3-19 『逆転転移』
「うっ、んぅ……」
大志は目覚めの気だるさを感じながら、上体を起こした。
大志以外はまだ眠っており、窓の外には暗い世界が広がっている。
「まだ夜なのか? ずいぶんと眠ったような気がしたんだがな」
起こされてもいないのに、夜に目覚めるなんておかしい。そもそも、帰ってきてからの記憶があやふやだ。思い出そうとしても、頭が痛む。
「お前は、この状況をどう思う?」
窓の外を見ていた大志は振り返り、身体を起こした海太にそう訊ねた。
「もう夜じゃないってん。この町を黒い霧みたいなのが包んでいるってん」
海太の話では、ボールスワッピングの町には光が届いていないだけで、朝になっている。けれど、何が原因でそうなったのかわからない。
黒い霧というと、詩真を攫った寄生体を思い出すが、あれはピルリンが回収した。ピルリンには抜けたところがあったが、逃がすようなへまはしないと思いたい。
状況を理解したところで、二人は他が目覚めるのを待った。
「何が起こってるみゃん?」
「それをこれから調べるんだ」
理恩、海太、詩真、レーメル、ルミセン、バンガゲイルに囲まれ、その中心で大志は床に手をつく。まずは大志たちの身に何が起こったのか。その情報を得るのだ。
「何をしてるのかしら?」
「この建物の情報を得る。この場所で何があったか、その情報を得るんだ」
すると頭痛がひどくなる。しかしその程度でやめるわけにはいかない。
そして見えたのは、リングスがイズリとポーラと共にこの場を立ち去る姿である。
そこで大志は目を丸くして、その場を見まわした。そこにイズリとポーラの姿はない。それなのに、そのことに気づきもしなかった。
「イズリとポーラが、リングスに連れていかれた……」
「イズリ……? あっ、そういえばいないみゃんっ!」
レーメルですら、イズリがいなくなっていることに気づいていなかった。大志は妙な胸騒ぎがして、ギルド館の階段を駆けおりる。
リングスは受付をやっていた。たとえ、ここにいなかったとしても、何かしらの資料があるはずである。
「リングスって、誰だってん?」
海太が知らないのも無理はない。リングスのことは、情報を得ても誰にも話していないからだ。
大志は転がるように階段をおり、受付の前へと出る。そこにはリングスではなく、女が立っていた。
「バルアニ・リングスは、どこに行った……?」
大志が息を荒げると、受付の女は目を潤ませながら、手元の資料に目を通す。
それにしても、リングスはイズリとポーラに何の用があるのか。二人に共通していることと言えば、緊縛と関係していることだ。
しかしそれなら、現役の大志とルミセンが残された意味がわからない。
「すっ、すみません。バルアニ・リングスさんは、資料にないです……。どっ、どういったお方ですか?」
「何言ってんだよ! ここの受付をしていた赤髪の男だっ!!」
大志はテーブルを叩き、受付の女を威嚇する。
すると受付の女は涙を目に蓄えながら、再び資料に目を通した。
ないはずがないのだ。ここで大志たちは無理やり、ギルドへ加入させられた。あの時、リングスはたしかに受付をしていた。
「そ、そもそも、受付に男はなれません……」
「いや、俺はリングスとここであった。リングスは受付をしていた。……なぜ嘘をつくんだ?」
大志が迫ると、女はついに涙を流してしまう。
罪悪感にかられた大志は、涙を拭いながら情報を得た。どうやら女の言っていることは本当のようである。
「悪かった。俺が悪かった。だから泣かないでくれ」
「で、ですが……リングスさんは」
ギルドの名簿に、リングスの名はない。そして受付をやっていたわけでもないのに、大志たちをギルドへと加入させた。あの時、能力を使って、受付と入れ替わっていたのである。
しかしギルドへ加入させるだけなら、わざわざ大志たちの前へ出てこなくてもよかったはずだ。つまり、目的は別にある。それに、リングスは大志たちが来ることを知っていた。偶然にしては、タイミングが良すぎる。
「そいつはこっちで探す。……それにしても、外の霧は大丈夫なのか?」
「わ、わかりません。ただ、危険だということしか……」
ギルド館の扉を開けると、黒い霧が壁のようにある。扉を開けても、霧は動かず、なだれ込んでくることはない。
「どういう危険なんだ? 吸い込んだりしたら、危ないのか?」
「触れているだけで、身体を霧が蝕みます。町民には知らせてありますから、そこは心配しないでください」
ギルド館には、町のすべての家へ連絡できる方法があるようだ。しかしそれがわかっても、事態は何も進展しない。
情報を得ようにも、霧に触れられない。大志には、もう何もすることができない。
「……どうするってん?」
「嫌な予感はしていたんだ。深淵の闇で俺は死にそうになったが、その呪いをかけたはずのイズリはいなかった。探しても、見つからなかった。……けど、やっとわかった。深淵の闇で俺を殺そうとしたのは、グルーパ・イズリ。イズリだったんだ」
イズリは勃起で、高度な呪いも使えるようになる。そこに深淵の闇が含まれていることは知っていたが、大志たちはイズリの初めての勃起に立ち会った。だから考えないでいたが、リングスのような能力なら、その能力さえもきっと使える。
理恩と一体となった大志は、空間の穴を開いてイパンスールの部屋へと移動する。
一人で寝るには大きすぎるベッドに、イパンスールとアルインセストが寝ていた。アルインセストの髪を優しく撫でるイパンスールは、大志の姿に気づいたのか飛び跳ねる。
「どっ、どうして、ここに!?」
「いや、邪魔する気はなかったんだがな、町がいろいろと大変なことになっていてな」
するとイパンスールは、窓から町を見た。しかしそこには黒い霧がある。気付いていなかったのか、イパンスールはそこで驚いた。
アルインセストと何をしていたかは詮索しないが、それでも時間を忘れて熱中しすぎである。
「何が起こったんだ?」
「それがわかってたら、ここには来ないぞ」
大志が息を吐くと、アルインセストもベッドからおりて、イパンスールの隣に並んだ。
しかしイパンスールでさえわからないとなると、頼りにできる相手がいない。
「霧には触れるなよ。危ないらしいからな」
「イズリは無事なんだろうな?」
イパンスールのその言葉を軽快に無視し、大志は空間の穴に逃げる。
海太たちがいるギルド館へと戻ると、そこには海太たちに並んでイパンスールとアルインセストがいた。二人を通した覚えはないが、大志はバツの悪そうな顔をする。
「な、なんでここにいるんだ?」
「僭越ながら、時間を止めさせていただきました」
アルインセストはぺこりとお辞儀をした。
逃げようとしたが、先回りされてしまったということだろう。
イパンスールは腕を組んで、ギルド館内部を見まわした。しかしそこにイズリの姿はなく、説明を求める眼差しが大志へと向けられる。
「イズリはどうした?」
「……攫われた。バルアニ・リングスに、ポーラと一緒に連れて行かれた」
すると大志は、頬の強烈な痛みと共に床を転がった。そして壁に打ち付けられた大志の腹を、イパンスールの蹴りが襲う。
イズリを任せられ、翌日にこれではイパンスールが怒るのも仕方ない。しかし、いくら大志を蹴ったところで、イズリが帰ってくるわけではない。
それに今は理恩と一体となっている。大志が苦しむのは仕方ないが、理恩まで痛みに耐えるのはおかしい。大志はイパンスールの足を掴み、転ばせた。
「謝って済むとは思ってない。だから、なんとしてもイズリは助ける」
「イズリがどこにいるか、知っているのか?」
その問いに、大志は首を横に振る。
作戦を立てようにも、居場所がわからない上に、情報が少なすぎだ。
「わからないが、何とかする。俺を信じろ」
「……一人じゃ、どうにもならないことがある。そう言ったのは、タイシだ」
イパンスールは大志の手を振り払い、立ち上がる。
その気持ちはありがたいが、下手に手を借りれば、被害が増えるだけだ。それなら被害はできるだけ抑えたい。
「そうみゃん。イズリを助けたいのは、大志だけじゃないみゃん」
「何をすればいいってん?」
「タイシ様! ルミも手伝うの!」
「私も、何でもするわ」
大志はそんな声にため息を吐き、壁にもたれながら立ち上がる。
「まったく……ポーラだっていなくなってるんだぞ……」
イパンスールに深淵の闇の一件を話すと、別ベクトルの返答をしてきた。
「封魔の印を持っていただと……?」
「ああ。能力で見たから、それは間違いないぞ」
するとイパンスールはアルインセストと何か内緒話をし始める。
封魔の印が危ないものだとは知っているが、それ以上の秘密があるとでもいうのか。すでに封魔の印は失っているので、情報を得ることもできない。
「……やはり、おかしいな。第三星区の封魔の印は、違う者が持っていたはずだ」
「どういうことだ?」
「封魔の印は六つあり、第一星区から第六星区にそれぞれ一つずつある。そして星区の頂点にいる者は、封魔の印所持者が誰であるか確認しておかねばならない」
アイス―ンの話では第五星区まであると聞いていたが、どうやら第六星区があるようだ。そして封魔の印が全部で六つということは、オーガのように力を抑えられている魔物が他に五種いるということである。
「じゃあ、俺に封魔の印があったのは、なぜだ?」
「封魔の印が持ち主を変える理由は、ただ一つ。前の持ち主が死んだからだ」
「死……って、俺は知らないからな!」
イパンスールは静かに頷き、懐から折りたたんだ地図を取り出した。
ボールスワッピングの地図で、その一か所に赤い点がつけられている。その場所に、前の封魔の印の持ち主が住んでいたというのだ。
『ここって……』
理恩が呟くと、ふと大志の目覚めた部屋が脳裏に浮かぶ。
「この建物は、何回建てだ?」
「それは覚えてないが、件の人物が5階に住んでいたのは覚えている」
それは大志が目覚めた部屋と同じ階だ。しかし、同じ建物と決まったわけじゃない。
大志は迷いを振り払うように、空間の穴を広げる。
向かうは、赤い点で記された建物。その5階だ。
「こ、ここは……」
大志が足をついたのは、この世界で初めて見た部屋。深淵の闇で囲まれていた部屋である。
イパンスールも空間の穴を通り、部屋へとやってきた。
「そうだ、この部屋だ」
「そうか……この部屋が封魔の印の――ッ」
妙な気配を感じて振り返ると、そこにはタキシードを着た赤髪の男がいた。
その姿は間違いなく、リングス本人である。
「おや、気づくのが遅いですね」
リングスが微笑むと、大志とイパンスールは身構えた。しかしリングスには戦う意思がないのか、壁に背を預けたまま動こうとしない。
「イズリとポーラは、どこだ!」
「それは教えられないですね。すべてが終わったら、二人とも返してあげますよ。生きている保証はありませんけどね」
襲い掛かろうとするイパンスールを、大志が止める。
リングスには人を操る能力がある。けれど大志とイパンスールにそれをしないということは、そこに何か思惑があるということだ。
「何が目的なんだ?」
「世界のやり直し。この苦しみや悲しみの蔓延した世界をなくし、幸せに満ち溢れた新たな世界を誕生させる。そのために、すべての生命に死を。この霧は、まだこんな小規模だが、やがて世界を飲みこむほど大きくなり、すべてに死を与える」
リングスは窓から手を出し、霧の中に手を入れる。霧が危険であると自ら言っておきながら、愚かな行為だ。
そして引き抜くと、手には無数の小さな穴があり、震えている。
「あぁ、死へと近づいている。この先に、新人類が待っている」
その顔は愉悦に浸っていた。
死は誰もが恐れているものだと思っていたが、リングスはその逆だ。世界のすべてを、自らの死の道連れにする気なのである。
「新人類……ってことは、お前も大上大志プロジェクトに一枚噛んでるってことか」
「知らないですね。私はオーラル教であり、それ以上でも以下でもない」
オーラル教。それはチオがラエフを打倒するためにつくった団体だ。しかし、リングスの目的は打倒ラエフではなく、新人類誕生。
困惑する大志に、リングスは笑った。
「オーラル教の目的は一つではない。複数の願いが複合し、互いに助け合う。私は、その一つです」
「なら、チオを知ってるのか?」
「ええ、知ってますよ。だから、呪いを消す能力者を排除してもらいました」
呪いを消す能力。それは詩真が持っていた能力だ。ルミセンの城で詩真が襲われたのは、そのせいだったのだ。
わざわざ呪いを消す能力者を消そうとしたということは、呪いが消されると困るということである。
「……なるほどな。呪いか。そのために、イズリを攫ったってことだな」
「少し計画はズレましたが、呪いにより封魔の印が消せることもわかりました。かつて神と人が手を取り合って刻んだとされる封魔の印が消せるのなら、もはや呪いに消せないものはない」
封魔の印が消えていることを知っているのは、イズリを操り、部屋に呪いをかけた張本人だからだ。
「封魔の印が消せたのなら、計画はズレてないんじゃないか?」
するとリングスは壁から背を離し、大志へと歩みを進める。
眼中にいる時点で、リングスから逃げることはできない。大志はリングスの挙動を確認しながら、リングスの言葉を待った。
「この部屋に呪いをかけたまではよかった。ですが、目覚めるのを待っていると、突然この部屋は発光し、封魔の印を持っていた男は、あなたに姿を変えていた」
それはきっと、大志がこの世界へと転移させられた時のことだ。
しかしリングスの話では、大志が転移してくるその時まで、この部屋の主はここにいた。だが、大志が来た時にはいなくなっていた。つまり、この部屋の主は消えた。
「タイシ、どういうことだ?」
異世界から来たことを知らないイパンスールは、大志に困ったような表情を見せる。せっかくのいい男が、これでは台無しだ。
大志は深呼吸をし、イパンスールとリングスに目を向ける。
「俺は、こことは別の世界からきた。それと……これは憶測だが、この部屋の主は、俺のいた世界へと転移したんだ」
大志が転移してくる時に消えたということは、どこか別の場所へと移されたということである。大志が転移してきたのだから、その逆も十分にあり得るはずだ。
「何を言っているんだ! 頭がおかしくなったのか!?」
封魔の印が新たな主を探すのは、前の主が死んだ時だとイパンスールは言った。
しかし、違う世界へ行ってしまったらどうだろう。封魔の印まで、違う世界へと行くことはできないはずだ。それなら、封魔の印は別の主を探すしかない。それが大志だったのだ。
「ああ、いろいろとありすぎて、頭がおかしくなりそうだ」
きっと、大志とこの部屋の主の世界は逆転した。
言うならば、これはただの異世界転移ではなく『逆転転移』だったということだ。