ノーエルからの帰還(3)
3
東棟36階の3620室、ワンフロアー40室、壁の両サイドに20室ずつ設置されている36階の右側の廊下の一番奥が雫たちのグループルームだ。
「ただいまー。」
エレベーターを降り、ただただ真っすぐ廊下を進んで、スマスがカードリーダーに社員証を翳し、扉の鍵が開けられた。
「おかえりなさいませ。」
部屋の奥へ入ると、上手がすぐに起立して9人に深く一礼した。
「お疲れ様でございました。」
「ただいま。」
「ただいまあ。」
「疲れた。」
「あー足が痛い。」
部屋の中にキャリーケースをゴロゴロ引いて、9人がそれぞれの机の傍に荷物を置く。
真っ先に手洗いうがいに向かう子たちと、その場に座り込む子たちに分かれる。
「Miraグループの荷物ここに置いておくよ。」
「わかりました。」
「よければすぐにお飲み物を準備いたしますが。」
「お願いします。」
「上手さん、ジュースある。」
メーラの後ろに並んでいるシーナが上手に話しかける。
「果実系の炭酸入りとノーマルをそれぞれご用意していますよ。」
「やったあ。」
「よっしゃ。」
「2人とも手洗いとうがいをしてからですよ。」
「はいはい。」
「シーナさんとレークさんにはジュースを、後の皆さんには麦茶をご用意させていただきますね。」
「上手さん、私もジュースがいい。」
「私もー。」
「上手さん、ごめんなさい。よければ僕もジュースがいいです。」
メーラ、チコ、彩都が手を挙げる。
上手が微笑んで頷いた。
「畏まりました。ジュースが五つと麦茶が四つですね。ところでMiraさん、雫様は。」
「雫とは大気スペースで別れたんです。」
「そうでしたか。」
「たぶん一園さんに気づいたんだね。」
自分の席に深く腰掛けてスマスがMiraたちの会話に入る。
「あの場に一園さんがいたんですね。気づきませんでした。」
「気配を最大限消す人だからね。何もなければいいけど。」
「上手さん、ジュースは。」
3人のちょっと重くなった空気をメーラの一言が壊した。
「申し訳ありません。すぐにご用意いたします。」
上手が冷蔵庫からペットを数本取り出す。
「お待たせいたしました。」
「ありがとうございます。」
「ありがとう。」
上手から冷たい麦茶の入ったコップや、ジュースの入ったコップを受け取り、スマスたちが美味しそうに飲み干す。
「美味しい。」
「うん美味しい。」
「皆さんはこの後どうするんですか。」
完全に寛ぎモードになったグループメートたちが全く帰ろうとしないことに気づいたMiraが辺りを見る。
「もう少しゆっくりしてから帰る。」
「チコはお迎えの時間があるでしょう。」
「まだ稲穂から連絡来てないから平気だよー。」
「早く帰った方が楽なのでは。」
「そう言うMiraはなんで残ってるの。」
「私はこの後雫と一緒にノーエル局に行かないといけないからです。」
「へえ。」
(早く帰した方がいいのかしら。)
「ただいまー。」
「おかえりー。」
雫の声を聞いてチコが駆けていく。
「迎えに来てくれたの。ありがとう。」
雫が上手を見る。
「おかえりなさいませ。お疲れ様でございました。」
「ただいま。ありがとう。」
「今お飲み物を。」
「ええお願いするわ。」
雫がキャリーケースを引いて自分の席の方へ歩いて行く。
「あら、みんなまだいたの。もしかして待たせてた。」
「うーん。」
「違うよ。」
「全然違う。」
「そんなにはっきり言わなくても。」
チコを自分の席に座らせて、雫が洗面台に向かう。
(ふー。)
メーラがスマホを一度机に置き首を一回転させた時だった。
「ねえシーナ。」
「なに。」
メーラの裏返った声にシーナがビクッと反応してメーラを見る。
しかしメーラはそれ以上話さない。
「なにってば。」
あんぐり開いたままのメーラの口に驚きながら、シーナがもう一度問いかける。
「どういうこと。」
「なにが。」
「カバンの中さあ。」
「はっ。」
シーナが首を傾げながら椅子の近くに置いていた自分のリュックを見る。
「何もないじゃない。」
「開けてみて。」
「なによ。」
「どうしたんですか。」
2人の騒ぎを聞いてMiraもそちらに向かう。
「シーナのカバンがさっきもぞもぞって動いたの。」
「なんですか。」
Miraも意味がわからないという顔をする。
「なんで2人とも信じてくれないの。」
「シーナとにかく開けてみましょう。メーラがからかっているわけではないようですし。」
「うん。」
シーナがゆっくりチャックを開けた。
「うわっ。」
シーナが後ろにひっくり返る。
「どうなさいましたか。」
「大丈夫。」
今のシーナの行動で上手やグループメート全員がシーナを見た。
「嘘。」
「ねっ。」
メーラが慌ててシーナのカバンの中を見る。
「これって。」
「オフォーンだね。」
「やっぱりいたじゃない。」
「どこで入り込んできたの。」
「こんなことってあるんですねえ。」
「なに騒いでるの。Miraまで一緒になって。」
「雫。」
Miraが慌てた顔で雫を見上げた。
雫はハンカチで手を拭いている。
「なになに。」
雫が速足で集団のところに向かう。
「これが。」
シーナが自分のカバンの中をゆっくり指さす。
「あらららら。ずいぶん可愛いお客様を連れ帰って来たのねえ。なに、確信犯。」
「なわけあるか。」
「ってことはこの子が勝手にシーナのリュックの中に入ったってことになるけど。」
「うん。」
「そんなことある。」
4人に沈黙が流れる。
「会話に入るようで申し訳ないけど。」
糸奈が少し手を挙げて雫たちに話しかけた。
「シーナあの時かもしれないよ。」
「あの時。」
「ほら、オフォーンが宿舎に群れで入ってきて。」
「あー。」
「待って、そんなことがあったの。」
「うん。」
「雫はもう宿舎を出てた時間帯だったかも。」
シーナが開設を始める。
「宿舎の換気をするために部屋の窓を開けてたんだけど。」
「僕たちの部屋の窓から10匹前後のオフォーンの群れが宿舎の中に入ってきてね。」
「すごーいいっぱいだったよー。」
「それを捕まえて外に連れ戻してたんだけど。」
「廊下への襖を開けてたから、女性用の部屋にも何匹か入り込んでね。」
「本当に大変だったんだから。」
「ちょこちょこ動くし、噛まれたらすげえ痛いし。」
「なるほど、その時の1匹がシーナのカバンに入り込んだと。」
「うん。」
「でも気づくんじゃない。重さも変わるしさあ、何よりリュックを閉めるときに気づかなかったの。」
「宿舎を出る前ぎりぎりだったから、急いでた。それにジュータンに乗ったらリュックってずっと置きっぱなしだったし。」
「シーナは貴重品を別のセカンドバックに入れてるもんね。」
「なるほど。」
雫が何度も頷いた。
「どうするの。」
メーラが雫を見る。
「ノーエルの生物は原則持ち出し禁止ですから、このまま送り返すしか。」
「でもさあ。」
シーナがオフォーンを見下ろす。
「すごく震えてるし、反応も鈍いよ。可笑しくない。普通スパイラルの薄いノーエルに生息してるなら、これだけナチュラルスパイラルが濃いこの辺りに来たらもっと元気になるはずじゃん。全然狂暴化も活性化もしないなんて。」
「たしかに。」
シーナが雫を見る。
「雫。」
「なに。」
「この子抱き上げてもいい。」
「いいわよ。オフォーンと関わるときの注意点は覚えてるわよね。」
「うん。」
シーナがフローリングに膝を付け、両手でオフォーンに触れた。
丸まって横向きに横たわっているオフォーンの背中側に腕を通しゆっくり抱き上げる。
シーナに抱き上げられたオフォーンは特に反応を示さない。
「やっぱり可笑しいよ。」
「どうするんだい。」
シーナがしばらく下を向いて考えていた。
「雫。」
「なあに。」
雫はシーナが話しかけて来るまで待った。
「ノーエルの生命体をノーエルから連れ出してはいけないっていうルールには例外があったよね。」
「ええ。」
「その生命体の生命が著しく脅かされている場合は魔道良に連れ帰って治療をしても構わないし、治療後もノーエルでの生息が困難だと生命体ドクターが診断を下した場合は魔道良で保護することができる。」
「ええ、合ってるわ。」
雫がMiraを見ると、一度頷いた。
「ノーエルと魔道良の取り決め書なんてよく覚えてたわね。」
「なんとなくだよ。雫、私はそれに今のこの子が当てはまるんじゃないかって考えてるんだけど。」
シーナが腕の中で丸まったままのオフォーンに視線を落とす。
「まだちゃんと暖かいから。」
シーナがオフォーンの背中をそっと撫でる。
オフォーンは、茶色い怪我ふっさふさの4本足の生命体で、尻尾がびっくりするほどにボリューミーで、愛らしい瞳をしている。
ただ今この子は目を閉じているから、瞳は確認できない。
本来ならノーエルでも比較的狂暴な部類の生命体で人になつくことはめったにないのだが。
「Mira私はいいと思ってるんだけど。」
シーナが雫を見る。
「そうですね、生命体に関する取り決めにはノーエル局もあまり関係がないですし、神町さんへの確認も不要だと思います。」
「だそうよシーナ。」
「じゃあ。」
雫が頷く。
「どうしてそんなに弱っているのか、治療法はあるのか、どのぐらいで元気になるのか。まずはそれがわからないとね。」
「うん、この子を生命体治療課に連れて行ってから私は帰るね。」
「シーナさんよければこちらをお使いください。」
上手がシーナに小さな木の籠を渡す。
仲にはふわふわのタオルが敷かれている。
「上手さん、ありがとう。」
「いえ。」
(この後どうしたものかしら。)
雫が一同を見ながら考える。
(取り合えず今から神町さんのところとMEMCに顔を出して、ポリス担当魔道市職員指導室も覗かないとだめだ。今日は帰りたかったけど、メールの返信が追い付いてないんだっけ。)
雫が頭を抱えていると、チコが雫の肩をトントンと叩いた。
「雫。」
「なにチコ。」
「稲穂が迎えに来てるんだって。もう帰っていい。」
雫が慌ててパソコンを見る。
「ええチコは昨日と今日のノーエルでの活動報告も書いてくれてるし、ポリス業務中の報告書も書いてくれてるし、今日が締め切りの書類も片付いてるから帰っていいわよ。お疲れ様。」
「雫送ってよ。」
「甘えんぼさん、いいわよ。」
雫がグループルームを見回した。
「私一回降りるけど、他の子たちは。」
「ええ帰るのめんどくさい。」
「早く帰った方が楽だと思うし、晩御飯まだ食べてないんでしょ。」
「上手さん何か作ってよー。」
「悪いけど上手はこれから私と仕事よ。帰りに食堂かスーパーで何か買ったら。」
「ええ。」
一人一人の帰宅確認をする。
「シーナ、メーラ、レーク、彩都、クシー、チコ、糸奈は帰っていいわよ。Miraは残るわよね。」
「はい。」
「オッケー、スマスはちょっと待ってね。報告書と今日締め切りの提出物が三つ残ってるから、それやってから帰って。」
「ええ、ジュータンでも少しやったじゃないか。」
「やってくれてたのは知ってるけど、全部終わってないのよ。」
スマスが長いため息をつく。
「わかった。日付が変わるまでに今日締め切りの書類は全部提出するって約束するから、帰らせてもらえないかな。」
「珍しいわね。いつもは職場の方が捗るって言うのに。プライベートで何か。」
雫が少し笑顔で尋ねる。
「あーまあそんなところだよ。愛情持って接してきた彼女が今日花開くかもしれないんだ。ただでさえ昨日、今日と構ってあげられなかったから、今日は早く帰りたいんだ。」
雫がタブレットでスマスがやり残した仕事の内容を確認する。
「そうわかったわ。持ち出し禁止の仕事じゃないみたいだし、仕事のお持ち帰りは推奨してないんだけど、今日は特別よ。」
「さすがうちのグループリーダーは愛に寛容だね。ありがとう。」
「愛に寛容かは。」
雫が苦笑いを浮かべて首を傾げる。
「雫。」
「はい。」
「心配ないと思うのですが、寮まで学生組を送ってきてもいいですか。」
「助かるわMira。」
「別にいいのに。」
「今日は金曜日ですし、この時間は人の行き来が多いですから。」
「はーい。」
「あのさ。」
シーナが手を挙げる。
「そっかシーナはオフォーンを生命体治療室に連れて行ってくれるのよね。」
「うん。」
「ありがとう、じゃあ気を付けて帰ってね。それからオフォーンの診察の結果を教えて。」
「わかった。」
「じゃあここで一回解散しておこうかな。」
「うん。」
雫が一度頷く。
グループメートたちがおのおのの場所から雫を見る。
「次に会うのは明明後日の29日ね。明日と明後日はせっかくのお休みなんだから、ゆっくり休んでね。お疲れさまでした。」
「お疲れさまでした。」




