実家の雫(3)
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普段なら月1回しか着ないこういう華やかな服だけど、今月はつい先日一度来ている。
王妃は元気かしら。
「雫様顔を斜めにしないでください。」
「はーい。」
私の前の鏡には私の顔と、後ろに立って私の髪に串を通す森崎の顔が映っている。
なんだろう、このほっとする感覚と同じくらい逃げ出したいと思う感覚は。
ここには、この家には嫌なことが多すぎるのが悪いと思う。
向き合わないといけない問題が山積しているのに、手助けしてくれる人がほとんどいないのが悪いと思う。
「雫様。」
「なに?」
「頭を。」
「ごめんなさい。」
「何か考え事をなさっていますね?どうなさいましたか?」
相変わらず森崎は鋭い。
「大したことじゃないのよ。ここは私にとって複雑な場所だと思っているだけ。」
「複雑ですか?」
「ええ、だってここは私の実家のはずなのに、私は帰って来たいとはなかなか思えないもの。帰ってきたら帰って来たで、問題が山積しているし、問題はなかなか解決できずにいる。挙句の果てに、ここは私の職場でもあるのよ。魔道良の方がよっぽど単純で助かるわ。」
森崎の手が止まる。
鏡に映る森崎の顔は相変わらず静かだった。
「森崎?」
「あっいえ、何でもございません。」
「どうしたの?」
「いえ。」
森崎は何も言ってくれない。
どうしたんだろう。
「さあ、整いましたよ。」
「ありがとう。」
気になるが、本人が言いたくないならもうしばらく放っておこう。
私は姿鏡の前に行く。
「馬子にも衣裳ね。」
「自分で自分に言わないでください。」
「だってさっきまでのスーツの私と今の私って全然違うんだもん。」
今夜のために森崎が準備してくれたのは、藍色のロングワンピース、袖の部分の布が少し薄いのは季節を考慮してだろう。
髪はポニーテールにしてくれている。
髪ゴムに付けられているのは魔道石の一つパルセット。
「いかがでしょう?」
「ばっちり。」
後ろに立つ森崎を振り返って私がウインクすると、森崎が満足そうに微笑んでくれた。
「そろそろ行く?」
「はい、別荘までお送りいたします。」
「うん。」
籠鞄に荷物を入れ替えて、私たちは部屋を出る。
ここから1階に降りて春宮邸の裏口から中庭に出て、真っすぐ行けば春宮様とお会いする別荘だ。
さて、本邸に帰ってくるたびに思うことだけれど。
「ごきげんよう。」
「ごきげんよう。」
すれ違う木漏れ日の親戚全員にこう答えないといけないという家束は慣れるまで忘れそうになる。
そして、使用人の中でもご挨拶担当の使用人が挨拶をしてきた時も「ごきげんよう。」と返す。
間違っても「お疲れ様です。」なんて言ったら大変な顰蹙を買う。
魔道良とは勝手が違いすぎると思う。
木漏れ日本邸で、これだけ大人数がトラブルなく暮らせるよう、あと、木漏れ日家の品位を失わないようとかいう理由で定められている家束だけど、久しぶりに帰って来ると多すぎてどれか一つ抜かしそうになる。
「森崎。」
1階まで降りてきて後ろを振り返ると、森崎に全力で睨まれた。
そうだった、自室の外では、使用人と必要に話してはいけないんだった。
(右だっけ、左だっけ?)
(右です。)
(はーい。)
道を聞きたかっただけなのだ。
エスパー魔法で答えをもらい、私は言われた通り右に曲がる。
「雫様ご挨拶申し上げます。」
「ごきげんよう。」
裏口が見えてきた。
さっき入ってきた正面玄関と違って裏口は車椅子1台出入りできるくらいの大きさだ。
私は裏口からこちらに向かって一つ手前の壁掛けランプのところで立ち止まり、森崎に道を譲った。
驚いた。
どんなに家束を忘れていても、こういった体の動きは覚えているらしい。
「先に失礼いたします。」
森崎が扉を開け私が中庭に出る。
ここは中庭、春宮邸と春宮邸の更に奥にある春宮邸別邸を繋ぐ中庭だ。
歩きやすいように舗装された道には、等間隔にアーチが飾られていて、この時間は暖色のライトが緑豊かな中庭に映える。
舗装された道の周りには色とりどりの花が植えられていて、塀の代わりに目隠しの役割がある大きな木々は、太く長い枝にたくさんの葉っぱを付けている。
今がお昼間ならもっとゆっくり花や木を見られただろう。
あーでも、この時期は暑くて日傘無しでは散策なんてできないけれど。
私はアーチの間を通り抜けて、別荘に向かって歩いて行く。
別荘は見えているのだけれど、それでも距離が合ってゆっくりあるけば7分くらいかかると思う。
春宮邸で仕事をしている使用人たちは、私の自室がある方を春宮邸本邸、もう片方を別荘と呼んでいる。
春宮邸本邸は、木漏れ日本邸という木漏れ日の人間の多くが憧れる敷地のメイン4邸という更に格上の屋敷群のトップの屋敷だけど、この春宮邸本邸はこの別荘を守るカモフラージュだ。
春宮邸別荘には、春宮様をはじめとする真に木漏れ日家にとって重要な人たちと使用人の幹部が住んでいて、外部の人間の出入りは厳格に制限されている。
私も別荘に住んでいる人は数人しか知らない。
「雫様ご挨拶申し上げます。」
「ごきげんよう、春宮様にお目通り願います。」
「畏まりました。」
春宮本邸の入り口と違って、別荘の入り口に控えているのは5人くらいだ。
2人は取次や案内役をしているから、護衛の意味で立っている使用人は3人。
あきらかに本邸より少ないが、一人ひとりのレベルが全く違う。
私は後ろを振り返る。
「じゃあ待っていてね。」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
森崎に一度頷いて私は使用人の後ろに続く。
春宮邸別荘には、別荘直属以外の使用人は立ち入れないし、木漏れ日の人間であっても、別荘に部屋を持たない人間には必ず別荘の使用人が一人つく。
いわゆる監視役だ。
「春宮様はもうお戻りですか?」
「はいお部屋で雫様をお待ちでございます。」
昔からここはあまり好きではない。
単純にこういう使用人の人の態度が怖かったのだ。
別荘の使用人は、とにかく表情が硬くて怖かった。
今なら、隠し事が多い別荘で勤務するのだから、これぐらい気を引き締めていないといけないのだろうと察せるが、小さいころの私にはそんな志向はなかった。
それに、建物の大きさと人口密度が不自然なほどに合っていなくて、特に夜の別荘は何か出るのではないかと勘繰ってしまう。
木漏れ日家の隠し事はすべてここにあると私は勝手に思っている。
「こちらでお待ちください。」
「はい。」
部屋の前に置かれたソファーに腰掛ける。
今日春宮様は茶事の間にいるらしい。
ここに来ると毎度毎度思い出すことがある。
茶事の間は春宮様が大切な日に使う場所だから、それは私にとっても大切な日だから、大切な記憶は決して忘れない、忘れられないから。
「お待たせいたしました。お入りください。」
いいや、今は思い出に陶酔している場合ではない。
私は立ち上がり扉の前に立つ。
仕事の時は、その時求められている立ち居振る舞いをしなさいとグループメートにさんざん言っているのは私なんだから。
「春宮様雫です。」
「入りー。」
スリーノックの後返って来た変わらない声に私の気が引き締まる。
「失礼いたします。」
扉を押し開けると、部屋の奥に相変わらずお美しい春宮様がいた。




