3-14 『その男の名は』
「タイシ様ーっ!」
ルミセンの城に戻ると、真っ先にルミセンが飛びついてきた。
詩真の姿に、レーメルも安堵の息を漏らす。
「よかったみゃん。……それにしても、増えたみゃん」
行く時は、大志と理恩だけだった。しかし今は、海太に詩真、ヘテにロセクにシュアル、バンガゲイルにティーコまでいる。
「タイシ様、腕が……」
ルミセンにすら腕のことは伝えていなかった。
大志は心配してくれたルミセンの頭を撫で、微笑む。
「腕は大丈夫だ。だから、そんな顔はしないでくれ」
大志はルミセンに抱きしめられたまま、レーメルに話をした。
「他の民がいなかったって、どういうことみゃん?」
サヴァージングでのそもそもの問題は、民が綺麗さっぱりいなくなったことである。そこに詩真がオーガに攫われたという情報が重なり、他の民もオーガに何かをされたものだとばかり思っていた。
「そのままの意味だ。オーガは詩真を攫っただけで、他の民については知らなかった」
大志としては第一星区に早く行きたいところだが、この問題が解決するまでは、この地を離れるわけにはいかない。
もしもディルドルーシーやカマラのようなことがあれば、ルミセンに被害が及ぶ。目の前の危険を、見て見ぬふりなんてできない。
「なら、オーガは陽動で、本当の目的は民のほうだったのかみゃん?」
「そう考えるのが妥当だ。でも、オーガを従えていたとなると……」
詩真を攫ったのは、大上大志プロジェクトを知るものだった。つまり民が消えたのも、大上大志プロジェクトと関係があるのかもしれない。
「そんなことはいいの! タイシ様、疲れてる?」
「ん? ああ、ちょっとな。もうひと踏ん張りだ」
しかしルミセンは頭を左右に振り、そのたびに白い髪が左右に揺れた。ほのかに、良い匂いもする。
すると急に大志を眠気が襲い、意識が朦朧とした。
あんな戦いをしたあとだ。バンガゲイルの押す荷車の中で仮眠をしたとはいえ、睡眠が十分でないのは仕方のないことである。
「今日はおやすみしていいの。タイシ様……」
「――っは!」
目を開けると、すでに夜は明けていた。
「んんぅ……タイシ様……」
隣で寝ているルミセンは、なぜか服を着ておらず、見た目も普段よりか大人びていた。
そして自分の服もなくなっていることに気がつく。大志とルミセンは、一糸纏わぬ姿で、同じベッドで眠っていたのだ。
「何が……あったんだ……」
大志の頭では理解が追い付かない。いや、理解した内容を頑なに否定し、別の可能性を探している。
たとえ眠くて意識が朦朧としていたからといって、そんな過ちを犯すはずがない。
「あ、起きたんだね、大志!」
そこに運悪く、入ってきたのは理恩だった。
しかし理恩はルミセンのことなど気にしない様子で、大志の隣に座る。
「勘違いしないでくれ! 俺は――」
「わかってるよ。大志が、私を大好きだってことをね」
理恩は大志に顔を向け、目を閉じた。それはつまり、怒っていないということである。
いつもと変わらない理恩に安堵し、唇を重ねた。
ただ唇を重ねただけでは、一体になることはない。しかし望めば、新たに手に入れた能力で、情報を奪うことはできる。しかし一方的なので、使う際には要注意だ。
「大志の服を持ってきたんだよ。大志の好きそうなデザインじゃないけど、ごめんね」
「理恩が謝ることはないだろ」
理恩の髪を撫で、抱きよせる。
一度は失ったと思っていた理恩の右腕も、しっかりとある。あの戦いで、何も失わずに済んだのだ。
理恩の持ってきた服は、生地が伸縮しないのか、やけに動きづらい。
戦うことは考えていない服なのだろう。
「左腕の部分は、余計だったね」
「……そうだな。一体になるような戦いが起こらなければ、なによりだ」
朝食を運んできたティーコは、どこか不安そうだった。
ティーコへの偏見はしないようにと、ルミセンにもペドにも伝えてある。
「どうしたんだ?」
「き、緊縛様……私が料理担当なのに、カマラでは……」
ティーコが調理師としてカマラにいたのは、大志たちも知っていることだ。そしてティーコは昨日からずっと大志のそばにいる。つまり、カマラの城には調理する人がいないのだ。
アイス―ンやポーラがお腹をすかせていないかを、ティーコは心配している。
「緊縛!? 今、緊縛って言ったの!?」
朝食の並べられたテーブルを、ルミセンが叩いた。
ルミセンに会いに来た一番の理由を、忘れていたのである。
しかしルミセンの顔を見ると、言うのが怖くなった。理恩を好きなのと同じで、ルミセンも好きだ。笑ってくれなくなったら、悲しい。
「……ああ、俺は緊縛になったんだ。カマラの緊縛に」
事実を伝えた。包み隠すことなく正直に伝えると、ルミセンは顔を伏せ、身を震わせる。
我慢をしているのだ。ルミセンの守護衛であるのに、勝手に緊縛となった大志に怒りを抱くのは、仕方のないことである。
「すごい! すごいの、タイシ様!」
しかし予想は外れ、ルミセンの表情はとても明るかった。
ルミセンは大志に飛びつき、嬉しそうに何度も跳ねる。怒ってはいなかったようだ。
「やっぱりタイシ様はすごいの!」
ルミセンは大志の胸に顔をうずめ、声を漏らす。
そんなルミセンに、大志の頬は緩んだ。自分の選択は間違っていなかった。そう思えたからだ。
「ルミセンが、ルミセンでよかった。俺は緊縛になっても、ルミセンの守護衛だからな」
「そう言ってもらえると、嬉しいの。タイシ様は、何があってもタイシ様なの」
大志はルミセンの頭を撫で、ティーコに目を向ける。
「食べ終わったら、帰ろう。カマラに」
「それにしても、町が四つもあるのはなぜなんだ? 一つにまとめればいいだろ」
バンガゲイルの押す荷車に乗って、アクトコロテンを進んだ。
もはや大志がアクトコロテンに入ったところで、怒る人もいないだろう。
荷車には、海太、詩真、理恩、ティーコ、レーメル、ルミセンが乗っていた。ルミセンの城にはペドとヘテ、ロセク、シュアルが残っている。
「昔っから四つの町があったんだぜぇ。今更一つにするのは、どこの緊縛も気が引けるんだぜぇ」
「だが、オーガと暮らすとなると、今のままでは狭いよな……」
オーガはただでさえ大きい。オーガと暮らすとなると、街を作り替えなければならない。せめてサヴァージングとカマラを合併させて、周辺の森も取り入れなければダメだろう。もしかすれば、それでもまだ足りないかもしれない。
「オーガと暮らすって、どういうことなの?」
ルミセンは膝を抱えて、そんなことを呟いた。
大志は何から何まで、言うべきことを忘れている。オーガは大志に期待していた。だから、話し合いをしないわけにはいかない。
「オーガたちには主派と長派があってだな……」
そして大志は話し始める。オーガの現状と、オーガの望み、大志が思い描くオーガと共存する未来像を。
「というわけだ。オーガは人との共存をしたかったが、封魔の印や言葉を話せないなどで、意思疎通ができなかった。向こうがその気なら、こっちとしても拒む理由はないだろ?」
静かに聞いてくれていたルミセンだが、これからの話になると、表情が暗くなった。
その変化に気づかないほど、大志は鈍くない。
「オーガと暮らすのは、嫌か?」
「違うの。タイシ様の考えは素晴らしいの。だから、タイシ様が思うようにやればいいの」
ルミセンは笑ってくれたが、大志の心はどこかスッキリしない。
オーガは魔物で、かつて人と戦っていた。そんな魔物と一緒に暮らすというのだから、不安にもなる。ルミセンは緊縛で、民の安全を第一に考えなければならない。民が消えてしまった今、その責任感に押しつぶされそうになっているのだ。
「民のことも、オーガのことも、俺に任せろ。苦しかったら、俺を頼れよ」
大志がルミセンにしてあげられることは、こんな言葉をかけることぐらいである。
「ふんふんふーん」
城に戻ると、誰かの鼻歌が聞こえた。
アイス―ンとポーラ以外に城に誰がいるかは把握していないけれど、アイス―ンともポーラとも違う誰かの声である。
大志たちは、その鼻歌を頼りに足を進めた。
ただでさえ内部を理解していないうえに、一歩間違えれば出口すら見失う。
「こっちみゃんっ!」
「いや、こっちだってんよ!」
そしてレーメルと海太の行き先争いが始まった。
右に曲がるか、左に曲がるか。耳を澄ませても、両方から声が聞こえてくる。
「おかしいだろ。ちょっと待ってろ」
大志は壁に手を当て、その情報を探った。
すると、右も左も道の先にスピーカーが設置されており、そこから出ている声である。つまり声の主は、右にも左にもいない。
「おとなしくアイス―ンを探すか」
建物内の情報を得て、アイス―ンがどこにいるかを探った。
アイス―ンは厨房にいる。そして、そこへの道順もわかる。
「帰ったぞ、アイス―……ンッ!?」
「や、やぁ……遅かったね」
そこにいたのは、アイス―ンであってアイス―ンではない。
ティーコがいなくなったので調理をしていたのだろうが、アイス―ンはエプロンをしていた。だが、エプロンの下には何も着ていない。
「へ、変態になったのか?」
詩真の影響が及んでしまったのか。しかし、詩真とアイス―ンにはあまり接点がなかったはずである。
「気にしないでくれ。これには事情があるんだ」
「話だけでも聞かせろ。何があったんだ?」
声もどこか変だ。スピーカーから聞こえていた声と同じだが、普段よりも高く、とてもアイス―ンとは思えない声である。
大志は背を向けたままのアイス―ンに近づき、正面を向けさせた。
「――ッ、こ、これは……」
「……見ないで、くれ」
硬直する大志と、恥ずかしそうに胸元を手で隠すアイス―ン。
アイス―ンのつけているエプロンの胸元には、谷間がある。胸でつくられた谷間が、そこにはあった。
しかしアイス―ンは男で、そんなものがあるはずがない。
「だんだんと、大きくなってきたんだ。そして、苦しくなって、着られる服がなくなったから……」
「そっ、それでエプロンだけしてたのか。理解はできないが、わかった」
アイス―ンの身体が女になってきているということは知っていた。
アイス―ンと風呂に入った時、膨らみかけていたアイス―ンの胸を大志は見ている。
「な、何が起こったってん?」
ぞろぞろと海太たちが、アイス―ンを囲んだ。
海太たちにはわからないだろうが、説明しにくい。
「たしか前、レズに精を取り換えられてたよな。レズがあの時、女に近づいているとか言ってたけど、もしかしてそれなのか?」
「わからない。でもレズの能力で、僕の精は女のものになっている。そのせいで、身体も女へと変わってしまったのかもしれない」
精は、人を構成するそのものだ。それが女のものとなれば、結果は目の前のとおりである。
レズの能力は、諸刃の剣だ。アイス―ンからフェインポスを飲んだという過去を消したが、その代償にアイス―ンを女へと変えてしまった。
「前々から女みたいだと思っていたが、昔からされていたのか?」
「……そうだね。でも、たとえ身体が女になっても、僕は男だ。だから、変な気は起こさないでくれよ」
「それは海太に言ってくれ。俺には理恩がいるからな」
海太に話を振ると、海太は高速で首を左右に振る。
「な、何を言ってるってん! 何もしないってんよ!」
しかし、鼻の下が伸びており、説得力のかけらもない。
ただでさえ海太は光があればどこにでも姿を現せる。おまけに物も掴めるのだ。感触が伝わるかはわからないが、注意するに越したことはない。
「もしも襲われそうになったら、何してもいいからな」
「君が言うなら、全力でいかせてもらうよ」
「大志! 大変だよっ!」
イズリとレズの様子を理恩に見に行ってもらうと、理恩はすぐに帰ってきて、そう言った。
表情からして、ただ事ではないようである。
「どうした、またイズリがレズに襲われてたのか?」
「違うよ! イズリがいないのっ!!」
その場にいた全員の視線が、理恩へと集まった。
レズの餌食になっているのならわかるが、いなくなったとなると、レズがやったとは考えられない。
「イズリ以外はいるのか?」
「うん。いなくなったのは、イズリだけ。いついなくなったのか、誰もわからないって……」
するとレーメルは、足の力を失ったかのように、床に尻をつく。
レーメルとイズリは家族のようなものだ。ショックを受けるのも無理はない。
「誰にも気づかれずにイズリを連れ去るなんて、可能なのか?」
ディルドルーシーは復興作業をしている。そんな中でイズリが人目から離れるとしたら、誰かしらに見られるはずだ。
「い、イパンスール様みゃん……。い、イパンスール様が、イズリを連れ帰ったみゃん……」
「イパンスール? それって、イズリの兄のイパンスールか?」
レーメルの怯えようからして、それしかありえない。レーメルとイズリの恐怖の対象であるイパンスール。会ったことはないが、ボールスワッピングの緊縛だと知っている。
どうやら、やっと会う機会が訪れたようだ。
「貴様が大上大志か。緊縛になったと聞いたが、ひ弱そうだな」
大志と理恩の間に、忽然と現れた金髪の鋭い目をした男。
その姿に、大志はたじろいでしまう。明確な形のない恐怖を、その男から感じた。
「大志はひ弱じゃないってんよ! それより、誰だってん!」
横から海太が怒鳴ると、金髪の男は口の端を吊り上げた。
「グルーパ・イパンスール。第三星区の頂点にいる男だ」
「お、お前がイパンスール……」
イパンスールはレーメルへと目を向ける。するとレーメルは、怯えのせいか身体を震わせた。
イパンスールには、他の人とは違った異質なオーラがある。それが、さらに恐怖を与えた。
「レーメル、もうイズリに近づくな。お前の強さを見込んでいたが、それも終わりだ」
「そ、そんな……っ!」
「今まで生かしてきたが、もう用なしだ。舌をかみ切って、死ね」
イパンスールの言葉がレーメルへと降りかかり、レーメルは涙を流した。
イズリに何があったかわからないが、さすがに言い過ぎである。大志は恐怖に震える足を無理やり動かし、イパンスールに踏み込んだ。
そして拳を突き出すが、それは軽く受け止められてしまう。
「……気が変わった。お前が弱くないというのなら、それを証明してみせろ」
「証明?」
「イズリにもう一度会えたのなら、賞賛の言葉くらい送ってやる」
すると、次の瞬間にはイパンスールの姿は消えている。
透明になっているのではなく、この場からいなくなったのだ。
「って、レーメルはやめるってんよー!」
イパンスールに言われたとおり、舌をかみ切ろうとするレーメルの口に、海太は手を突っ込んで止めさせる。今までイパンスールはよくわからなかったが、ほんの少しあっただけで、どんな人かわかった。
「イパンスールは間違ってる。恐怖で人を従わせようとするのは、ゲスのやり方だ」
大志はレーメルに手を差し伸べる。
イパンスールに、大志も恐怖を覚えた。しかし、それで諦める大志ではない。恐怖なんて、今までに何度も経験して慣れている。
「さあ、助けに行こう。一緒に!」