3-28 『ありがとう』
「ルミセン……」
大志は、ルミセンの駆けていった町へと背を向けた。
走れば追いつく。だが、追いついたところで、大志にはルミセンをどうにかできる手立てはない。それに理恩も捕らえられ、どちらを優先するかといえば、理恩だ。
ルミセンの思惑は、情報を得て知っていた。だが、ルミセンなら大志を頼ってくれると信じていた。だからずっと我慢していたが、結局ルミセンが大志を頼ることはなかった。その結果、理恩やポーラ、アイス―ンに海太までが連れていかれてしまった。
「何をする気なのかみゃん!?」
「ルミセンは、今日中に死ぬ。その運命を覆すために、ポーラの中にある名器を取り出して、生き延びようとしているんだ。だがそうなれば、名器を失ったポーラが死ぬ」
どう転んでも、どちらかの命がなくなる。
どちらも失いたくない。失っていい命なんて、ない。
「どうにかできないのですか?」
「どうにかしてみせる。ルミセンもポーラも救う。だから、俺に力を貸してくれ」
すると、イパンスールは鼻で笑った。
「タイシに頼ってばかりいられない。俺はルミ姉さんを、ずっと見てきたつもりだった。だが、今の今まで、ルミ姉さんが抱えていた不安を知らなかった。それは俺の落ち度だ。たとえアルインセストを好きになっても、ルミ姉さんを嫌いになったわけじゃない。……ルミ姉さんは、俺が助ける。だからタイシは、タイシの大事な人を救ってこい」
イパンスールはそう言って、握り拳を前に出す。
一瞬だけ驚いたが、イパンスールの言葉は真実だ。ルミセンを助けたいと、人一倍思っている。それが、触れていなくても伝わってきた。
突き出されたイパンスールの拳に、大志も握り拳をあてる。
「……頼んだ。ルミセンを救ってくれ。町にはオーガたちもうろついてる。気をつけてくれ」
「タイシこそ、気をつけろ」
イパンスールの能力に、戦闘力はない。しかしイパンスールには、挫けない心がある。ルミセンを助けたいという信念がある。それがある限り、イパンスールは負けない。
町へと駆けていくイパンスールのあとを、アルインセストとイズリが追った。
「レーメルは行かなくていいのか?」
「イパンスール様がいれば、きっと大丈夫みゃん。今はそれよりも、大志の力になりたいみゃん」
レーメル、詩真、バンガゲイル、ヘテ、アースカトロジーが、大志に目を向ける。
理恩を、そしてこの世界を救うのだ。そのために、大志は詩真へと手を伸ばす。
「詩真。少しだけ、二人きりになってくれ」
大志と詩真以外は部屋の中で一時待機し、朝の光の中、大志は詩真と向き合った。
「……それで、話って何かしら?」
詩真の頬はほんのりと染まり、大志に話を急がせる。
大志としても時間を無駄にするわけにはいかない。詩真がその気なら、時間をかける必要もない。
「俺は、詩真を恋愛対象にはできない。俺は理恩が好きだ」
「そんなこと知ってるわ。わざわざそれを言うためだけに、二人きりになったのかしら?」
すると大志は静かに首を横に振った。
そんな大志に、詩真はため息を吐く。そして大志の次の言葉を待った。
「詩真は、自分にも他人にも甘い。そう言った。だから、甘えさせてくれ。俺は理恩が好きだ。大好きだ。愛してる。それはこれからも、きっと変わらない。でも、理恩が危険だというのに、俺一人では何もできない。……お願いだ。理恩を救うために、詩真の力を貸してくれ」
大志が頭をさげるよりも早く、詩真は頷く。そして笑顔を見せる。
「そんなの当り前だわ。理恩は、私にとっても大事な友人よ。それで、何をすればいいのかしら?」
「ああ……俺と、性を交えてくれ」
「せっ、せいをまじえるぅううぅぅっ!?」
次の時には、大志と詩真は黒い空間にいた。
ただ黒に染められたその空間に、大志と詩真の姿だけがある。
「……こ、ここは、どこかしら?」
「ここは、性を交えるためだけの空間だ」
大志の、その能力について知らない詩真は、困惑した表情を見せた。
手短に説明するが、それでも理解できていない詩真に、キスをすると告げる。
「まだわからないわね。……でも、大志がしたいようにすればいいわ」
「唾液を交換するだけだ。すぐに終わる」
詩真の頬に触れようとすると、詩真は大志の手を避けて後退した。
そして詩真は俯き、顔をあげようとしない。それどころか、膝を抱えてしまう。
「どうしたんだ? 嫌、か?」
「……違うわ。たとえ理恩のためでも、嫌じゃない。……でも、これっていいのかしら? 理恩に内緒で、大志とこんなことして、私は許されるのかしら……」
詩真の声は震えていた。
しかし大志には、どうすることもできない。理恩なら許してくれる。だが、詩真にはそれの真偽を確かめるすべがない。キスをしなければ、わからない。
「理恩を助けるためだ。理恩だって、許してくれる」
「……不安なのよ。大志がそう言っても、震えが止まらないわ。臆病な心が、理恩に嫌われたくないって叫んでるのよ!」
生涯を通して、理恩ほど仲良くなった友達がいないのだ。
そんな理恩の恋人と、理恩に内緒でキスをしようとしている。それが怖くて怖くて、詩真には耐えられない。
大志は、そんな詩真の頬に手をあて、強引に顔をあげさせた。そして、次の言葉が出る前に、その唇をふさぐ。
「んんぅーッ! んんっ!」
涙を流す詩真を無視し、口の中へと舌を侵入させた。
理恩の時とは違った温かさが、そこにはある。大志は、その温もりを蹂躙し、詩真の舌を舐めた。
すると詩真は涙を殺し、舌を動かす。
「……ぐすっ、んっ、ぁ、ん……んふっ、んん……」
漏れる詩真の声に大志は心を痛めるが、ここで手をこまねいていては、もっとひどく心が傷つきそうだ。
これから、詩真のすべてを受け入れる。弱気でいては、ダメだ。
「……成功か」
終わると、大志の前には瓦礫の山があった。
なくなっていた左腕があるということは、無事に詩真と性を交えることに成功したのである。
『なんで……無理やり……』
大志の中で、詩真の声が響いた。
性を交えたことで、すべて知っているはずだ。それなのに疑問を漏らすのは、わかっていても、理解できないのだろう。
「俺がキスをしたかったから、しただけだ。だから、詩真は何も悪くない」
『なんで……なんで……っ!』
「二度は言わない。……さあ、一緒に助けに行こうぜ」
大志は閉じられていた扉をあけ放つと、部屋の中からレーメル、バンガゲイル、ヘテ、アースカトロジーが出てきた。
ヘテに触れ、詩真の能力を使う。大志と一体になっているおかげで、詩真の能力は何段階も強化されているはずだ。それを、ヘテの身体を使って確かめる。
するとヘテの身体から、黒い肌が消えていった。みるみると黒い部分は消え、人へと戻る。
「なんじゃ、こりゃー!」
元の身体に戻ったヘテは、歓喜の声をあげた。
大志の狙い通り、詩真の能力で複合体を元に戻すことは可能である。この能力さえあれば、アイス―ンも海太も元に戻すことができるはずだ。
「これが、世界を救うための能力だ」
その言葉を合図に、大志たちは走り出した。
「これじゃあ、キリがないな!」
町をうろつく複合体。いくら人に戻しても、次から次へと出てくる。
ヘテが言うには、サヴァージングの民全員と、ディルドルーシーの民が若干いるようだ。
アイス―ンの言っていたディルドルーシーを襲ったものは、実験に失敗した複合体だったのだ。ディルドルーシーの民を狙ったルミセンだったが、運の悪いことにちょうどチオたちもディルドルーシーを狙っており、大半の民をチオに奪われたのである。
レーメル、アースカトロジーが捕らえ、大志が人に戻す。それの繰り返しだ。
ヘテの人としての能力は、頭に思い浮かべた人物がどこにいるのか見るものである。範囲に制限はなく、この世界のどこにいたとても、探すことは可能だ。今はその能力で、理恩の居場所を見ている。
「理恩は無事なのか?」
「……いや、これはまじーな。複合体になってるぜ。……だが、捕らえられてるみてーだな」
複合体は、自由に町を徘徊している。捕らえられているのは、理恩だけだ。
何か意味がありそうだが、今は理恩のもとへ行くことだけを考える。
「複合体は後回しだ。注射に注意しつつ、先へ進むぞ」
「後回しでいいのかみゃん!?」
「どっちにしろ、全員救うんだ。……理恩を最後にしたら、俺のカッコいいところを見せられないだろ?」
大志はレーメルたちの間を駆け抜けていく。
しかし、妙な胸騒ぎがしていた。理恩だけが捕らえられている。何かされていなければいいが、それはわからない。
「……なっ、なんだよ……これ……」
そこには、理恩がいた。オーガとの複合体になってしまっているが、そこには理恩がいる。
しかし大志の足は止まってしまった。理恩がいるというのに、手を伸ばすことさえしない。
「おっきいみゃん……」
見上げる先には、人の数十倍はあろう大きさのオーガがいる。その胸の部分に埋め込まれるようにしてある輝く球体に、理恩は閉じ込められていた。
町を徘徊している複合体やオーガを取り入れ、目の前のオーガはなおも増大を続けている。
巨大なオーガの足に触れても、元に戻すことができない。
「ダメだ。核になってる理恩に触れないと、元には戻せないみたいだ」
「あんな高いところ、届かないみゃん!!」
たとえレーメルの跳躍力があっても、理恩へは届かない。
何もできずに立ち尽くしている大志たちに、巨大なオーガは手を振り下ろした。
レーメルやバンガゲイルの助けもあり、なんとか避けることはできたが、オーガの作り出した暴風とも呼べる風が大志たちを吹き飛ばす。
「みゃぁぁぁっ!!」
叫び声をあげるレーメルに抱きつき、離れないようにする。
そして大志たちは、散り散りに町へと落下した。
「大丈夫か?」
大志とレーメルは、城へ続く階段に落ちた。大志は重傷の身体を、能力で戻す。
しかしそれだというのに、レーメルの身体には傷一つなかった。
「回復なら、勝手にしてくれるみゃん」
「そうか、不良か。……なら、急ぐぞ。手遅れになる前に」
その場所からでも、理恩を取り入れた巨人が見える。このままでは、本当に世界が崩壊してしまう。
大志とレーメルは地面を蹴り、理恩へと走った。
「主様!」
理恩に近づくと、アースカトロジーとヘテと再会する。しかしバンガゲイルの姿が、どこにも見当たらない。最悪な事態も考えられるが、今は理恩をどうにかしなければならない。
「二人とも無事だったか。理恩を助けたいが、近づいてもまた飛ばされるだけだ」
「でも、近づかないわけにもいかないみゃん!」
レーメルの言うことはもっともだが、助ける方法が思いつかないのだ。
大志は眉間にしわを寄せ、考える。しかし不意をつくには、理恩のような空間移動がなければ無理だ。理恩を助けるために、理恩の能力が必要なんて、おかしな話である。
「どうにかして見つからずに近づければいいんだが、それも難しいな」
建物の陰に隠れようにも、その建物がほぼ崩壊しているのだ。複合体が町を破壊していたのは、そのためだったのかもしれない。
もはやルミセンでも、この状況をどうにかすることはできないだろう。
「大志でも無理となると、打つ手がないみゃん!!」
レーメルはがっくりとうなだれて、地面に尻をついた。
するとオーガが大志たちに向けて動き始める。見つかったからには、この場に留まってはいられない。
「勘違いするな。難しいが、無理なわけじゃない。俺が何とかしてみせる」
レーメルを抱え、オーガから逃げる。オーガはゆっくり地面をえぐりながら、大志のあとを追った。
「この世界は、俺のいた世界じゃない。俺のいた世界は、ここよりかは多少穏やかな世界だった。能力もなく、オーガもエルフもゴブリンもいなかった。だが、ここが今の俺の居場所だ。もう誰にも壊させやしない。俺はこの世界で、明日を生きるんだ!」
そのためにも、オーガはここで食い止める。
そして、理恩もルミセンもポーラも救って、明日を迎えるのだ。みんなで笑って、明日を。
「大上大志……。やっぱり、違うのかみゃん……」
独り言のように吐き出されたレーメルの声。しかし、大志に問いただすような言葉である。
「違うって、何がだ?」
しかしレーメルからの言葉はなかった。ただ黙っているレーメルに、大志も言葉をかけることはなかった。レーメルが言いたくなったら、言えばいい。
大志たちを暗黒が包む。
暗い土の中に、大志たちは身を潜めているのだ。
「ヘテ、ここでいいのか?」
「ああ、この上がオーガの正面だ。だから一発ぶちかましてこい!」
その声を聞き、大志はレーメルとアースカトロジーに手を置く。
直後、大志たちに光が差した。光を遮っていた土がなくなり、大志たちは高く高く昇っていく。アースカトロジーの作り出した土の柱が、大志たちを理恩のもとへと近づけるのだ。
それに気づいたオーガは、土の柱を殴る。耐久力より速度を重視していたので、土の柱はもろく崩れた。しかしここで落ちたら、また遠ざかってしまう。
「任せるみゃんっ!!」
レーメルは大志を抱えると、崩れかけていた土の柱を蹴り、飛び上がる。レーメルの跳躍力により、理恩に近づいた。けれど、まだ理恩へは届かない。
そこでレーメルは、大志を投げた。理恩へまっすぐと、大志は進む。
「理恩! 理恩ッ!! りおおおんッ!!」
大志の突き出した拳は、理恩のいる球体へと触れた。
しかし簡単には開いてくれそうにない。
「理恩の居場所は、俺の隣だ! だから今すぐ、そこから出してやる!」
すると球体にヒビが入る。
もう少しで割れると確信したところで、球体の周りから出てきた触手が大志を捕らえた。
触手が肌を撫でるたび、身体の自由が奪われる。視界もだんだんと蝕まれ、身体も重くなっていった。
「りっ、おん……」
オーガに呑まれている。このままでは、オーガになってしまう。それだけは絶対にあってはならない。
大志は最後の力を振り絞り、球体を殴りつけた。
「――んで……大志……」
声が聞こえる。
最愛の人の声が、大志の耳に届いた。
自我があることをしっかりと確認して、大志は目を開ける。青々とした快晴の空と、最愛の少女が見えた。
「助かった、のか……」
安堵の息を漏らすと、詩真が顔を覗かせる。
「危なかったわ。もう少しで、取り返しのつかないことになってたわよ」
「でも助かったんだ。その事実だけで、十分だ」
上体を起こすと、いつの間にか元に戻っていたアイス―ンと海太が見えた。
しかしルミセンやポーラたちの姿はない。まだ、戦っているのだ。
大志が立ち上がると、隣に座っていた理恩も立ち上がり、大志の服を掴む。そして不安そうに、眉を八の字にした。
「なにが、あったの? 私、憶えてなくて……」
「俺が理恩を助けた。ただ、それだけだ」
大志が頭を撫でると、理恩は視線を落とす。
「また、私のせいで大志が……」
「好きな女のために、命を懸けた。それのどこが、いけないんだ?」
すると理恩は顔をあげ、涙を流した。
大志は理恩の頭から手を離し、向き合う。すると、理恩の震える口がゆっくりと動いた。
「ごっ、ごめん、ねっ……わっ、ぐすっ、わたっ、しの、せいで……」
そんな理恩に、大志は首を横に振る。
「こういう時は、『ありがとう』って言うんだ。……愛してるよ、理恩」
涙を流す少女の口を、優しく覆った。
それは能力なんて関係ない。好きで、好きだからこそ、ずっと一緒にいたい。これからも理恩と生きていく。そう決めたからこその、誓いだ。
「……ズルいよ、こんな時に。……ありがとう」
そして再び、唇を重ねる。
大勢に見られていると気づいたのは、それからすぐのことだった。