない」も木漏れ日家の大事な家束。
それは木漏れ日の家に生きる者に与えられた最低限の保険だ。
そしてこの話から私の役割も見えてくる。
「では逃亡を図った二人のアフターケアが私の仕事ですか?」
「そうだね、任せていいかな。」
「分かりました。後程キー解除の暗証番号を教えてくださいね。」
「はーい。」
残りの話しは比較的スムーズに進んだ。
予算のことや世代全体の傾向等をお兄様から聞いた後、春宮様から木漏れ日家全体からの私たちへのお達しや注意事項を聞いていく。
「こんなもんかなあ。そろそろ眠いしはよ終わろ。」
そう、気づけばすっかり日付が変わっている。
私は今日6時くらいに起きたはずだ。
さっき車で仮眠を取ったとはいえ眠い。
不思議なのは、ひどく疲れているはずのお兄様が平然としていること。
「雫、どうしたの?」
「いえそのお兄様、お疲れではありませんか?」
お兄様が優しく微笑む。
「ありがとう平気だよ。さっき雫が癒してくれたからね。」
「雫話がまた長くなるから白羽に絡むんはやめて。」
「そんな言い方しなくてもいいでしょう。叔母様は我がままなんですよ。自分が話を長くする分には気にしないのに。」
「二人の話しには中身がないやないの。」
今日はあまり二人に言い合いをさせたくない。
さっきみたいなのはもう嫌だ。
「お二人とも、今日の話を整理させていただいてもよろしいですか?」
「そうしてそうして。」
春宮様に頷いて私はお兄様を見る。
さっきと違い特に気にしていない。
いつもの戯れだったらしい。
「お兄様、私がすぐ動かなければならないのは、馨ちゃんの件と子月ちゃんの件と夢くんの件ですね。」
「あー、多いかな?」
「いえ大丈夫です。もっとたくさんのお仕事をお兄様に任せきりになっているのですから、責任をもって努めます。町さんの件も雲行きが怪しくなれば、いつでもご連絡ください。」
「分かった、約束するよ。」
私はお兄様に頷いて春宮様に視線を戻す。
「それでは春宮様、本日はこの辺りで終わってもよろしいでしょうか?」
「あー大事なこと忘れてた。」
「忘れていたのではなく、このタイミングをずっと待たれていたのでしょう。何ですか?」
お兄様がため息をつく。
「そんな怒らんといて白羽。雫にだけの用事なんよ。白羽はもう部屋に帰りい。」
久しぶりの転回だ。
お兄様が私と春宮様を順番に見る。
「分かりました。それでは失礼いたします。」
お兄様が立ち上がって私を見る。
「おやすみ雫。」
「おやすみなさいませお兄様。どうぞ今夜も良い夢を。」
お兄様が微笑んで頷いてくれた。
「叔母様もおやすみなさい。」
「おやすみー。」
お兄様が部屋から出て行く。
春宮様がグラスに入ったお水を一気に飲んで伸びをした。
「ドレスなのですから。」
「二人なんやしええやろ。」
「まあ。」
さて今日は何の話だろう。
そういう場合に想定される話の内容はだいたい2通り。
春宮様から私への完全にプライベートな内容か、お兄様には伝えられない木漏れ日家当主からの内容か。
「春宮様よろしければそろそろお教えいただけませんか?どんどん就寝する時間が遅くなりますよ。」
「そうさほな。」
春宮様が珍しく姿勢を正される。
「新しい別邸ができること言うの忘れるとこやったんよ。ほら、4月に話してた別邸設立の話し覚えてるやろ。あの話なあ、とんとん進んで次の12月に正式に登録されることになったんよ。」
久しぶりの別邸設立だ。
木漏れ日家全体の人口は毎年増えているのだが、これまでに建ててきた数多くの家々で十分にキャパシティーは足りている。
それでも4月に春宮様が新しい別邸を増やしたいと私たちに相談を持ち掛けてきた理由は確か。
「よく容認されましたね。トータルランキングの外の人間を認めるのと同じですよ。」
「元々そういう人らを容認してへんかったわけやないやろ。」
「キャンディやメリッサ、トクニとはわけが違います。」
「それでも建てると決まったもんは決まったんよ。」
「お兄様には?」
「まだゆうてへんよ。まあその気になればあの子は自力で突き止めると思うけど、まだそんな感じはないわ。」
確かにこの話はお兄様抜きでしないといけない。
一歩間違えればお兄様の精神状態が不安定になる。
「以前聞いた時から気になっていたことをお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「なんや?」
「今回の別邸設立、政府対策も兼ねてのことですよね?」
私の一言に春宮様が苦虫を噛みつぶしたような顔をする。
きっとこの話題に触れるのはタブーに等しいのだ。
分かっているが、この話題に触れずしてこの話は終わらせられない。
先に話題を振ってきたのは春宮様だ。
「後ろ向きに言えばそうやけど、前向きに言えばモデルハウスみたいな役割もあるからなあ。この別邸は木漏れ日の未来の形の一モデルになる。そして、雫が栄華を極める未来の木漏れ日の形になるてうちは信じてるよ。」
「期待しております。」
「おおきに。それでや、住まわせたい人がいたら近々正規の書類を送るし、書いて返してほしいんよ。」
「畏まりました。」
「あと。」
「はい。」
春宮様が顔から表情を消す。
心意を悟られたくない時の顔だ。
「白羽にはゆうたあかんよ。」
私は春宮様を見つめ返す。
「なんや、どないしたん?」
優しい笑顔に戻った春宮様に私は何も言えない、言いたいことは喉元まで出かかっているのに。
今とても寂しい気持ちになった。
お兄様の居場所を脅かすようなこの話をお兄様に春宮様がしていないことに。
春宮様自身が言えないことに苦しんでいることに、息苦しくなった。
「春宮様、どうかご無理なさいませんように。」
「返事は?」
「えっ。」
「さっきの返事や。まだ聞いてないよ。」
忘れていた。
「畏まりました。お約束お守りいたします。」
さあこれで話は終わりだ。
「雫は明日会議か?」
「はい。」
「みんなにちゃんとお礼言うんよ。」
「はい。」
私は立ち上がり姿勢を正す。
「それでは春宮様おやすみなさいませ。」
「うん、おやすみ雫。」
扉が閉まる最後の瞬間まで春宮様は春宮様らしいのほほんとした笑顔だった。




