今日の終わりに(8月26日)(1)
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すっかり遅くなってしまった。
私はふらふらと廊下を歩き、カードリーダーに社員証を翳す。
「ただいま。」
「お帰りなさいませ。」
「疲れた。」
「お疲れ様でございました。」
私は机にカバンを置いて椅子を大きく引いて座り込む。
「夕食は?」
「帰りたい。」
「それはもう少し後ですね。」
上手が私の机の上にプレートを置いた音で、私は顔を上げた。
「ご飯?」
「はい、お召し上がりください。」
プレートの上にはいかにも消化に良さそうな野菜中心の料理が並んでいた。
「山芋だ。」
「はい、山芋とニンジンの煮ものです。」
「味噌汁はシメジと玉葱ね。」
「はい。」
「いただきます。」
「はいどうぞ。」
上手が頷いて自分の席に戻る。
「挨拶はうまく行きましたか?」
「たぶんね、何となく今後のことに目処がついた感じ。」
「それは何よりでございます。」
私は暖かいご飯の味を満喫しながらぼうっとする。
「疲れたわ。」
「お察しいたします。」
「それならもう帰らせてもらえない?」
「それはいけません。食後にわたくしが代わりにやった仕事の確認とメールの返事を書いていただかないと。」
私はため息をつく。
「頑張ってください。数日溜めた付けですよ。」
上手と二人の空間は基本静かである。
私か上手が口を開かない限りお互いの生活音しか聞こえてこない。
上手のキーボードで何かを書いている音、私が食器を置く音、針の時計の秒針が動く音。
「ご馳走様でした。」
グループのみんなとわいわい過ごす時間も好きだけど、こうして静かに過ごせる時間がないと、頭の中が整理できないと思う。
「落ち着きましたか?」
「お陰様で。美味しかったわ、ありがとう。」
上手がプレートを持って台所に戻る。
「ではパソコンを開いてください。1時間以内に終わらせて、遅くとも22時半には出ましょう。」
「はーい。」
私はパソコンを開いて、パスワードを入れる。
こうしているとノーエルに行っていたのが数週間前のように思えてしまう。
「そういえばシーナの件どうだった?」
「合っていましたよ。」
「そう担当したのは誰だったのかしら?」
「「菊島」先生でした。」
「そう、だからね。」
私は頷く。
「まず何をしたらいいの?」
「わたくしでは返せないメールのお返事を書いてください。」
「えー。」
私は嫌々メールソフトを開く。
思った通り未読のメールが大量に入っている。
「これ全部返すの。」
「はい。」
私はため息をつきながら左手をキーボードに置く。
「15分で終わらせます。」
「頑張ってください。」
こういう大量のメールに返事を書くときは、内容をぱーっと見て返信のフォーマットがまとめられたファイルを開き、そこからコピペして細かいところを直して送るのが一番速い。
「だいたい事務連絡のメールね。終わらせられそう。」
十数分後無事にメールの返事を書き終えて、私は上手を振り返る。
「終わったわよ。」
「お疲れさまでした。相変わらず速いですね。」
「ええ。」
「では次はこちらに目を通してください。」
上手がマウスを操作して違うファイルを開ける。
「これは?」
「明日の授業の資料です。清書を依頼されていたでしょう。」
「あーありがとう。ねえ、明日の話をしてくれるってことは今日までの仕事は取り合えずいいのね?」
「はい、急ぎの物は取り合えずありません。29日にまとめて片付けていただきます。毎月の会計簿の確認や来月の勤務内容の確認をしていただかないといけませんので。」
「はーい。」
私は上手が細かいところを直してくれたスライドを見る。
「明日は4コマあるのよねえ。そろそろ授業も後半に差し掛かるし、頑張って終わらせないと。」
「各プリントの印刷も完了していますので、こちらにまとめて置いておきますよ。」
「はーい。」
私は上手から預かったスライドの中身をすべて確認し、頷いた。
「ありがとう、問題ありませんでした。」
「それではお帰りいただきましょうか。予定より30分ほど早く終わって良かったですね。」
「やったあ。」
私はうーんと伸びをする。
「では最後に明日の予定の確認を。」
「はーい。」
私はカップに入った紅茶を飲み切って上手を見る。
「明日は魔道と地理の関係学が2時間目から5時間目まで入っています。90分授業の時間割の4コマ分ですからね。お間違いのないように。」
「はーい。」
「そのあとですが、どうされますか?もしこちらに出てきて急ぎではない仕事を少しでも片付けるとおっしゃるのであれば、わたくしも参りますが。」
「大丈夫よ。授業をやり終えてからじゃないと残ってやるか帰るかも決められないし、上手はゆっくりしてちょうだい。28日も私は本邸に行くから、2連休ね。」
「そうでしたね。ではどうしても伝えないといけないことが出てきましたら、明日中にご連絡いたします。」
「ええ。」
私はそこではっとした。
「あー!」
「いかがなさいましたか。」
自分が思っていたよりも大きな声が出てしまった。
「アルミラに連絡するの忘れてた。」
「えっ。」
上手の目が点になる。
「どうしよう。もうこんな時間だし。」
「なぜ一昨日の間に連絡されなかったのですか。」
「忘れてたのよ。」
私はため息をつく。
「明日朝一番に連絡してみるわ。」
「お願いしますね。チコさんかなり楽しみにされていましたよ。」
「はーい。」
私は席を立ち部屋をぐるっと見回す。
「帰ってまず洗濯機を回さないと。後は。」
家に帰るときに魔道良に置いてある着替えや小物をまとめて持って帰らないと、服が無くなってしまう。
「いつぶりのご自宅ですか?」
「日曜の夜以来かな。」
「明日の朝食などは大丈夫ですか?今週はわたくしもご自宅に伺っておりませんので、食材のストックは理解しておりませんが。」
少し笑ってしまった。
「それぐらい自分で何とかするわ。もう28なのよ。そうだ、明日の朝も迎えに来なくていいわ。自分で来ます。」
「大丈夫ですか。グループの会議とは違って絶対に遅刻はできませんよ。」
「大丈夫よ。9時までに来ればいいんでしょ。余裕。」
私のトランクや紙袋を上手が持って行く。
「多いですね。一度に駐車場まで持って降りれないので、もう一往復します。」
「私が持つわよ。」
「当然です。雫様に持ってもらうことは最初から大前提なんです。それでも運べないので。」
「そうなんだ。」
私は目をぱちぱちさせる。
「確かに荷物が多いわね。」
「できるだけマメに帰るようにしてください。そうすれば、こんなに溜まることはありませんから。」
「はーい。」
上手が私の先を行き、二人でグループルームを出た。




