3-17 『樽と慈愛』
「さてと、それじゃあ頑張ってくれよ」
大志はバンガゲイルの肩を叩き、荷車に乗る。
荷車には大志以外にも、海太、詩真、理恩、ポーラが乗っていた。アイス―ンとティーコはカマラで留守番である。
ポーラには目を閉じてもらい、バンガゲイルの能力が使えるようにした。
「振り落とされないように、気をつけるんだぜぇ!」
そう言うと、バンガゲイルは荷車を引いて走り出す。
荷車に壁で囲まれていなかったら、確実に振り落とされていただろうというほどの速度だ。
「こんな速度が出るってんか」
「先に出てるルミセンとレーメルに追いつかないようにしてくれよ」
レーメルが全力で走れば、バンガゲイルといい勝負なのだろうが、レーメルはルミセンを乗せて走っているので、全力で走ってはいないだろう。
追いつくだけなら問題はないが、追い越すことは絶対にあってはならない。
「わかってるぜぇ」
「ずいぶんと早いみゃん」
ボールスワッピングの門番には話を通してくれていたので、大志たちはすんなり入ることができた。
そこでレーメルと合流し、大志たちは荷車からおりる。
「ルミセンは、まだ出たばかりか?」
「ちょっと前に出たみゃん。早速向かうみゃん?」
イパンスールがいなくなってから、城へと荷物を運ぶ。城の中身を知らなければ、動きようがないのだ。荷車の中から樽を出して、それをレーメルへと渡す。
その樽の中身が、イパンスールの最も必要としているものだ。
「レーメルとポーラは、その樽と一緒にどこかに隠れていてくれ。絶対にイパンスールには気づかれないようにな」
「わかったみゃん。そっちも気をつけるみゃん」
レーメルとポーラは、二人で樽を抱え、人ごみの中を走っていく。
あの樽がなくなれば、大志たちに交渉材料がなくなる。そうなれば、イズリを助け出すことが難しくなるのだ。
「じゃあ俺たちは物流ギルドとして城に行くが、何かあるか?」
「大丈夫だぜぇ。見張りに顔が知られてねぇことを祈るんだなぁ」
イパンスールには顔が知られていた。噂として広まるのならわかるが、顔まで知られているとなると厄介である。
けれど心配したところで、前へは進めない。
「いざとなったら、強行手段をするしかない」
「荷物が少ないですね」
城へとつくと、中から黒髪ロングの女が現れ、そう言った。
イパンスールとイズリには親がいない。それは大志が得た情報なので、間違いないはずである。
「これで全部のはずだぜぇ」
その女は両目を隠すように包帯をしており、前すら見えていないはずだ。それなのに足取りはしっかりとしており、見てもいない荷車の中を言い当てる。
「もう一度確かめてきてください。そちらの荷物は受け取りますので」
「なら、受け取り印を書いてくれ」
大志が女へと紙とペンを差し出した。
この世界でも、このシステムがあってよかったと心から思う。
「今晩までに残りを届けなければ、ギルド館のほうへ連絡させていただきます」
「全力で探させていただきます」
いつの間にか、大志の差し出した紙には受け取り印が書かれていた。
大志は焦り、女の手を握る。
「綺麗な髪ですね。その包帯の奥にある目も、さぞやお綺麗なのでしょう」
「なんですか?」
女の威圧的な口調に、大志は手を離した。
バンガゲイルに身体を抱え上げられ、その身を浮かす。
「こいつぁ、新入りでしてね、気に障ったのならすまねぇ」
「それで、このあとはどうするみゃん?」
ギルド館の4階にある戦闘ギルドのスペース。その一角で大志たちは会談を始めた。樽も一緒である。
「イズリの居場所が分かった。城の地下に、イズリは閉じ込められている。城の内部構造もしっかりと理解した。だが、問題はあの女だ」
大志はため息交じりに言葉を漏らし、ポーラに目を向けた。
信じられないが、目の当りにしたら信じるしかない。
「城にいた女はアルインセスト。捨てられていたところを、グルーパ家に拾われたらしい。能力はポーラと同じように、目を開ければ強制的に発動するものだ。そして恐ろしいのが、時間を止めるという能力だというところだな。ポーラのように範囲は決まっておらず、世界そのものの時間を止めるみたいだ」
「なら歩いていたのは、何だったんだぁ?」
アルインセストは、歩いていた。だが、歩くことに能力は使っていない。
目を開かずに周りの状況を確認する。それができる人物を、大志たちは知っている。
「ポーラと同じだ。その能力のせいで、ずっと目を閉じて生活していた。目を閉じて生活することが、アルインセストにとっての普通なんだ」
もしも城へ忍び込んでイズリを助けたところで、アルインセストの能力があればすぐに取り返されるはずだ。その状況を打破できる唯一の方法が、ポーラである。
アルインセストであっても、ポーラの領域内に入れば、たちまち能力は無力化させるのだ。
「ところで海太、イパンスールは今どこにいる?」
「少し離れたところにある公園にいるってんな。ルミセンも一緒だってん。……おっ、動いたってん! 城に戻るみたいだってんよ」
海太の能力が太陽光以外にも、人口光にも対応していてよかった。もしも太陽光のみだったら、ルミセンが帰ってくるまで動けなかった。
しかしイパンスールが城へ帰るのなら、大志たちも動き始めるときである。
「理恩! ポーラ!」
大志が手を伸ばすとポーラは目を閉じ、理恩はその手を握った。
大志と理恩を光が包み、二人は性を交える。もう言葉を発しなくても、キスをしなくても、一体となれるのだ。
「よし、行くぞ! レーメル!」
大志は樽を抱え、空間の穴を開く。
「俺たちは行かなくていいってんか?」
「そうだな。あまり大勢で行っても、邪魔になるだけだ。こっちはレーメルとポーラがいれば、十分だ」
「なら、俺たちは何のためにきたってん?」
大志は空間の穴へと進みながら、海太に振り替える。
イパンスールの城に行ってから、助けを呼ぶつもりはない。もちろん最悪の事態になれば呼ぶが、それは考えたくない。
「これだけで問題が解決すれば、そこで終わりだ」
城の地下は寒く、この寒気の中にイズリがいるとしたら、今すぐにも外へ連れ出したい。
ポーラが目を開けると、一体となっていた理恩が大志から分離する。片手で持てない樽は、レーメルが持ってくれる。
「ここからは徒歩で探す。ポーラが唯一の盾だ」
ポーラの頭を撫で、大志は足を進めた。
奥に見える光の中にイズリはいる。広い地下の中で光があるのは、イズリのいる場所だけだ。だから光へと進めば、イズリに出会える。
「ところで、この樽の中身は何みゃん?」
「危険なものだ。絶対に漏らしたりするなよ」
大志は能力によって、事前に中身の情報を得ていた。それを飲めば、能力が消失するというものである。イパンスールは自分で飲もうとしたみたいだが、そんな簡単に口にする飲み物ではない。
「そう言われると怖いみゃん! 揺らしても大丈夫みゃん!?」
「揺らすぐらいなら大丈夫だ。というよりか、飲まなければ大丈夫だ。舐めてもダメだぞ」
光へと近づくにつれ、気温が上がっていく。
さすがにイパンスールでも、イズリを寒い中に放置はしないみたいだ。
「無事みたいだね」
「ああ。それにしても、チオにしろイパンスールにしろ、大事なものを地下に隠すのが好きみたいだな」
光を囲むように鉄の柱が立ち、鉄の柱に囲まれた場所にはベッドやらソファやら食事まで用意されている。そしてそれと一緒に、イズリもそこにいた。
鉄の柱は人が入れないほどの間隔で立てられており、大志たちはその前で腰を下ろす。
「大志さん!」
大志たちに気づいたイズリは、すぐさま大志の隣まで走った。しかし、二人の間には鉄の柱があり、それ以上近づくことはできない。
大志は元気そうなイズリを見て、微笑む。
「迎えに来たぜ」
「どうしてここが……。それより、詩真さんは?」
自分が捕らえられているというのに、詩真のほうが心配のようだ。ここはイズリの城の地下ということをイズリも理解しているのか、表情から焦りのようなものは感じられない。
大志は親指を立てる。
「詩真は無事に助けた。あとはイズリをここから連れ出すだけだ」
「……私は、いいですよ。ここは私の家の地下です。ここにいれば、兄さんが安心してくれます。兄さんは昔から私の身を案じていました。だから、私はここに残ったほうがいいんです」
「いや、ダメだ。イパンスールのためにも、イズリはここにいるべきじゃない。イズリがここにいれば、イパンスールは何も成長できない。立ち止まったままだ」
鉄の柱の間から腕を入れ、イズリの手を握った。
能力は使えないけれど、イズリの温もり、イズリの震えはわかる。
「それに、俺はイズリに助けられた。だから恩返しだ。イズリもイパンスールも、まとめて助けてやるよ」
「ですが、兄さんの能力は……」
「イズリが心配する必要はない。全部俺に任せろ。俺が何とかする。だから、笑って明日の光を浴びよう」
大志が微笑むと、イズリの表情がこわばった。
そろそろ時間も時間である。能力が無力化されるのも、ポーラの領域内だけだ。
振り返るとそこには、アルインセスト、イパンスール、大人姿のルミセンがいる。
「ここに何の用だ?」
「助けに来たんだ。それと、賞賛の言葉はどうしたんだ?」
三人のいる位置は、すでにポーラの領域内だ。アルインセストの黒い目が見えているということは、能力は無力化されている。ルミセンが大人の姿ということは、つまりそういうことなのだろう。
「どんな能力かは知らないが、褒めてやる。だが、イズリは助けを求めていない。無駄な努力だったな」
「おいおい、イズリを助けに来たのは事実だが、俺が言ったのは、お前を助けに来たってことだぞ。イパンスール、お前をな」
大志はそう言って、樽を叩いた。
それはイパンスールが喉から手が出るほど欲していたものである。それが今、大志の手中にあるのだ。これでイパンスールは、大志を無下に扱えない。
「どういうことだ?」
「お前はこれに、能力を消失させる効力があると聞いたんだろ。まあ、実際に能力は消えるが、それだけじゃない。これを飲んだら、お前は死ぬぞ」
大志の言葉に、イパンスールは眉間にしわを寄せる。
飲もうとしていた本人ですら、そのことを知らない。これをイパンスールに薦めたやつは、イパンスールに悪意があるのか、それとも別の理由があるのか。
「口から出任せを言うな。なぜお前がそれを知っているというんだ?」
「それは俺の能力が、触れたものの情報を得るってのだからだ」
大志はイパンスールへ手を伸ばし、口元に笑みを浮かべる。
「お前は能力の暴走で親を殺した。けれど、親が死んだのは自分のせいじゃないと――」
「たっ、タイシ様!」
ルミセンが大志の言葉を遮った。
ルミセンの頬に涙が伝うが、今は情に流されてはいけない。
「お前はイズリだけは殺すまいと努力した。だが、結果はイズリに逃げられてしまった。だからお前は能力を消す方法を探した。そして、これにたどり着いた」
「そうだ。それを飲んだら死ぬなんて、信じられん」
「ヤバイモの干物って知ってるか? 一気に飲みこんだら死ぬかもしれないって危ない食べ物なんだがな、その干物にする前のヤバイモの実。それはもう、舐めるだけでも危ないものだ。その果汁が、この樽には詰まってる」
わざわざ干物にしているのは、危険を和らげるためである。
「信じられるかッ! 貴様の能力も、本当かわからんッ!!」
「なら、そっちのアルインセストの情報だって教えてやるよ。そいつはこの世界の生まれじゃない。俺と同じ世界で生まれた」
大志の言葉に、アルインセストはビクッと反応した。
アルインセストがわからないのも無理はない。アルインセストがこの世界へ来たのは、まだ物心がつく前である。元の世界の記憶など、ないに等しいのだ。
「世界とはなんだ? 貴様は何だ?!」
「俺は大上大志。ただの、大上大志だ」
大志はイパンスールの前に立ち、笑みを浮かべる。
能力がなくなれば、イパンスールは元の世界の人と大差ない。
「タイシ様、イパンスール君は……」
「心配しなくても大丈夫だ。煮たり焼いたりするわけじゃない」
ルミセンに言葉を返すと、イパンスールに胸ぐらを掴まれた。
何事かと見てみれば、そこには今にも殴ってきそうなイパンスールがいる。
「貴様、さっきもそう呼ばれていたな。ルミ姉さんと、どんな関係なんだ?」
「それは想像に任せる。今はそれよりも、イズリだ。イズリを自由にしてくれ」
「貴様らにイズリは任せられない。俺がイズリを助けなければ、あのまま死んでいたかもしれないんだぞ」
何があったかは、大志も承知済みだ。イズリの呪いと自己犠牲、そしてイズリを頼ったことすべてが絡み合い、イズリは誰にも気づかれずに大怪我を負った。
まず刀を強化した呪い。それの代償に、イズリの傷は他人から見えなくなった。そして大志の傷を治した呪いは、治したのではなくイズリと大志の身体状態を交換するものだったのである。
「だが、お前と一緒にいても、イズリは恐怖で押しつぶされるかもしれないぞ」
「……っ、なら、どうしろというんだ!」
「もう一度俺にチャンスをくれ。もしチャンスをくれるのなら、お前の能力の制御を取り戻させてやる」
するとイパンスールの眉が動いた。
イパンスールが能力を消そうとしていたのは、制御ができなくなったからである。だから、制御さえできれば、能力を消す必要もなくなる。
「貴様を信じろとでもいうのか?」
「そうだ。俺を信じろ。信じれば、絶対にお前を笑顔にしてやる」