4-10 『大上大志の受難』
「送ってくれてありがとな! 今日のことは絶対忘れないから」
「さっさと忘れなさいよーっ!」
キチョウはそう言いつつ、第四星区へと飛んでいった。
手を振って見送る大志に、痛い視線が突き刺さる。見ればそこには、理恩、ルミセンがいた。
「どうした?」
「妙に親しそうだったけど」
理恩は頬を膨らませ、拗ねた子どものように腕を組む。
もちろん親しかったこともあるだろうが、それよりも、理恩にないものをキチョウがもっていたことに怒っているようにも見える。
「あれは六星院の一角だ。サキュバスのキチョウ。理恩が怒るような関係じゃない」
「そっ、それなら、いいけど……」
理恩は自分の胸に触れ、その膨らみのなさに落胆する。
そしてルミセンはというと、大人の姿になり、胸を寄せていた。
「タイシ様! ルミもおっきいの!」
「わかってるから、胸を寄せるな。目のやり場に困る」
「タイシ様になら、どこを見られてもいいの。だから、ルミを見て!」
頬を染めるルミセンの前に、腕を広げた理恩が立ちふさがる。
理恩をよけて大志に触れようとするけれど、ルミセンが動けば理恩も動き、ルミセンは大志に触れることすらできない。
「大志は、私が好きなんだよ。だから、誘惑しないで」
「誘惑に恐れるなんて、自分に魅力がないからなの。まあ、そんな貧相な胸じゃ魅力のみの字もないの。大きさだけなら、ティーコにも負けるの」
いつにもまして挑発的なルミセンに、理恩は俯く。
視界を遮らない胸を確認すると、理恩の目を潤んだ。
「そんな、わけ……ティーコに、負ける……そんなわけ……ッ!」
理恩は空間の穴へと逃げてしまう。
そして邪魔者のいなくなったルミセンは、大志に身体を密着させた。
ふくよかな胸が押しつけられるけれど、キチョウに抱かれていた直後ということもあって、興奮することはなかった。こんなものだろ、程度の感想しか出てこない。
「たいしさまぁ……」
キスをせがんでくる唇を手でふさぎ、離れさせる。
能力で仕方なくキスをしたけれど、それ以外でするのは気が引ける。何より、理恩を悲しませてしまう。
「それよりも、どうしてあんなことを言ったんだ? 理恩は傷つきやすいから、なるべく優しくしてくれ。それと、理恩に魅力がないわけないだろ。理恩そのものが魅力だ」
「リオンは傷物なの?」
「さすがの俺でも、怒るぞ。言っていいことと悪いことくらい、わかるだろ?」
睨みつけると、ルミセンは静かになった。
「……ルミは、タイシ様にとって何なの? ルミを守って、タイシ様にどんな得があるの? ルミはタイシ様に、どんなお礼をすればいいの?」
「そんなことは考えるな。ルミセンはルミセンだ。でもそうだな……お礼ではないけど、いつかルミセンが本当に好きだと思える人を見つけられればいいな。俺みたいに、助けたとかそんな理由もなく、ただ好きだと思える人ができたら、ルミセンを助けてよかったって思えるだろうな」
大志の言葉に、ルミセンは口を開けるけれど、言葉が出てこない。
そしてルミセンは俯く。肩が震え、手に力が入っているのがわかった。
その震える肩へと伸ばした手は、叩かれてしまう。
驚いた大志など気にもせず、ルミセンは一歩下がった。手を胸の前で重ね、その手にきらりと輝く雫が落ちる。
「どうして……。どうして、ルミの気持ちが嘘っていうの……? ルミはタイシ様が好き。確かに助けられた。助けられて好きになった。でも、この気持ちは嘘なんかじゃないの! タイシ様の前にいると、胸がドキドキして、タイシ様に見てもらいたくて、ずっとそばにいてほしくて……。それでも、タイシ様は嘘だっていうの!? そんなにも、ルミが嫌いなの? ……ルミは!」
ルミセンは泣いていた。
顔も見せてくれずに、ルミセンは大志から逃げるように去っていく。
その後ろ姿を追うことは、できなかった。追ったところで、ルミセンを悲しませてしまうだけだ。ルミセンの涙を止める方法が、わからなかった。
「こっちはこっちで、何をやってるんだ」
厨房で、服を脱がされたティーコが、理恩に襲われていた。
それを止めようとするクシュアルだが、ティーコに目を向けられず、苦戦している。
「だぁっ、あ、めぇ……み、ないっ、でぇ……」
「なんなの、この胸は。どうして、私より……」
ティーコのわずかに膨らんだ胸を、背後から揉んでいる。
詩真ならやりそうだが、理恩がやっているところを見るのは、新鮮だ。
「あら、面白そうなことをやってるわ」
まるでタイミングを見計らったかのように現れた詩真も、加わる。
二人に攻められ、ティーコは抵抗することもできない。
胸を攻める理恩とは違い、詩真は身体中を撫で始めた。まるでマッサージをしているようにも見えるけれど、こんな状況で詩真がするとは思えない。
「んっ、ぁ、は、あぁっ……なっ、はぁっ、ぁ……な、にか……っはぁ、んっ!」
ティーコの身体が小さくはねるけれど、二人の手がそれで止まることはない。
それどころか、二人とも攻めかたを変える。
理恩の手は上下に擦るように動き、詩真は身体を舐めた。
「なんでみんな、胸が大きいの!」
「あああぁぁっ! だっ、だめ……だめだめっ……くっ、くるっ、きちゃうっ」
「いいわよ。そのまま、気持ちよくなるだけ」
ティーコの懇願もむなしく、大きく身体をはねさせた。
そして力なく倒れたティーコに、詩真が覆いかぶさる。どうやら詩真は、まだ満足できていないようだ。
「止めないと、取り返しのつかないことになるぞ」
恥ずかしがっていたクシュアルだが、大志に忠告され、詩真を突き飛ばした。
脱がされていた服で身体を隠し、守るように立ちふさがる。
「バーンッ!」
しかし詩真の能力に撃たれ、クシュアルは膝をつき、やがてうつぶせに倒れた。
そこまでしてティーコを襲いたい詩真だが、突如として現れた紐に拘束されてしまう。そしてあとから、海太がめんどくさそうに歩いてきた。
「ちょっとは落ち着くってんよ。ティーコが嫌がってるってん。理恩も、どうしてそんなことをしたってん?」
「ちょっと、大きさを確かめようと……」
我に返った理恩は、申し訳なさそうに目を伏せる。
いくらなんでもティーコがちょっと大きいだけで、取り乱しすぎだ。それに、ティーコが大きいのではなく、理恩が小さいだけである。
「小さいのが、そんなに嫌なのか?」
「嫌……じゃないけど、なんていうか、大きいほうが魅力的っていうか……」
「それなら、理恩は十分魅力的だぞ。俺が好きになるんだから、胸を張れ」
すると理恩は、少し黙った。
腕を組み、何かを考えるようなしぐさをする。
胸の大きさ程度で魅力が左右されるなんて、そんなの最初から魅力がないようなものだ。
「そういえば、伊織も小さかったよね……」
「そっ、それは関係ないだろっ!」
取り乱した大志に、ため息を吐く。
伊織たちのことは、できるだけ思い出さないようにしていた。だが、ふと思い出し、胸が苦しくなる。無力で何もできなかった自分が、情けない。
「……ところで、元の世界に帰る方法は、見つからないってんか?」
「まだ、まったくだ。……もしかしたら、このまま帰れないということもありえる」
すると海太は眉間にしわを寄せ、拳を握りしめる。
そして大きく振りあげると、そのまま大志を殴りつけた。
「嘘をつくなってんよ。心が丸見えだってん。大志には理恩がいて、理恩には大志がいる。大志たちには、あの世界に帰る目的がないのかもしれないってん。でも、俺にはある。二条さんはあの世界にしかいないってん。大志と違って、あの世界に帰る目的があるってんよ!」
「それでも、殴ることないでしょ!」
大志を支え、理恩は怒鳴った。
「大志が、隠すからだってんよ。何か手掛かりがあるのに、それを教えようとしない。それを、ずっと黙ってようとした。だから殴ったってんよ!」
「……言ったところで、意味がないからだ。俺たちにどうこうできる話じゃないんだ」
「たとえ意味がなかったとしても、言えってんよ。隠すほどのことなのか?」
そこまで言うならと、大志はすべてを話した。
大志が過去に行き、イズリを救ったこと。そしてその過去は、イパンスールたちの過去で実際にあったことだと。付け加えるように、ラエフがこの世界へと転移させたこと。その目的が隠されていること。
「ラエフ……って、この世界の神様だってんな?」
「そうだ。俺には、どうすることもできない。ラエフが返してくれないのなら、能力を探すしかない。きっと、そういった能力があるはずなんだ」
わずかな望みだけれど、海太のように帰りたい人がいる。大志たちと反対に転移した人も、早く帰りたいと願っているはずだ。
これは大志一人の問題ではない。大志一人で、決めていいことではなかった。
「ところでよー、そろそろ、解放してくれねーか?」
詩真の能力のせいで倒れているクシュアルは、重たい手をわずかにあげる。
元に戻すには、詩真にもう一度撃ってもらわなければいけないようだ。
「アイス―ン様は、どこなのらー?」
レズが、アイス―ンを探していた。
しかしアイス―ンは、トトと一緒に北へと行ってしまった。まさかレズに言っていないとは、そこまでレズのことを嫌っているのか、それとも忘れていたのか。
「北に行ったぞ。しばらくは女として生きるって言ってたから、探す必要もないな。……ところで、レズの着てるそれって、スク水だよな?」
「そうなのらー!」
「でも、第三星区って、学校ないよな?」
するとレズは不思議そうに首を傾げる。
学校という言葉を、レズは知らないようだ。なかったのだから、知っているはずもない。
「スク水のスクって、スクールじゃないのか?」
「なんで分けるのら―? これはスク水って名前なのらー」
学校とは関係なく、ただ単にスク水という名前のようだ。この世界では、スク水という名で売られているらしい。それが不思議に思うのも、ここが異世界だからなのだろう。
「そうなのか。……町の仕上がりは順調か?」
「知らないのら―。自分で見に行けばいいのらー!」
レズは無邪気に走っていった。
仕方なく町を歩いていると、イズリとレーメルに出会う。
レーメルは手伝いつつ、イズリはケガ人を治しているようだ。そのせいで、イズリの身体は傷ついている。あいかわらずの、自己犠牲だ。
「ガーゴイルが増えたけど、土地はまだ余裕があるよな?」
「はい。まだまだ余裕があります。余っている土地は、どうするのですか?」
森だった部分を吸収したため、余っている土地は多い。
しかし、その土地を使わずに放っておくなんてことはしない。
「ここには、田や畑をつくる。食料を第三星区でも作れるようにするんだ。水も、すぐにはできないが、ダムと浄水場をつくってる。あとは電気がつくれればいいんだが、その知識はなくてな。第一星区にあれば、教えてもらうんだが」
今までに電気を使っているような装置をいくつか見たので、電気という概念はある。しかし、それがどこでつくられているのかを知らなかった。
元の世界では、あるのが常識だったので、調べていなかった。
「田や畑、ですか?」
「育てかたや種は、第一星区が協力してくれるらしいから、心配しなくていい。それよりも、学校の建設を進めないとな」
学校やギルドなどの複合施設は、すでに完成が見えている。
一つだけでなく、各地に点々と建てているため、すべてを確認することはできないけれど、順調のようだ。魔物のためにも、これから生まれてくる子どものためにも、学校は必要だ。
「大志さんは、いろいろなことを知っていますね。汽車というものを、兄さんが自慢げに話していましたよ」
「知ってるだけじゃ、ダメだけどな。肝心のつくりかたはわからない。田や畑、ダムに浄水場は第一星区に頼っているし、汽車だっておおまかなつくりは説明したが、細かい調整まではわからない。中途半端に知ってるだけで、褒められるほど知ってるわけじゃないんだ」
「それでも、大志さんが教えてくれなければ、汽車なんて誰も考えなかったですよ。能力があれば移動は簡単ですけど、そういった能力のない人は移動に困っていました」
この世界は、大志たちのいた世界に比べれば、ずっと文明が劣っている。
もしもラエフの望みが、この世界を豊かにしろというのであれば、今の大志はラエフの思惑通りに動いていることになる。
しかしたとえ思惑通りだったとしても、大志はラエフのためにやっているわけではない。この世界に住む者のために、やっているのだ。
「そう言ってもらえると、なんだか照れるな」
「それで、第二星区はどうなったみゃん?」
めんどくさそうな顔をするレーメルだが、その声は耳を右から左へと通り抜ける。
大志の視界に、白い髪が映りこんだ。見間違えるはずもない。ルミセンが、そこにいた。
あの時は追えなかったけれど、今は自然と足が動いた。
「あ? どうしたみゃん?」
無視されたことが気に障ったのか、レーメルは大志を止めようとするが、それを避けてルミセンに手を伸ばす。
逃げようとするルミセンだが、いつの間にかイズリに強化されていた大志の足では、追いつくのは苦でもなかった。
「ルミセン、俺は……っ!」
「離して、タイシ様っ!」
やっと掴んだ手も、簡単に振り払われてしまう。
大志とルミセンの間にあったはずの繋がりは、それほどまでにもろく、か細いものになっていた。