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そして、僕/私になる。  作者: なつの
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十八話 化け物。

身体を支える筋肉。

それは見掛け倒しでなく凛と力強い。


「ナースコール、ありがとな。ウイカのことは気をつけていたのだが自由に動ける身の上でなくてね」

「いえ、すみま」


せん、と言い切る前に唇にそっと指を添えられた。

硬いながらもその所作は驚くほど優しかった。

顔を上げるとマティさんはふっと微笑みもう一度ありがとうと言った。

ビー、と機械音がなり即座にマティさんの顔が引き締まる。


「はい、こちらマティ。松木、ウイカのバイタルはどうだ」

『とても不安定だ。そちらは合流できたようだね。状況は?』

「ドアの前、天岩戸状態。律は無事だ」

『了解。こちらは引き続き計測を続ける。不安定ではあるが、最悪ではない。変化があり次第追って連絡するよ』

「扉はあけなくていいのか」

『君がやったら交換だからね。安いものでもないし最後の手段にしておいてくれ』

「律は、どうする」


一瞬、沈黙があった。

間というには短いけど確かな会話の切れ目。

それは松木さんの思考が挟まれたような気がした。


『現状、同行で頼む。彼女の方は動揺こそあったみたいだけど、特にバイタルに問題は見られない』

「了解」

『では切るよ』


ブツ、と通信が切れる。


「て、わけで手持ち無沙汰になった。ウイカとなにがあったのか、聞かせてもらえるか?」


私をそっと地面におろしマティさんは隣に腰掛ける。

松木さんと話しているときに見られたどこかひりついた空気はもうない。


「分かりました。だいたい一時間前のことなのですけど―――




「えーと、纏めるとこうか。建物のなかで迷ってたら福沢さんに会い、なぜか気に入られる。その後、姐さんに引き取られ、部屋に戻るとウイカが訪ねてきた」

「はい、あ。これ香木、っていう?福沢さんにもらったもので、マヤリカさんが、マティさんが詳しいって」

「お、どれどれ。このほのかな酸味と深い匂いは、間違いなく最高級の伽羅だな。グラムでうん萬て代物だな」


やっぱり途方もなく高かった。

そんな代物をポンと渡せる福沢さんっていったい?


「福沢さんはかなりの名家の出だからな。今でこそこんなところにいるがそれでも動かせる資金・人材はとんでもないからな」

「あわわわ」

「ここまで気に入られる例はあまり見ないがな。姐さんといい人たらしの素質大だな」


ぶるぶると首を振る。

私にもわかりません。

声掛けられて漏らして一喝されてなんかあって。


「怖かったろ、福沢さん。あの人はさながら日本刀だからな。鋭く、硬く、そして柔軟だ。武道も心得ていて、常時とんでもないプレッシャーだしてるからな」


それは思った。

目つき、ふらつきのない足取り。

甘い人ではないと話しただけでよくわかった」


「でも、怖い人っていう感じではなかったです」

「……そうか。じゃあ、そろそろ呼吸も落ち着いてきたと思うし本題だ。ウイカが来てからなにがあった」

「はい。なにか、思いつめたような表情をしていました。隈もできていて、視線も揺らいでいて」

「そうか、何をきかれたんだ?いえる範囲でいい。聞かせてくれ」

「身体は大丈夫ですか、と話しました。ウイカさんの方は、理由は分からないけど来たと」

「かなり不安定だな。いまさらだが」

「その後、コーヒー、ハッピーヤーンの話をして……」


そうだ。

今思い返すとあそこが臨界点ぎりぎりだった気がする。

話題に困って振りはしたけれどハッピーヤーンはウイカさんにとってお菓子でなく「安定剤」なんだ。

きっと成分が、というはなしではなく精神的な、それこそウイカさんの根源に係る話だったのだろう。


「それで、ウイカさんが触れてほしくないところに干渉してしまって」

「取り乱した、と」

「はい」

「取り乱したときはどんなだった?あまり、気の進む話ではないのは理解している。本当なら、この手の聞き込みはメンタルケアを交えながらするべきなのだけどな」

「いえ、すごくこちらを気遣ってもらっているのは分かるので。それに、私ではウイカさんに届きませんでした。少しでもお役に立てるなら」

「助かる」

「ええと、ウイカさんは驚いてコーヒーを払いのけました。すごく動揺していて。ただ、うん……」

「どうした」


動揺。

確かにそう表すのが適切なのだろうけど。

どこかしっくりこなかった。

恐怖が混じっていて単に驚いただけには見えなかった。


「近寄るな、そういって距離をとりました。すぐに走り出すでも固まるでもなく」

「驚いてでた防衛反応でなくか?」

「防衛反応、ではあると思います。ただ、恐怖を浮かべているように見えた気がしました。僅かなニュアンスの違いですけどとても大事なことのような気がして」

「そうか」


考えることは意外とありそうだ。


「あとは手を伸ばしたら化け物、と」

「……!」


マティさんが一瞬顔をきつくしかめた。

けど本当に一瞬のことですぐに質問をしてきた。


「顛末としては以上か?その後ウイカが走り出して俺との合流、て流れで」

「はい、大体は。あ、ただ先程の発現の後、ウイカさんは何処か違うところを見ているようでした」

「……なるほど」

「あと、小さく何かつぶやいていました。多分―――」


消え入るような声で、


「―――ごめんなさい」


マティさんの口から私が考えていた言葉がでた。


「大体理解した。ここまでの流れと要因の一つを」


どうやら何か掴んだらしい。

やはり、長い付き合いだからだろうか。

いや、多分これは以前言っていた、


「込み入った事情、ですか」

「そうだ。そして、俺はウイカ自身が話すまで律。お前に明かすことはしないと決めていた」


ごくりと唾をのむ。

マティさんがウイカさんに関わる重大なことを話そうとしているのがありありと伝わったからだった。

要因の一つ、とマティさんは言った。

きっと今ウイカさんを追い詰めているのは他にも理由がある。

私への動揺と恐怖。

化け物というのは後者からの言葉だと思うけどそのあと見ていたものこそがマティさんの知る込み入った事情というやつだろう。


「ウイカは、なんとなく分かるとは思うけど天才だった。小さなころからパソコンに触れ続けて養われたハッカーの能力。環境と性質。この二つが天才を育む、というのはうちのおばあちゃんが言っていたことだが、ウイカはその手合いだった」


本人としては望まぬ才だがな、と付け足した。


「そして、突出した才能とは裏腹に精神はなかなか成長していなかった。周りに人がいなかったからだ」

「え、お父さんやお母さんは」

「離婚している。詳しい理由は聞いてないし聞くつもりもない。そして、母親はウイカを養うために日々働き詰めでウイカは一人でいることが多かった」


脳裏にその様子が浮かぶ。

回りに誰もおらず、働きかけて返事があるのはパソコンのみ。

ひちりぼっちの環境。

私も……


「あれ?」


おかしい。私には両親がいたはず。

ぼんやりと断片的だけれども明るい記憶だったような気がする。

上手くかみ合わない。


「大丈夫か、話しておいてなんだが無理に聞かなくても―――

「いいえ聞きます」


頭を切り替える。

そもそも私は自分の記憶があやふやなんだ。

思い出せたのならともかく答えのない考えをしてもただ時間がすぎるだけ。

今は、目の前のことを。


「ウイカさんは同年代の知り合いは」

「いたことにはいた。母親が真面目な方だったのだろうな。9歳までは初等教育を受けていたはずだ」


じゃあ、クラスメイトはいたのか。


「ただ、な。先ほども言ったようにウイカの精神は殆ど成長していなかった。それは一人の時間が長かったこともあるしウイカの突出した才能とそれが醸し出す空気のせいで周りから排斥されていたからだ」

「え」

「いわゆるいじめだな」

「そんな、仮に精神が育っていなくとも何の理由もなしに虐めなんて―――


いや、ある。

言葉に出す前に自分の中で否定された。

寧ろ、理由のある虐めの方が稀だと。


「異質、ていうのはそれだけで人を悪い方に駆り立ててしまうことがあるのさ。それに、嫌いだから虐めるではなく、嫌いらしいから虐める。そんな感じだったのだろう」


空気さ、と遠くを見ながらつぶやいた。

そこで気づいた。


「じゃあ、化け物って言葉はもしかして」

「それが、根幹だ。改めて聞くが覚悟はいいな?」


再度の予防線。

私がウイカさんに関わる理由はないに等しい。

関わろうとするのに動機がない。

その矛盾にさっきは足がとられた。

今も明確な答えはない。だから、本当は関わるべきではないのかもしれないけど。


「お願いします。きっと私にも大事なことだと思うのです」

「そうか」


体が動いたということは記憶を失くす前の私の意思。

それから逃げたくなかった。


「化け物、てのは確かにウイカが周りから言われていた言葉だ。だが、最後にウイカを追い詰めたこの言葉は赤の他人からじゃない」


話す雰囲気、内容。

そのどれもが最悪の想像へと繋がっていった。


「ウイカを化け物と拒絶したのは、ウイカの母親。その人だ」




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