4-1 『見える事実と見えない理由』
ルミセンの一件から、数日がたった。
カマラの町を中心に、ボールスワッピング、サヴァージング、ディルドルーシーを取り入れる。森林も多少伐採されたが、そのおかげでオーガたちの住む場所も出来つつあった。
「タイシさまぁ……」
カマラの城の一室で、ある人物を待っている大志の膝に子供の姿になったルミセンが乗っている。大志に抱きついたり、胸に顔をうずめたり、頬にキスしたりと、やりたい放題だ。
その隣で微笑んでいる理恩が怖いけれど、ルミセンを拒否することもできない。
「ルミセンは仕方ないけど、ヘテは諦めろよ」
大志の視界には、人に戻ったヘテと、その前に土の山がある。
「でもよー……ってか、ヘテロセだっつっただろ。ヘテロセ・クシュアルだ。妙なところで区切るんじゃねー!」
「気をつけるけど、ヘテって呼び方に慣れすぎてな」
クシュアルの前にある土の山は、元からそこにあったわけではない。ついさっきまでは、平らな床があるだけだった。
叩いて壊そうと試みるが、それでも土の山が壊れることはない。
「タイシさまっ」
頬にキスをしていたルミセンが、ついに大志と唇を重ねる。
それに怒ったのか、手をあげようとする理恩を、大志は手で制した。
「相手は子供だ。これくらい許してやれよ」
「子供!? それ、本気で言ってるの!?」
理恩の怒声に、大志は口をつぐんでしまう。
ルミセンが子供であることは、その姿を見れば容易にわかることだ。しかし、それを言葉にすることはできない。声から察するに、理恩は怒る寸前である。
大志はルミセンを膝からおろすと、理恩と向き合うようにして立った。
「冗談だ。でも、ルミセンの好意を無下にはできない」
ルミセンは大志のうしろへと隠れ、理恩から身を隠す。
「……そう、だよね。仕方ない、か」
すると理恩は、何かを察したのか、そう呟いてため息を漏らした。
ルミセンに責任をとれないとは言ったが、それはキスに対して言ったことで、ルミセンを助けてしまったからには、責任を取らなければならない。ルミセンが危険な目にあったら、それを全力で救わなければならないのだ。
「大志には、大志の考えがある。私が口をはさむことじゃなかったね」
理恩は諦めるように、空間の穴へと入ってしまう。その行き先がどこかなんて、大志にわかるはずもない。
静かになった部屋の中で、ルミセンを見下ろす。
「ルミセンの好意はわかった。でも俺は、理恩が好きなんだ。ルミセンを好きにはなれない。もちろん仲間としては、大切な守りたい人だ。それは変わらない」
「ならタイシ様はルミを否定すればいいの。けど、ルミもそれで引き下がるつもりはないの。いくら否定しても、ルミはタイシ様をずっと好きなの」
ルミセンは笑顔になるが、それでは意味がないのだ。理恩のためにも、ルミセンの好意をなくさなければならない。そうしないと、理恩が笑ってくれない。
しかし大志のそんな気持ちも知らずに、ルミセンは再び口を開く。
「ルミがタイシ様を好きでも、タイシ様の気持ちがブレなければ、理恩は悲しまないの。それだけは断言できるの。だからタイシ様は、今まで通りに理恩を好きでいればいいの」
「それじゃあ、ルミセンが報われないだろ」
「タイシ様、恋愛とはそういうものなの。誰でもが報われていたら、一夫多妻、一妻多夫になってしまうの。誰かが勝って、誰かが負ける。ルミは負け組だけど、タイシ様への気持ちを嘘にはできない。たとえ報われないとわかっていても、ルミはタイシ様を好きでいたいの」
大人に戻ったルミセンは、妖艶な笑みを見せると、大志に投げキスをした。
そんなルミセンに惚けていると、二人の間にクシュアルが割り込む。そして大志の胸元を掴むと、泣きついてきたのだ。
「頼むからよぉ。俺はもう一度、この目で見て―んだよ」
「そう言われてもな……ティーコにも、心の準備があるだろ」
クシュアルは、土の山の中に隠れているティーコに会いたいというのだ。
逃げるようにして隠れたのだから、今は会いたくないのだろう。それだというのに、クシュアルは無理やりこじ開けようとするのだ。
ティーコが実験体にされそうになったところを助けたのと、顔を隠すように覆面を渡したのがクシュアルということは、ルミセンから聞いた話だ。
「あいつは……あいつは、俺を恨んでたか? ひどいことを言ったの、根に持ってたか?」
「まあ、わりと根に持ってたな」
ティーコに初めて会った時など、そのことしか考えていなかったくらいだ。どんな思いであったにしろ、誤解させてしまったクシュアルが悪い。
「くっそーっ! 俺のバカヤロー!」
「まあ、そういうなよ。本音で語れば、きっとティーコも心を開いてくれるだろ」
クシュアルを土の山の前へと押した。
すると、その場でクシュアルは倒れ、土の山に抱きつく。
「悪かったよー。悪かったから、もう一度その顔を見せてくれ。俺はお前に一目ぼれしたんだ。エルフと人の間に問題があるのは知ってるけどよ、それでも俺はティーコが好きなんだ」
「そっ、そんな……っ、ダメっ……」
漏れて聞こえたティーコの声は、まんざらでもないようだ。
顔が見えないので断定はできないけれど、クシュアルに対して何らかの怒りや憎しみ以外の感情があるのは、確実である。
「ヘテ……ロセの能力でも、見れないのか?」
「見ようと思えば可能だが、嫌がってるのに無理やり見るのはよくねーだろ!」
それはクシュアルなりの選択なのだろう。ティーコにひどいことをしてしまったから、これからは絶対に傷つけるようなことはしたくない。けれど、それではいつまでたっても、ティーコとクシュアルの間には壁が立ちはだかるだろう。
「こう言ってるんだし、顔を見せるくらいしてやれよ。もうティーコを悪く言ってるわけじゃないんだし」
「……緊縛、様……でも……」
弱弱しく声が聞こえると、ティーコを包んでいた土が崩れ落ちた。
そして姿を現したティーコは、顔を耳の先まで真っ赤にして、恥ずかしそうに目を伏せている。
「あ、あつくて……どうにも、できなくて……」
病気じゃないかとティーコに触れるが、どうやら正常なようだ。
クシュアルに対して照れているようだが、その理由まで探ろうとするほど大志はお節介ではない。
「それは自然な反応だ。あとはヘテロセと話し合って、解決するんだ」
ティーコの頭を撫で、大志は椅子に座る。
大志の待ち人はいまだに来ない。今が何時だかわからないが、いくらなんでも時間がかかりすぎだ。
ティーコとクシュアルが互いに照れているのを視界の隅に捉えながら待っていると、やがてイズリが姿を現す。ティーコたちの姿を気にしながらも、大志の前に立った。
「兄さんはもう少しで準備が整うので、大志さんも出発の準備をお願いします」
「イズリも来るのか? というか、準備って何をすればいいんだ?」
大志の問いに、イズリは眉をハの字にする。
どうやらイズリも知らなかったようで、イパンスールが来るまでそれはわからずじまいだ。
「いや、わからないならいいんだ。それより、海太たちはどこに行ったんだ?」
「えっと、たしか海太さんは、詩真さんと何かのお話をしていましたよ」
海太が詩真と話すなんて、どうせくだらないことに決まっている。
アイス―ンは町の開発に尽力しているらしいが、まだ男に戻っていない。女のまま、胸も大きいままなのだ。レズはまたどこかへ消えたというし、アイス―ンにはしばらく女のままでいてもらうしかない。
バンガゲイルは物流ギルドとしての仕事に戻ったが、ポーラの様子を毎日見に来るのだ。あんなことがあったあとだし、気にするのも仕方ない。
「ペドは、どうなったんだ?」
王の力の犠牲になったペドは、重傷だった。詩真の能力で戻そうとしたのだが、その時にはすでに、詩真の能力はなくなっていたのである。大志の能力で調べても、詩真に能力は見つからなかった。
そのせいでペドはいまだに眠り続けている。死ぬことはないようだが、いつ目覚めるかもわからない状態だ。
「まだ眠っています。あとは目覚めるのを待つしかありません」
「そうか。レーメルは……気にすることもないか」
「――少しは気にしてほしいみゃん!」
どこから聞きつけたのか、レーメルが瞬時に現れる。
しかし気にしろと言われても、レーメルの身に危険が及ぶはずがない。人並み外れた戦闘能力に、圧倒的な回復力だ。それを兼ね備えたレーメルに、どんな危険があるというのか。
「じゃあ何かあったのか?」
「べ、べつに何もないみゃん……」
レーメルは若干拗ねたような表情で、そっぽを向く。
イズリはそんなレーメルに微笑むと、何かを思い出したのか部屋を出ていってしまった。
「どうしたんだ?」
するとイズリと交代するように、イパンスールとアルインセストが部屋に入ってくる。
二人の様子はいつも通りで、どこかが変わったようには見えない。
「タイシ、行く準備はできたか?」
「行く準備ってなんだよ。それがわからなくて、ずっと座ってたぞ」
大志とイパンスールは、六星院へと行くのだ。
そのために待っていたのだが、正装などはしなくていいようである。
「心の準備というやつだ。曲がりなりにも、人は最も偉い立場にある。六星院でドジをしないように気をつけなければいけないのだ」
「そういうことか。それなら、準備はできてるぜ。一緒に行くのは、アルインセストだけか?」
「いや、アルインセストは連れていかない。あくまでも六星院は極秘だ。多くの者に知られてはいけないのだ。行くのは、俺とタイシだけだ」
極秘というわりには、簡単に口から出る言葉だ。
今でも、アルインセストはもちろんのこと、ルミセンとレーメル、それにティーコやクシュアルにも聞こえていただろう。
「それなら早く用事を済ませて、帰ってくるか」
地上へ出ると、町は賑やかに元気な声が飛び交っていた。
遅れて出てきたイズリは、大志に巾着袋のようなものを押しつける。
「これ、受け取ってください。もしものことがあったら、これを飲んでください」
中には、赤い球体が五つ入っていた。
そしてイズリに説明を求める視線を送ると、イズリは頬をわずかに染める。
「それを飲めば、身体能力などを一時的に強化してくれます。簡単に言ってしまえば、一時的にレーメルのようになれるということです。ですが、飲むのは一度に一つです。絶対に二つは飲まないでください」
「便利なものもあるんだな。どこで手に入れたんだ?」
「……私が、作りました。呪いの一種ですので、気をつけてください」
イズリの呪いは、呪いというより自戒に近いものだ。飲めば強化されるというのは受け入れられるが、それはつまり、イズリの身に何かがあったということである。
不安が顔に出ていたのか、イズリはすぐに手を振って否定した。
「私は平気ですので、気にしないでください。それより、気をつけて行ってきてください」
イズリが頭をさげるので、大志は言葉を詰まらせる。
するとイパンスールが大志を押しのけ、イズリの前に立った。
「俺の分はないのか? 遠慮しなくていいんだぞ」
「ごめんなさい。兄さんの分は、ないです」
イズリはそう言って、背を向けてしまう。そしてそのまま、地下への道をおりていってしまった。
大志はイズリを追って、その手を握る。
「ありがとな、イズリ。……それと、お願いがあるんだ」
大志とイパンスールは、北へと伸びるアクトコロテンを目指している途中で、アイス―ンと出会った。コルセットスカートのせいで強調された胸が恥ずかしいのか、それとも周りからの視線を気にしてか、その頬は赤い。
「それにしても、大きいな。本当に男だったのか?」
大志がそう聞くと、アイス―ンは拳を握りしめた。
今までは平手だったが、さすがに握り拳は痛いので、そこで自重する。
「だった、ではない。僕は今でも男だ。どんな容姿をしていようと、僕の心は男だ」
「なら、その胸は何だ?」
イパンスールは、アイス―ンの胸を鷲づかみにした。
そう簡単に触れるイパンスールを羨ましく思いながらも、そんな煩悩を振り払う。
「こ、これは……僕の……なんだが、その……」
いいわけが思いつかなかったのか、アイス―ンの頬を一筋の汗が流れた。
「こうなるのは女だけだと思っていたが、俺の思い違いだったのか?」
「い、いえ……それは、あって、ます……」
アイス―ンは胸を揉みしだかれ、頬の赤みが顔全体に広がる。
どう助けようかと迷っているうちに、アイス―ンの胸は様々な形に姿を変えた。
「よくわからないな。男なのか、女なのか、どっちなんだ?」
「ぼ、僕は……お、お……」
そこまで言って、アイス―ンは倒れてしまう。
男としての自信を失いかけていたアイス―ンは、イパンスールの気迫にやられてしまったのだ。
「このまま、置いていくわけにもいかないよな……」
アイス―ンを城内へ連れ帰ったせいで、出発が遅れてしまった。
六星院にはイパンスールが招集をかけたので、大志たちも急いで向かわなければならない。しかし、大志にもイパンスールにも、脚力の強化はできない。イズリの渡してくれた球体は、もったいないので、自力で歩くしかない。
「六星院があるのは、ここからどれくらいだ?」
「すぐそこ、とまでは言わない。だが、すべての星区の中で、第三星区が一番近い」
そう聞いて、少しだけだが心に余裕ができた。
「……そういえば、どうして星区っていうんだ? 区分けしてるのはわかるが、星ってなんだ?」
「詳しくは知らんが、星という字は日の下に生きると書く。俺たちを一言で表している星という字をつけ、星区と名づけられた。その説が、一般的だな。それにしても、本当に別の世界から来たのか?」
「なるほどな。……ま、別の世界から来たってのは、本当だ。理由は知らないけどな」
そんな会話から始まった大志とイパンスールの散歩は、いつ目的地にたどり着くかはわからない。二人の前には、白い道が続いているだけである。