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今日の終わりに(8月26日)(4)

4

 車が大きな門を通って敷地の中に入る。

運転をしているのは稲穂、後部座席にチコとトニーが乗っていた。

車内は沈黙に包まれている。

「チコ。」

トニーが声をかけてもチコは返事をしない。

「チコ無視はいけない。」

「今わたくしはお兄様とお話したくありません。」

チコが無感情に答えた。

「どうしてそこまで僕を嫌うんだ。」

「ご自分でお考え下さい。」

「伝えてくれないと分からないじゃないか。」

「伝えたところでお兄様は直そうとしないでしょう。わたくしが直してほしいところを申し上げても、お兄様はわたくしの意見を否定されるだけ。」

「チコ。」

トニーが言いかけた時車が停まった。

「チコ様、トニー様到着いたしました。トニー様この後すぐにオンラインでの会議がございます。お急ぎください。」

トニーが座っている方の扉が開きトニー専属の使用人が待っていた。

「また明日な。」

トニーがそれだけ言って車を降りた。

「チコ様も。」

チコが首を横に振る。

「駐車場まで付いていく。」

「畏まりました。」

稲穂が車を駐車場へ移動させ始めた。

「チコ様空腹ではありませんか?」

「うん。」

「会場でそれなりにお召し上がりになっていましたものね。」

チコが小さく頷く。

「今日はよく頑張りましたね。夫人の前ではきちんとされていましたし、テーブルマナーも美しかったですよ。」

「雫が言ってたから。」

「どのように。」

「どんなに怒っていても悲しくてもお仕事の時はそれを全部頭の箱に一回片付けてお仕事に相応しい表情と気持ちになるようにって。今日の夫人との食事は私にとってお仕事だから。」

「なるほど、立派なお心掛けと存じます。」

稲穂がバックで車を駐車場に入れ、エンジンを切った。

「さあ、降りますよ。」

稲穂が後部席の扉を開ける。

「お帰りなさいませ、チコ様。」

稲穂がチコに向かい合い、優しい声で挨拶をする。

「ただいま。」

車をゆっくり降りてチコが顔を上げた。

表情は暗かったが、魔道良を出た時のように感情が高ぶってはいなかった。

「先にお屋敷へお入りください。わたくしは車の中を片付けてから参ります。」

「分かった。」

チコが歩いて行く。

辺りはしんとしていたが、至る所に設置された防犯カメラや安全装置が異様な緊張感を与えていた。

(疲れたな。)

チコが屋敷の大きなドアに手を掛ける。

「ただいま。」

「お帰りなさいませ。」

玄関には中くらいのカウンターがあり、その奥に使用人が姿勢良く立っていた。

チコが一瞬使用人を見て階段を上がって行く。

(お兄様に会ったらどうしよう。リビング行きたくないな。)

チコが2階に上がると、近くの扉がぱっと開いた。

「「ねえね」。」

「ねえね。」

「チコねえね。」

まだ一桁であろう子供たちが五、六人部屋から出てきてチコを囲む。

「お帰りなさいねえね。」

「お土産は?」

チコの表情が綻んだ。

「ただいま、お土産なら稲穂に預けてるから、後でね。」

「ねえね中入ろう。」

子供たちに背中を押されてチコが開いた扉の奥に入った。

「お帰りなさい。」

「ただいまママ。」

チコが静かに答える。

部屋の中にはいろいろな家具が置かれていた。

ここは2階のリビングだ。

ソファーに座ってこちらに微笑んでいるのはチコたちの母親。

「お疲れさまでした。夫人との会食にも行ってくれてありがとう。」

「別にいいよ。」

「ねえね怒ってるの?」

「ねえね悲しいの?」

母親との会話を聞いていた子供たちがチコに尋ねる。

「怒ってないし、悲しくないよ。少し疲れただけ。」

「本当?」

「本当だよ。」

チコがしゃがんで子供たちの頭を撫でる。

「さあもうこんな時間なんだから、あなたたちは休みなさい。」

「ええ。」

チコを囲む弟、妹たちが母親を見上げる。

「なんでよママ。」

「明日お休みだしいいじゃん。」

「ねえねともっとお話ししてたい。」

チコが笑って子供たちを抱きしめる。

「夜遅くまで起きてると会っちゃいけないものに会うかもよ。」

「えっ。」

子供たちが固まる。

「ねえ早く寝よう。今度またお休みがあるから、その時いっぱい話そうね。」

「はーい。」

「おやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

子供たちが部屋を出て行くのを見送ってチコが母親を見た。

「ありがとう。」

「うーん、純粋に慕ってくれる弟たちは大好きだよ。」

数秒の沈黙が流れる。

「今回のお仕事も問題なかった?」

チコの母親の声は今にも消えてしまいそうだ。

「うん、みんなが一緒だったから。」

「そう、チコの決めたことだし、チコが楽しいなら続けてほしいけど、あまり危険なことはしないでね。チコに何かあった時、不便を強いられるのはチコだけじゃないんだから。」

チコがぱっと母親を睨んだ。

「なんでお兄様みたいなこと言うの。」

「えっ。」

「お兄様もママもいっつもそればっかり。なんで私は私のために私を使っちゃいけないの。」

チコが叫んで部屋を出て行った。

「待ってチコ。」

母親が慌てて立ち上がりその場にしゃがみ込む。

「奥様。」

壁の陰に控えていた使用人が慌てて駆け寄る。

その音にチコが一瞬足を止めたが振り返ることなく部屋を出て行った。

「チコ様。」

廊下に駆けだしてきたチコに稲穂が慌ててついていく。

「奥様大丈夫ですか。」

使用人が母親をソファーに座り直させ、額の汗を拭く。

「ごめんなさいね、平気よ。」

チコの母親の髪はチコの髪よりもふわふわで艶がある。

それに真っ白な肌や澄んだ瞳が相まって雪の王女のようだ。

「奥様、出すぎたことを申しますが、トニー様のお言葉を気にかけていらっしゃるのなら。」

母親が下を向いた。

両足に乗せた手を小さく握りしめる。

「私にもっと力があれば、あの子の好きにさせてあげられるのに。」

 自室に駆けこんだチコはそのままベットに潜り込んだ。

「チコ様。」

稲穂が部屋の扉を閉めて、ベットの近くに座る。

「なぜあのようなことをなさったのですか?奥様、とても悲しんでおいででしたよ。」

決して叱らず、稲穂は優しい声で話しかける。

「奥様のお立場をお察しください。」

「そんなの私には関係ないもん。私にとってはママなの。」

チコがすすり泣く。

「仕方ありませんね。」

稲穂が立ち上がってチコの頭元に行く。

「チコ様、明日と明後日は「末夏会」がございます。」

「行かないといけないの。」

チコが毛布から顔を出した。

「はい、「緑」様もご出席なさいますので。」

「帰って来てたんだ。」

「今日の午後戻って来られたそうです。」

「ふーん。」

チコが起き上がる。

先ほどまでの涙はもうなかった。

「お風呂入る。明日お仕事ならきちんとしないと。」

「畏まりました。」

稲穂が嬉しそうに頭を下げた。

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