4-7 『僕の救世主』
「すまなかったでござる」
夜の闇の中、声が聞こえた。
そして、泣き叫んでいたアイス―ンを捕らえていた男が、吹き飛ぶ。
「不甲斐ないばかりに、つらい思いをさせてしまったでござる。拙者が未熟ゆえの失態」
トトはペガサスの羽を動かし、アイス―ンの周りに何者も近づけさせない。
服を脱がされたアイス―ンから目線を逸らしたトトは、アイス―ンに手を差し伸べた。
その手を握ったアイス―ンに、トトの意思が伝わってくる。今までアイス―ンを襲っていた男のような、やましい考えなど微塵もない。裸体を前にしても、そこにあるのはアイス―ンを危険に晒してしまった自責の念と、アイス―ンを助けたいという思いだけだ。
「ぼっ、お、うっ……ぼっ、ぉ、くっ、は……」
「わかってるでござる。アイス―ンは男でござる。たとえ、誰がどう思おうと、拙者はアイス―ンが男だとわかっているでござる」
トトはアイス―ンを抱き寄せ、ペガサスに乗る。
そして空へと飛びあがり、頭上から三人組の男とゴブリンを見下ろした。
「拙者はヒーサディス・トト。貴様らのような下賤なやつらがはびこる第二星区へ、宣戦布告をする!」
飛び上がったペガサスは、ゴブリンへと急降下する。
逃げようとするゴブリンの首を掴み、そして再びペガサスは上昇した。
今までに感じられなかったトトの怒りが、顕著にあらわれる。温厚だったトトの、ゴブリンを憎む目、表情、思い、そのすべてを感じ、アイス―ンは再び涙を流した。
「貴様らに指示をしているのは、誰でござるか?」
「いっ、いうわけ、ない……」
「そうでござるか」
するとトトは、無情にも首を掴んでいた手を離した。
支えを失ったゴブリンは、地面へと落ちる。何かが潰れたような音がしたけれど、何があったかは夜の闇が覆い隠した。
「トト……」
弱々しく吐き出されたアイス―ンの言葉に、トトは優しく笑う。
その笑顔に鼓動が早くなってしまう自分がいた。胸の奥に微熱が宿り、身体が熱くなる。
トトはペガサスを降下させ、男たち三人組の前に立った。
トトが来てくれたおかげで穢されることはなかったけれど、男たちのしたことを許せるわけがない。
「第三星区へ帰らせることが、可能でござる。貴様らに指示を出した者は、どこにいるでござるか?」
「そっ、そんなこと、言えるわけがねえだろ!」
交換条件として出した要求も、即答で拒否されてしまう。
すると、男たちの胸を、太い棒のようなものが貫いた。そして男たちは息絶えた。
「……うぅっ」
倒れた男たちのうしろにはティーコが立っており、男たちを貫いた棒のようなものは、姿を消している。
「仕方ないでござる。同じ過ちをされては、困るでござる」
「そう……だね。仕方なかったんだ」
アイス―ンは、トトの腕の中で身体を丸めた。
大志だったら、別の解決方法を見つけたかもしれない。しかし、トトの考えを否定するわけではない。トトの出した答えも、間違いではない。
「どうするの? このままだと、見つかっちゃうの」
ルミセンがそう言うと、トトは周りを見回した。
山で囲まれており、どこかから見られているとは思えない。それに、暗さも相まって、たとえ見ていたとしても、何をしているかまではわからないだろう。
アイス―ンには、すぐに服を着てもらう。
「ひとまずこの場を離れ、こうなった元凶の本拠地へと行くでござる。今までこの現状を、仕方ないと目をつむってきたが、それも今日で終わりでござる。第二星区の闇を葬り去るでござるよ!」
町から少し離れた場所にある小屋。
そこから漏れる光は揺れ動き、何者かがいるのは疑う余地もない。
「やはり、タソドミーの指示でござるか」
クシュアルの能力で、タソドミーの居場所を探した。そしてたどり着いたのが、その小屋というわけだ。
トトを筆頭に、小屋の中へと転がり込む。
そこでは、働かされている人々が食事をしており、その監視としてタソドミーが座っていた。
「こんなところに、何の用じゃ?」
「貴様らのしていることに、愛想が尽きたでござる。人々を第三星区へと帰すでござる。さもなくば、拙者も容赦しないでござるよ」
するとタソドミーは、トトの前へと歩いていき、見上げた。
そして懐から出した紙を広げると、それを見せつけてくる。そこには『契約書』と書かれてあった。
「第三星区は人と引き換えに、鉄などの金属を手に入れる契約をしたのじゃ。それも、膨大な量のな。だから、そのために必要な鉱物を掘り出してもらわねば、困るのじゃ。すべては、第三星区のためなのじゃよ」
「第三星区は、なぜそんな契約をしたでござるか? それに、掘り出すだけなら、なぜ、あのようなことを……」
トトは、アイス―ンが襲われていたことを思い出し、顔をゆがめた。
取引に使われたわけでもないアイス―ンにまで手を出したゴブリンへの怒りが、またも沸々と煮えたぎる。しかし今は、話し合いの場。必死に怒りを堪え、タソドミーを睨んだ。
「……はて、何のことかのぉ。労働力がいなくならないように工夫するのは、良いことではないのかのぉ? 第一星区も、食料になる家畜には、同じことをするじゃろ? それと同じじゃ」
「人と家畜を一緒にするなでござるッ!!」
振り下ろした拳は、タソドミーに届く前に、止められてしまう。食事をとっていた人によって掴まれ、トトは後方へと投げられた。
驚くトトに、タソドミーは笑って近づく。
「すでに家畜は調教済みじゃ。家畜どもは、自由になれば食事すらまともにできなくなる。そう教えているから、逃げようともしないのじゃ」
「どこまでも卑劣なやつでござる……」
「ここにいる家畜には、自我など存在しない。必要最低限の精だけ残し、あとは空になるまで搾りだしたのじゃ。思い出はおろか、自分の名すらわからないのだ。そんなモノを、人と呼ぶのか?」
トトの拳に力がこもる。
その拳を、アイス―ンの温かな手が包んだ。
怒りにとらわれそうになっていたトトは、おかげで正気に戻る。
「なんとしても、取り返すでござる……」
「協力者を紹介したほうがいいみたいじゃな。その隣の女なら、よく知ってる相手じゃ」
タソドミーは、アイス―ンへと目を向けた。
アイス―ンが眉を曇らせると、食事をとっていた人々の中から、一人が立ち上がり、トトとアイス―ンの前に立つ。タソドミーの言った通り、その人物はアイス―ンのよく知る人物だった。
「……れ、ず……レズ、なのか?」
「そうなのらー!」
レズは満面の笑みで、答えた。
見かけないと思っていたが、まさかこんなところにいただなんて、思いもしなかった。
「何をしているんだ? ……ま、まさか、精を出したって……」
「そうなのらー! アイス―ン様のために女の精を手に入れてるのらー」
たしかに、不思議には思っていた。
アイス―ンの身に何かあると、その度にレズは、アイス―ンから精を取り出し、別人の精を入れていた。そのせいで、男から女になってしまったのだが、果たしてその別人の精はどこで手に入れていたのか。聞くに聞けなかったことが、ここでわかってしまった。それも、最悪な事実だ。
「な、なら……ここにいる女の記憶や思い出が、今の僕を、僕でいさせてくれている……のか?」
「動揺してはダメでござる。相手の思う壺でござる」
トトはアイス―ンの前に立ち、レズを隠す。
しかしそれでも、アイス―ンの震えが止まることはなかった。頭を抱え、小刻みに震えるアイス―ンを心配しながらも、トトは前を向く。
「どうして、そんなことをしたでござる?」
「アイス―ン様は優しかったのら―。だからもっと親しくなりたくて、女にしたのらー」
「結果はどうでござるか?」
すると、レズは首を横に振り、俯いた。
レズの真意は知らなかったけれど、たとえ知っていたとしても、そんなことをされては親しくなれなかっただろう。
「レズ、間違いは誰にでもある。だから、もうそんなことはやめるんだ。親しくしたかったなら、そう言ってくれないとわからないよ」
「アイス―ン様……」
レズは、トトのうしろにいるアイス―ンに近づき、その手を握った。
「レズ、ここにいる人たちに、精を返すんだ。人として、生きさせてあげてほしい」
「……それは、無理なのらー。精は、もうないのらー」
レズの言葉に、アイス―ンは目を丸くした。
そして、驚くアイス―ンなど気にせず、タソドミーは笑う。
「あれはいい商売になったのぉ。他人の過去というものは、苦く、そして甘く、美味な味わいとなるのじゃ」
「どういうことでござるか?」
「フェチルという飲み物を知っているかのぉ。それは、ここで手に入れた精によってつくられているのじゃよ」
その名は、どこかで聞いたことがあった。しかし、飲んだことは一度もない。
珍しく、出回ることも少ないと聞いていたが、まさかそんな理由だったとは考えるはずもない。
「もう、この家畜どもを元に戻す方法など、ありはしないのじゃよ」
どうすることもできない。その事実だけが、突き出される。
もっと早くレズの行動を制限していれば、少しでも被害は抑えられたかもしれない。しかし今更考えても、過去の自分に伝えられるわけではない。
どうすることもできずに立ちすくんでいると、ルミセンが前へと出た。
「質問は、それだけじゃないの。子供を産ませて、能力を選定している理由も知りたいの。……あなたたちは、何者なの?」
すると、キョトンとした顔を見せたタソドミーであったが、何かを理解したのか、頷いて背を見せる。そしてそのまま前へと進んでいき、少し離れると、そこからは走って逃げた。
食事をしていた人が、アイス―ンたちの行く手を阻み、時間を取られてしまう。
「逃がさねーぜ! この目は、お前がどこにいたって追跡できるんだ!」
なんとか小屋からでると、クシュアルの能力でタソドミーのあとを追った。
逃げたということは、能力を選定している理由をタソドミーは知っているのだ。そしてそこには、何があっても知られてはいけない理由がある。その理由がある場所へと、タソドミーはわざわざ案内してくれているのだ。
「山に向かっているようでござるな」
山の裏へと、タソドミーは走っていく。
ついていくと、山の裏にもう一つの入り口があった。そこからタソドミーは、山の中へと入る。
山の中は暗いけれど、クシュアルの能力には影響しない。
「どこか、部屋に入ったみてーだな」
「山の中に部屋でござるか?」
クシュアルは、タソドミーを入った部屋へと突撃する。
部屋の中は明るく、そこには大きなゴブリンがいた。腕には六芒星が描かれ、黄色く輝く水晶をつけた杖を持っている。
タソドミーは、そのゴブリンの前に立つと、止まった。
「これは、なんでござるか?」
「……これこそ、第二星区の意思。この意思こそ、第二星区のすべてなのじゃ」
タソドミーはついてきたアイス―ンたちへと向き、声を荒げた。
こんなモノがいるなんて、六星院ですら話されなかったことである。それほどまでに隠すのは、何か深い意味があるからだ。
「なら、そのゴブリンが、能力を選定するように言ったでござるか?」
「そうじゃ。そしてそれを知ったからには、帰すわけにはいかないのじゃ!」
そう言うと、タソドミーは自らの胸に手を突き刺した。
貫かれた胸からは血が噴き出て、そしてまもなくタソドミーはその場に倒れる。
何があったのか理解できないアイス―ンたちを前に、椅子に座ったゴブリンが動いた。
「失望した。ゴブリンを殺してくれると思ったが、期待はずれにもほどがある」
ゴブリンは立ち上がり、杖で地面を叩く。
「どういうことで、ござるか?」
「ワレは封魔の印を宿し、そのせいで他との干渉を避けて生きさせられた。おかげでストレスなく、大きくなった。だが、気づいたのだ。もしも他のゴブリンがすべて死ねば、自由に外で生きられると。そのためには、ゴブリンが嫌われなければならない。ゴブリンが嫌われるように、様々なことをさせた。……それなのに、今の今までゴブリンへ殺意を向けたものがいない。だから今こそ、この名器を使い、ゴブリンを殲滅する」
すると、杖の先端につけられた水晶から、一筋の光が放たれた。
ティーコが土の壁をつくり、光を受け止める。しかし、それで一安心ではなかった。
ティーコはふらりと身体の向きを変えると、隣にいたクシュアルを、土で作った拳で殴る。
「な、なにすんだよっ!」
しかしティーコに反応はなく、続けて殴ろうとした。
さすがにクシュアルは拳を避け、ティーコから距離を取る。
「どうしちまったんだよ……」
見るからに、ティーコは普通ではなかった。
自らの千冠の範囲さえ忘れるほど、自分を見失っている。
「どうしたでござる?」
「これこそが、名器の力! ワレの意思は絶対だ!」
水晶から、またしても光が放たれる。
その光はまっすぐに、アイス―ンへと伸びた。
何がどうなっているか、わからない。しかし、このままではアイス―ンの身に何かが起こるのは間違いない。トトは地面を蹴り、手を伸ばす。
「アイス―ンッ!!」
アイス―ンを抱きしめたトトの背に、水晶から放たれた光が吸い込まれた。