3-30 『王の目覚め』
ポーラから出た影は、ルミセンに覆いかぶさるように広がる。
「ルミ姉さんッ!!」
手を伸ばすけれど、ルミセンへは届かない。ルミセンが、影に呑まれる。
しかしその時、はるか頭上から降ってきた物体が、影の動きを止めた。粉塵が巻き上がり、イパンスールも動けずに睨みつける。
「いっててぇ、ひどいめにあったぜぇ」
粉塵の中から姿を現したのは、バンガゲイルだった。
バンガゲイルが降ってきたおかげで、ルミセンは呑まれていない。
「逃げろぉ!!」
イパンスールの叫びにバンガゲイルは目を丸くして、見回す。
そして黒い影を目に映すと、それが危険だと気づいたのか、バンガゲイルはルミセンを抱えて走った。能力で強化された脚力により、バンガゲイルは風のような速さで動く。
イパンスールも抱えようとすると、イパンスールの姿は消え、道の先でアルインセストに抱えられていた。残されたイズリを抱えて、アルインセストを追う。その速さに、影は追いついてこれない。
「何があったんだぜぇ?」
「わかりません。ルミセンが名器を取り出したら、ポーラがあんなになってしまって……」
アルインセストに追いつくと、アルインセストはすでに道の先へと移動している。
時を止める能力だと知っていたが、それを目の当たりにすると、規格外だ。
「ルミ姉さんは助けられた。タイシと合流したい。どこにいるか、わかるか?」
「ああ、わかるぜぇ。あの巨大な奴のところに行けば、いるぜぇ」
バンガゲイルが見つめる先には、オーガとは思えないほどの大きさをしたオーガがいる。
そこにタイシがいて、タイシなら、今の状況だってどうにかできるはずだ。
「アルインセスト、頼んだぞ」
すると目を閉じたアルインセストは、頷く。
「お互いに支えあう。イパンスール様と私がいれば、何だってできますよ」
オーガが足をあげた。
アルインセストは走っている。それなのに、イパンスールにはそれを目にすることができない。
「どれだけ大きくなれば、気がすむんだ」
オーガの増大は、留まるところを知らない。
それに、見回してもタイシの姿が見当たらない。タイシがここにいるはずなのに、いるのはオーガだけだ。
「イパンスール様、どうしますか?」
「俺には……いや、無理と決めてはダメだな。俺は一人じゃない。アルインセストも、イズリも、ルミ姉さんもいる。何もできないはずがない」
イパンスールは地面に足をつき、オーガを見上げる。
オーガをどうにかする方法を知っているはずもない。けれど、やる前から無理と決めては、何もできない。イパンスールはまだ制御できているかわからない能力を、最大まで引き出す。
「オーガだって、恐怖に怯えるはずだ」
動きを止めたオーガに触れてみるが、その肌は硬く、イパンスールの拳ではどうにもできない。
タイシのように情報を得ることもできず、自分の非力さを痛感した。
「兄さん! 私の呪いで!」
イズリの足が消えていく。それがどんな呪いなのか考えるよりも早く、イパンスールの触れていたオーガの肌が柔らかくなった。
すかさずイパンスールは握り拳をぶつけるが、拳はオーガの肌の中へとめり込む。そしてイパンスールを引きずり込もうとするのだ。
「イパンスール様!」
すると、アルインセストに抱かれ、オーガから離れていた。
硬くて殴れない。柔らかくしたら呑まれる。これでは手の出しようがない。
「こうなったら、もう無理なの。あとは世界が破壊されるだけ」
ルミセンはつぶやくと、自身を抱えるバンガゲイルを殴った。
オーガがこうなってしまったのは、ルミセンの実験が関係しているのかもしれない。しかし、だからといって諦められるはずがない。
「……今でも、それがルミ姉さんの望みなのか?」
「ルミにもわからないの。名器に何が起きたかもわからないし、本当にルミが死ぬのかもわからなくなってきたの」
バンガゲイルに降ろされたルミセンは、地面に座る。
その目はオーガを見上げ、どこか儚げだ。
「わからないなら、きっと違う。諦めてはダメだ。あの人も言ってただろ。やる前から無理と決めつけたら、何もできないってな」
イパンスールがそう言うと、地響きのように地面が揺れる。
何かと見まわすと、オーガの正面に土が盛り出て、それが柱となって高く昇っていった。その上に、タイシとレーメルが立っている。
「タイシ……」
タイシとレーメルの行方を追っていると、恐怖を与えていたはずのオーガが腕を動かした。
咄嗟にイズリは呪いで動きを止めようとするが、オーガの動きを止めることはできなかったようで、オーガの腕はタイシとレーメルの足場を崩す。
しかしそこからレーメルは飛び上がった。そしてタイシを投げる。
「イズリ!」
叫んだ時には、すでにイズリは行動に移していた。
タイシを見つめ、目を見開く。するとイズリの両目に、赤い十字模様が浮かび上がった。
「大志さん……頼みました」
タイシはオーガの胸へとぶつかる。
イズリにより強化されたタイシなら、きっとオーガもやれる。
そこに期待や願いなどはなく、あったのは確信だけだ。
「やれる。タイシなら、絶対に」
「タイシ様……」
諦めていたルミセンも、両手を合わせてタイシを見つめている。
オーガの身体から出てきた触手がタイシを包んだその時、轟音が鳴り響いた。重く、身体の芯まで震わせるような音が、全身を包む。
すると、オーガが倒れてきた。両手を大きく広げ、後ろへと倒れる。
「危ない! 急いで離れるんだ!」
そう言った時には、すでに避難が完了していた。
「やった……のか?」
「大志さん!」
すでにイズリの目は戻っており、呪いも解かれている。
イパンスールたちも、イズリを追って倒れたオーガへと駆け寄った。
「やっぱり、タイシ様はすごいの……」
オーガから光が飛び出て、それは上空で弾けると、無数の光の粉となって町に降る。
光の粉を手に取ってみるが、それはすぐに消えてなくなってしまった。
粉を浴びた巨大なオーガは分裂していき、やがてオーガと人がそこに姿を現した。
粉を浴びたことで、元の姿へと戻っている。作り出したルミセンですら諦めていたことを、タイシは成し遂げたのだ。
タイシの功績は、語り継がれるだろう。カマラでのことも、ボールスワッピングでのことも、そしてサヴァージングでのことも。
タイシはこの短期間で、三度も世界を救ったのだ。
「って、あれは何みゃん!?」
レーメルの指先は、崩れた町の先に向けられている。
そこには、イパンスールたちが逃げてきた黒い影、もといポーラがいた。
黒く染まったポーラが、ゆっくりと歩いてきている。名器がポーラの中に戻ったということは、ポーラの身体は不死になったが、そこにいるのはポーラではない。
「逃げろ! あいつは、危険だ!」
イパンスールが叫ぶと、オーガも人も、散り散りに逃げた。レーメルも、気を失っているタイシを抱えて逃げていく。イパンスールは、ルミセンの手を引いて、ポーラの周りを迂回して反対側へと走った。
ポーラはルミセンを追ってきている。それは、黒いポーラが最初に言った言葉を思い出せばわかることだ。
「ルミ姉さんは、殺させない。一緒に今日を乗り越えるんだ」
今日という日さえ乗り越えられれば、ルミセンは能力が定めた寿命を回避できる。まだルミセンは元気で、明日を生きたいと思っている。逃げきれば、ルミセンの勝ちなのだ。
ポーラは思惑通り、踵を返してイパンスールとルミセンを追いかけてくる。
「一緒にいたら、イパンスール君まで巻き込んじゃうの」
「気にするな。ルミ姉さんを、一人になんてできない」
タイシだって、こんな状況で他人を見捨てることはない。
瓦礫だらけの道を進み、ポーラからは着実に距離を離している。このままなら、今日を乗り越えるのも楽勝だ。
心に余裕が生まれたその時だった。瓦礫の隙間から、黒い影が伸びる。そしてその影は、イパンスールとルミセンの足を掴むのだ。
「手を煩わせるな。寝起きでイライラしているのだ」
影はひしめき、揺らぎ、まるで笑っているようにも見える。
イパンスールは足に絡みついた影をむしり取ろうとするが、黒い影に実体はなく、それだというのに足には掴まれている感触があった。
「何だ、くそッ!!」
「頭が高いぞ。欠陥品の分際で、対等の地に立っているなぞ、おこがましいにもほどがある」
するとイパンスールに、重圧がのしかかる。
支えることのできないイパンスールは、その重圧に潰されるかたちで、地面に埋めこまれた。
「イパンスール君!」
「る、ルミ……姉さん……」
ルミセンは無事なのか、いまだに立っている。手を伸ばそうとしても、手は重く、ビクとも動かなかった。イパンスールは、噛みしめた歯の隙間から息を吐きだす。
「ルミ。それが名か。こんな不完全な状態で目覚めさせた罰を、刻みこんでやろう」
黒い影は細く伸び、ルミセンを高く持ち上げた。
するとイパンスールの上に、ポーラが立つ。そしてイパンスールの背を強く踏みつけた。
直後、イパンスールの上に立っていたポーラは、地面を転がっている。
「イパンスール様を傷つけるのは、許さない」
そこにいたのは、アルインセストだった。アルインセストの能力により、ポーラは蹴られた。今のポーラには、ポーラのもっている能力が使えない。
しかしイパンスールは地面に埋めこまれたままだ。動くことすらできない。
「ほぉ、生意気にも、土をつけられるとはな。……殺してやる」
するとアルインセストは、宙へと浮かんでいく。
呼吸すらできないのか、大きく口を開閉させ、喉に何度も触れた。それなのに、喉には何もなく、アルインセストが酸欠になるのも時間の問題だ。目の前でアルインセストが死にかけているというのに、イパンスールはどうすることもできない。
「この程度で死ぬのか。このまま死なれては、つまらんな」
ポーラがそう言うと、アルインセストの腹部から血が噴き出る。
片手で覆えないほどの穴が開き、そこから血が溢れ出たのだ。アルインセストの血は、その下で横たわっているイパンスールにかかり、赤く染める。
「あっ……アルイン……セスト……」
しかしアルインセストから返事はなく、アルインセストは地面へと打ちつけられた。
「返事を……なあ……声を……」
それでもアルインセストに反応はなく、閉じられた口から赤い液体が溢れる。
信じたくない。今すぐ治療しないと。いくら思っても、イパンスールの身体は動かず、手を伸ばすことさえできない。
「しっ、死ぬな。頼むから……アルインセスト……」
視界がにじみ、イパンスールは目を閉じた。
そんな現実はいらない。アルインセストがいない世界で生きても、何の意味もない。
イパンスールは何もできない自分に苛立った。いつだって口先ばかりで、アルインセストに頼ってばかり。相手を怯えさせることしかできず、今だって逃げることしか考えていなかった。立ち向かおうとすらしなかった。
胸が苦しくなり、目から溢れるものは止まらず、口から出る声は言葉にすらなっていない。
こうなったら、いくらタイシでもアルインセストを助けることはできない。アルインセストがこうなる前に助けられなかった非力さに、悲鳴をあげる。
アルインセストがやられ、これからルミセンもアルインセストの後を追う。
イパンスールの目の前で、大切な、守ろうとしていた人が、二人ともいなくなるのだ。
「……んで……なんでぇ……俺は、こんなにも弱いんだァ!!」
イパンスールの視界に小さな光が現れる。
それはイパンスールの意思とは関係なく大きくなり、視界を埋め尽くすと、イパンスールを温もりが包んだ。
初めての感覚に戸惑いながらも、イパンスールの体内では熱が駆け巡る。
そして気づいた時には、イパンスールを押さえつけていた重圧はなくなっていた。
立ち上がったイパンスールは、アルインセストに背を向け、ポーラを睨みつける。
「誰だか知らないが、お前を許さない」
「ほぉ、立ち上がるか。王に匹敵する力とは、興味深い」
ポーラが手を前に出すと、イパンスールを黒い影が包んだ。ルミセンを捕らえているものと同じだ。しかしイパンスールは、その影をすり抜け、ポーラへと歩みを進める。
「お前が何を言ってるのか、俺には理解できない。だが、俺はお前を許さないッ!!」
イパンスールは地面をけり、飛び上がった。
ポーラはイパンスールを食い止めようと影を出すけれど、イパンスールはその影をすり抜ける。そして振り上げた拳を、ポーラへと叩きつけるのだ。
「俺たちは、笑って明日を迎えないとダメなんだ! その邪魔を、するな」
地面へと叩きつけられたポーラは血を吐くが、吐き出された血は口から体内へと戻り、ポーラは立ち上がる。不死身を相手に、勝算はない。しかし、黙っていられない。イパンスールは、再びこぶしを握りしめる。
「……さすがに、力がなさすぎる。もっと吸収しなければ……」
ポーラはイパンスールに背を向け、オーガと人が逃げていった方向へと歩き始めた。
するとルミセンを捕えていた影がなくなり、ルミセンが落下する。それをなんとか受け止めると、ポーラの姿はすでに消えていた。
「イパンスール君……」
ルミセンはアルインセストに目を向ける。
「アルインセスト……俺を、許してくれ」
今なら、ルミセンの願いもわかる。
もしもアルインセストが不老不死だったなら、こんな胸を痛めることもなかった。
「本当に、そんなことができるの?」
「……三回だけ。その一回目を、アルインセストに使う。許してくれなかったとしても、俺はこの選択に後悔はしない。たとえ生への冒涜だったとしても、お前には生きてほしいんだ」
動かなくなったアルインセストの唇に、イパンスールは唇を重ねる。
イパンスールに目覚めた新たな能力。事故死などの、他の影響で死んだものを生き返らせる能力だ。死んだものを生き返らせるなんて、本来あってはならない能力だ。しかし愛する者が死んだ今、この能力にすがるしかない。また笑ってくれるのなら、また声を聞けるのなら、いくらでも罪を背負う。
唇を離すと、腹部にあった傷は塞がり、体内を血が巡り始めた。
そして、ゆっくりと目が開かれる。
「イパンスール……様」
「ああ、イパンスールだ。ごめんな、俺は……」
イパンスールの目からこぼれた雫が、アルインセストの頬に落ちた。
そんなイパンスールの頬に、手が触れる。温かく、柔らかな手だ。離れないようにしっかりとつかみ、その温もりを確かめる。アルインセストは生きている。生き返ったのだ。
「目を開けているのに、どうして?」
「そんなの、どうでもいい。お前の見ている世界に、俺も来ることができたんだ」
止まった世界の中で、アルインセストを抱きしめる。
「不思議です。……でも、嬉しい」
アルインセストの開かれた目が、イパンスールを捉えた。アルインセストの停止した世界の中で、イパンスールだけが動いている。イパンスールだけが、アルインセストと同じ時を生きている。
「これからは、いつでも同じ世界にいる。目を開けても、こうやって俺だけは同じ世界にいる。……もう、一人になんてさせない。だから、これからも俺と一緒にいてくれ」
その返事は、聞かなくてもわかっていた。だから、その唇をふさぐ。
アルインセストの流れる涙など気にせず、イパンスールはアルインセストを求め、アルインセストはイパンスールを求めた。