戦火の怒り
――私、陸軍に入ってユニオンに参加するの。カピナムの人たちの自由を守るために。大丈夫、ユニオンが負けるわけないわ。だって、正義はユニオンにあるんですもの――
「……いました、TM―72です」
「ええ、中隊長車からも発見警報が入ったわ」
砲手用照準器のアイピースを覗いていたグッドマン伍長が、車体後部から排気炎を立ち上らせ、夜陰にまぎれてレカホイエ平原を疾走するTM―72型敵戦車中隊の姿をGPSの熱線映像装置を通して確認する。併せて車長であるティファ=ペールメール中尉のところにも、中隊通信網よりTM―72小隊発見、警戒せよとの報が入っていた。
斥候より『敵部隊が夜襲をかけるべく草原を進行中』との報が入ったため、これを迎え撃つべく出撃した機械化歩兵師団第2大隊第77機甲師団所属・第2戦車中隊は草原に展開し、ハルダウン(岩や地形の起伏などの自然の地形を利用してひそみ、主砲の俯角ぎりぎりの高さまで車体下部を隠蔽すること)していた。そのかいあって、こうして先制するチャンスが転がり込んできたのだ。
『中隊長車より第2中隊全車へ。各車、敵相対距離3000を切り次第、射撃開始』
「第3小隊ペールメール車、了解。グッドマン、左翼のTM―72を狙え。APFSDS(翼安定装弾筒式徹甲弾)・装填」
「了解」
戦闘室・車長シートの上で中隊無線に応えていたティファは射撃命令を受諾し、グッドマンへ指示を出す。
それを受けた砲手シート上の砲手・グッドマンは、ティファの弾種選択・装填命令に従い、自動装填装置を操作する。装填手の存在を不要なものとした自動装填装置が微少低音とともに動き、砲塔後部の弾薬庫からM827型APFSDSを引きずりだすと、ガイドレールを伸ばして砲身へと装填する。砲弾が砲身内へと装填されると装填口の鎖栓であるスライド・ドアーが閉まり、射撃準備が完了した。
「隊長、装填完了。目標確認」
グッドマンはコントロールハンドルを握り、左翼のTM―72に照準をつける。すると砲塔が旋回し、砲口が目標の戦車を狙った。そしてそのまま、前進してくる敵戦車をGPSで追う。
「各種データー入力。目標を続けて追尾」
風向き、風力、大気圧、湿度、砲身歪補正、装薬温度、砲腔磨耗度などのデータを自動と手動で弾道計算機と火器管制装置に入力し、修正値を出して補正する。
「データ入力完了、補正よし。主砲発射用意よし」
すべての入力が完了し、砲塔・砲身も可動完了。目標をロック・オンしている。
そして、目標は相対距離3000のラインを越えた。
「撃てぃ!」
「発射!!」
轟音!
ユニオンが誇る最新鋭戦車・V1A1ニクスロゥラーの主砲・ライフルメタル社製M356四四口径120ミリ滑腔砲から、砲口炎とともに、APFSDSが矢のようにはなたれた!
それとほぼ同時に、中隊の全車両から射撃が行われ、各車、主砲から砲口炎をきらめかせている。
「デレック、後進全速! 急げ!」
ガコンとスライド・ドアーが開き、薬夾が砲身から掃き出され、硝煙の臭いが戦闘室に充満する中、操縦士・デレック伍長にすぐさま指令を出し、車体を後進させる。
こんもりと盛り上がった土砂の陰に隠れていた、チタニウム合金シート、アラミド繊維、ファインセラミックに守られた最新複合装甲の塊は、TGD―1500Cガスタービンエンジンをうならせ、無限軌道を逆進させて後退する。
リアクティブサスペンションが装備されているものの、不整地なため大幅に揺れる中、GPSを覗き込んで弾着確認をしていたグッドマンは、ドーンという爆音を聞き、噴きあがる火柱を視認した。
「命中だ! 1両撃破!」
「よし! 次弾装填! デレック、第2戦速前進! 小隊長車より第3小隊各車へ。散開しつつ、前進! 各個、目標を捕捉、射撃を続行せよ」
デレックへ指示を出しながら、ティファはヘッドセットに内蔵されているマイクを通して自分の小隊各車に命令を伝達し、ハッチをプロテクティブ・オープン・ポジション(頭部を保護しながら外部を視察できるよう、ハッチが上方へ少し持ち上がった状態)にして、外へと少し身を乗り出す。頬に冷たい夜風があたる中、車長用12.7ミリ掃射用対人機銃の真下に備え付けられている直視型ヴィジョンブロックを通して前方周囲を監視する。
「勝ったわね」
戦闘はまだ続いているにもかかわらず、冷静にそんな言葉を独りごつ。戦車戦は先制攻撃、一撃必中をした方が戦いを制する。よって、先制できた時点で勝負はついていたと言っても過分はなく、そうつぶやいてしまうのも不思議はない。
薄闇のむこうで炎を吹き上げて大破している、数台のTM―72の姿を厳しい眼差しで見つめながら、勝利を確信しつつもティファは心を引き締める。
機械と計算に支配された現代の殺し合いを、夜空の星々は静かに照らし出していた。
高校卒業後の進路はどうしよう――大学進学、あるいは就職、あるいは……。進路先に悩み始めたころ、それは起きた。大洋を隔てたカピナム国において勃発した軍事クーデターである。
これに対し、クーデターで建った共産軍事政権を打破し、敗走した民主政府を支持すべく、ティファの国・アムスタニア連邦国をはじめとする自由主義国家群による国際連合共同体連合軍は宣戦を布告。共産軍事政権軍と戦闘状態に突入した。
自由を守るため―それがユニオンの主張する宣戦布告の理由。報道や、ユニオン各国の国民の多くも自由を守るための戦いを支持した。
もちろんティファも。だから彼女は家族の反対を押し切ってアムスタニア陸軍士官学校へ進んだのである。自由を守る戦いのために。
特車科を卒業し少尉任官を受けたティファは海を渡り、前線の戦車部隊へ小隊長として配属された。以来この三年間、死と隣合わせの中、戦ってきた。気のいい上司や同僚、口は悪いが腕は確かな良き部下、そして今年に入ってV60戦車から車種転換配備された新たなる相棒――アムスタニア陸軍が誇る新型主力戦車V1A1ニクスロゥラーらのおかげで今日までどうにか生きのびてもこられたのだ。
しかし、戦局は一時膠着状態に陥っていた。だがそれも、新鋭ゆえに少数だったニクスロゥラーを、前線に大量に投入することによって動く兆しを見せていたのである。
ジョムジン高原において、ニクスロゥラーを主力とする機甲師団の働きにより、大勝利を納めたことがその発端だった。
すでに制空権も押さえつつあり、今年度中に共産軍事政権が降伏し、戦争は終結するであろうという楽観論が軍上層部でも言われ始めている。
しかし、首都への重要行軍路・レカホイエ平原を攻略中の第77機甲師団において、小隊長とニクスロゥラーの車長を弱冠24歳の身で務めるティファは、その楽観論を全く否定していないものの、警戒していた。
「やっぱりなんか臭いのよね。やつらの動きを見てると、懐刀をまだ隠してそうで。素直に喜べないなぁ」
補給陣駐車場に整然と駐車されている新型主力戦車ニクスロゥラー群の中、『31』というナンバーと、車名及び勝利(Victory)にかけた『V』の文字がダークグレーの装甲に白地でペイントされたニクスロゥラー。数10ミリの厚さを誇る独特な平面装甲砲塔の上に、整備用の白いつなぎ姿で腰掛けているティファは浮かない表情でつぶやいた。
「相変わらず隊長は慎重ですねえ。ま、そこがいいところなんでしょうが」
ティファの言葉に対し、開け放たれたハッチの中・戦闘室からグッドマンの応えが返ってくる。
「難しいことは下っ端の自分にはわかりませんがね。ただ、引っかかるものを感じているのは同感です。はい、ファイル」
「やっぱりね。上は全く無警戒みたいだけど、ほんとに大丈夫なのかしら」
ハッチの中から手だけが出され、差し出されたMOディスクを受け取る。
「うだうだ考えてても仕方ないか。あ、ねえグッドマン、中隊長のところに行って来るから、整備兵がきたら履帯 の交換、始めてていいから」
「はい、了解」
グッドマンの返事に見送られながら、ティファは31号車の砲塔から飛び降り、中隊長控え室のあるプレハブ舎群の方へと小走りに駆けだした。
その途中、第3戦車中隊のニクスロゥラーが駐車する駐車場の『21』のナンバーがふられたニクスロゥラーのそばを通り過ぎようとしたとき、向こうから戦車兵戦闘服に身をつつんだ一団が歩いてくることに気づいた。
そして、その一団の先頭を歩いていたティファと同年代の青年はどこか沈んだ面持ちをしていたが、ティファの姿を見つけると表情を崩し、他の隊員にことわってティファの方へと歩み寄ってくる。リック=ジーン中尉だ。第3戦車中隊第2小隊小隊長を務める彼はティファと同期にここに配属された士官で、そのせいか深い仲ではないもののティファによく声をかけてくる気さくな青年だった。
「リック。どうしたの? 出撃なの?」
「ああ。ウチの中隊の中から俺の小隊と第3小隊だけに緊急出撃命令が下ったんだ。斥候も兼ねてな。おかしな話さ、だいたい2個小隊でなにができるってんだか」
心配げに聞くと、リックはやってられないといった風に苦笑しながら首を横に振った。
「ま、命令だから行くけどな。気分重いよ」
「仕方ないわよ。……そうだ、あんまりにも可哀想だから、今度の休暇のときデートしてあげようか?」
「ほんとか? いつもやんわりと断られているリック君としては、そうしてくれると妙なヤル気が出てくるな」
なんだかよくわからないことを言っているリックがおかしくてプッと吹き出すと、彼も白い歯を見せて微笑んだ。
「おっと、時間だ。それじゃ、デートの約束、忘れんなよ」
と、腕時計を見たリックはきびすを返すと軽く手を振り、軽口を叩きながら自分のナンバー21ニクスロゥラーの方へと駆けていった。
ティファも手を振りながら、彼の背中を見送る。それがリックを見た最後の時になるとも知らずに。
そう、リック=ジーン中尉は、無事再び自陣へと帰ってくることはなかったのである。
「納得のいく説明をして下さい!」
よく通るティファのソプラノヴォイスがプレハブ舎の一角にある師団長室に響きわたる。同時に、思いきりスチール製の机を両手で叩きながら、ティファは眼前でのほほんと椅子に座っている師団長を睨みつけた。
が、当の師団長は呑気にゴルフクラブを磨き続けているだけだ。
「偵察行動など名ばかりではないですか! どうしてジーン・クワッツェル両小隊を敵精鋭部隊のいるクルスク平原まで進攻させたんですか! 制空権を掌握しつつあるとはいえ、あそこに対戦車ヘリが3機常駐していることは明白な事実だったはずです! それなのに、たった2小隊を向かわせるなど、いったいどのような了見からの命令か! お聞かせ願いたい!」
声を張り上げて詰め寄る。机の上に身を乗り出し、さらに師団長を威嚇するよう、より厳しく睨みつけると、そこで彼はようやくおもむろに口を開いた。
「――ペールメール中尉。君は確か、先のレカホイエ平原の戦闘で、4両のTM―72を完全撃破、3両の同戦車を中・大破させているね。大変な戦果だ。実に素晴らしい。これに対し上層部は、戦時ならではの特進を予定しておるのだよ」
唇の端をやや醜く歪めながら、師団長はティファをねめつけるように見上げた。そこでティファは、狡猾な上官が何を言わんとしているかピンと悟った。
「君のような人材には佐官の地位と、中隊長のイスが似合っていると思うがね。くだらないことで君や、君の部下の今後の動向が色々な意味で左右されるのは得策ではないと思うのだが。君はどう思うかね?」
案の定だ。昇進のことをちらつかせているが、実際はこの件に深入りしたら己の立場はおろか、部下の生死も保障しないということ暗に含めているのである。それに対し、ティファは今にも爆発しそうになる怒りを懸命に堪えながら、務めて冷静な声を絞り出した。
「――それは、私に対する『恫喝』と受け取ってよろしいのでしょうか」
「恫喝? とんでもない。優秀な部下に対する忠告だよ。私は君には出世して欲しいんだよ。ゆくゆくは大隊長になってウチの師団を盛り立ててもらいたいと思ってるんだからね」
言ってから再びニヤリと薄い笑みを浮かべる師団長。それがティファの忍耐力を限界までに抑圧した。
「師団長のお心、いたみいりました。肝に銘じます。それでは、私は所用がありますのでこれで」
それだけ言うのが精一杯だった。皮肉混じりの語調でそう言ってのけると、ティファは理性の糸が音を立ててちぎれる前にどうにか一礼して師団長室を退出していった。無論、肩は怒り、歩調は荒々しかったが。
そんな彼女の背中を見送った師団長は鼻で笑い、ティファに対する嫌悪をあからさまに表しながら、机の上の電話を手に取った。
「――あ、私ですが。選考中だった作戦中隊、決まりましたよ。――ええ、そうです。生きのいいのがいますんで、必ずや役立ってくれますでしょう」
「あ、ペールメール中尉。調子が悪いとおっしゃってた小隊無線、交換しておき――」
プレハブから出ると顔なじみの整備兵が声をかけてきたが、ティファは答える余裕なくすれ違った。それほど彼女は頭に血が上っていたのだ。
リック=ジーン中尉・ミグ=クワッツェル少尉両名の小隊による先の出撃は全滅に終わった。偵察などではなく、意味のない無謀な戦闘行動で。後で知った話だが、当初は通常の偵察任務だったが、その最中にある佐官の肝入りで例のクルス句平原までの進攻任務が加えられ、今回の結果に陥ってしまったのである。
ある佐官が誰なのか? それはわからなかったが、ティファには当該佐官の指令が何を意味しているのか見当はついていた。
それは、彼女が信じているアムスタニア陸軍上層部の暗部に迫る問題だった。いわゆる、地位・権力闘争である。すでに戦争は終結に向かっており、軍内部の今後の争点は戦後のにおける内部機構の改革である。誰が出世して、誰が降格するのか? 特に上層部の人間たちはここぞとばかりに己の保身へと奔走しているはずだ。ジーン・クワッツェル両小隊への命令変更も、ある佐官自身の個人的な理由に違いなかった。
ジョムジン高原の大勝利以降、ユニオン側に戦いの趨勢が移った段階から徐々にそういった内部の黒い噂は耳に入るようになっていた。
しかし、ティファは信じたかったのだ。それはあくまで噂であって、真実は別の所にあるということを。が、その思いは脆くも打ち砕かれた。自分が理想論を唱えていることはわかっている。だが、自由と正義のためにたくさんの兵士が生命を削って戦っているというのに、名誉欲や己の保身に走っている輩が存在していることなど、ティファには我慢できなかったのだ。
すれ違う兵士、整備兵たちが彼女の尋常でない様子に不審がるのを無視し、駐屯地を足早に歩いてV1A1の駐車場へと向かうティファ。やがて、自身の乗車車両である31号車の前にたどり着くと、彼女は怒りを込めた鉄拳を、平面で構成された砲塔を覆う65ミリ特殊装甲へと叩きつけた。痛みが拳を支配するのを無視して。
「――私たちは……私たちは……お前らのために戦っているわけじゃない……!」
それは彼女の魂の叫びだった。
夜。駐屯地の一角に設けられた士官・兵士共用のプレハブ娯楽施設。バーのようなカウンターとビリヤード台、誰が持ち込んだのか時代遅れのジュークボックスが置かれており、次の出撃を待つ身の多くの士官たちが己を癒すためにたむろしていた。
彼らは本気で心の底から騒ぐときは騒ぐ。明日に任務があろうがなんだろうがとことん騒いで、正体を失うまで盛り上がって酒を飲む。なぜか? それは戦場では常に『死』というものが隣り合わせだからだ。今日、元気に隣で話していた兵士が、明日は棺桶に入って本国へと送り返されると言う話はよくあることである。
だから彼らは騒ぐのだ。いつ死んでもいいように、そして迫り来る死という恐怖を紛らわすために。
自分がそうでありながらも、基本的にティファは兵隊というものがあまり好きではなかった。どうも無骨なイメージが拭いきれずにいたからであるが、目の前で馬鹿騒ぎをしている彼らを見ていると、権謀術数にのみ力を注ぎ、自身は危険な前線からは遠くの場所でのんびりと戦況を傍観している上層部の将・佐官たちに比べればよほど人間味があると思えるのだ。
不快さよりもどこか好感を感じさせる眼差しを同僚たちに向け、ほんのりと頬を紅潮させながら、ティファはグラスを傾けた。そこへやってくる彼女の部下、デレック・グッドマン両伍長。2人は各々にワインの瓶を片手に、ティファが1人座っていたテーブルへと付いた。
「隊長、1人でできあがってますね。何かあったんですか?」
ラッパでワインをあおっているグッドマンを尻目に、デレックは少し心配そうに尋ねる。
「馬鹿な親分をもった子分はなんて可愛そうなんだろうって自分を慰めてるの」
「『馬鹿な親分』ね。それじゃ、師団長とやりあったって噂は本当だったんですか」
「ええ、そうよ。あの外道、絶対、許さないんだから」
呂律は回っているが、語調がやや怪しくなってきているティファに苦笑するデレック。しかし、一気にワインをあおったグッドマンは、誇らしげに瓶をかかげた。
「隊長万歳! くたばれ師団長!」
「いいぞグッドマン! もっと言っちゃえ!」
妙なノリで盛り上がっている2人の調子にどこか続けて乗り切れないデレックは、施設内に入ってきた第2大隊長の姿を1人冷静に確認していた。
「隊長、あれ、大隊長が」
デレックに言われ、ティファが施設の入り口を見ると、2つ上の上司・マイル大隊長が戦闘服姿で入ってくるところだった。途端、施設内にいた戦車隊の所属隊員たちは立ち上がり、マイルへと向き直って敬礼する。むろんティファたちも起立し、マイルへと敬礼を送った。
「くつろいでいるところすまん。みんな、出撃命令が降りた。明日 、20時、第1、第2、第4、第5戦車中隊は、第2、第3ヘリボーン小隊、空軍とともにクルスク平原へ出撃する。各自、コンディションを整えておいてくれ」
戦車隊の面々を見回すようにそう言うと、マイルは慰労の意味を込めた敬礼を皆に返し、退出していった。直後、戦車隊の隊員たちが次々にざわめき立つ。久しぶりの大規模戦闘なのだからいたしかたないことだった。それはつまり、不安の裏返しでもあるのだ。
そんなときだった。第1戦車中隊の古参砲手がグラスを掲げたのは。
「――死にゆく者たちのために」
彼は無骨な声で一言、そう言った。そして、少し間は空いたものの、彼が何を言わんとしているか悟った隊員たちは、次々に彼にならってグラスを掲げた。もちろんティファも。
死にゆく者たちのために――そう言いながら。死にゆく者たち。それは敵、そして自分たちのことであり、酌み交わされる酒は明日に死にゆく敵味方へのたむけであったのだから……。
翌20時。アムスタニア陸軍駐屯地、戦車駐車場。照明に照らされた31号車の前、ティファは横一列に並んだ第3小隊全11名を前にし、ヘッドセットと戦闘服で武装した彼らを見回した。
「本日の作戦にとって、我々第3小隊を含む第2中隊の働きは戦局の趨勢に関与する重要なものである。全員、心してかかれ。それから、こんなくだらない戦争で生命を落とすなんて馬鹿げたことをする奴は、私が判事を務める私的軍法会議にかけてやるからな」
真面目な顔でそう言うと、緊張の面持ちだった小隊全員の顔から笑みがこぼれた。
「死んでまで私に怒鳴られたくなかったら、全員生還しろ。これは命令だ。わかったな!」
『はい、隊長!』
「よし、全員乗車。出撃する」
小隊隊員たちの敬礼に答礼し、ティファは乗車命令を出した。
各々のV1A1ニクスロゥラーに散っていく第3小隊の面々の背中を見送りながら、ティファも己の31号車へと振り返る。
(今日が、最後の出撃になるかもしれないわね)
胸の内でつぶやいたティファの言葉。それは真実をついていたのである。
『右前部に直撃! 履帯大破、行動不能! ねっ、狙われていますっ! 隊長、たっ、助』
「32号車応答しろ! 32号車! ゼダ曹長応答しろ!」
小隊無線で必死に呼びかけるが、ゼダ曹長の32号車からの応答はない。ヘッドセットのスピーカーからは、ザーという雑音だけが聞こえてくるばかりだ。
「なんてこと! ゼダまでやられるなんて!」
戦闘室・車長シートの上で悔しさに歯軋りしながら、ティファは内壁の無線用インターフェイスユニットを殴りつけた。
対戦車ミサイル・ザガーの餌食になった34号車に続いて、小隊補佐を務めるゼダ曹長の32号車も敵新型戦車・TM―80の主砲弾の的になってしまった。もはや第3小隊、そして……第2戦車中隊の瓦解は避けられない事態だった。
首都ミニムへの最重要行軍路であるクルスク平原へと予定通り20時に出撃した第2中隊は、作戦通り1個中隊でイラジオ山脈寄り、つまりクルスク平原の端を進攻していた。側面より敵陣を突破し、後方へ回り込んで敵を攪乱する――それが今回の作戦のポイントだったのだ。
そのために第1、第3、第4戦車中隊――つまり他の第2大隊車両がすべて反対方面の平原へと展開し、囮になって敵を引きつけ、その間隙をぬって第2中隊は敵の後方へ進撃するはずだった。
そう――進撃するはずだったのだ。
だが、実際はどうだ。予想もしえない敵大部隊の待ち伏せにあい、中隊は壊滅的な大打撃を被ってしまったではないか。いかなアムスタニア陸軍が誇る世界最強の最新鋭戦車・V1A1ニクスロゥラーで構成された戦車中隊といえども、どうすることもできない。
すでに、第2、第4小隊が全滅し、第3小隊も残すはティファの31号車と33号車だけになってしまった。もはや全滅は時間の問題と言えよう。
「隊長! 3時方向に新手のTM―80・2両発見! 距離1500!」
専用の全地球測位システムを監視していた砲手・グッドマン伍長が悲鳴のような声で叫ぶ。次の瞬間、風を切り裂く音がしたかと思うと、大地をとどろかす爆発が至近で起こった。成形炸薬弾である。
「APFSDS(翼安定装弾筒式徹甲弾)・装填! 目標、3時方向・前を走るTM―80! 第1戦速に減速、進路202、急げ!」
仲間たちの死を悼む暇はない。至近弾の強烈な爆発が複合装甲製 の60トン近い車体を激しく揺さぶるなか、必死に身体を支えつつ、ティファは反撃のための命令をグッドマンとデレックへ叫んだ。
回避運動のために全速で走っていた車速が、行進間射撃のため急激に減速される。緊張の時間だ。速度を緩めれば敵から狙い撃ちにされやすくなり、被弾率は確実に上がる。
しかし、こちらの主砲弾の命中率を上げるためにはいたしかたなかった。
「装填及びデータ入力終了! 射撃用意よし!」
「撃てぃ!」
瞬間、針のような弾体を持ったAPFSDSが獲物を求めて円筒形の檻から飛び出した。硬く頑強な戦車装甲を撃ち破るためだけに存在する徹甲弾の中でも、最強の装甲貫徹能力を持つAPFSDSが純粋にその威力を発揮し、1キロ半先の標的を破壊する!
「命中! 撃破!」
砲腔内から排夾された薬夾が、戦闘室内に硝煙の臭いをたちこませる中、目標から立ち上る炎を確認したグッドマンが報告をする。
しかし、その声に精彩の色は無い。それもそうだろう。たかが1両撃破しただけなのだ。圧倒的に不利な状況はまったく好転していない。『全滅』という2文字は、いまだ鮮明に存在しているのだ。
「次! 後方TM―80! 次弾装填!」
他の敵戦車からの砲撃が次々と至近に着弾し、さらに車体の揺れが激しくなる中、次なる目標へ照準を合わせる。生きのびるために。
「中隊長、応答してください! こちら、第3小隊ペールメール中尉。ジゼル中隊長、応答してください!」
大量に投射されたチャフ(アルミ箔片。電波を乱反射させる)と敵の強力な電波妨害のため最悪の通信状態の中、何度も中隊長車に呼びかけるが、返ってくるのは雑音だけだ。
「畜生だめだわ、交信できない!」
最悪の状態だ。遥か前方を走る中隊長車――第1小隊と連絡がとれなくなってしまった。これだけ不利で危険な状況下、このまま撤退しなければ全滅は免れない。そう、もはや撤退しかないのだ。
だが、戦闘指揮を下す中隊長車と連絡がとれない。そうなると小隊長として、自分の小隊にだけは撤退命令をだすことができる。
しかし、まだ奮戦しているかもしれない第1小隊を見捨てて撤退できるだろうか。
(どうするティファ、どうする!)
士官として、小隊長として、もっとも判断力を要求される場面だ。
苦渋の選択。どちらを選んでも地獄となる。
だが、選択しなければならない。胸が締め付けられるような苦しみの中、ティファは断腸の思いで決断を下そうとした。――その時だった。
「たっ隊長! ロックオンされました!」
グッドマンの悲痛な叫び。それは破滅への序曲だった。
次の瞬間、ニクスロゥラーを激しい衝撃が襲った。
左前部・操縦席付近へのAPFSDSの直撃弾だ。それは、車内を絶望の空間へとたたき落とした。
一瞬のできごとに悲鳴もあげられなかった。激しい衝撃のため、車長用アイピースに頭を打ちつけたティファは、脳震盪により薄らぐ意識を懸命に保とうとする。
と、なにか生暖かいものが額を伝って鼻筋に流れてきた。それが、苦痛に歪められた唇に触れる。鉄分のような味――血だ。頭のどこかを切ったらしい。しかし、ヘッドセットを着けていなければまず即死だった。そう思えば多少痛みが和らぐような気がした。
「……グ、グッドマン、デレック……無事か」
衝撃の影響でうまく声がでない。計器類のほとんどが死に自動消化装置によって消されたものの、一瞬発生した火災の煙が立ちこめる戦闘室を、ゆっくり見回すようにして部下の安否を確かめる。
デレックの姿はなかった。操縦室にあるのはひしやげた装甲に押し潰された肉塊だった。直撃を受けたのは操縦室付近――無理もない。
一方、グッドマンは砲手席の上で気を失っていた。右手を吹き飛ばされた状態で。
「まずい……狙い撃ち……される……。降車……しないと」
走行不能、戦闘不能になったら戦車はただの鉄の箱だ。確実にとどめを刺しに来る敵に狙い撃ちにされる。ティファは、ショック状態で自由にならない身体を必死に動かすと、瀕死のグッドマンに応急処置を施し、抱きかかえてハッチを開けた。
周囲に敵歩兵の存在がないことを朦朧とする意識の中確かめると、ハッチから車外に出、続けてグッドマンを引きずり出す。
その後、ニクスロゥラーが2発のAPFSDSの直撃弾を喰らい、大爆発を引き起こしたのは、残りの力すべてを振り絞り車体から丁度20メートル離れた時だった。
もはやただの鉄くずと化し爆炎を立ち上らせている、苦楽を共にしてきたニクスロゥラー31号車。テイファは一種の放心状態になって大地にへたりこみ、その光景をうつろな眼差しで見つめていた。
そんな状態のところへ、さらに追い打ちをかけるようなことが。進行先の北の空で、太陽の光よりも眩しい、目もくらむばかりの閃光が迸ったのだ。
「な……。まさか……」
とっさに視線を逸らし、大地に倒れ込む。次の瞬間、大地が鳴動し激しく揺れた。
「キノコ雲……戦術熱核反応弾……」
閃光が収まるのを見計らって再び北の空を見ると、そこには巨大なキノコ型の雲が天へと立ち上っていた。核融合反応を利用した最強の戦術兵器にして悪魔の業――熱核反応弾を使用したのだ。
あの方向には第1小隊と敵の大部隊が展開いている。だが、これでどちらも全滅してしまっただろう。
「なんてことを……。どうして……どうして、こんなことに……」
熱核反応弾を使用したのはユニオン側・アムスタニア陸軍だ。カピナム共産軍が戦術反応兵器を持っていることは水面下で知られていたが、よほどの馬鹿でなければ国際世論の手前、まず使ったりはしない。
では何故ユニオンは使ったのか? それは理解できなかった。
しかし、分かったことがある。それは、他の中隊が囮だったのではなく、ティファたち第二中隊が本当の囮だったということ。第二中隊を本命と見せかけ、新型のTM―80戦車を含む敵大部隊を引きつけ、その隙に他の中隊が進行する――それが今回の本当の作戦だったのだ。
そして、第2中隊という囮に引っかかった敵大部隊を一瞬にして壊滅させるために、何らかの理由(後で分かったことだが、ユニオンは反応弾使用の公式見解として、カピナム共産軍が反応弾を使用するシークエンスに入っているのを察知し、自衛のために先制したと発表している。また、第2中隊をも巻き込んだことはやもうえない事態として、遺憾の意を表明している)をつけて熱核反応弾を使用。また、敵に察知されず、ぎりぎりまで射程に引き込むために餌となってもらう第2中隊にこの件が教えられるわけはない。
――つまり、第2中隊は捨て石に使われたのだ。憶測だが、ほぼ間違いはないだろう。でなければ、これだけの大部隊がこちら側に来るわけもなく、その歴史と国際世論の手前、あれだけ先制攻撃を控えられていた熱核反応弾などが使用されるはずはない。すべては仕組まれたことなのだ。……これはもはや作戦などではない。犯罪だった。
とうとうユニオンの、アムスタニア陸軍の闇部がティファの身に降りかかった。
効率的な作戦のためならば自軍ですら捨て駒にする、死の軍隊。裏切られ、すべてが崩れ、彼女の中に残ったのは激しい怒りだけだった。信じていたものに裏切られた時の怒りほど強いものはない。
「絶対に……絶対に許さない。必ず……裁きを下してやる。犠牲になった……第2中隊のみんなに誓って!」
出血のため、しだいに薄らいでいく意識の中、ティファはかたく心に刻み込んだ。
今日という日を。
ユニオンは負けなかった―正義なき戦いに。
――カピナム共産軍が全面降伏したのは、それから19日後のことである。
了