十四話 白昼の悪夢。
不安定に揺り返す視界の中、今なお忘れられないあの光景を浮かべる。
ここまで酷く記憶に焼き付いているものは、これともう一つしかない。
記憶が新しい分、最近だと此方の方が夢に見ることが多かった。
異質。
一言で言い表すならその言葉だと思った。
きっかけは、僅かばかりの好奇心だった。
ここでの暮らしにだいぶ慣れてきて、マヤリカとの一件の傷も癒えていた。
だからだろう。
珍しく、普段は使われていないオペ室が稼働しているのに興味を持ったのは。
悪趣味極まりないことだったというのは今なら分かる。
ただ、あの瞬間はイドがエドを超えたというかなんというか、端的に言うと童心を抑えられなかった。
厳重にブロックされた、手術室を映す隣の部屋(手術室内にはカメラが内容で解像度は落ちるが一番近くのカメラをハッキングした)。
そしてその罰は再びのトラウマという形で自業自得ながら降りかかることとなる。
異様さがまず感じられた。
手術室の照明はオペの内容や場所により様々だと前に何かの本で見た気がするが、それにしても暗かった。
幅広に展開する手術台は大の大人三人に囲まれている。
たまにの手術室の中、それだけ見て切るはずの視線は中心のモノに縫い留められた。
『なんだ、これ』
何本もの管が繋がった塊。
ぼやけた画面に於いてもその挙動は通常みるものと異なる。
そう思ったところで至った。
『―――これ人間か』
生き物の死は見たことが有る。
最もその時の光景自体は記憶に乏しい。
何しろその後が強烈に刻まれているから。
ひとたび外に出ればこんな世界が広がっていることも知っている。
が、実際に見てみるとより生々しく心を締め付けた。
酷い裂傷や皮膚の爛れ、四肢の欠損を見たわけではない。
不条理な暴力に打ちのめされた。
それがよく伝わる空気が在りし日の自分と重なり言いようのない気持ちになった。
男か女か。
分からない。
髪は短いようだが画質と室内灯のほの暗さもあり判断はつかない。
体躯はうずくまっているからかよくわからないが特別大柄といった感じはしなかった。
子供、或いは背の高くない女性?
そのあたりだろうか。
突如、患者が跳ねた。
体内に爆弾があり、それがいきなり爆ぜたような。
全身が一瞬にして硬直し手術台より跳ねる。
現場の空気もより張り詰めたものとなり動揺が走る。
すかさず医師の一人が指示を出したのか二人が慌ただしく部屋から出て行った。
医師の一人―――松木が指示を出したのか画面にただ一人だけが残る。
視界が開けた分、手術台がよく映る。
患者はどうやら子供のようだった。
回復体位を崩したように横になっていて松木及びカメラに向かって叫んでいるようだった。
震える手を持ち上げゆっくりと動かす。
刹那、どろりと一指が溶解した。
比喩なんかじゃない。
本当だ。
本当に指が溶け落ちたんだ。
信じられない光景だった。
まず体が突然溶け始めた。
そしてその体はわずかに発光した。
室内光のような強い光じゃない。
ぼんやりと今にも消えてしまいそうな揺らいだ蛍光のようだった。
僅かに視界が明瞭になる。
目を大きく見開いていたからか、患者の発光か、その他の要因か。
或いはただの思い込みか。
ただ、最初より患者の動向がよく分かった。
叫んでいる。
音声は繋がっていないが、ひどく空気が振動しているのが分かった。
体もどろりと溶け始め煙のようなものも見える。
『有り得ない。ありえないありえない、ありえない』
こんな病気知らない。
こんな症状知らない。
医学に精通していないし特別病のあれこれに詳しいわけでもない。
でも、人が沸騰して溶けていくなんて聞いたこともない。
未知。
今更になって首を突っ込んでいいものではなかったと後悔が押し寄せてきたがカメラを切ることが出来なかった。
手が、頭が、思ったように動かない。
医師二人が戻ってきて手術室はいっそう慌ただしくなる。
患者は顔に髪を張り付けなお一層苦痛にあえぐ。
最後の力、そう思わせるかのような動きで欠けつつある手をあげる。
その直線上には自分がいた。
指ししめされた気がした。
そして大の大人三人に阻まれ最初と同じく狭い視界の中、患者の口が動いた。
勿論見えていない。
顔、手、その他体の一部が慌ただしく動く大人の隙間から見えただけだ。
絞りだした声はか細く手術室にいても足音一つで簡単にかき消されたことだろう。
だけど最後の言葉は声を帯びてはっきりと届いた。
『た す け て
『うわぁぁぁぁぁああああ』
慌てて接続を切り、電源を引き抜いた。
異質な手術室を切り離し自分が今いる場所に戻ってきた。
『っはぁ、はぁあ、ふぐっあああ』
酷く乱れる呼吸を、滴る汗を落ち着けようと息を吸うが上手くいかない。
切り替えろ。
この世界の残酷さを前に一番の賢い処世術は諦めることだと既に学習したんだ。
よくあるものだと一括にして記憶の果てに打ち捨てればいい。
その光景が悪しき記憶と被り頭を打ち付けた。
無理やりに頭を上げ目の前の世界へと意識を映す。
暗くなった液晶画面に酷い顔の、大嫌いな人種が映っていた。




