十六話 化け物の矛盾。
なぜ?
扉を前にして今更に俺はそんなことを考えた。
あげた右手は呼び出しベルを前にふらつく。
理解が追い付かなかった。
出会って間もないこの女に会いに行くなど。
夢見が悪かったのは認める。
自分の過失。
興味本位で手を出し文字通り手酷いしっぺ返しとなった。
溶け落ちる四肢。
沸騰し壊れる体躯。
そして、
『たすけて』
どうすれば良かったのだろうか。
それはきっと何時かの自分も抱いたこと。
一度目の衝撃を経ても抗体は得られずただガンと殴られるばかりだった。
兎にも角にも悪夢は現実と共に押し寄せ中々いなせず、人を望んだ。
そういった意味では松木でも、マヤリカでも、マティでも。
それ以外の誰かでも良かったのかもしれない。
ただ悪態を吐いていつも通り振舞えば揺らいだ心を凍らせウイカを保つことが出来たのだろう。
それでも何故か自然とこの女の部屋に足を向けていた。
この組織で最も関わりの薄いであろう女のもとへ。
いや。
だからこそなのか。
未だ知らぬ部分があるからそれを可能性として、どこか期待したのだろうか。
それとも似たような境遇だから傷を舐め合えるとでも考えたのだろうか。
だとしたら浅はかを通り越して愚かだろう。
実際、ウイカは愚昧で利己的な人物だった。
『じぶんのおおきなむじゅんに、きづかないなんて』
死んで止まったと思ってるあの日の自分が、あの日の自分の形をしたものが嗤った。
『だってそうでしょう?しんだものが、なやんだり、こうきしんをもったりしないはずなのに』
天才と持て囃されたのに?
『わからなかった?』
だからきっと―――
『お母さんも××××………
ああ、これはそうまとうってやつだよ。
かりそめのしからほんものへ。
おかえりなさい、ぼく。
震える手がベルを押した。
「お邪魔する」
「どうぞ」
迎え入れたウイカさんの顔は酷く曇っていた。
初めて会った時の苦悶とは違った内容の。
マティさんの言葉をかみしめつつ誘い入れた。はず。
大丈夫だったかな?
緊張はなかったけど、どこかわざとらしかったりしなかったかな?
心の中で悶々としつつなんとか椅子にすわらせるまでは漕ぎつけられた。
ふう。
ウイカさんのことは今いちよく知らないから不発弾のような扱いだった。
「不発弾ならマークして、先生か業者さんに連絡するだけだけど……あれ?」
「……どうしたんだ?」
大理石を思わせる見た目のセラミックスの壁。
頭の端を記憶の断片が駆けた。
「いえ、なんでも……むしろその。ウイカさん、こそどうされましたか?」
「どう、か。それがよく分からないんだ」
「はい」
「えーーっと、体調は平気ですか?」
「バイタリティに問題はない。多少浅くはあるが睡眠も取った」
「そうですか」
「……」
しばし静寂。
気まずい!
すっと立ち上がって聞いてみる。
「飲み物出しますね。お茶とコーヒー、紅茶を貰ってるんですけど何がいいですか?」
「コーヒー」
「お砂糖は付けますか?」
「いらない。ブラックでいい」
「そうですか」
「……」
そしてまた静寂。
会話に困るーー!!
明らかに混み合ってるのに話のとっかかりがない!
何か聞いても単語で終わる会話!
何かないかと部屋を見回してみる。
観葉植物。クローゼット。机。棚。冷蔵庫。そしてここ。
やることが!やることがない!!
ボードゲームなり本ならあれば話題が広がったものを!
ケトルでお湯を沸かし、コーヒーを注ぎつつ思案する。
「どうぞ」
「……ああ」
会話が成り立たない!
ウイカさんの対面に座り、意味もなくコップを揺らす。
揺れる水面、机を見つめちらりとウイカさんを見やる。
無言でブラックコーヒーを飲んでいた。
温かな熱が喉をかけ、一息つくと再び話題探しの時間になる。
コーヒーブラックで飲めるって大人っぽいですね?
いや、これは小馬鹿にしてるみたいだからダメ。
結局浮かばない!
ああ、せめて食べ物でもあればもう少し静寂でも問題ないのに。
もてなしのお茶請けもないし……。
「ハッピーヤーン」
「は?」
話題を見つけた!
ウイカさんは以前、ハッピーヤーンというお菓子を服用していた。
服用?
うーん、まあ食べるというにはかなり大袈裟な感じだったからなぁ。
話題探しと、沈黙に耐えきれず特に深く考えもせず私は尋ねた。
「ハッピーヤーン。初めて会った時食べられてましたけどお好みだったらするんですか?」
「ああ」
会話終了!
ええと、もう少し何かないものかな。
「美味しいですよね。どのくらい食べられるんですか?」
「日にもよるが週で10袋ほどは」
「意外です。好きならもっと食べてるかと思いました」
パクパク摘めてしまうから簡単に4袋くらい開けてしまいそうなものだけど。
きょとん、とウイカさんは目を開けて言う。
「個包装でじゃないぞ」
「へ?」
「纏めて入れてる袋で」
「……」
「売ってる袋で」
あれって一袋いくつ入ってたっけ。
二桁は超えてたと思うけど。
仮に少なめに見て10としても1週間で100個。
「多すぎでは?」
「そんなことない」
「ちゃんと栄養とれてます?」
「あれでしか取れない栄養がある」
「偏り過ぎでは?!」
マヤリカさんやマティさんは何か言わないのかな。
というか松木さんはドクターストップかけたがいいのでは?!
「箱で買いまくってるから俺の部屋からハッピーヤーンが消えることはない」
「そんなに?!余程なんですね。ハマったきっかけとかあるんですか」
「それはおか……!!」
漸く目線があった先、ウイカさんはあっ!と言葉を飲み込む。
視線が入ってきた時のように右は左へ揺らぐ。
しまった!
今更に、マティさんの安定剤という言葉がよぎった。
迂闊だったと後悔しても遅い。
まずはウイカさんを落ち着けないと。
「あ、コーヒーなくなってますね。注ぎなおしてきますね?」
「触るな!」
「わっ!」
腕を振った拍子に私のカップが払われコーヒーがかかる。
動揺していたウイカさんが固まり、一瞬は我にかえる。
「ご、ごめんな……
「大丈夫ですよ。ウイカさんこそかかってませんか?」
飲みかけとはいえ少しコーヒーは熱かったけれども少しでもウイカさんの気が逸れたなら良かった。
後は流れで。
そう思って手を伸ばしたら、
「……あっ!!」
今度は動揺でなく恐怖を、顔に抱えて―――
「さ、触るな。寄るんじゃない!」
―――伸ばした手を跳ね除けられた。
震える口が告げる。
「化け物」




