3-21 『朝が見えた』
ポーラには申し訳ないが、ポーラの能力を解放するには、こうするしかなかった。
大志はポーラにかけられた呪いを、自分に書き換える。すると、大志の目は意思とは関係なく閉じられ、そして開かなくなった。
「ポーラ、目を開けろ!」
叫ぶと、大志を温かい妙な感覚が包む。
その感覚を、大志は覚えていた。ポーラの領域内にいると感じる感覚と同じである。
ポーラの能力のおかげで大志の目は自由になり、身体も楽になった。
「よかった……。ちゃんと生きてるよな?」
透視の能力も無力化され、ポーラの領域の外は黒い霧がある。
大志も詩真も身体を蝕まれており、たとえ霧の侵食がなくなったとしても、このままでは命が危険だ。
「ポーちゃんは、死ねないから……。それと、これは……?」
ポーラは領域を包む霧を、不思議そうに見まわす。
しかし、そんな場所で説明を始めるほど、大志は愚かではない。
ポーラを抱えると、大志は来た道を戻った。どこかの民家に入ることも考えたが、混乱を招いたら、それこそ危険である。
「説明はあとだ。一人にさせて、悪かったな」
ポーラの領域が広く、目印になるようなものが見えるので、迷うことはなさそうだ。
それにしても、ポーラは見つけたが、イズリの居場所がわかっていない。
能力者であるイズリが霧の中にいるとは考えづらい。しかし外にいるのなら、探すのにそれなりの時間がかかってしまう。
「まさか、生きて帰ってくるとはな」
ギルド館で詩真の能力を使って身体を戻していると、イパンスールがそう言葉を漏らした。
詩真のインチキ能力がなければ、大志は霧の中で塵になっていただろう。
「何言ってんだ。まだ、助ける相手がいるだろ」
「危ないよぉ、大志……」
目を潤ませた理恩が、大志に抱きついた。
心配してくれるのは嬉しいが、こうしている間にもイズリは何をされているか。
「大丈夫だ。……それより、イズリは見つかったか?」
横たわる海太に視線を向けるが、海太からの返答はない。
霧の外は朝になっていると、海太が言っていたことを思い出し、霧の外にイズリがいないか探してもらっている。
「あっ、あの、タイシ様……」
身体が元に戻ると、ルミセンが申し訳なさそうな顔で、大志の隣に座った。
見慣れた幼い姿ではなく、大人の姿である。見た目からして、大志よりも一回り年上くらいだ。
幼い時にはなかった胸が揺れ、ルミセンは頭を下げる。
「る、ルミは今まで、嘘をついていたの!」
「嘘……。どんなのだ?」
ルミセンは頭をあげ、大志にまっすぐと目を向けた。
「ルミは、大人なの。タイシ様よりも年上なの!」
そんなわかりきったことを、今更言うものだから、大志は拍子抜けしてため息が出る。
大志の目は自然と、胸に視線を送っていた。
「見ればわかるぞ、それくらい。それに、俺がルミセンに年を聞いたことなんてあったか?」
「……でも、ルミは幼さでタイシ様を誘惑して――」
「あーっと、勘違いしてほしくないが、俺はロリコンじゃないぞ」
上体を起こした大志は頭をかき、ルミセンの胸を見続ける。
大志は一度として、幼いルミセンに靡いていない。もちろんポーラにもレーメルにも、好意を向けた覚えはない。
「それに年齢詐称くらいなら、とっくにされてるからな」
レーメルを一瞥すると、レーメルは知らん顔で口笛を吹いていた。
大志はルミセンの白い髪を撫で、その手でルミセンの頬に触れる。
「たとえルミセンが子供だろうと大人だろうと、俺の守るべき仲間だ。……それにしても、なぜこのタイミングでカミングアウトしたんだ?」
「今を逃したら、言う機会がないかもと思ったの……」
大志が、さっきのような危険な目に合うかもしれないと思ったのだろう。しかし、大志は危険に身を投じても、死ぬ気は微塵もない。
触れたルミセンの頬をつまみ、引っ張った。
「心配するな。俺はちゃんと帰ってくる。……そうだ! この戦いが終わったら、みんなでお祝いでもするか。俺が目覚めた時は、ルミセンがいなかったからな」
「うっ、いふぁい、いふぁいっ!」
大志の言葉を聞いていたのか聞いていなかったのか、ルミセンは頬をつねる大志の手を叩く。
そんな大志の前へと、イパンスールがアルインセストと一緒に立った。
「まだ助けてもいないのに、終わったあとの話か」
「ちゃんとイパンスールも呼ぶから、心配するなよ。もちろんアルインセストもな」
笑ってみせると、イパンスールも軽く笑う。
そして手を差し出してくるので、その手を握って立ち上がった。
「助ける算段もないのに、ずいぶんと余裕だな。それと、アルインセストにいやらしい目を向けるなッ!」
イパンスールは、アルインセストを守るように移動をする。しかし、そんな言われるような視線を送ったつもりはない。胸が大きいな、と思ったくらいだ。
「ちょっと見ただけだろ。それに、アルインセストはイパンスールをどう思ってるんだ? 嫌ってるんじゃないのか?」
「いいえ、私は……。イパンスール様が、好きです」
アルインセストの姿は大志からよく見えないが、顔を真っ赤にするイパンスールはばっちりと見える。
しかし、アルインセストはイパンスールに殴られていた。それを知っている大志としては、アルインセストの言葉を疑ってしまう。
「本当か? イパンスールのどこに惚れたんだよ」
するとイパンスールが大志を胸ぐらを掴み、額を合わせてきた。
運がいいことに、大志はポーラの領域内にいて、イパンスールの恐怖は無力化されている。
「アルインセストが言ってるんだ。アルインセストが嘘をついているとでも、言いたいのか?」
「まあ、そうだな。イパンスールのいい所って、顔ぐらいだろ」
大志がそう言うと、イパンスールの後ろにいたアルインセストが、大志からイパンスールを離して、大志の頬を叩いた。
その痛みに、驚くと同時に笑いが出てしまう。
「何がおかしいのですか?」
「……いや、そんな怒るほどイパンスールを思ってる人がいるんだなっ、てな。イパンスールって、いろんなのに嫌われてたからさ」
アルインセストの目を覆う包帯に手を伸ばすと、その腕はアルインセストに掴まれてしまった。しかし、大志の手はすでに包帯へと届いている。
包帯を取っても目は閉じられていたが、途端にアルインセストの身体は震え始めた。
「あっ、あ、あ……ほ、ほうっ、たい……」
「目を開けてみろよ。ポーラの領域内だから、時が止まることはないぞ」
しかしアルインセストは顔を左右に振り、頑なに目を開けようとしない。
目を開けなくても周囲の状態がわかるポーラやアルインセストの世界がどうなっているかは、想像でもわからない。イパンスールも、それに戸惑いを感じているはずだ。だから、能力が無力化される空間では一緒のものを見たいと思っているはずである。
「……それはタイシと同意見だ。こんなことは、滅多にない。その目で、俺をちゃんと見てくれ」
「でっ、ですが、私がイパンスール様を見るなんて……」
謙虚なのかはわからないが、アルインセストはイパンスールの願いでも、その目を開けようとはしない。互いに好きになったからこそ、しっかりと互いを見るべきだ。
イパンスールは困ったように頬をかき、アルインセストの肩を掴む。
「俺は、知りたい。今まで見過ごしてきたお前の、アルインセストのすべてを知りたい。頼りないかもしれないが、俺はお前が好きなんだ」
「だ、ダメなんです。私は……」
「俺は、お前のすべてを愛したい。だから少しでもいい。俺を、見てくれ」
アルインセストは、イパンスールとほとんど同じ時を生きてきた。大志にとっての理恩のような存在だ。
するとやっと決心がついたのか、アルインセストはイパンスールに顔を向ける。
「す、少しだけ……なら」
大志からは見えないが、わざわざ見る必要もない。
イパンスールの表情を見れば、アルインセストが目を開けたとわかるからだ。
「イパンスール様……」
「その呼び方は、もうやめてくれ。これからは、対等な関係でいたいんだ」
イパンスールが抱こうとすると、アルインセストはその腕を避けて、イパンスールから離れる。
そして手で目を隠し、しゃがんでしまった。
「ひっ、ひやぁぁぁッ!! イパンスール様ぁぁあああッ!!」
その声はとても嬉しそうで、悲鳴には聞こえない。
イパンスールもかがんで様子を見るが、アルインセストは目を隠したままだ。
「俺が何かしたか?」
「いっ、いえ、イパンスール様は何も……」
アルインセストは目を隠したまま、顔を左右に激しく振る。
「喜んでるみゃん」
レーメルはそんなアルインセストの姿を見て、呟いた。
不安そうだったイパンスールの表情が、ぱっと明るくなる。そして、アルインセストを優しく抱いた。
「これから俺は、アルインセストのために生きる。お前が望むなら、何だってする。だから、笑ってくれ……」
するとアルインセストは顔をあげ、イパンスールを見る。
そして互いの顔は距離を縮めていき、やがて唇が触れ合った。
「ケッ! どこもかしこも、イチャイチャしてて気に入らないってん!」
振り返れば、探索を終わらせた海太がつまらなそうな顔をしている。
「なら、俺がしてやるぜぇ」
海太の隣に立ったバンガゲイルが、海太を見下ろした。
その姿に恐怖を覚えたのか、海太は立つ暇もなくバンガゲイルから逃げる。
「いっ、いいってん! それなら、一人でいいってんよ!」
「つれないことを言うんじゃねぇぜぇ」
「男とイチャイチャする趣味はないってんよ!」
バンガゲイルの真意は不明だが、おかげで海太のヘイトはなくなった。
海太をバンガゲイルから守り、本題に入る。
「周囲の森に、人の影はなかったってん。だから、いるとしたら、町の中だってんな」
「建物の中か?」
すると海太は腕を組んで、首を傾げた。
聞くだけ無駄だった。それがわかれば、こんな苦労はしていないのだから。
大志がポーラの前に座ると、ポーラも大志と同じように座る。
「イズリがどうなったか、知らないか?」
「……闇って、男の人が言ってた」
ポーラの記憶力が未知数だが、適当に言っている様子でもない。
だとすれば、『男の人』はリングスだ。闇というのが何を指すかはわからないが、情報となるに違いない。
「他は何か言ってたか?」
「ポーちゃんを食べるって、言ってた」
「ロリコンかよっ! ……食人文化があるわけではないよな……?」
どちらにせよ、ポーラを無事に救えて何よりだ。
リングスがポーラを攫ったのは、呪いを消されないようにするためと、その他に理由がある。それの実態はわからないが、ただイズリの呪いを利用されている、というわけではないことがわかった。
「イズリの居場所がわからないんじゃ、動きようがないってんよ」
「いや、行こう。動かなかったら、いつまでもわからないままだ」
大志はポーラを抱え、黒い霧に向かって歩く。すると、その隣に、詩真とレーメルが並んだ。
「もしもの時に私がいないと、危ないわよ」
「能力がなくても、十分に戦えるみゃん!」
頼もしい二人を引き連れ、ポーラに守られながら霧の中へと入る。
ポーラの領域内に霧はなく、そこにあったはずの霧はなくなったのだ。
「瞬きとかしても、能力はなくならないんだな」
「大志の能力なら、知らなくても当然みゃんね」
どうやら瞬きで目を閉じるのは、ノーカウントのようである。
だからポーラが寝ない限り、ポーラの領域内は安全地帯だ。
「ポーラ、眠るのだけは我慢してくれよ」
「うん」
と確認しても、安心できない。思い返せば、ポーラは寝てばかりだ。
歩いてきた道にも黒い霧があり、ポーラの能力がなくなれば、帰ることもできなくなる。
「それにしても、霧は増えてるのかみゃん? それとも、下りてきてるだけみゃん?」
レーメルは歩いてきた道を見て、ぼやいた。
ポーラの能力で、霧は少しずつ減っているはずである。それなのに、いくら進んでも領域の外には霧が満たされていた。
「……そうか。言われてみれば、そうだな」
大志は何を思ったのか急に走り出し、詩真とレーメルも遅れないように走る。
もしも領域の外へ出てしまうようなことがあれば、一大事だ。
「何かわかったのかみゃん?」
「ああ。ポーラの領域で霧を消したのに、進んでみると、そこに霧がある。それは当然だったんだ。霧はブロックのように積み重なってるわけじゃない。水と同じようなものだ。隙間があれば、そこを霧が埋める」
つまり、ポーラが霧を消せば消すほど、霧は勢力を弱める。
森を見回っていた海太が、霧の変化に気づかないということは、霧の増殖速度は速くない。
「この霧をすべて消して、町に朝を届けるんだ!」
「って、言ってたのは誰みゃん……」
大志にも体力の限界はある。そのせいで、大志も詩真も休憩していた。
レーメルは、そんな二人にため息を漏らしながら、ポーラを抱える。
「ちょっとだけ、力を貸すみゃん」
直後、大志と詩真をつむじ風が襲った。
大志と詩真を中心に、何かが回っている。しかしそれが何かなど、考えるまでもなかった。レーメルだ。レーメルが見えない速度で、回っている。
「この中で、ポーラは目を開けていられるのか……」
領域があるということは開けているのだろうが、さすがに大志でも目を閉じてしまいそうだ。
「見て! 光が見えたわよ」
大志たちに光が差す。黒い霧がなくなっているという証拠だ。
大志の考えは正しく、掃除機のように霧を少しずつ消せている。しかし、霧の外に出たとしても、霧はまだあった。
霧を生み出している中心へと収束しているのだろう。
「きっと中心に、イズリがいるんだ。このまま掘り進めるぞ!」
すると大志と詩真を置いて、ポーラの領域が霧の中へと消えていった。さすがにレーメルの速度についていくことはできない。
そして残った大志は、空を見上げる。
「……それにしても、良い朝だ」
「まだイズリを助けてないわよ」
「イズリを助けられる。だから、良い朝なんだ」
霧がなくなるのは、時間の問題だった。
そして最後に残った霧は、ギルド館の屋上で蠢いている。
「あんな所にいたんじゃ、わかるわけがないな」
大志だけではない。ギルド館にいた者も、町の住民も、建物から出て、その霧を見上げていた。
「あそこにイズリがいるみゃん?」
「そうだろうな。……いなかったら、困る」
ポーラは眠ってしまい、能力は使えない。しかし、ここまで霧を綺麗に掃除してくれたのだ。眠ってしまったことを責めるなんて、できない。
このまま見ているだけでは、日が暮れてしまう。大志は意を決して、走り出した。ギルド館の屋上へと、階段を駆けあがる。
「俺の知らないうちに、俺のせいで死ぬなんて、もう絶対誰にもさせないからなっ!」
そして屋上に出ると、大志は霧に包まれた。一寸先は闇。言葉通りの状況である。
しかし不思議なことに、身体を蝕まれることはなかった。痛みも感じず、傷も負わない。
「イズリ! ここにいるんだろ?!」
大志の声がどこまで聞こえているのかもわからない。しかし、大志が足を止めることはなかった。
ここだけ霧が無害なのは、ここに能力者がいるからだ。その確信にも近い思いが、大志を駆り立てる。
「……た……い、し……さ……」
微かに聞こえたイズリの声に、大志は足を止めた。
聞こえたはいいが、それがどこから聞こえてきたのかがわからない。
「た……す……け……」
まただ。また聞こえたのに、わからない。
すると大志の背を何かが押す。
「こっちみゃん」
振り返らなくても、声でわかる。レーメルだ。レーメルが、大志に居場所を教えている。
大志は疑うこともなく、レーメルに押されるまま足を踏み出した。