3-20 『明けない夜は続く』
「あのお方があなたに執着する理由はそれですか。ですが、それがわかったところで、この呪いは消せないですよ」
リングスは不敵な笑みを浮かべ、大志に背を向ける。
呪いを消す能力はなく、能力を無力化するポーラも捕らえられた。しかし手があり、足があり、頭がある。それに支えてくれる仲間もいる。何もできないことは、ないはずだ。
「絶対にイズリもポーラも、この世界も救ってみせる。新人類なんて、ありもしない希望にすがるな!」
「新人類は、この世界を救済する唯一の希望ですからね」
リングスは崩れる腕を見ながら、深淵の闇へと身を投げ出す。
伸ばした大志の手は届かず、リングスは霧の中へと姿を消した。追いかけようとする大志を、イパンスールの恐怖が動けなくする。霧へ飛び込む恐怖と、イパンスールの能力の相乗効果なのだろうが、足すら自分の意思に従ってくれない。
またも、大志の前で命が散っていく。またも、大志は助けられなかった。たとえ敵だったとしても、死んでいい命なんてありはしない。剛を殺してしまった大志は、激情を抑えきれなかった自分を今でも後悔している。
「なんで……なんでだよォ!!」
震える足に自由はなく、大志はただ叫ぶしかなかった。そして、悔しさからか悲しさからかはわからないが、その目からは温かな雫が流れる。
もはや大志には、どうすることもできない。温かなものが流れ出すたび、大志の心は締めつけらた。
「他人の幸せの前に、自分のことを考えろよ……。死んだら、終わりなんだぞ」
大志は膝から崩れ落ち、床を殴りつける。
悪夢はどこまでも大志を蝕み続け、生き続ける限り、足を引っ張るのだ。
「そうだな。だが、俺もタイシも生きている」
イパンスールはめんどくさそうに大志の服を掴み、持ち上げる。
足が地面から離れるけれど、恐怖のせいで大志の身体は動かない。
「俺は兄として、グルーパ・イパンスールとして、イズリを死なせるわけにはいかない。だが、俺一人の力では、どうやら無理みたいだ。頼りになるのは、タイシだけなんだ」
「おっ、俺には、何もできない。俺がいなければ、イズリも、この世界も……リングスも……ッ!」
「弱音を吐くな。たとえ、できないと思っても、嘘をつけ。虚勢で仲間を動かせ。タイシを信じる者に、弱みを見せるな」
イパンスールは、残されていた空間の穴に大志を投げた。
すると暗かった視界は一転して、明るさに満ち溢れる。そしてそこには、大志を心配してくれる仲間がいる。大志の守った仲間が、そこにいてくれた。
「大丈夫ってんか!?」
「タイシ様!」
大志のあとを追って、イパンスールも空間の穴から出てくる。
空間の穴が開かれていたということは、リングスとの会話もギルド館へと聞こえていたはずだ。
「俺は、どうすれば……」
「イズリとポーラを救え。それだけで十分だ」
試すような目を向けるイパンスールに、大志は動けなくなる。
このままでは、また巻き込んでしまうだけではないのか。また、誰かが犠牲になるのではないか。新たな恐怖を前に、大志の心はまたも弱くなってしまった。そんな自分が情けないけれど、もはや大志一人ではどうすることもできない。
「なら、行くしかないってんな」
海太は、倒れる大志に手を伸ばす。
その表情からは、恐れなど微塵も感じさせない。
『大志、助けようよ!』
「そうね。諦めるなんて、大志らしくないわ」
その前向きな意志を感じ取り、諦めかけていた自分が馬鹿らしくなった。
大志は海太の手を掴み、軽く笑ってみせる。
「俺に、何ができる?」
「何でもできるってんよ。そのために、力を貸すってん」
怖くなくなったわけではない。だが、足は動いた。
まだイズリは死んでいない。リングスは黒い霧が呪いだと言った。だから、黒い霧があるということは、きっとイズリも生きている。ポーラは能力があれば、霧も消えるはずだ。しかし今になっても霧が消えないということは、ポーラの能力は使われていない。もしくは、この町の外へと隔離されている。
死んでいるなんて考えはない。ポーラを救うには、生きていないと話が始まらない。
「まずは二人の居場所を探す。そのために……俺の能力を使う」
大志と理恩は、ロッカーに囲まれた小さな部屋に入った。
窓からの光は霧で遮られ、運がいいのか悪いのか、その部屋だけは電気設備がない。なので燭台に立てられた蝋燭が唯一の光である。
「それじゃ、はじめよっか……」
燭台を床に置くと、理恩は大志の手を握った。
これから始まることは、いやらしいことではない。ただ、透視の能力を使えるようにするための儀式のようなものである。他の方法もあるのだろうが、この方法が一番手っ取り早いのだ。
「理恩……やりかたは、任せる」
「気に入らなかったら、すぐに言ってよね……」
理恩は大志を壁まで押し込み、その勢いで唇を奪う。軽くではなく、最初からディープで互いの中を無理やりかき回した。
理恩は大志を押しつぶさないように、両手を壁について、キスを続ける。
何事にも一生懸命取り組んでくれる理恩に、大志の心は弾んだ。
「んっ、ぁっ、らっ、らいしぃ……」
キスのせいか名前すらまともに喋れない理恩に、愛おしさを感じる。詩真や、イズリにレーメル、ルミセン等々、大志の周りには対象となる相手はたくさんいたが、やはり大志は理恩が好きで、それは揺るがない事実なのだ。
自由になった大志の手は、ゆっくりと理恩の背を撫でる。強すぎないように優しく、それでいて理恩が感じてくれるように。
「んぅっ、んんっ……んっ、ぷはぁっ……はぁ……そっ、それ……好き」
「ここがいいのか?」
理恩の背筋を撫で上げ、今度は大志が理恩の唇を奪った。
理恩に任せていたが、こんなに可愛い理恩を前にして、やられっぱなしなんて、大志に我慢ができるものではない。
腰を抱き寄せ、理恩の温もりを感じる。
片腕しかないため、理恩を抱くので精いっぱいだ。こういう時は失ったことを恨むが、理恩が笑ってくれれば、そんな思いはどこかへと消えてしまう。
「んんぅっ……んっ、くはぁ……」
唇を離した理恩に肩を撫でられ、大志は腰を下ろした。
大志が座ると、足を挟むようにして上に理恩が座る。わずかな光が、紅潮する理恩の顔を、艶めかしく見せた。
自然と大志の鼓動は早まり、理恩に期待をしてしまう。
「た……たいし……」
理恩も同じなのか、見つめあったまま動こうとしない。
もはや能力のことなど頭の片隅にもなく、大志は理恩の服に手を伸ばした。
「い、いいか……?」
「……聞かないでよ。いいに、決まってるんだから……」
理恩とは幼い時から一緒に暮らしてきた。だから、お互いの身体なんて見飽きるほどに見てきた仲である。それなのに、大志の心臓はうるさいくらいに鼓動を速めていた。興奮しているのは、確認するまでもない。
透視で見るのとは違う。大志の手で、その身にまとうものを脱がすのだ。
透視で見たときは否定されたが、今は許可され、受け入れられている。大志と理恩の関係は、大きく変わったのだ。
「なっ、なんだか、一緒に着替えていた頃を思い出すな……」
震える手で理恩のシャツを脱がすと、透き通った肌と、控えめな胸を包むスポブラが目に映る。
腹部を撫でると、理恩は甘い声を漏らした。
「ここも気持ちいいのか?」
すると理恩は大志の手を、控えめな胸へと押し当てる。
「こっちを触ってよ……」
「ちょっと、いきなりはどうかと思ってな」
笑ってみせると、理恩は頬を膨らませた。
そして腰を前後に動かし、甘い息を漏らす。
「……こっ、こっちはっ……いつでも……」
「そんな言い方は、するな」
ただでさえ大志と理恩は興奮しているのだ。ほんの少しの誘惑でも、大志たちは抑えきれないかもしれない。このことで後悔はしたくない。
「私は別にいいよ。大志が望むのなら……」
「扉の向こうには、みんながいるんだぞ。あまり大声は出せないだろ」
今までの声も漏れているんじゃないかと不安にはなるが、これは単なる能力発現の儀式なのだ。後ろ指をさされるようなやましい行為では、断じてない。
「そっ、そうだったね……」
理恩は大志の顔を両手で固定すると、唇を重ねた。
大声が出せないとわかって、考えた結果、キスぐらいしかできないと思ったのだろう。
しかし唇を重ねると、理恩は大志の腰に自らの腰をこすりつけ始めた。
「んっ、ふんっ……んんっ、んっ!」
大志の腰付近には、摩擦の熱と、それとは別の熱が集まる。
それを確認し、理恩の唇を離した。
「もう十分だ。透視が使える」
理恩の着ていた服がなくなっている。それはつまり、透視をしているということだ。
「そっ、そんなぁ……」
熱を帯びた理恩の声が、大志の理性を揺らす。
物欲しそうな目に、応えたくなった。しかし、そんなことをしていたら、また能力が使えなくなってしまうかもしれない。
「この続きは……いつか、また……」
部屋から出ると、そこには露出狂がいる。
実際には服を着ているのだろうが、大志の目には服が映らない。
「やっ、やっと終わったみゃん……」
しかしそんな中、レーメルだけが顔を真っ赤に染めていた。その姿はまるで、本当に脱がされたかのようである。しかし触れば、そこに服の感触はしっかりとあった。
「どうしたんだ?」
「声が丸聞こえみゃん。はっ、恥ずかしいみゃん……」
大志は目を丸くし、詩真やルミセンを見てみる。
しかし、その様子は普段通りで、聞こえていたわけではないようだ。
「もしかして、耳もいいのか?」
「そうみゃん!」
レーメルの身体能力は、人のものではない。それは前々から知っていたが、まさか耳までいいとは。
大志は感心しつつ、レーメルたちの間を通り過ぎていく。
念じれば大抵のものは透視でき、たとえば『男』と念じれば、大志の視界から男は消え、女だけの世界が見れるのだ。しかし実際に消えたわけではないので、不自然さは残る。
「羨ましいような、羨ましくないような……。レーメルは大変だな」
「大志ほどじゃないみゃん。それより、これからどうするみゃん?」
イズリが心配なのか、レーメルは大志の選択を急がせる。
見つけることはできるだろうが、助ける方法は思いついていない。しかし、きっとなんとかなるはずだ。今までだって、それでなんとかなってきた。
「イズリとポーラを助ける。それ以外は、決めてない」
「助けるも何も、霧に触れたら死んじゃうみゃん!」
霧に触れたリングスの腕は、崩れ落ちていた。その現象はきっと、大志でも変わらないはずである。
けれど、死ぬと決まったわけではない。リングスだって、まだ生きている可能性がある。
大志が念じると、外に充満していた霧が姿を消した。
「死ねない。俺には、まだやるべきことがあるんだ。だから、死なない」
「そんな根性論で、どうにかできるはずがないってん!」
どこかから海太の声が聞こえる。
一度念じたものは、能力を解除しなければ永遠に見えないのだ。しかし海太の姿を見るだけの理由で、解除なんてできないし、意図的に解除できるものでもない。
「大丈夫だ。俺を信じろ。……それに、イズリだって俺を待ってるはずだ。なら、俺が手を伸ばさないとダメだろ?」
「それなら、なおさらだってんよ! 大志が死んだら、悲しむってん!」
見えないものを見ようとはしない。
「もう誰も殺させない。イズリも、ポーラも、俺も……」
町の中は静まり返っていた。
人は家にこもり、霧から身を守っている。霧が身体を蝕むのは、どうやら本当のようだ。
「ったく、いてぇな」
大志の全身に小さな穴が開き、身体を蝕まれている。
このままでは死は免れない。しかし一度触れてしまえば、逃げたところで蝕まれる。
「私は気持ちいいわよ」
見れば、大志の身体は元に戻っており、再び穴が開き始めた。
大志の隣にはサイドテールを揺らす詩真がいる。大志の腕を抱いて並走する詩真は、互いの身体を休むことなく触り続けた。
詩真の能力がなければ、大志は動けなくなっていただろう。
「詩真は怖くないのか? 見えてないんだろ?」
「見えてなくても、大志がここにいる。大志と一緒にいれば、怖いことなんてないわ」
その言葉に支えられた。
詩真の能力がなければ、霧に入ろうとは思えなかっただろう。しかしそれは、詩真を利用し、詩真までも危険にさらすことになる。
けれど詩真は、大志についてきた。嬉しくもあったが、詩真に無理強いをしてしまったと後悔もしていた。だから、たとえ本当ではなかったとしても、そう言ってくれたことが嬉しい。
「……詩真は、いつも優しかったな。その優しさに、俺は何度救われたことか」
「私は優しくなんてないわ。ただ、甘いだけ。自分にも他人にも、甘いだけよ。大志と一緒にいれば、死なない。そんな甘い考えが、私を動かしているの」
たとえどんな理由だったとしても、詩真は大志と一緒にいてくれる。
「そんな詩真が好きだったよ」
詩真を見ても、その顔はまっすぐ前へと向いていた。詩真には何も見えていないのだから、それも無理はない。
けれど、嬉しそうな表情をしていることだけはわかる。
「私もよ。好きで好きで、たまらない。今だって心臓が破裂しそうなくらい、高鳴ってるわ。……でも、この気持ちは捨てる。親友が、やっと正直に好きな人を好きになっているんだもの。それに、私の入り込む余地もなさそうだし。こうやって支えるのが、私にはちょうどいいわ」
詩真の気持ちは知っていた。しかし、大志にはどうすることもできないのが事実。
詩真の手が身体に触れ、傷を治していく。それなのに、大志の心はきつく締めつけられたままだ。詩真の能力をもってしても、この痛みだけは消えない。
「……なら、泣くなよ」
大志を治す詩真は、涙を流している。
詩真からは見えていないので油断したのか、涙はとめどなく流れて、大志の心をさらにえぐった。
「俺にはどうすることもできない。でも、理恩のために詩真が苦しむのは、間違ってる。理恩が好きだけど、詩真を嫌いになったわけじゃない。理恩にも詩真にも、笑っていてほしいんだ」
「なら、どうするのよ! 私も理恩も愛してるなんて……言わないわよね。そんなことを言ったら、私も理恩も、大志を嫌いになるわよ。私も理恩も、大志の唯一になりたいの!」
誰だって、そうだ。唯一になりたいという気持ちは、誰にでもある。その相手が好きな人なら、なおさらだ。
大志も、もしも理恩が海太に好意を寄せたりしたら、いい気分はしない。
しかしだからと言って、大志に何かができる話でもない。両方を選べないけれど、片方を選べば、もう片方は笑顔にはなれないだろう。
「お、俺は理恩が好きだ。でも、詩真が――」
「やめてっ!! もう……いいわ。これ以上、苦しめないで。お願いだから……」
詩真の涙に、ついに大志は何も言えなくなった。
大志はどこで間違ったのだろう。どうすれば、みんなで笑えたのだろう。
悔しさを覚えながらも、大志は足を前へ出すしかできなかった。
「ポーラ……」
そして、見つけたポーラは横たわっていた。
目は閉じられ、まぶたの上に描かれた不思議な文様。二重丸の中心に横棒が引かれている。
触れると、それが呪いであることがわかった。チオの時のように自らの意思で解除できる呪いではなく、決して目を開けることのできない呪いである。
ポーラは能力を使えずに、霧の中に置かれていたのだ。
しかし、ポーラの身体に蝕まれたような痕跡はなく、不思議である。
「お兄ちゃん?」
大志に気づいたのか、ポーラは声を漏らした。
たとえ見えていなくても、ポーラには養われてきた感覚がある。
「その呪いから、今すぐ開放してやるからな」
大志は戸惑うことなく、ポーラに口づけをした。




