第3天 レイ
辺りは静まり返っている。鳥の、虫の声すらも聞こえない。ただ時折、滴り落ちる雫が跳ねる音が響き渡る。
ミナは草木の間を通り抜け、森の奥へと進んでいく。辺りは霧に覆われ、行く先もわからなければ、空が晴れているのか曇っているのかさえもわからない。
道の見えない霧の中に小さな閃光を走らせてみる。すると、霧の奥に小さな影を見つけた。その影は小さく丸まっている。ミナは小さくため息を吐いて、その影に歩み寄った。
足を一歩踏み出す度に、すすり泣く声が大きくなる。そしてその声を窺い見るように葉が震える。それを退かすようにミナは影の目の前に立った。影は一度だけスンッと鼻をすすり、膝を抱えたまま息を殺すように押し黙った。ミナはわかりやすく長いため息を吐いた後、その影を見下ろした。
「いつまで泣いてるつもりなの、レイ?」
レイと呼ばれた少年は膝を抱えていた腕をびくりと震わせた。レイは下に向けていた顔をより腕の中へ沈め、もごもごと喋った。
「もう、泣いてない……」
消え入るような声にミナは顔をしかめる。そのまま黙っていると、またすすり泣く声が聞こえてくる。ミナは観念したように、大げさに手を振った。
「ああもう! 悪かったわよ、私が悪かった。だから、ご、め、ん!」
声を荒立てるような謝罪に、レイはやっと顔を上げた。ずっと泣き続けていたからか、前髪は乱れ、目が真っ赤になっていた。
レイはフーと同い年の雨の子である。ミナのように感情の変動なしでは雨を操ることはできないが、引っ込み思案な性格であるため、レイの周りの天気はいつも雨か霧である。そして打たれ弱い性格でもあるため、少しいじめられただけで雨が本降りになる。
レイ自身ももっと強くなって友達をたくさん作りたいと思っている。しかし、ネガティブな自分がいるせいで楽しいその場を台無しにしてしまう、と負の思考回路が負の考えを生み出し、負の循環に陥って雨がまた一層強まる。
じめじめとしたその空間にいつもミナが雷を落とす。例えではなく、本物の雷である。そして当然のようにレイはそれに怯える。
レイは赤くなった目でミナをじっと見つめ、目を逸らしてからぼそりと呟いた。
「ホントは、ごめんなんて思ってないくせに」
その言葉が耳に届いたミナは目の横に青筋を立てながらも、自身で自身の拳が動かないように握りしめていた。それでもレイはずっとそっぽを向いたままだった。
今回の件は、いつものようにレイがじめじめしているところから始まった。いつものことで呆れたミナは、身を放り出すように切り株に座り、こんな言葉を零した。
「なんか、レイたち、雨の家系ってみんな陰気だよね。そんなんでよく続いてきたよ」
雷と雨の家系は昔から深い繋がりを持っていた。もちろん風の家系、その他の家系とも繋がりを持っている。しかし人間の世界に例えるなら、雷と雨は親戚同士、その他の家系はご近所程度というものである。ミナとレイは姉弟ではないが、それに近しい関係にはあった。
そのこともあり、詳しくは知らなくともミナは雨の家系について少しは伝え聞いていた。陰気なヤツばかりで付き合いが大変だ、と。
そんな嫌な言葉が脳裏にチラついていると、体を丸めていたレイが立ち上がってミナを睨んだ。
「僕の家族を悪く言うな!」
レイの周りにあった霧がサッと消える。久々に聞いたレイの大きな声がミナの頭の中でこだました。
レイは誰にも反論することができないが、唯一親族であるミナには歯向かうことができる。そうは言っても、今までは小さくぼそりと呟くだけだった。しかし今回はこんなにもはっきりと怒り、ミナは目を丸くして拍子抜けした。
固まるミナをよそに、レイは目に涙を浮かばせながらしゃんとした足取りでその場を去っていった。
翌日、ミナはレイを公園へ連れて行こうと呼びに行くが、怒りと悲しみの混ざった泣き声が聞こえてくる。こんなことは今までなかったので、ミナ自身もどうしたらいいのかわからない。声をかけるも返事はないので、そのまま一人で公園へ行ったのだった。
公園から帰って来ると、悪態ながらもレイはミナに口をきいた。ミナは震える拳を下へ下ろし、少し晴れた霧の中で軽く笑った。
「今日公園に行ったらね、レイと友達になりたいって子がいたよ」
その言葉にレイはピクリと反応する。その隣にミナは腰を下ろし、それをレイは目で追った。
「その子、フーちゃんっていうんだけどね、レイと同い年ですごい元気でかわいいんだ。だから今度――」
「ねえ、ミナ」
ミナの言葉をレイが静かに遮る。ミナがレイに視線を向けると、レイはミナの方には向かず、悲しそうな目で前を真っ直ぐと見ていた。そしてそのままぼそりと呟く。
「どうして、そんな変な笑い方するの?」
それを耳にしたミナは言葉を失う。変な笑い方――ミナ自身はそんなことをしているつもりはない。動揺していると、レイはそのまま言葉を続けた。
「違うことだけど、みんなも言ってたよ。数年前からミナ、変わったよねって」
数年前――その言葉を聞いてミナの頭の中でカチリと何かのピースがハマった。ああ、あれか。あれからおかしくなったんだ。それを理解した瞬間、ミナは笑っていた。
「そんなことないよ。私は変わってないと思うよ」
その笑みは今までのように、困ったような歪な笑みではない。違和感のない普通の笑みだった。それを見たレイは驚いたように顔をしかめた。今のミナは変な笑い方をしていない。レイは困ったように少し唸ると、「やっぱり何でもない……」と小さく呟いた。
翌日、ミナは森に引きこもろうとするレイを無理矢理引っ張って、公園まで連れてきた。そこには人間の子どもも化身もおり、皆混ざり合って走り回っている。
それにレイが見惚れていると、目の前に人間の子どもが通り過ぎた。人間には自分たちが見えないとわかっていても、レイは体をビクリと震わせた。隣にいたミナはそれを見てケタケタと笑う。そうしているうちに、ミナの周りには他の化身たちが集まり、ミナはレイから離れて行ってしまった。
置いてけぼりにされたレイは公園の端へ行き、砂場を眺めた。ここで遊んでいる人間の子どもたちは砂の上に砂を乗せて山を作ったり、小さなバケツに砂を入れておままごとをしたりしていた。
自分も砂で遊んでみたい、そう思ったレイは体をうずうずさせた。しかしレイは雨を操るほか、物に触る手段を持っていない。レイはまだミナのように感情なしで操ることには慣れておらず、操れたとしても触れるというよりも濡らすだけだ。
レイは悩んで唸っていると、いつの間にか横に少女がちょこんと立っていた。少女はレイと同い年くらいで、髪が肩まで長くふわりと柔らかそうだ。
少女はレイの視線に気づくと、顔をクシャリとして柔らかく笑った。レイの頭の中は突然のことで混乱している。大量の冷汗が背中を流れ、頭から漏れ出た情報がレイの口から片言で流れ出す。少女はそんなことお構いなしに小さな手を差し出してきた。
「はじめましてだよね? あたし――」
そこで少女は誰かに呼ばれ、振り返る。そして再びレイに向き直るが、もうそこにレイの姿はなかった。これがレイとフーの初対面だった。
今回の更新はここまでです。
第4~6天は2019/3/1(金)に更新します。