現実逃避とかくれんぼと職務質問
「エッ!? ………ここ……どこ………?」
半ば林に飲み込まれた廃墟の庭で、ボロボロのドレスローブを纏う魔女が慌てふためく。
ヨレヨレのとんがり帽子の下から除く貌は、墨で黒く塗りつぶして目の部分に黄色のLEDを取り付けた様な貌であった。
そんな不気味な貌をしたモノが、挙動不審にキョロキョロと辺りを見渡している。
これが夕方や夜ならば恐ろしかっただろう。だが今は太陽が真上付近に浮かんでおり、まだまだ明るかった。
「昼ステージ? いやいや、流石にないか……バグって裏世界とか??」
そう言いながらしきりに辺りを見渡す。だが彼は余りの混乱に気づいていない、声が鈴を鳴らす様な可憐な声に変わっている事に。
そして性別さえ変えられ、ゲームの中の怪人になって異世界に立っているという事に。
「えっと……強制終了しとくか………。 あれっ? コントローラーなくね?」
声には気づいていないが体の変化には気づいたようだ。
そう、彼はアバターで転移したのでコントローラーどころかヘッドギアさえ着いていない。
「あれっ!? 立ってない? ぼ、ボク座ってたよね?」
己の姿勢に気づいたソレは、まるで見えない椅子を探す様にワタワタとドレスローブの袖を振り回し歩き回る。
その姿はさながら正気度をガリガリと削る暗黒盆踊りであった。
「椅子がねえ!! てかボクの部屋こんなに何も無いとか有り得ねえ!」
小一時間踊った彼は地面に崩れ落ち、四つん這いで慟哭する。
そして「これは夢だ」や「ゲームのバグに違いない」という事をブツブツと繰り返しはじめた。
そして数時間後、仰向けに寝転がり茜色に染まる空を見ながら、ソレは絶望した掠れた声で呟いた。
「ダメだ~。どー考えても異世界転移だ~……」
幾分か光量が落ちて暗くなった黄色の目から、キラキラとした物がこぼれ落ちる。
今まで無視を決め込んでいた己の声、そして黒い素肌に感じる爽やかに吹き抜ける風、さらに踏み潰した雑草の青臭い匂い。それらが現実であると彼に切実に訴えていた。
おもむろに彼は天に両腕を突き出し、今まではバイザー越しに見ていた腕をしげしげと眺める。
「本物に……なっちゃったんだな。 "レディ・グラトニー"に」
そう呟くと、ボロボロのドレスローブがみるみるうちに綺麗な生地に再生していき、ゴシック調のドレスローブに包まれた白磁のような肌の手が現れた。
よっ、と言いながら起き上がり、スカートから生えた足と正中線の牙が編み上げリボンへと変化している事を確認する。
ぺたぺたと両の手で身体を触り、股間のナニかの消失と胸のボリュームに驚きつつ、顔も手で触ってみた。
触った感じは普通の顔であり、ちゃんと"擬態"できている事が感覚的に分かった。
「これがリアルのアシュリー・K・S・グラットンちゃんですか」
そう呟きながら"彼女"は再び胸の確認を行う。たぽたぽと下から揺すり、その重さに項垂れた。
「女の子になったら揉みまくって、エロい気分になれると思ったんだがなぁ……。実際になってみると揉んでも特に何も思わないや、それに結構重くてつらみが深い」
そう呟くと己の胸部から手を下ろし、再び空を見上げて黄昏れる。
空は既に暗くなり、3つの月が浮かんでいるのを発見した。やはりゲームでは無い事を改めて認識し、これからの事に思考を巡らせる。
(ゲームの怪人で異世界転移か……。未開の森やモンスター溢れるダンジョンの中じゃなくて良かった……のか?)
つらつらと考えても仕方の無い事をぼーっと宇宙を眺めながら思考するその姿は、傍目から見れば廃墟での幻想的な鬱くしい姿であり、実際はただの気の違ったおかしな令嬢にしか見えなかった。
しばらくそうしていると、林の隙間でぼんやりとした灯りが揺れ動いている事に気づく。
その灯りは次第に強くなり、こちらに近づいているようであった。
慌てて背の高い雑草の中に身を潜める怪人。本来の怪人の姿になれば、闇に溶け込むなり己の能力で上手く回避できていた。
だが彼女は転移での混乱が治まっておらず、そして何ができるかの確認の時間も現実逃避で浪費されている。
そうして、茂みにしゃがみ込むというどうぞ見つけてくださいと言わんばかり状態で、灯りの方から声が投げかけられた。
「だれかいるか~? お~い!」
彼女は雑草の隙間から灯りの主を覗き見て、その姿に恐怖と安堵、そして興奮を感じた。
灯りの主は若い男であり、ファンタジー物語に出てきそうな革鎧を纏い、灯りの漏れる盾と短槍を持っているのを確認した。
盾の灯りをチラチラと反射するその武器を恐れ、もしかすると保護してもらえると考える人の心。そして、この程度の装備では傷つかないと知っている怪人の身体。
さっそく訪れた次なる運命への選択である。
「あの! すみません!」
彼女は茂みから立ち上がりながら、冒険者風の男へ返事をした。
「誰だ、何故隠れていた!」
男は慌てて短槍を構え、何時でも攻撃できるようにする。雑草の茂みが掻き分けられているので、動物か既に人が立ち去った後と思っていたため、返事が帰ってくるとは思っていなかったのである。
「み……道に迷ってしまって」
もし攻撃されたら、という思いから声だけが震える。胸下で祈るように両手を握り、図らずもその豊満な胸部装甲を強調する。
それは男の本能へとクリティカルヒットし、男の警戒を緩める事へと繋がった。
「おぉ……。そ、そうか! キミは何処のお嬢様なんだ?」
男は彼女の一部分をチラチラと見ながら、その服装から連想される事を質問する。
だが彼女の中身は日本にいるただの一般人である。それをこの服装で正直に言うと怪しすぎるため、この体のキャラクター情報に書いていた設定で答えた。
「ボクは、フランザード王国グラットン公爵が三女、アシュリー・K・S・グラットンと申します」
朧気に覚えていた文章だが、思い出そうとするとすぐに思い出せ、噛むこともなくスラスラと言えることに驚く。
彼女は廃人プレイヤーでも«レディ・グラトニー»大好き人間でもなく、ただのチェイサー専であり、見た目(擬態姿)の可愛さで選んでいただけであった。
キャラクター情報も能力強化画面の一部、そこに書かれていたのをチラっと見ただけの始末である。
だが受肉した体がしっかりと、電気信号の世界で語らていた己の過去を覚えていた。
「他国の公爵令嬢!? えっと、そのような高貴なお嬢様がなぜこんな場所に?」
男は彼女の服から判断し、裕福な貴族か商家のお嬢様としか思っておらず、予想外の爵位に驚きつつも疑問に思ったことを聞く。
「ええっと、戦火から逃れる為に古代魔法遺物で転移したら、この場所に……」
彼女は己のファンタジー知識を総動員させ、適当な事を男に騙った。
「なる……ほど、……わかりました。街で詳しい話をお聞きさせていただきます」
それを聞いた男は自分の手に余る事だと悟り、街に連れていき上の人間に丸投げする事に決め込んだ。
たかが50シルバーの見回りで、貴族のゴタゴタに関わりたくないという気持ちでいっぱいであり、出来ることなら夕方に戻って見回り依頼を取りやめたかった。
「はい、わかりました」
そうして彼女は、無事に街へと案内される事が決まった。
かくして運命の選択はなされた。
人としての選択をし、人に紛れた怪物の次なる選択に期待しよう。