ノーエルからの帰還(4)
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雫とチコは、1階のロビーでMiraたちと別れた。
「Miraここで待ち合わせでもいい。」
「はい、もちろんです。寮まで送ったらすぐに戻ってきます。」
「じゃあ気を付けて帰ってね。お疲れ様。」
「雫またねえ。」
「バイバーイ。」
スマス、チコ、雫以外の7人は全員魔道良の寮に住んでいる。
Miraにレークたちの送りを任せ、雫はチコを連れて公共駐車場に向かった。
「チコ疲れたでしょう。大丈夫。」
「うん、昨日の夜ぐっすり寝たから元気だよ。」
「そう、チコは強いわねえ。」
外には夜の蒸し蒸しとした空気が立ち込めている。
「なんか変な感じ。」
「何が。」
「この時間昨日の夜はノーエルでお昼寝してたんだよ。一昨日の夜はMYHallでお仕事してた。」
「毎日忙しいわね。」
「うん、でも楽しいよ。雫やみんなとお仕事するの。」
「そう、お仕事の両立大変じゃない。」
「うん、だって王女様優しいもん。」
「そう。」
2人の周りをたくさんの人が行き交っている。
だから2人とも具体的な名前は出さないが、雫はチコが魔道良の仕事と彼女のセカンドワークの間で疲弊していないかを気にかけていた。
「体調管理はちゃんと自分でやるよ。」
「偉いわね。私も見習わないと。」
駐車場に行くと、すぐにチコの車は見つかった。
なぜなら。
「チコ。」
チコは車を見るや否やそこでぴたりと足を止めた。
いつもの稲穂の車ではなかったのだ。
「チコ。」
チコが首を横に振る。
「行きたくない。」
雫の腕を咄嗟に握ったチコの手が小刻みに震えている。
「でもそれじゃあこの後の予定に差し障りが出るわ。せっかく迎えに来てくれたんだもの。ついておいで。」
雫の肘に腕を回して、体を半分雫の後ろに隠すチコを連れて、雫は真っすぐ歩いて行った。
(なんでこのタイミングで。)
雫に気づいた稲穂は今は助手席に座っていた。
「チコ様、雫様、お疲れ様でございます。チコ様お帰りなさいませ。」
いつもの稲穂ではない。
いつもの稲穂の3倍ほど堅苦しかった。
原因はすべて後部座席から今降りてきた男性のせいだ。
「チコずいぶん遅かったね。今日のお仕事はそんなに大変だったのかい。」
「いいえお兄様、問題ありませんでした。」
チコが震える声で答える。
後部座席から出てきた男性は長身で四角っぽい顔に眼鏡を掛けている。
眼鏡の奥の視線がチコには痛く感じられる。
チコがきちんと問いに答えたのに、男性はまだ話しを続ける。
「稲穂に聞けば、今日はノーエルへの一泊二日の遠方勤務の帰りと言うじゃないか。いけないよチコ、そんな遠くに行って、もしあの方に何かあったら、どうやって戻って来るつもりだったんだい。もっと自分の立場を自覚しなさい。」
「はいお兄様。」
チコが小さな声で答える。
「ところでお兄様、今日はどうしてお兄様がここにいらっしゃるのですか。」
「チコ、この前話しただろう。今日僕とチコはこの後「ミレルヤ」夫人から食事に招待されているんだ。だから迎えに来たんだよ。」
(チコがどんどん委縮してる。そろそろ私に注意が向くかな。)
男性が話している間、稲穂はぴくりとして動かないし、表情一つ変えない。
男性は雫に視線を移す。
「どうも、妹がいつもお世話になっております。」
「こちらこそ、お疲れ様でございます。」
「チコ、木漏れ日さんと少しお話があるから、先に車に乗っていてくれないかな。」
「嫌です。」
チコが首を横に振って、男性に会ってから一番大きな声で拒絶した。
「今のお兄様は雫に嫌なことを言おうとしている。チコにはわかります。」
男性が露骨に面倒くさそうな顔をした。
「チコ。」
「嫌です。」
チコが雫の陰から男性を睨んでいる。
(稲穂さんが助け舟を出せない。となると。)
「トニーさん。」
雫が口を開いた。
「会食まであまり時間がないと思われます。よろしければ、ご用件をお教えください。」
トニーが舌打ちをして雫を睨む。
「いいですか、チコはチコリータ家の中でも有数の才能の持ち主であり、最重要人物の1人でもあるのです。魔道良での仕事はあくまで副業であり、本業の合間にチコがいろいろな経験を積むためだけのものなのです。そこを勘違いしていただいては困ります。今後このようなことがあまりに続くようなら、チコを魔道良からやめさせます。」
チコに腕を捕まれていた雫が咄嗟にしゃがみ、チコを抱きしめる。
「お兄様。」
「チコ。」
叫ぶチコを雫が宥める。
「チコ落ち着いて。大丈夫よ。」
「雫。」
「だからチコを車に乗せようと。」
トニーがもごもごと喋る。
「チコ泣いていたらいけないわ。もうすぐ夕食何でしょう。呼んでいただいた夫人に失礼よー。ねえ。」
「うん。」
「さあ車に乗って。」
雫がチコを抱き上げて後部席の方へ歩いて行く。
「稲穂さん。」
「あっ、はい。」
雫は決して感情を表に出さず、優しい笑みを浮かべてチコに接した。
「またね。」
「うん。」
チコが目の周りの涙を指で拭う。
「トニーさん。」
後部席の扉を閉め、雫はチコから自分の顔が見えない角度でトニーに話しかけた。
「わたくしはグループリーダーとして、チコさんの健康状態及び心理状態への配慮をできる限りおこなっております。また、魔道任務任命部の職員と共にチコさんのセカンドワークに支障の出ないような職務内容になるよう調整しております。その職員は、チコさんのセカンドワークの担当者の方と連絡を取り合い、情報共有しております。現在、チコさんの心身の状態は至って健康であり、セカンドワークの担当者の方から魔道良での勤務がセカンドワークに影響を与えているという連絡も現在まで受けたことはございません。」
「つまり余計なお世話だと。」
「とんでもありません。ご家族としてチコさんを心配されるのは当然のことだと思われます。ただ。」
雫がここまで保ち続けた穏やかな声と優しい笑顔を少し崩した。
「もう少し言葉をお選びになられた方がよろしいかと。チコさんももう二十歳です。チコさんの業務内容の一切の決定権は、もうチコさんのものなのです。」
「違う。」
「トニー様。」
トニーが声を上げたところで稲穂が割って入った。
「そろそろ出発いたしませんと。」
トニーがしばらく雫を睨みぱっと背を向けた。
「覚えてろよ。」
(ええ覚えておきますよ。あなたがこれで引き下がってくれるなんて最初から思ってませんから。)
稲穂が車のエンジンを入れると、後部席の窓が下がりチコが雫に手を振った。
「雫またね。」
「ええまたねえ。」
チコに手を振り、トニーと稲穂に頭を下げる。
車が駐車場を出て行くまで雫はチコの乗った車を見送った。




