3-23 『過去は変えられない』
「……そうか、リングスは見つからないか」
お祭り騒ぎの一日も日が暮れ、大志たちはボールスワッピングの城で被害状況を調べている。
そして、リングスの姿がどこにもないと報告があったのだ。霧の中へと消えたリングスは、あのまま霧に飲みこまれてしまったのか。確かめるすべはないが、それだけは信じたくない。
「どこかで生きてる。そう願うしかない」
大志はそう呟いて、隣に座るイズリへと目を向ける。
「そうですね。私も一緒に願います」
「敵の安否を心配するなんて、タイシはおかしなやつだ」
イパンスールは腕を組んで、笑った。
しかしいくら笑われても、リングスの命を軽んじることはできない。
「じゃあ、話を変えるか。そういや、ボールスワッピングの前の緊縛って、どんなのだったんだ?」
すると、その場の空気は一変する。
大志たち転移してきた者以外は目を伏せ、誰も口を開けない。重苦しく、息苦しい。ただ時間だけが過ぎていく。
イズリに助けを求めても、苦笑いをするだけだ。
「何があったってん?」
「口にすることさえ憚られる。第三星区の歴史から、グルーパ家の家系から、名を抹消された男だ」
イズリの過去にいた、小太りの男。負の記憶といわれていたが、あの場所で何があったのか。
するとルミセンは、大志とイズリの間に割り込んで机に腰をかける。
「タイシ様は知らなくてもいいことなの。ボールスワッピングの緊縛は、イパンスール君なの」
「なんか、聞いちゃいけないことだったか。抹消されるなんて、どんなことをしたのか気になるけどな。……俺は大丈夫だよな!?」
ポーラを退けて無理やり緊縛になったり、オーガと人の共存を勝手に進めたり、イパンスールとアルインセストの恋を進展させたりと、恨まれるようなことをしたかもしれない。
レーメルを見ると、口元に笑みを浮かべていた。
ポーラはわかっていないような顔だし、イパンスールは聞いていないとでも言いそうな顔をしている。アルインセストは、もはや顔から読み取れない。バンガゲイルに限っては、一度あった目をそらした。
「大丈夫じゃないわよ」
「なぜ詩真が、それを言う!」
まさか知らない間に、大志は嫌われていたのだろうか。
ポーラの領域内にいるせいで、能力が使えない。心の内側を見ようとしても、不可能である。
「冗談よ。大志は、何でも確認しないとわからないのかしら?」
「そりゃ、不安にもなるさ。俺のしてることは、他からどう見えてるんだ? 俺のやってることは、正しいのか?」
大志が思っていることを漏らすと、理恩は大志を包むように抱きしめた。
その温かさに、一瞬だけすべてがどうでもよくなる。しかし、大志の地位。それが心を休ませることはなかった。すぐに焦りで頭がいっぱいになる。
「大志はすごいよ。今まで何人も助けてきたんだよ。だから、そんな大志を悪く思う人なんていない。絶対に」
「それなら、いいんだ。俺は、このままでいいのか……?」
ルミセンもイズリも、大志の言葉に頷いた。
レーメルたちの笑っている顔を見ると、からかわれていたのだと気づかされる。
「正しさは、変化のないものではない」
レーメルを睨んでいた大志に、イパンスールが真面目な顔を向けた。それは楽しい話をするような顔とは言えない。
第三星区をここまで発展させた張本人が言うのだから、きっと心に残るいい話に違いない。
過去を見ていなければ、こう思うこともなかっただろう。過去に行ったことは、イズリを助ける以外にも様々な恩恵を大志に与えた。
「先代の時代には、緊縛に従うことが唯一の正しさだった。従わなければ、罰を与えられた。女、子供も関係なくな。……だが、俺が緊縛になり、そんなものは正しさでもなんでもなくなった。時代が変わり、それと共に正しさも変わったんだ」
「生活とかも、結構変わったよな」
大志が口を挟むと、イパンスールは不機嫌そうな顔をする。
「わ、悪かった。続きを言ってくれ」
「そんな俺も、最初からそうだったわけじゃない。俺も最初は、先代のような思想だった。上に立つものは絶対に偉く、下に這いつくばるものは永遠に尽くす。だがある日、一人の男が言った。『苦しむ者を助けるのが、緊縛だ』的なことをな。その言葉に感化され、俺は俺なりの緊縛の在り方を探した。そしてたどり着いたのが、ここだ」
「その男がいなければ、今はないってことか」
大志は理恩を膝の上に乗せ、イパンスールの話を促した。
抱きつかれているより、こうしていたほうが話は聞きやすい。するとイパンスールは眉を引きつらせ、アルインセストを抱き寄せる。
対抗しているつもりなのだろうが、そこに何の意味もない。
「俺が言いたいことは、正しさなんてすぐに変わる。人それぞれに正しさがあり、その正しさは尊重されるべきものだ。だから、誰かの正しさに従う必要はない。タイシは、自分の正しさを信じればいいんだ」
「そうみゃんね。大志は第三星区を代表する人みゃん。自分を見失うのは、よくないみゃん」
「そうですね。大志さんなら、安心です」
レーメルやイズリだけでなく、バンガゲイルやイパンスールも笑顔になった。
それはいいことなのだが、大志には一つだけ気にかかることがある。
「代表って、なんだ?」
レーメルの言った『代表』という言葉。大志はカマラの緊縛になったが、それだけだ。第三星区を牛耳った覚えはない。する気もない。
するとレーメルたちは、互いに顔を見合わせる。
「もしかして、言ってないみゃん?」
「俺はイズリに任せた。まさか、言ってないのか?」
「いえいえ、私はレーメルが言うと聞きました」
レーメル、イパンスール、イズリの三人の中だけで情報が巡り、大志へと届けられていない。
それに、互いに押し付けるようにして。そこまで伝えたくないことなら、大志も聞く気が失せるというものだ。
「話が進まないから、誰か話してくれ」
「タイシ様が、第三星区で一番偉い人になるって話なの」
蚊帳の外かと思われていたルミセンが、口を開いた。
話を聞いてみると、どうやらイパンスールが緊縛をやめるにあたって、他の緊縛が話し合った結果、大志に白羽の矢が立ったようである。
「ちょっと待て。俺はそんな話し合いをした覚えはないぞ」
「タイシ様は呼んでないの」
にっこりと笑うルミセンだが、そこに闇を感じた。アイス―ンが呼ばれるはずもなく、大志も呼ばれなかったとすれば、イパンスールとルミセンだけで話し合ったということになる。
そんなの大志が選ばれるにきまっている。もはや話し合いでも何でもない。
「なぜだ!?」
「どうせタイシ様になるの。だから、呼ばなかったの」
結果が最初から決まっているなんて、じゃんけんよりもつまらないことだ。
「補佐は私たちがします。だから、頑張ってください」
「……イズリがそう言うなら、仕方ないか」
どのメンバーで話し合えば、大志以外の答えに結び付くかがわからない。だから、ここは飲みこむしかない。イパンスールやイズリが補佐をしてくれるというのだから、百人力だ。
すると膝に乗っていた理恩がつまらなそうに頬を膨らませる。その頬をつついてみると、理恩の口から息が漏れた。
「どうしたんだ?」
「私だって、補佐ぐらいできるもん」
拗ねた理恩に、大志の頬は緩む。
「理恩は補佐なんかじゃないぞ。もっと大事な、俺の恋人だ」
そして、話し合いが終わったあと。
「タイシさまぁ」
イパンスールの計らいで、寝る場所を用意してもらった。しかも理恩と同じ部屋である。それだというのに、なぜかルミセンに拉致されていた。
そこはきっと、ルミセンに用意された部屋だろう。しかし、理由がわからない。
「俺が何かしたか?」
「何もしてないの。……でも、これからするの」
ルミセンは能力で自分の姿を若くした。そして妖艶な笑みを浮かべて、大志をベッドに倒す。
大志に馬乗りして、ルミセンは肌を露出した。
「タイシ様は、何歳が好みなの?」
「好みも何も……俺には理恩がいる」
すると大志の口を人差し指でふさぎ、露出した谷間を見せつける。
身体の年齢は理恩と同じくらいだろうが、胸の大きさだけは大きく違っていた。
喉が鳴ってしまったことに、多少の罪悪感を覚える。
「ちょっとだけなの。ちょっとだけなら、理恩も許してくれるの。だから、ね?」
ルミセンの指が、服の上から大志の身体を撫でた。身体が反応してしまい、ルミセンはそれを見逃さない。ルミセンはいじわるな笑顔を見せると、大志の首にキスをする。
そしてざらついたルミセンの舌が、首を舐めた。
「んれろ……れろ……ふふっ、ルミの舌は、どう?」
「やめろ。何が目的なんだ?」
「んー、タイシ様が欲しいの。だから、強行手段なの」
ルミセンは大志を見つめたまま、微笑む。けれど、悲しさの色も見えた。
大志は情報を得ようとしたけれど、手はルミセンへ触れる前に重力に負ける。
「何があったんだ? 理由があるなら、話してくれ」
「それを言ったら、ルミの願いを叶えてくれるの?」
「ルミセンが困っているのなら、全力で助ける。叶えるかどうかは、その願いを聞いてみないとわからない」
イズリがあんなことにあったばかりだ。同じようなことが起きれば、さすがに大志も気が滅入ってしまう。ルミセンの願いが、簡単なことであるように祈った。
するとルミセンは急に辺りを気にし始め、大志とルミセンしかいないというのに、何度も部屋の中を確認する。そしてやっと言うのか、ルミセンは胸の前で手を組んだ。
「ルミを……ルミを、4日後まで守ってほしいの!」
「……ん?」
あまりにアバウトな願いに、大志は声を漏らしてしまう。
ルミセンを守るくらいなら、一緒にいればいいだけなので簡単だが、守ってほしいのなら大志ではなく使用人であるペドや、戦闘お化けのレーメルに頼めばいいことだ。
「お願いなの。何も聞かずに、ルミを守ってほしいの!」
「何も聞かずってな……」
「守ってくれたら、何でもいうこと聞くの! なんでも、してあげるの……」
ルミセンは、自分の谷間の中へと指を入れる。
どうやらルミセンは、男への頼みかたを心得ているようだ。
「仕方ないな。守るくらい、お安い御用だ。俺に任せろ」
「たぁーいーしぃー」
大志が引き受けたところで、ルミセンではない声が聞こえる。
しかし人がいないことは、ルミセンが念入りに調べた。それでも声が聞こえるということは、つまり移動する能力を持った人である。
「理恩、か……」
「ちゃんと、説明してよね」
空間の穴から、理恩が覗いていた。
ルミセンは大志の上からおり、理恩へと頭を下げる。しかし服は乱れたままだ。
「ごめんなさい。でも、タイシ様は約束してくれたの」
「ルミセンを守る。それくらい、いいだろ?」
「……うぅ、でも守るからって、寝る時くらい別でいいでしょ?」
理恩は空間の穴から手を伸ばし、大志を連れ帰ろうとする。
ルミセンを見てみるが、それを阻止しようとはしない。守ってくれと言ったわりには、意外とすんなり解放してくれるようだ。
「約束は、明日からにするの。……それと、タイシ様に一つだけ」
「俺に?」
空間の穴に連れ込まれた大志は、理恩と一緒に空間の穴からルミセンの言葉を待つ。
胸が偽物だったとは言わないはずだ。その感触を、大志は知っている。それはたしかに本物だった。
「この町を、第三星区を変えたのは、イパンスール君じゃないの。……何年前か忘れたけど、幼かったイズリを助けた人の残した言葉。それが、イパンスール君を変えたの。そのイズリを助けてくれた人が……タイシ様なの」
「俺が? じゃあ、本当に過去に……」
そのことが本当だとしたら、あそこでイパンスールたちに出会ったことも、イパンスールたちと会話をしたことも、すべて歴史通りだったことになる。
大志とルミセンの会話についていけない理恩は、首を傾げた。
「タイシ様。カマラで再び出会ったとき、憶えてないようだったの。だから空似かと思って、それでもあの時のタイシ様と重ねてしまって……」
「……過去は変えられないってことか」
「もしも憶えていなかったとしても、お礼を言うの。イズリを、この町を、第三星区を救ってくれて、ありがとう」
イパンスールでさえ覚えていなかったことを、ルミセンは覚えている。それは些細なことだったけれど、大志一人で成し遂げた功績だ。だからこそ、ルミセンの言葉は大志の心に響く。
「……そんなことが、あったんだ」
大志が経験した、イズリの過去の話。それを理恩に話すと、理恩の声は少し暗くなった。
「それって、この世界に来ることが、決まっていたってことだよね……」
「そうだな。俺たちがこの世界に来た時、すでに俺がイパンスールに影響を与えた、十数年後の世界だったんだ」
どうやれば元の世界へと帰れるのか。当てにならないラエフに頼らず、自分で探していた矢先にこれである。ラエフに直談判するという手もあるけれど、神頼みは最後の最後までとっておきたい。
それに、直談判したところで、教えてくれない可能性もある。
「このことは、俺と理恩の秘密にする。ルミセンにも他言しないように言っておく」
「詩真たちには……?」
「あの二人にも秘密だ。元の世界へ帰る希望を捨てさせたくない」
元の世界へと帰る方法を本気で探し始めないと、帰る前にこの世界に馴染んでしまう。
大志がベッドに横になると、理恩もそのすぐ隣で横になった。
「過去に戻る能力があった。なら、元の世界へと帰る能力も、どこかにあるはずだ」
ラエフは、死んだ者の能力を管理している。そのラエフが大志たちを転移させたというのだから、きっと転移の能力者は死んでしまった。しかし能力は重複する。イズリの能力が珍しいと言われたのが、何よりもの証拠だ。もしも重複しないのなら、珍しいなんて言葉は使わない。
「……もしも帰れるのなら、大志は帰りたい?」
「それは、どうだろうな。まだ、あの世界に未練があるのかもしれない。だから、こうやって焦っているのかもしれない。俺にも、よくわからない」
「私は、帰らなくてもいいんじゃないかって思うんだよね。この世界にいれば、私たちは無力じゃない。自分の身も、自分で守れる。……なにより、大志の味方がいっぱいいる」
理恩は大志の腕を抱き、目を閉じた。
もはや大志には、帰る理由がない。帰ってもあるのは、同じ学校に通う者たちとの、中身のない関係。互いに近づきすぎず、離れすぎない。上辺では他人を心配しても、本心ではどうでもいい。
それに比べて、この世界の人はちゃんと心配してくれる。大志の地位も関係しているかもしれないが、それでも中身のない関係よりかはマシだ。
「なら、理恩と一緒にこの世界で暮らすのも、いいかもな」
「それじゃあ、忘れ物はないみゃん?」
「持ってきた物は、城の地下に置きざりだ」
大志は、レーメルの横を通り過ぎる。
そしてアクトコロテンへと侵入し、そこから長い散歩だ。
「朝から、つらいですね」
眠っているポーラを背負うイズリは、助けを求める視線を振りまく。
バンガゲイルに足を頼むことも考えたが、さすがに人数が人数だ。バンガゲイルの荷車では、一度に全員を運ぶことはできない。なので平等に散歩することになったのである。
大志はイズリの背からポーラを剥がし、抱っこした。
ポーラが幼くてよかったと思うことは、今後きっと来ることはないだろう。
「電車みたいなのがあれば、便利なんだがな……」
「あ、あのさ、大志……」
ポーラを抱いた大志に、理恩は控えめに手をあげた。
「大志と私の能力で、カマラに行くのはダメなの?」
言われてみれば、歩く必要なんてなかった。